銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

篠山紀信氏の家宅捜索ー3(ユダヤ協会から始まって)

2010-01-23 23:28:29 | Weblog

 篠山紀信氏の家宅捜索は大変大きなニュースとして配信をされたので、心配して、ブログ他で意見を述べている人もありました。私は、実は、<自分が意見を述べることを求められている>と、感じましたが、それこそ、一種の挑発であると感じ、何かをそのときに書けば、まずいこととなる可能性もあったので、一切、それについて、意見を述べませんでした。 

 前報で述べたとおり、よい芸術の創作やら、発表のためには、自由が必要です。青山霊園でヌード撮影をしたからと言って、家宅捜索までするとは、芸術家の創作の自由を奪うことですから、反対したいところでした。が、何らかのおかしな気配を感じたからこそ、一切、当時は、意見を述べなかったのです。

 今、ここで、書くのは篠山紀信氏が最近何かの褒章をお受けになった模様で、私の推察どおり、あの家宅捜索は、ためにするものであった・・・・・と確信するので、安心して書くのです。


 というのもその十日ぐらい前に、私は『青山霊園傍の幽霊屋敷群』という、文章を書いていました。このブログでも、2009年の10月26日に載せております。左側のカレンダーの、10月26日のところを、クリックしていただければ出てきますが、

 ここに、いわゆるピンというものも表記をしておきましょう。これを、グーグルなどの検索窓に入れれば、当該の文章が出てきます。

http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/23fe5b7bd11ac930b57a9a2e458ca8da/19

 ところで、その文章には何も問題がありません。私は今まで、書いた文章に関して、それを正面切って攻撃されたことは一回も無いのです。小沢幹事長からだって、伊藤玄二郎氏からだって、井上ひさし氏からだって、瀬木慎一氏からだって、十文字美信氏からだって、誰からも反論を受けたり攻撃されたことはありません。文章に書いてあることはすべて、事実なので、それに、反対すると、そちら側も大やけどをなさる可能性が高いからでしょう。それに常に、単純な悪口には終わらないような書き方をしています。丁寧に丁寧に、かつ、文学的なおとしどころを踏まえるように、気をつけて書いています。
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 ここで、挿入ですが、この間の『CIAがうちへ来る』の連作を、『肩透かしを食ったみたいだった』というご批判を下さった方に申し上げたいのですが、「殺人が起こらなくてよかったじゃあないですか? 一緒に喜んでくださいよ」と。

 私は娯楽作品を書いているわけではありません。一種の遺書のつもりで、いつも真剣になって書いているのです。でもね、真剣に成ればなるほど、そこはかとは無いユーモアが生まれるようで、それが、救いでもありますね。

 また、書くことに対して一切の報酬をもらっておりません。ブログで稼ぐ方法もあるみたいです。が、それを申し込もうとすると、できないのです。トラックバックもできません。ツィッターにも、申し込めません。こういう形ででも、書くことやら、発表をすることを弾圧されています。それに抗して書くわけですから、エンタメとして、書いているつもりは無いのです。そんな苦労をしながらでも、書いて発表をする理由と目的は、自分が経験していることから類推して、日本が高度に洗練された様式で支配をされている被・植民地であるという大構造が、わかってしまったので、それを、他の人にも伝えたいからです。

 この日本やら、日本人が損をしていることを、人々に正しく気づいていただきたいと、感じているからこそ、必死に成って書いているのです。が、それでも、気がついたことの、30%ぐらいしか、書いておりません。知っていること、全部を書いてはいないで、60%は抑えているのです。
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 さて、元に戻りましょう。文章を責め立てられた(または、攻め立てられた)ことは無いのですが、
 人間・そのものに対して陰口をきかれたことはあります。それが、間接的に文章を、けなすことと同義語になるのでしょう。「あの人はノイローゼだ」というのが、繰り返し流される悪い噂で、それによって、私の本や文章を読まなくなるという形で、私の文章の力をそぐということは、繰り返し行われています。

