銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

焼津港の2、日本の遠洋漁業、は、シーシェパードとは違う

2010-01-10 23:38:11 | Weblog
 焼津港の1で、主人が「日本人は優しいから(外人たちも働きやすい)」といったと前報で述べました。その外人たちですが、私の見るところ、インド系です。だから、パキスタンかインドの人のように見えました。しかし、主人はインドネシア人であろうと言います。

 警官(または海上保安庁)の職員が乗り込んだために、船長他、役職と責任のある人はまだ、降りてきません。で、1で報告したように、船長の奥様と思われる人が、一番最初に降りてきた外人たちに、挨拶をしてねぎらってお互いにニコニコと交流をしていました。

 でね、私は昔の商船と同じで、この奥様は遠くに住んでいるのだけれど、船が日本の港へ帰港するたびに、ご主人の下へ電車(新幹線)か飛行機で、訪ねてくるのではないかしら?と考えました。

 私の親戚にも船乗りさんがいて、関西に住んでいても、よく横浜まで出てきて、我が家に泊まりました。昔はホテルが発達していなくて、親戚に逗留したものです。母はそういうことのお世話はよくやりました。

 で、その待機していた二人の奥様ですが、船長の奥様と思われる女性のほうが若くて、漁猟長の奥様と思われる方が年上でした。で、前者がより気が回る人で、気を使って、船員さん(漁師さん)をねぎらっているのです。『ああ、立派に妻の役割を果たしているなあ。別にご主人から命令されているわけでもなかろう。奥様の自主的な判断に基づく行動であろう』と、推察して感心しました。ごく普通の生活の中で、誇りを持ち、最高の心遣いを示す人間は素敵です。

 日本には、テレビには出ない、新聞にも載らないが、立派な仕事をしている人がいると思って、うれしくなりました。そう思いながら船を見ると、静岡県の船籍ではなくて、三重県の船籍です。『なるほどなあ。昔は、紀伊の海の近海漁業だったのが、今では大型漁業になり、漁船も遠くへ漁に行くし、寄港も遠くの焼津まで帰ってくるのだ。そのほうが荷揚げ後、東京などの大型市場が近いし、トラック便なども整備されているし、なによりも、さきほどの、ガツンガツンの大音響を響かせるあの荷揚げシステムがあるからね・・・・・と、感慨深く思い至る私です。

 そして、紀伊半島の各県、や、高知県には漁業の伝統があり、そこでは昔は、鯨取りをしていたことも思い出しました。

 映画『命を食べる』を見ると、食糧生産の現場はすさまじいこととなっています。牛、豚、鶏に対して、すさまじい残酷なことを、今の欧米では(また、日本も)やっています。食料を満ち足りて食べられるということがそういうことなのです。しかし、日本の捕鯨だけが世界から攻め立てられ、責められています。

 ある意味で、それこそ、日本がいじめにあっているということの証明だと考えます。それは、日本が植民地であると、いつも私が言っていることの証明でもあります。捕鯨を調査捕鯨といっているのも、姑息な手段ですが、大型の哺乳類を、捕獲するのがいけなくて、牛や、豚なら、ものとして扱ってもよいというのは、欧米の人の一方的な主張です。でも、日本政府は、それに抗議ができません。

 そして、野党の政治家だって、それに触れることもありません。そんなことをしたら、自らの命さえ危ないかもしれないのです。日本ってとっても大変です。

 しかし、そんな、世界の中で、ささやかに、普通にがんばっている人がいるから、私たちは普通の日常生活を送ることができます。そういう普通の人を守る政治でなければなりません。そして、そういうやさしさを理解する政治家でなくては、成りません。東京で、銀座で、絵を見ることが日常である私にとって、こういう現場を見るのは、本当に学びを与えられることでした。

 世界へ、日本人が本当は、どういう人間であるかを正しく、発信し続ける必要を改めて感じました。シーシェパードの人たちが思うほど、悪い人間ではないのです。まったくの善人の集団です。普通の日本人は。

 そして、私はそこにいる人たちに、「いつ、荷上げをするのですか?」と聞くと「明日です」とのこと。その日は既に午後なので、あのガツンガツンの大音を響かせても一日では終わらないのでしょう。どのくらいのかつおが、その船内に冷凍されているのだろうと思います。そして、船は、荷揚げの終わった後で、また、すぐ次の日に出港し、また、四、五十日海の上だそうです。漁とは、かつおが見つかれば、休みもなく、続くのでしょう。大変な労働です。

 感慨に打たれながら、高い高いマストを見上げてみました。青い、青い空を背景に、真っ白に塗られたマストは、美しく、立ち上がっていました。『ああ、働く人たち万歳』と心の中で思いましたし、彼らを祝福するがごとき、きれいなきれいな空でした。

 だけど、NHKの『プロフェッショナル』で、日本にいる外国人の就労が、非常に無残な状況になっているということも見ました。それを救う弁護士からの視点で見た映像です。しかし、そちらは、また、別の日に述べましょう。今日は長くなりすぎるので。
               2010年1月10日     雨宮 舜
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焼津では、こいのぼりも、かつお型です

