昨日、全くの偶然だけど、年金関係のものを探すために、私の大事なバッグの中を見ていたら、父の自分史と母の日記があった。
その存在は知っていたので、宝物としてバッグに入れていたのだけど、ゆっくり読んだことがなかった。
で、昨日、割合(いつもより)ゆっくりと読んでみた。
父は、自分の生きてきた諸々のことを書いてあった。
中国へ行ったこと、中国語、英語と勉強したこと。中国の地名が出てくる。
そして、指宿に伝わる民話もあった。
そのことを、父が「寿大学」という文集に出したのは知っていた。
便箋にそれこそ、丁寧に、戦争のこと、商売のことを書いてあった。
きれいな文字だ。
すごいなと思う。
そして、母の手紙や、日記もあった。
涙なしには読めなかった。
「母ちゃん」と涙があふれる。
私の誕生日にしたためた母の手紙があり。
「9月9日、今日は27年前の感激の日です。お誕生日おめでとう。
当時のことを思い出しています。N子(私の名前)は、元気に此の世に生をうけました。今度はあなたが母親になる番ですね。如何ですか」
お産を控えている私への手紙の一部。
私の体を心配して、横浜に手伝いにいくことを書いてくれてある。
くしくもその1年前に亡くなった父の一年忌をおえてから、妹の川内に寄り、寝台車の「はやぶさ」で行くという文があとに続く。
ああ、私は愛されて育ったんだなあと思ったし、母にもっと優しくしたらよかったと後悔の念が押し寄せた。
それから、いろいろな文章があったのだけど、教師をしていて、Sさんと結婚して千葉の兄を産んで、夫であるSさんに召集令状が来たことも記していた。
母は、そう、前の夫Sさんをルソン島で亡くしている。
その子どもが千葉のMお兄さんと、藤沢のTお兄さんだ。
母の日記にMお兄さんの幼いときの言葉があった。
「おとうさんは、帰ってこないね」「けしんどらんよ(死んではいないよ)」
などなど。
他にもいろんな事件があり、同じ母として、女性として、どんなに辛かったかと思うと、また涙があふれる。
「母ちゃん、母ちゃん」と声に出せば、またまた涙が…。
そして、今日、そのMお兄さんと会ったのだ。久しぶりです。
兄は、お父さんのことは覚えていないという。3、4歳だったのだろう。
兄といろんな話をした。
兄は、傾聴のボランティアをして、今、手話も習っているそうだ。
私も手話をしていたから、二人でいろいろやってみる。楽しい。
兄は、大手の建設会社に勤め、今は退職しているけど、何かしら教えにたまに行くと言っていた。
今日、兄と話ができたことが嬉しい。
何でも積極的で、前向きな姿勢に母を見る。
さっき、兄のことを母に報告した。
Mお兄さんは元気だよと。
よかったね、母ちゃん。
立派に育っているよ。
妹の私がいうのも変だけどね。
だって、孫もT大学の医学部の准教授で頑張っているものね。
母ちゃんの理系の血を引いているんだよね。
今日の指宿会で兄に会えて、話をするために、私に日記を読ませてくれたのかあと思う。
教師としての気持ちもきれいな字で書いてあった。
やっぱり、私は、母を尊敬します。
頑張るね、母ちゃん!!
母のように、気高く、教養深い女性に私もなりたい。
寛容で、優しく、強く、自分を持っていた母です。
今日は、とても楽しかったよ。
母ちゃん、ありがとう。
その存在は知っていたので、宝物としてバッグに入れていたのだけど、ゆっくり読んだことがなかった。
で、昨日、割合(いつもより)ゆっくりと読んでみた。
父は、自分の生きてきた諸々のことを書いてあった。
中国へ行ったこと、中国語、英語と勉強したこと。中国の地名が出てくる。
そして、指宿に伝わる民話もあった。
そのことを、父が「寿大学」という文集に出したのは知っていた。
便箋にそれこそ、丁寧に、戦争のこと、商売のことを書いてあった。
きれいな文字だ。
すごいなと思う。
そして、母の手紙や、日記もあった。
涙なしには読めなかった。
「母ちゃん」と涙があふれる。
私の誕生日にしたためた母の手紙があり。
「9月9日、今日は27年前の感激の日です。お誕生日おめでとう。
当時のことを思い出しています。N子(私の名前)は、元気に此の世に生をうけました。今度はあなたが母親になる番ですね。如何ですか」
お産を控えている私への手紙の一部。
私の体を心配して、横浜に手伝いにいくことを書いてくれてある。
くしくもその1年前に亡くなった父の一年忌をおえてから、妹の川内に寄り、寝台車の「はやぶさ」で行くという文があとに続く。
ああ、私は愛されて育ったんだなあと思ったし、母にもっと優しくしたらよかったと後悔の念が押し寄せた。
それから、いろいろな文章があったのだけど、教師をしていて、Sさんと結婚して千葉の兄を産んで、夫であるSさんに召集令状が来たことも記していた。
母は、そう、前の夫Sさんをルソン島で亡くしている。
その子どもが千葉のMお兄さんと、藤沢のTお兄さんだ。
母の日記にMお兄さんの幼いときの言葉があった。
「おとうさんは、帰ってこないね」「けしんどらんよ(死んではいないよ)」
などなど。
他にもいろんな事件があり、同じ母として、女性として、どんなに辛かったかと思うと、また涙があふれる。
「母ちゃん、母ちゃん」と声に出せば、またまた涙が…。
そして、今日、そのMお兄さんと会ったのだ。久しぶりです。
兄は、お父さんのことは覚えていないという。3、4歳だったのだろう。
兄といろんな話をした。
兄は、傾聴のボランティアをして、今、手話も習っているそうだ。
私も手話をしていたから、二人でいろいろやってみる。楽しい。
兄は、大手の建設会社に勤め、今は退職しているけど、何かしら教えにたまに行くと言っていた。
今日、兄と話ができたことが嬉しい。
何でも積極的で、前向きな姿勢に母を見る。
さっき、兄のことを母に報告した。
Mお兄さんは元気だよと。
よかったね、母ちゃん。
立派に育っているよ。
妹の私がいうのも変だけどね。
だって、孫もT大学の医学部の准教授で頑張っているものね。
母ちゃんの理系の血を引いているんだよね。
今日の指宿会で兄に会えて、話をするために、私に日記を読ませてくれたのかあと思う。
教師としての気持ちもきれいな字で書いてあった。
やっぱり、私は、母を尊敬します。
頑張るね、母ちゃん!!
母のように、気高く、教養深い女性に私もなりたい。
寛容で、優しく、強く、自分を持っていた母です。
今日は、とても楽しかったよ。
母ちゃん、ありがとう。