 で、その顕著な例だと思われるのですが、『青山霊園』が、キーワードの第三位として、私のブログの案内が、検索窓に三ヶ月の間、ずっと、使われてきました。これが、篠山紀信さんの家宅捜索が、私のブログの勢いをそぐことが目的で行われたと、推察するゆえんのひとつです。本日、2010年1月23日も午後三時まではそれが、検索キーワードとして使われておりました。

 私はほぼ、毎日、更新していますので、グーブログを始めて、すでに、500本は書いていると思います。

 だから、著者の私としては、新しいテーマとか、タイトルを検索窓に入れて欲しいと思いますが、ずっと、変わらず、青山霊園の項目が、検索窓に現れるという形になっています。

 つまり、狙いは、『青山霊園』というキーワードで、読者が身を引いてしまうことにあるのです。私のこの長い文章を好んで読んでくださるような読者は、当然のこと文化人です。インテリのはずです。だから、直感的に、篠山紀信氏の家宅捜索を気の毒に思っていらっしゃるでしょう。それを、思い出させるわけですから、読者が新しく入ってくることに対する妨害になるわけです。

 その検索用導入タイトルを見ただけで、『うわ、あの例の篠山紀信さんが気の毒な目にあった場所と同じ言葉だ。そんなブログは読みたくないよ』とお思いになる人は多いと感じます。そして、私はそういう優しい人が読んでくださるのを、特に望んでいます。

 だから、結果として読者が減るのなら、それは、植民地支配をしている側の得策となります。または、入ってくるはずの読者が入ってこないのなら、私が損をしたことと成るわけです。それを狙っていると感じます。

 私の方は『それで、どうしたの?』と別に気にもしていません。だけど、他にも思い当たる点があります。それは最初の原文を書いて、昔から持っているAOLのメルマガに載せた日は、広尾の日本・ユダヤ協会へ行った日だったことなのです。だから、私のパソコンをハッキングして居る手合いが、CIAか、その配下として動く警察だったら、ちょっと目に留まる日だったわけです。

 たまたまご招待を受けたのです。

 そこのお部屋を使って、グループ展があったのです。本当のことを言うと、私には、銀座に行くしか時間が取れないのです。でもね。日本・ユダヤ協会と言う場所については大いに興味がありました。『国際的軍産共同体の、トップは、200家族の大財閥と、その姻戚関係で、占められている』とは、広瀬隆氏の『赤い楯』(講談社刊)で読んだ話ですが、・・・フリーメーソンと重なって、・・・ユダヤ人財閥の力とは恐るべきものだ・・・と私は、常日頃考えています。その牙城を見ることができるわけです。これは、好奇心を満足させるという意味では最上のチャンスでした。

 この招待状を下さった西村さんも、銀座の大画廊のオーナーですが、私は一時期、『そのビルそのものの持ち主ではないのかしら?』と思ったほどの、お金持ちみたいな方です。画廊の経営は実はとても大変です。それで、ビルのオーナーであったりすると、大丈夫なのですね。それから、日動画廊とか、文春画廊みたいに、バックに大会社がついているところも大丈夫でしょうが、他のところは、皆さん苦労をなさっておられるし、必死で経営なさっておられるはずです。いや、この場合、西村さんの着ているお洋服が上等だったからそう考えた、というわけではないのですよ。付き合いを他の画廊となさらないところが、プライドの高さを示していて、お金持ちだろうと推察をさせるゆえんなのです。

 私は銀座の画廊で、絵のこと以外のおしゃべりをしません。だから、何も知らないように見えるでしょう。が、既に、30年を超える期間、へめぐっているのです。とことんわかっています。どの画廊がどういう画廊とグループを作って協力をなさっているとか、そうではないとか、いろいろわかっています。それゆえ、誰とも組まないというのは、相当自信があることを示しています。

