今日はなんとゆったりとした時間を過ごせるのだろう。
いいなあ・・・。
とてもありがたいと思う。
昨日は朝、上田の柳町から、再び上田城趾へ散策。
柳町は北国道と言われ、参勤交代、金の運び道、善光寺へのお参りと賑わった界隈だったらしい。
とても趣があった。

それから、濃いピンクのハナミズキの花を見ながら


また、上田城跡に回る。前日の夕方の静けさはどこへ?多くの人で賑わっていた。
そして、今回、夫がまた行きたがっていた「無言館」に向かう。
私たちが行くのはこれで3度目である。
上田電鉄の塩田町駅で降りてシャトルバス。
以前は子どもたちとともに車で来たので、こういうルートは初めて。
バスから降りると桜がとてもきれい。


坂を上れば無言館が・・・。


今の東京芸大の前身の東京美術学校の学生の絵がほとんど。
今回気づいたのは、母と同じ頃の生まれの方々ということだ。
元気であれば、どんなに日本の美術界に貢献しただろうかと思えば、残念、無念で仕方ない。
妻や恋人の裸婦像・・浴衣の女性像、祖母・・そこに掲げられている経歴と亡くなった場所が悲しい。
そして、絵を守ってきた遺族の方々のメッセージに涙があふれる。
ここを開館された窪島誠一郎さん(お父様は水上勉さん)のメッセージ「あなたを知らない」は、もう、何度読んでも悲しい、辛い・・・本当に謝りたい心境だ。
帰りに受付の方にそのメッセージに感動したことを伝えるとそれが綴られた一枚の紙を下さった。だから、手元にある。
そして、今、それは、求めた「無言館 戦没画学生 祈りの絵」に夫が貼ってあった。

表紙です。

実はこの表紙の絵を描いた佐久間修さんは熊本の御船町の出身。
夫は以前彼の妹様に会って話をしたという。
佐久間さんは宇土中で教鞭をとっていらした。今の宇土高校である。
勤労動員令で生徒を連れて長崎の大村市海軍航空隊に行っていた。そこでB29の空襲を受け亡くなられた。享年29歳。
この絵は奥様の静子さんだという。
また、鹿児島県の種子島出身の日高安典さん「・・・生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから……モデルをつとめてくれた恋人にいゝのこして戦地に発った。しかし、安典は帰ってこれなかった。」(引用させていただきました)ルソン島パギオにおいて戦死。享年27歳。
吉田二三男さんは絵本の挿絵を描いたものもあり、ユーモアを感じた。生まれたばかりの娘さんを残して満州で戦病死。享年30歳。
「あじさい」の絵もあった・・・。
現実とは違う家族の団らんの絵もあった・・・。
たくさんの絵があり、いろいろなエピソード、遺族の思いがあり、全員のことを書きたいけど・・・。
皆さまには、ぜひ、無言館に行ってほしい。
描くことに情熱を燃やしていた画学生が若くして命をなくした。
彼らが描いた絵を見てほしいと思う。
平成も明日で終わるが、一枚一枚の絵を見ながら、戦争なんて、なんと愚かなことをしたのだろうと思う。愚かといえば、亡くなられた方に申し訳ない気がするが戦争することは愚かだ。
母の先の夫もルソン島で病死ときいた。
東京の大学を出て、教師として働いていたのに、戦地へ行かねばならなかった。
この画学生のひとりと会っているかもしれないなあと思ったりもした。
知覧の特攻隊基地のことも思い出す。
生きていれば、桜を毎年楽しめたろうにと思ったり・・・
画学生も、多くの有能な若者も、戦争で命を落とした。
それは全世界の若者、人も同じだ。
家族があり、やりたいことがあったはずだ。
帰りの電車でスマホを見ている若者を見ながら、今のこの平和は多くの犠牲の上であることをわかってほしいと切に思った。
若い学生風の仲むつまじい姿を見ながら思う。
恋人と、妻と、過ごせなかった若者たちのことを・・・。
心からご冥福を祈ります。
開館してくださった窪島さんに感謝すると同時に、皆さまには、ぜひ、上田の「無言館」を訪ねてほしい。
無言館を出てこの風景。
ここにあなたがいてもいいのよね・・・。

そのあと、「傷ついた画布のドーム」も見る。ドーム形の天井に画学生のデッサンや下絵380点あまりが貼り込まれている。そして、たくさんの絵。たたずんで見る。
バス停までにたくさんのタンポポ。

帰宅したら、息子が「無言館で、何か買った?」
「うん、本と絵はがきを買ってきた」
「本を見せて」と。
息子は無言館に行ったからよく知っている。
そして、次女たちが私たちの留守中に来て「結婚記念日ね、おめでとう」とプレゼントしてくれてあったお花。
Sちゃんの絵もある。1本の線が嬉しい。
包みをほどくのがもったいなくて、そのまま、花瓶にいけました。

こういうありがたいもの、時間をいただけるのも多くの犠牲になった方々のうえだ・・・享受している。
私たちは平和な世を作っていかねばならないとあらためて心する。
気ままに急に決めた石和温泉から上田。
「無言館」にまた行きたいと言っていたから、今回行けて本当によかった。
有意義な小さな旅でした。
今日の我が家のお花です。
キウイ。

これはなんだろう。
指宿からもらってきて(植物園を経営しているから)鉢に入れていたら、根付いて、初めて、今年、花が咲いた。何年かかったろう・・・。

小さな白い花は真っ盛り。

ツツジです。

植物や花々は季節を知って咲く。
それが当たり前のようで当たり前ではないかもしれない。
楽しませてくれてありがとうです。
平和は当たり前ではない。
自分たちで心して生きていかねばならないと思う・・・。
いいなあ・・・。
とてもありがたいと思う。
昨日は朝、上田の柳町から、再び上田城趾へ散策。
柳町は北国道と言われ、参勤交代、金の運び道、善光寺へのお参りと賑わった界隈だったらしい。
とても趣があった。

