小言コウベイN

日々感じた風刺等について書いています。

それから3

2024-10-22 07:35:36 | 日記

                R,06,10,23  それから3   NO,4311

暴落した不動産など、まだまだ下がると思ってだれも買ってはくれない。 売買が

ないのに日々価格が下がって行く恐怖の事態だった。 妻子がいるのに自分だけ勝手

に死ぬこともできない。 死ぬなんて格好も悪い、と言ってなにもできない

空しい日々だった。 することがない。 なにをやっても空しいだけだった。 

海遊館に行って高足蟹の水槽の前で、カニを眺めているだけの日々だった。 お前はいいよな 

借金なんかないし、税金だって払わなくていい。 石川啄木の気持ちが分かった。 

(東海の 小島の磯の白砂に 我泣きぬれて蟹とたわむ)蟹になりたい、カニと

替わってほしいと思った。

 

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それから2

2024-10-21 09:41:29 | 日記

             R,06,10,22  そ れ か ら2 NO,4309

平成2年秋、突然バブルが崩壊し、株価は1/4に下落し、不動産価格は1/5に下落した。

株は持っていなかったが、全財産を不動産につぎ込んでいた。

不動産価格が下落したって、膨大な借金自体が同時に減るというものではない。

このバブル崩壊によって国内で、100万人が債務超過陥って破綻した。 

同業者者の中でも身の丈に合わないヨットなどの奢侈品を購入していた人が自殺した。

新聞にも載らないほどの自殺や破綻があった。 その渦中に自分もいた。

破産か自殺か道は2つに一つ思われた。

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それから

2024-10-20 07:22:10 | 日記

それから

   R,06,10,21   そ れ か ら NO,4308

当時の不動産業は売買の仲介が主だった。 でも、営業力も経験も何もない自分には、

そういう仕事ができるわけがない。

そこで、買取専門という仕事をはじめた。 資金力なんかなかったが、書類つくりに

精通していたので、銀行借り入れが効を奏し「不動産即時現金買取」という、

その当時としてはユニーな分野で業績を上げることができた。

昭和61~平成2年の上半期(バブル時代)にはサラリーマンが一生かかっても稼げない

ほどの金額を稼いだ・・・念願の貧困脱出ができた!?・・・と思ったが・・・

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悪いことばかり2

2024-10-19 08:10:28 | 日記

         R,06,10,20  悪いことばかり2 No.4307

再就職先を探して100社ほど履歴書を送ったが、公務員の古手なんか誰も採用

してくれなかった。 日雇いの派遣労働者などして、真っ黒になって苦節6年間

を経て、高槻で不動産業の看板を上げた。

一方、Tは過労とストレスのあまり、肝硬変になって38歳の若さで死去した。

札束の上にドバッと血を吐いて死にたいと言っていたが、その通リになった。

もし、あのままTと仕事していたら、自分もそうなっていただろ思う。

 お金も大事だが命の方がもっと大事だ。

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悪いことばかり

2024-10-18 08:13:58 | 日記

      R,06,10,19   悪いことばかり No.4306

順風満帆の公務員を辞したのは、親友だったT君の誘いだった。 不動産会開発

会社を立ちあげたい。 それにはお前のサポートが不可欠だ。

いまお前は組織の1/6000だが、俺に取っては心臓のような存在だ! ・・・

随分と悩んだが、挑戦することにした。 

バカだった。 会社は、第一次の開発で1億円を稼いだ。  そこでTは狂った。

 2次の開発では更に2億円を稼いだ。 Tは完全に狂った。

金正雲のような独裁者になり、仕事中毒(金銭中毒)にもなり、私を奴隷の

ようにコキ使うようになった。 もうついて行けない。

何の目算もなく辞職した。 お先真っ暗だった。

                

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