三重県三重郡菰野町宿野
近鉄菰野駅の南東の金渓川の堤防上に一本の古木が見える、この木は、ニレ科の落葉樹の「えのき」で、秋に紅い実をつけ小鳥の餌になる、土地の人「えのみの木」とよんでいるようだ、江戸時代の東菰野村と宿野村との村境にあって、境の標木であった、宿野は中心に城屋敷があって、周りを取り囲むように民家が立ち並んでいて。「西の久保用水」が、ぐるりと廻り、城構えの村の濠の役目を果たしていた、 昔から村の境に樹木を植えて、境の目印にする習慣があり、水沢村境の「お茶場の松」、音羽と千草の「境い松」、田口と宇賀の境の「郡界松」などいずれも松の巨木が標木となっていたようだ、「えのき」の標木は珍しく、現在も健在でのこっていた。
近鉄菰野駅の南東の金渓川の堤防上に一本の古木が見える、この木は、ニレ科の落葉樹の「えのき」で、秋に紅い実をつけ小鳥の餌になる、土地の人「えのみの木」とよんでいるようだ、江戸時代の東菰野村と宿野村との村境にあって、境の標木であった、宿野は中心に城屋敷があって、周りを取り囲むように民家が立ち並んでいて。「西の久保用水」が、ぐるりと廻り、城構えの村の濠の役目を果たしていた、 昔から村の境に樹木を植えて、境の目印にする習慣があり、水沢村境の「お茶場の松」、音羽と千草の「境い松」、田口と宇賀の境の「郡界松」などいずれも松の巨木が標木となっていたようだ、「えのき」の標木は珍しく、現在も健在でのこっていた。