陽炎日記

日々の出来事を中心に綴ってます。

地震があった時

2011-03-11 21:21:13 | Weblog
 自分の所の仕事が一段落。
隣のVANを集めていた。台車の下に40冊、50冊と4~5種類乗せ終わった。
さて次を乗せようかとVANを持って棚に向かうとぐらっときた。
ほんの数秒すると揺れが大きくなって、奥の方からキャーキャー聞こえてきた。
しばらくするとI社の人達が階段の方に向かうのが見えた。

持っていた本を棚に戻し、男性の人とそばの階段から下りることに。
彼が手をひいてくれた。下の蛍光灯が大きく揺れていた。
階段を下り高さのある段を飛び降りる男性、続き私も飛び降りたが、うまく飛び降りられなかった。
そのせいか引きずられた状態だったので、転んで膝が痛かった。

表に出ても揺れが収まらなかった。
もう体の震えが止まらなくて・・・
しばらくして事務所の人達が下りて来た。いつまでいたの?
一人が泣いてしまって周りが慰めていた。恐かったのはその人だけではない。

もう一度突き上げる地震が起きた。
しばらく立ち上がれなかった。みんなで円座になりながら揺れが収まるのを待った。
家にメールを送っている人がいたが、全然送れないと言っていた。
私はその時携帯を2階の自分の机の下に置きっぱなし。

揺れが少し収まってから2階へ行くと、階段すぐの所の棚が前に倒れて側の台車がつぶれかけていた。
大棚の方を見ると大量の本が散乱していた。
急いで携帯を取って早足で外へ出た。
みんなもずっとメールや電話をやっていた。がなかなか繋がらない状態が続いていた。
私も家に電話やメールをしてみたが、繋がらない。
家は頑丈に出来ているが、家の中はどうなのか心配になっていた。

何にしても仕事は全然出来ない状態なので、三々五々に帰って行く。
私も急いでロッカーへ。入り口のそばにはパレットから散乱した本が50センチほど山になっていて、
その上を歩いてロッカーへ直行。
カバンやダウンジャケットを引っぱり出し、また本の上を歩いて外へ出た。
余震が次々起きていた。

そのたびに高く積み上げられたパレットが大きく揺れているのがよくわかった。
30分くらいみんなといただろうか。
メールが送れたのはどれくらいたってからだろうか・・・
自分が無事なことを知らせておいた。
電話がかかったのはそれから10分くらいしてから。
それで帰ってきた。いつまた大きな地震がくるか怖かった。

家に帰ってきて少しほっとする。夫が部屋の本が散乱したので片付けていた。
自分の部屋に入ってびっくり。
私の箪笥の上の人形ケースが左に30センチほどづれていた。
私が作ったキティーちゃんの折り紙が物の見事に崩れて顔半分が
バラバラ状態。パーツが散乱していた。もう一回パーツをはさみこまないとダメだ。
(部屋の方はすぐに片付いたが)
自分の膝の治療。痛々しい傷跡。
実家の方も気になって電話をしたがなかなか繋がらない。
夕飯後しばらくしてようやく実家にも電話が出来、無事を確認出来た。
夜になっても余震がずっと続いて・・・
寝られるか心配になってきた。
ずっとテレビはつけっぱなし。

地震時の津波の影響がもの凄いことがテレビを見ていてよくわかった。
いろんなものを飲み込んで一緒に流れて・・・
経験のないほどの余震に寝られるかどうか・・・

次男は新木場の会社に泊まりとメールで言ってきた。
新木場の橋の所がやばいことになっているらしい。
明日気をつけて帰って来て欲しいと願っている。
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所長の提案は…

2011-03-11 12:48:34 | Weblog
 いつもの状態で話合い。所長いわく回ってないと。
まるっきり私の部署と隣部署を交代させて仕事をしろという
それから人を交代で回せというもの。相方のSさん納得がいかないらしかった。
来週から一段と忙しくなるというのに…今なんとか仕事が終わっているのに
これ以上負担を増やすのは得策ではないような気がする。

M君に話したら「セットが始まったらわかるんじゃない?」と答が返ってきた。
私は月曜日の時点で答が出ると思う。自分の意見をガンとまげない所長に
どういう風にわかってもらえるか思案のしどころ。
みんな怒り浸透だがやるっきゃないだろう。もう自分がパニクっているのが目に見える。
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