銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ドイツと日本の慣習やら、文化の違い

2009-01-18 13:56:57 | Weblog
 私は海外のことに興味があります。ただし、北欧に行った事が無いのです。ドイツがどちらに含まれるかはわからないのですが、ドイツにも行った事がありません。ヘレニズム文化を中心に学びたくて、訪問しているので、南欧と、現在はイスラム圏になっているヘレニズム文化地域へのたびが多いからです。

 だけど、日本に住んでいても、ドイツに触れるということはあります。この間、クラス会があって、そこにドイツ人のMR.Tと言う方が出席していて、「ドイツには、こういう習慣(クラス会)が無い」といわれたときに、突然ですが、昔、俳句会に所属していたドイツ人の女性が、「ドイツにはこういう習慣が無い」といわれたのを思い出しました。

 そのときは、『俳句だから、当然だわね』と考えていて、ドイツと日本の違いなど顕著には、察せられなかったのです。でも、その女性は素敵なひとで、翻訳家として忙しいのに、月一回の俳句会は、朝から午後遅くまで付き合って、一生懸命、吟行、食事会、選句会と楽しんでおられました。その句会は鎌倉の古い(日本一古いカソリックといわれている)教会で行われていたので、相当なレベルのものだったので、今では私は落ちこぼれております。他のこととは両立しないほど、レベルが高かったので、ドイツ人の女性の方がそれを理解して、ついてきてくださったことは、大変ありがたいことでした。日本人としては、特に。

 ところで、俳句文化と言うのは、江戸時代の平和の蓄積があってこそ生まれました。まあ、去来抄程度は原文で読んでいる私には、江戸時代は貧しくとも、豪商とか豪農がパトロンとして、活動をしていたのを、知っています。絵でも、旅をしながら、描いた絵が最近、続々と話題になっておりますね。絵金とか、そのほか。俳句も山頭火までは、そういう文化の中で暮らした人ですが、今の日本に知らない人、・・・・・特に、ホームレスまがいの風体で、詩作やら、思索やら、創作(絵を描くこと)に専念しながら旅をしている人・・・・・・を泊めてあげる家庭があるとも思えません。

 テレビの世界で、タレントが突然訪ねて行って、歓迎される番組がありますが、それは、タレントであるからこその、信頼感もあるだろうし、テレビクルーが、たとえ、少人数構成でもそばについていれば、人は心を開くでしょう。

 だから、今は消えてしまった日本の文化と言うのは、鎖国ゆえに、それなりに、人を信頼しあって生きていた文化の余剰のうえに生まれたものが多いと言うことです。引き比べてヨーロッパと言うのは地続きです。それゆえに、覇権を求めて戦争は繰り返されて来ました。そして、泥棒などの悪人なども国境を越えて逃げたでしょう。ですから、鍵文化が発達しています。パリに住んだだけで、それを、ひしひしと、感じました。

 あまりに立派な、そして頑丈な鍵が、部屋の入り口に、上下に三つもついていて、しかも自動開閉装置も、超がつくほど、最新機能だったものですから、私はちょっとごみを出そうとしたりして、締め出された事が何度もあって、往生しました。ビルそのものに入るのにも、頑丈な鍵システムがありますし。

 ドイツの鍵文化システムがどうなっているかを、私は知りません。が、日本によくある公民館とか、そのほか、集団やグループで安く使える部屋があるかどうか? それから、人々が割りと平気で新しい集団を作る、カルチュアーセンターの類が発達しているかどうかは、人々のお互いの間にある、信頼感如何にも拠ると思うのです。

 だから、俳句会は無かったのでしょう。ただ、教会の発達があって、そのメンバーであることで、さまざまな連帯のシステムやら、情操教育の仕組みが機能しているとは思います。特に音楽に関してはすばらしく。
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 もう一つの伝聞をここに書きましょう。ドイツの人や、他の国の人も、文化的なシゴトで日本に来ている人は湘南地方を好むのです。鎌倉にも大勢住んでおられると思いますが、逗子や葉山にも多いのです。そして、日本の自然や、文化が大好きです。

 ただし、病気になったら、即、ドイツに帰るそうです。何をおいても、即、帰国だそうです。医療のシステム、そして、医療そのものも圧倒的に、ドイツの方が安心で安全だそうです。これは、私には耳が痛いようで、本当には、痛いとは言えません。

 だって、行政の責任者ではないから。だけど、ちょっと、国民の一人としては、恥ずかしいことでした。日本を好きな人を、その弱めに帰してしまうわけです。救えないのですから、恥ずかしいです。

 でも、テレビで見ると、中国人の女性が「ずっと日本に対して、批判的だったけれど、病気になった時に、初めて日本が好きになった」といっていましたから、それぞれの、本国の事情との対比があるとは思います。では、

 2009年1月18日     川崎 千恵子(雨宮舜)
コメント
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