銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

子供手当てと所得制限 + 警察の困りごと相談室 △

2011-06-18 04:00:23 | Weblog
 今回は、前報やら、前々報とは、ちょっと、乖離がありますが、おゆるしを。
 
 今、日曜日の午前五時になって、やっと完成しました。ところで、この文章は「今の文部科学省がある一人の人間に牛耳られている。それはおかしいでしょう」という話へ入る前段です。1万三千字を超えたので、そこまで書いていませんが、実は一種の導入と成っています。

副題18、『子供手当てに関する所得制限』

副題19-1、『オペラは、見られなかったのですよ』
副題19ー2、『45年前のタイプライター盗難と、目黒署の担当者さん』
副題19-3、『横浜・港南警察署の、困りごと相談室』
副題19ー4、『鎌倉警察署の、困りごと相談室から、木曜日に、お電話があり』
副題19ー5、『金曜日にもう一回電話がかかってきた。・・・・・』

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副題18、『子供手当てに関する所得制限』

 子供手当てというものが出ていました。これって、ちょっと不思議な案です。というのも、『子供が生まれる数を増やすために、子供が生まれると、お金が、出る』ということが、あまりにも人間の尊厳を損なうように思えて、不思議です。もっと、根本的な政治を変える方が先決ですが、でも、そちらは難しいのなら、暫時これで、進行させましょうなどと、政府は、考えているのでしょう。

 でも、今の問題は、所得制限が加わるかどうかという話に、なっているそうです。
これですが、孫がいる身では、個人的な損得で言えば、所得制限がかからない方がいいのです。子供社会へ、微妙な差別を与えると思うし。こどもって思いがけずりこうですよ。 が、各大臣の発言を聞いていて、
 蓮ぽう大臣の主張には納得をしました。

 『原発事故が起きて、国家財政も厳しい折柄、子供手当てを出す対象に所得制限を加える方がいい』というのは、まっとうな意見だと思います。

 原発事故の最初期には、
 蓮ぽう大臣の発現にいらいらしたこともありました。『違うでしょう』と思ったときも。でも、この意見はまっとうです。
 やっと、政治が政治らしく普通に進行するかな?

 でも油断も隙もないです。

 今日の私は、パソコンを四台も試したのに、DVDが読めず、レンタルショップへ行くと、彼らのパソコンでは読めるので、またまた、被疑者不詳の迷惑行為を受けています。
 小さい現象だけど、言論弾圧の一種であり、引き続き例の一派が暗躍しているということです。
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副題19-1、『オペラは、見られなかったのですよ』

 13日の月曜日に我が家まで直接侵入してきた弾圧に振り回されて、結局、水曜日だった、オペラを見過ごしてしまいました。15日が水曜日だったか、木曜日だったかがすっかり混同してしまって。

 で、『仕方がないね。今は、オペラを見ている雰囲気でもないし、それで、神様が見せてくださらなかったのだろう』と見事に悔いなくもあきらめて、さっと、帰途についたら、大崎で、1時間20分近くの遅延にあいました。人身事故だというけれど、11年ぐらい前に、鎌倉駅で、その実際に出会ったときでも、30分以内に、電車は、再度・発車・進行しました。

 というのも、とても気の毒なことですが、当時者は、救われないのです。特にホームの進入最初の場所で飛び込むと、電車が、まだ、80キロ(これが東横線だとホームに差し掛かっても、まだ、100キロ出しています。あちらでは旧加速、急減速車両みたいです)出ているので、命は100%奪われます。が、電車自体は破損がほとんどないからです。で、遺体をそばの線路際に移して、車体の下などを点検すれば、電車は運行できます。で、その電車が発車した後で、線路を少し点検し、今度は次の電車の進入を許します。処理に要する総分数、30分以内です。

 今のJR東日本って、事故があるのを喜んでいるみたいで、事故情報パネルとかが、私の出入りする駅には、池袋(母の老人ホームがあるために利用した)が、最初のこととして、今では大船駅にまで設置されています。本当に、おかしいですね。

 私はね、その空振りオペラ帰りに、「乗り換えなさい」と、狂人のごとく繰り返す車内放送を聴きながら、『あら、喫茶店代わりに、ここで仕事ができるわ』と喜んでパソコンの仕事をしたり、本を読んだりして一時間20分を過ごしました。ほかの乗客も同じです。もくもくとただ、我慢をして待っています。

 だけど、「これが、井上ひさし原案で、成岡庸司君サポートの、国際的軍産共同体の偽装(=嘘)の可能性があるのですよ。全部ではないけれど、3つにひとつは嘘である可能性はあります」と、私が言ったら、東京圏の読者のみなさまは驚くでしょうね。
 その大崎に着く前に、パソコンの仕事をしようとしていて、グリーン車に乗り込んだばかりなので、京浜急行などに乗り換えたら、あほみたいでしょう。がんばって、再出発を待ちましたよ。