 で、お金持ちだから、日本・ユダヤ協会と縁があるのだと感じました。し、こういう機会ででも無いと、そのビルそのものにも入ることができないだろうとも思って、出かけたのです。確かにそうでした。そのビルは鍵が掛かる形だったのです。招待状が無ければ入れない形でした。ニューヨークなどはすべて延びるがその形式ですが、日本では珍しい形式のビルです。

 私は書くものとして、読者サービスは、やはりすべきだと考えても居るのです。だから、珍しいことには興味があります。未知のことに対しては、知りたがり屋さんです。で、出かけました。結果としての感想を述べれば、日本・ユダヤ協会のビルは、さして、豪勢でも贅沢でもなかったです。は、は、は。ただし、広尾にある。そこがすごいですね。東洋英和のすぐ近くの、高級住宅街の中にはありました。

 いや、西村さんが、CIAのエージェントだなんて、言っているわけではありません。西村さんは、さして大げさな苦労や被害を私に与えた方ではないのです。だから、私が憎んだりしている相手ではありません。だけど、そこから始まったとして、あの例の青山霊園傍を通った日の、お散歩は、、次の目的地も問題でした。やはり大金持ちのお宅だったのです。ただ、今日は、これが長くなりますので、ここで、いったん切りましょう。

 小さなお断りですが、たった8時間で更新していますので、よかったら、篠山紀信氏の家宅捜索-1が下にありますので、それもごらんをいただきたく。                                  2009年1月23日    雨宮 舜

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篠山紀信氏の家宅捜索の2・・・・・(草間やよいのケースと比較して)」

2010-01-23 15:33:45 | Weblog

 私は、1999年ニューヨークの大学院として研究対象に草間弥生を選びました。その時点では彼女は世界では、三回目の再ブレイクの機運があり、ニューヨークではしかるべき存在(画壇の上層部)にはちやほやされていましたが、若いアーチストの中にはまだ、広くは認めてもらえない時期でした。あれから、10年過ぎアメリカでも日本でも(庶民の間でも)彼女は最大級の大物アーチストとしての処遇を受けております。

 10年前とは、つい、先だってのことのようですが、当時、日本では、もっとひどくて、有名美大の教授でさえ、「あんなの・・・・(大したこと無いよ)・・・・・ゲテモノだよ」とお切り捨てになられたものです。ヌードで路上パフォーマンスをしようとして、警察とぶつかったからでしょう。道路でヌードの活動をするということは、警察はともかく、美術界においても、戦前生まれの最上層部の紳士どもにも、受け入れられなかったのが1960年代の日本でした。

 しかも草間やよいの方では、その時期に、素直に日本の警察に、抗議行動をしたので、かえって、日本で生活しにくくなって、アメリカへもう一回帰ることと成ります。その結果は災いを転じて福とナスになり、新しい日再評価の波が起こりそれに彼女は、乗ることとなります。

 彼女の人生を振り返ってみると、戦後すぐ相当早い時期に第一波の大成功がおこり、その後では、フリーセックスを称揚するオージー運動を起こし、その運動内で週刊誌を出したりして、で財政的にすっからかんになってしまって、日本へ帰国したのです。上にあげた警察との、トラブルは、その一回目の凱旋帰国後でしたが、日本における発表に関する不自由さに驚いて、再度アメリカにわたったのです。ニ後目の貧乏状態として・・・・・しかし、力があるので、再ブレイクが起こり、今では世界中のどんな人でも知っているアーチストのひとりとなり、かつ、日本人でもよく知るアーチストのひとりとなりました。
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 警察にとがめられたら、抗議をするのは、草間やよいで無くても欧米で、暮らしたり発表をしたことのある人間だったら、当たり前のことです。しかし、篠山紀信氏は何も抗議をしませんでした。その理由について、前報の最後のほうに、井上ひさし氏からの連絡で「何も心配が要らない」と、事前に聞いていたと・・・私は・・・例の見てきたような嘘を言っているわけですが・・・・・それが、間違っていたとここでは仮定して、正攻法で、正論の方から考え直してみましょう。
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 篠山紀信氏の今回の家宅捜索の理由は、青山霊園で、ヌード撮影をしたことによるとのことです。