それから、濃いピンクのハナミズキの花を見ながら


また、上田城跡に回る。前日の夕方の静けさはどこへ?多くの人で賑わっていた。
そして、今回、夫がまた行きたがっていた「無言館」に向かう。
私たちが行くのはこれで3度目である。
上田電鉄の塩田町駅で降りてシャトルバス。
以前は子どもたちとともに車で来たので、こういうルートは初めて。
バスから降りると桜がとてもきれい。


坂を上れば無言館が・・・。


今の東京芸大の前身の東京美術学校の学生の絵がほとんど。
今回気づいたのは、母と同じ頃の生まれの方々ということだ。
元気であれば、どんなに日本の美術界に貢献しただろうかと思えば、残念、無念で仕方ない。
妻や恋人の裸婦像・・浴衣の女性像、祖母・・そこに掲げられている経歴と亡くなった場所が悲しい。
そして、絵を守ってきた遺族の方々のメッセージに涙があふれる。
ここを開館された窪島誠一郎さん(お父様は水上勉さん)のメッセージ「あなたを知らない」は、もう、何度読んでも悲しい、辛い・・・本当に謝りたい心境だ。
帰りに受付の方にそのメッセージに感動したことを伝えるとそれが綴られた一枚の紙を下さった。だから、手元にある。
そして、今、それは、求めた「無言館 戦没画学生 祈りの絵」に夫が貼ってあった。

表紙です。

実はこの表紙の絵を描いた佐久間修さんは熊本の御船町の出身。
夫は以前彼の妹様に会って話をしたという。
佐久間さんは宇土中で教鞭をとっていらした。今の宇土高校である。
勤労動員令で生徒を連れて長崎の大村市海軍航空隊に行っていた。そこでB29の空襲を受け亡くなられた。享年29歳。
この絵は奥様の静子さんだという。
また、鹿児島県の種子島出身の日高安典さん「・・・生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから……モデルをつとめてくれた恋人にいゝのこして戦地に発った。しかし、安典は帰ってこれなかった。」(引用させていただきました)ルソン島パギオにおいて戦死。享年27歳。
吉田二三男さんは絵本の挿絵を描いたものもあり、ユーモアを感じた。生まれたばかりの娘さんを残して満州で戦病死。享年30歳。
「あじさい」の絵もあった・・・。
現実とは違う家族の団らんの絵もあった・・・。
たくさんの絵があり、いろいろなエピソード、遺族の思いがあり、全員のことを書きたいけど・・・。
皆さまには、ぜひ、無言館に行ってほしい。
描くことに情熱を燃やしていた画学生が若くして命をなくした。
彼らが描いた絵を見てほしいと思う。
平成も明日で終わるが、一枚一枚の絵を見ながら、戦争なんて、なんと愚かなことをしたのだろうと思う。愚かといえば、亡くなられた方に申し訳ない気がするが戦争することは愚かだ。
母の先の夫もルソン島で病死ときいた。
東京の大学を出て、教師として働いていたのに、戦地へ行かねばならなかった。
この画学生のひとりと会っているかもしれないなあと思ったりもした。
知覧の特攻隊基地のことも思い出す。
生きていれば、桜を毎年楽しめたろうにと思ったり・・・
画学生も、多くの有能な若者も、戦争で命を落とした。
それは全世界の若者、人も同じだ。
家族があり、やりたいことがあったはずだ。
帰りの電車でスマホを見ている若者を見ながら、今のこの平和は多くの犠牲の上であることをわかってほしいと切に思った。
若い学生風の仲むつまじい姿を見ながら思う。
恋人と、妻と、過ごせなかった若者たちのことを・・・。
心からご冥福を祈ります。
開館してくださった窪島さんに感謝すると同時に、皆さまには、ぜひ、上田の「無言館」を訪ねてほしい。
無言館を出てこの風景。
ここにあなたがいてもいいのよね・・・。

そのあと、「傷ついた画布のドーム」も見る。ドーム形の天井に画学生のデッサンや下絵380点あまりが貼り込まれている。そして、たくさんの絵。たたずんで見る。
バス停までにたくさんのタンポポ。

帰宅したら、息子が「無言館で、何か買った?」
「うん、本と絵はがきを買ってきた」
「本を見せて」と。
息子は無言館に行ったからよく知っている。
そして、次女たちが私たちの留守中に来て「結婚記念日ね、おめでとう」とプレゼントしてくれてあったお花。
Sちゃんの絵もある。1本の線が嬉しい。
包みをほどくのがもったいなくて、そのまま、花瓶にいけました。

こういうありがたいもの、時間をいただけるのも多くの犠牲になった方々のうえだ・・・享受している。
私たちは平和な世を作っていかねばならないとあらためて心する。
気ままに急に決めた石和温泉から上田。
「無言館」にまた行きたいと言っていたから、今回行けて本当によかった。
有意義な小さな旅でした。
今日の我が家のお花です。
キウイ。

これはなんだろう。
指宿からもらってきて(植物園を経営しているから)鉢に入れていたら、根付いて、初めて、今年、花が咲いた。何年かかったろう・・・。

小さな白い花は真っ盛り。

ツツジです。

植物や花々は季節を知って咲く。
それが当たり前のようで当たり前ではないかもしれない。
楽しませてくれてありがとうです。
平和は当たり前ではない。
自分たちで心して生きていかねばならないと思う・・・。