 特に、・・・・・警察から、午後一時半に電話がかかってきて、・・・・・と苦境にあることを匂わせたせたまま、最後まで書け抜けていなかったので、読者の皆様にもご心配をかけると思って、続きを書くために、しっかりとした机があるグリーン車に乗ったのです。

 ところが電車の遅延もさることながら、三時間はバッテリーがもつことを事前に熟知しているぴっかぴかの新品ノートパソコンが「バッテリーがアウトです」というのよ。
 で、それも勘に触りましたが、その次の日も、(後ろの方で委細を書きますが)、
 DVDが四台のパソコンで読み取れなかったので、私がパソコンを使う環境がどれほど、支配し、監視されているかは、再度というか、5千回目ぐらいのこととして、確認をしました。外でもだめなのです。

 だが、今はそれを『悲しんでいる』というよりも、『誇りにしている』と感じています。『オペラの切符4万9千円を無駄にしちゃったのですよ』とか、『以前は睡眠導入剤を使っていたのですよ』とか、『父がね。すでに昭和20年代に中央官庁の華やかな部署で、贈収賄事件に巻き込まれてしまってね。6歳の子供ながら、苦難を味わいましたよ。そのときだけではなくて、高校時代ぐらいまで、影響がありましたよ。AFSで留学できなかったのはそのせいかな? 受験用の書類さえ先生にもらえない形でしたが』とか、ありとあらゆる下世話な話を書く中で、チラッと、入れてある、

 『(この現代日本が抱えている)闇こそ、私にしか書けないことであり、多分、私しか書いていないことでもあろう。が、真実なのだ。それこそ、まったく大切な真実なのだ』と、感じますから。

 自分を困らせるために、こう言う遅延を目的とした架空の事故を起こすのだと、はっきりと感じたことが、過去5年間で、4回ほどありましたが、絶対に怒こらないことに決めています。そして、乗り換えないこととも、決めています。常に、精神の安定を保ち、いらいらしないように訓練を重ねています。もちろん、気を紛らわせるための、道具も種々持って歩いています。

 計画停電もあった場所とない場所の差が激しいし、この遅延現象に会う人と、あわない人との差は激しい模様です。でも、今日はそこはさらっと通り過ぎて・・・・・
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副題19ー2『45年前のタイプライター盗難と、目黒署の担当者さん』

 オペラは、結局はミスってしまったのに、一応ハンドバッグも新しいのを買ったりしました。同窓会や、クラス会でも、そんなことをしないのに、10年ぶりにみるメトロポリタン・オペラ、しかも日本だと切符が高いから、さぞかし、ロビーも華やかだろうと思って、気を使ったのです。が、ついたとたんに、NHKホール周辺が、シーンとしているので、入り口のガードマンに、「今日って、16日?」って聞くと「そうだ」と答えてくれたので、一瞬に、ミスったことはわかりました。一日でも早い方に間違えたのなら、救いようがあるのですが、遅い方へ間違えたのでは、救いようがありません。で、そのとたんに、身を翻して、渋谷駅に戻ったのですよ。バスも、さっと捕まえられて。だけど、行きは、タクシーで行ったから、ばかげた散財を重ねました。は、は、は。

 それでも、どんな服を着て行くかも、いろいろ迷って、数種類用意して、その一種類のために、港南警察署に落し物を取りに行ったほどなのです。本のデータ作りのために、京浜東北線を探検していると申し上げましたでしょう。その過程で港南台のスターバックスに忘れたのです。取りに行くと、ビルのインフォメーションに届けてあるということで、そこに回るとすでに警察署に届けたとの話でした。

 どうして、そういうことになるかというと、普段の自分のエリアではない場所で、仕事をするので、喫茶店も簡単には行けない場所にあるので、後手後手になってしまうからです。

 自宅で仕事が安心してできれば、それが一番です。そして、喫茶店といっても、鎌倉程度でできれば、もっと楽ですね。ところが、

 17日は久しぶりに鎌倉の喫茶店で、仕事をしたら、電源プラグが利用できないのです。電源が、使えない。これは、数年前からあらゆる(東京や、横浜の)図書館でやられてきたことですが・・・・・ともかくのこととして、工夫の限りを尽くして自由を獲得しながら、喫茶店を、はしごするので、つい、つい、忘れ物をしてしまうのです。あまりにもたくさん抽象的な部分で、考えることが必要なので、物質的なことが、おろそかになってしまいます。脳だって、その電気反応には限界があるのです。