 まあ、霊園でヌードを撮る・・・・・ということが、問題かもしれません。

 が、思い起こせば、同じような問題で、1999年に、アメリカ人はまったく異なる反応を示しました。当時、ブルックリン美術館で、イギリスのメディア関係の大物サーチ(発音上サッチ氏とも聞こえる紳士)氏が支援をして『センセーション展』というダミアン・ハーストを中心とする大展覧会を開いたのです。グループ展ですが、11人がそれぞれ、大きな部屋をひとつもらったのです。その中にマリア像を、黒人女性の肌で制作をしたものがあって、大論議を巻き起こしたのでした。

 ニューヨークのジュリアーニ市長が、ブルックリン美術館は市の公営であるから、カソリックを侮辱する、このような作品を、展示するのは好ましくないと、いちゃもんをつけて、展示をやめさせようとしたのです。最近日本で、市などの公有地に立っている神社が政教分離に反するのだとか、なんとか、という小さな問題で判決が出ましたが、このケースでは、ジュリアーニ市長は、明晰にカソリックの肩を持ったわけです。
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 ここで、ちょっと脇にそれますが、ジュリアーニ氏というのは、力量のある人でニューヨークを抜群なレベルで美しい街へと変化させ(掃除を、すさまじい勢いでやった。それが一種の公共投資となって、アフリカンの人々の生活をよくしたために、結果として治安が回復した)将来は大統領へなる可能性すらあったのです。

 しかし、好事魔多しの典型で、これらのトラブルからか、ガンを患い、かつ、そのときにサポートをしてくれた、看護婦さんと、並々ならぬ仲になって、離婚をしてしまいました。カソリック擁護なのに、離婚をしたりすると、主義主張の中の、統一感を失いますね。それもあってか、他の事が問題なのかはわかりませんが、ともかくのこととして、ジュリアーニ氏はアメリカ政界で、大物となって、上昇することができず、いまだに大統領になれずにいます。
 そして、歴史は皮肉にも、1999年は劣ったものであるから、黒い肌のマリア像は受け入れられないはずだと考えたアメリカで、オバマ大統領が出現をしたのです。歴史はそういう風に動きます。有能な人でも、歴史の流れに、大局観で合致していないと、成功できません。
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 さて、元に戻りましょう。ニューヨークでは、政治的な行動を、アート、およびアーチストが定義することが多くて、タイムズスクエアーを、車を規制して、(いや、結果としてそうなるのかもしれないが、)ヌーディストが数千人道路に寝そべって、平和祈願をしたりすることがあるのです。いずれにしろ、路上を使う仕組みは日本より自由なはずです。

 現代アート特に、コンセプチュアルアート(概念芸術)というのは、まず、論議を起こすべき(CONTOVERTIAL)で無ければならないので、過激であり、人を驚かす目的が無ければなりません。

 ところが、日本はあらゆることに規制があり、道路を使うなど、めちゃくちゃに不自由なはずです。マラソンやら、駅伝がかろうじて、許可されていて、警察のサポートも大々的に受けられますが、それ以外は駄目です。じゃあ、青山霊園はどういうポジションに在るか?

 そこで、ヌードを撮影したことの意味は何か?

 さあ、これから、この件の私固有の論に入りますが、今日は長くなるので、申し訳ありませんが、ここで、続くとさせてくださいませ。何も論理がまとまっておりませんが、しかし、ヌードを屋外で、撮影することの意味の、日本と欧米での違いは、申し述べておく必要があるのです。正論から言ってもね。 では、2010年1月23日    雨宮 舜

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