2010-01-10 12:00:44 | Weblog
 このお正月に、二回目の行楽として焼津港へ行ってきました。

 駅から港へ向かう道ですが、きれいな石畳のプロムナードへ改装をされています。横浜元町と同じ形式です。車も通れるが、歩行者優先の発想でできている道です。空は快晴、だから、左側には燦々と日が当たっていてきれいなことこの上なし。
 ところが残念なことに、両側の商店街の五分の一程度がシャッターを下ろしています。後で主人が、「新幹線が停車しない駅は、寂れていくのだなあ」と慨嘆しましたが、町全体としてはひっそり閑と静まり返っている感じです。

 見通しが利く範囲100メートルでも、私たちを入れて、五人程度しか歩いていないのです。お正月の7日で人が家にこもっていたとしても、これは、静か過ぎる街ですね。ちょっとシェスタ(昼寝・時間帯)中のスペインの街みたいでした。または、最近衛星放送で放映されたらしい(?)ゲーリークーパーの『真昼の決闘』の中みたいでした。
 特に空が青い(きれいです)ので、外国の一場面を思い出させたのでしょう。

 途中で食堂によりましたが、その大ボリュームだったことの感想は最後に置くとして、

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 焼津港に到着すると、ガツン、ガツンと大音響が聞こえます。「なんだろう。ああ、工事をしているのよ」と夫婦で話し合いながら、港に沿って、歩道を歩いていると、そのガツン、ガツン、という大音響をあげているものは、どうも、冷凍した魚らしいということがわかりました。真っ白な石と思われるものを、ベルトコンベアーからトラックの荷台に下ろしているのです。この段階ではトラっクの冷凍用・保護用・ほろは取ってあります。

 または、トラックの中に滑り込ませる、一種の箱(?)の中に入れ込めているのでしょうが、冷凍された魚はまるで石みたいに硬いので、お互いにぶつかってはガツン、ガツンという大音響を外へ与えるのでした。

 「おおー」と私たちは声にもならない声を上げながら、「あれは、まぐろかしら、かつおかしら?」と私が主人に聞くと、「かつおだろう」といいます。あとで、これは、港の関係者に聞いて当たりでした。初鰹は、五月の川柳だから、これは、遠洋で採ってくるのだと思います。
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 そのときに気がついたのですが、ある船が、大漁旗のかわりに、マストに鯉のぼりを吹き流していたのです。それが、なんと、かつおの柄に染めてあるのです。

 焼津は日本海からの冬型配置気候による寒風が、北アルプス、中央アルプス、南アルプスにさえぎられるので、湿度が低い強風が吹きぬけていますので、鯉のぼりは、まっすぐ横になりながら、ひらめいています。青い空に青いしま模様のかつおが泳いでいる風景はすばらしい見もので、

 『よかったな。焼津を訪れて』とこころから思いました。特にちゃんと、かつお型に布地も裁断もされていて、おなかがぷくっと膨らんだ、そして、流線型のかつお型でしたので、ほほえましく感じました。

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 さらに西へ向かって歩くと、『関係者以外立ち入り禁止』の看板がある、しかし開放された空間があり、そこを迷惑をかけないのだからと入っていくと、緑色のビニール袋に入っている塩が大量においてありました。500キログラムの袋ですから、すごいものですが、日本の塩田で、できたものです。今の日本では、採った魚を冷凍して、港まで持って変える仕組みが多いもようで、この塩は、それほど多量には、循環・消費されていないのかもしれません。

 そこには個人用の乗用車が五、六台、また、小型や、軽トラックも数台止まっていました。主人が言うには、「この船は着いたばかりだ。いま、警察が乗り込んだ。麻薬とかを調べるのだろう」とのこと。私はそれには、気がつきませんでしたが、傍にいる人に、「この船は何トンですか?」と質問をして、「499トン」という答えを得ました。

 子供のころ、父に横浜大桟橋によく連れて行ってもらって、父が頼んだので、船の中へ上げてもらいました。外国の大型の貨物船でも、4000トンクラスが多かったのです。特におおきいのが、7000トンだった記憶があります。

 「そうですか。では、あれは何トンですか?」と質問をするとすべての船は、499トンだそうです。ということは何らかの税金上の規制がトン数に比例してかけられていると感じました。でも、499トンでも立派な船であると感じました。

 傍に、中年のご夫人が二人、きちんとした格好で待っていました。あとで、船長、漁労(漁)長、機関長の三人のうちの、誰か二人の奥様だと感じました。ご主人たちはまだ降りてこないのですが、船員、特に外人が降りてきたら、船長夫人と思われる人がねぎらっていました。船員さんたちも顔見知りみたいで、ちゃんと、ニコニコ笑って対応していました。

 主人が「日本人は差別をしないからね」といいました。日本人はたいていの場合はとてもやさしいのです。船という密室で、長時間一緒に働くのですから差別をしたり、いじめたりしたら、それは、地獄になりますね。この船はそうではないのだと感じました。それは本当に美しい光景でした。
  ところで、この項目は長くなりますので、次へ続くとさせてくださいませ。
     2009年1月10日  雨宮 舜
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