 その忘れ物は、別に高価なものでもないのですが、丁寧に、自分で刺繍をしたものなので、愛着があるので、警察署にとりにいきました。

 そのときに、50年前の思い出が強烈によみがえったのです。それは東大に勤めていたころ、古いタイプライターが故障して、主にそれを使っていたのが私だから、私が、電話帖で調べた業者を呼んで、修理に出したのです。が、戻ってこないのです。で、私は、業者が修理が難しくて、直せないので、トンずらしたのかと思い、青くなりました。そうとしか思えなかったのです。
 ところが、周辺の方が言うには、「盗難であろう」とのことです。古いタイプライターは骨董的な価値があるそうです。私は、ますます青くなりました。だって、そんな業者を選んでしまったのは、私のミスですから。本当に参りました。でも、先生が新しいIBMの電子タイプライターを買ってくださったので、仕事はぐっと楽に成りました。古いほうは打つのに、力が必要でしたが、今度はまったく力が要らないので、その差は驚きでした。
災いを転じて福となすという言葉どおりで、決着をしたのですが、もうひとつ思いがけない、付録がついてきたのです。

 ともかく、自分の責任として本郷から目黒署へ電話で、盗難届けを出しました。本郷で届けてもだめなんだそうです。すると、その後、警察署の、担当者から、なんども自宅へさえも、電話がかかってきてデートのお誘いがあって、本当に困りました。私の声って、感じが、いいらしいのです。それに、私物ではなくて、文部省所有のパソコンが盗難にあったわけですから、おろおろしまくってしまったでしょう。それが、かわいかったらしいのです。

 でも、私なんか、軽いデート向きの人間ではないですよ。それは、今の文章を読んでくださってもわかりますでしょう。だから、もちろんお誘いには乗らなかったのですが、それでも、びっくりしました。そして、意外な思いをしました。

 警察署の人が軽いのに。だって、大学紛争の時代だから、樺美智子さんが死んだ時代でしょう。警察のイメージは怖いし、くらい、時代でしたから。『あら、意外にも、人間的なのだなあ』と思って。これは、もちろんその人がすでに定年退職しているだろうから、書いたエピソードです。
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副題19-3、『港南警察署の、困りごと相談室』

 京浜東北線の港南台という駅近辺で忘れた夏用セーターは、路線が違う地下鉄・港南中央駅に在る、港南警察署までいってしまったとあって、忙しい私は結局オペラへ行こうと思う直前までは、放っておいたのでした。でも、久しぶりにおしゃれをする必要ができて、重い腰を上げて、取りに行ったのです。

 横浜でも、そのあたりは丘が重なっているところで、新興住宅地がたくさんできていて、住民が増えています。それで、旧南区が二つに分離して、新しい港南区というのができて、駅前は、その総合庁舎と、消防署と警察署が、馬鹿に目立つ場所でした。

 警察署の建物は、鎌倉警察署より大きくて、(犯罪が多いのかな。いや、単に人口が多いだけなのかな?)ずんづか、ずんづか、奥に入らないといけません。で、長い廊下を歩いているときに、ふと、人が一人、小さな部屋の中央で、机に座っているのが見えたのです。『あれ、たった一人で、一部屋を、占有している部署あるのだ』と驚いて、部屋の指示看板を見ると『困りごと相談室』と書いてあったのです。

 そのときに、私が抱いた複雑な思いといったらありませんでした。一番最初に思い至ったのは、『これって、閑職ではないかしら。だって、警察って、犯人を捕まえる部署が花形でしょう?』というもの。

 次に、『でも、きっと担当者って、できた人なのでしょうね。酸いも甘いもかみ分けた。だけど、さっき見た人って、やはり怖そうでしたね』というもの。

 三番目に考えたことですが、『こんな部屋があるのなら、私こそ、相談をしたいものだわ』というものでした。

 パソコンの異常、それから、ご近所からのいじめ、アジサイ畑欺もう事件のこと。もうね、相談したいことはいっぱいあります。だけど、私は警察を一切信じられなくなっているのです。

 それは、ご近所の陶芸家夫婦に、猫のことでとんでもない形で、警官を呼ばれて、その警官たちが、彼らの方の言い分だけを一方的に、信じ込んで、玄関のノブをガチャガチャ鳴らしながら、「あんたには、用が無いんだよ。あんたのだんなに用があるんだ。あんたをだんなに、あんたを叱って貰わないといけないんだよ」といったときの驚き。さらに、二人いた警官の若い方が調書をとるという形でさらに脅かしたこと。・・・・・の、驚き。それが、交通事故の調書だったという驚き、(この山にはぜったいに車は進入できません)

 しかも、そもそもの原因は、私の猫を、二百回も窃盗(?)を繰り返した陶芸家夫妻が、最後の最後に、『猫は、彼らより、私の方が好きだ』ということを知って、逆上した挙句の乱暴狼藉の一種だったのですが、そんなことに、公の立場である警官がのさばって干渉して来ることへの驚き。それらが忘れられないからです。

 ここで、窃盗という言葉を使うのは、彼ら陶芸家夫婦は、猫を探しにいった私に向かって、大げさに、「住居侵入で訴える」と怒鳴るから、そんな簡単なことに大げさな法律用語を使うのなら、我が家全体で、「うちの猫には、もう、かまわないで、ください」と頼んでいるのに、それを、大切にしないで、猫が来れば必ず、入れ込んでしまう彼らの行為は、窃盗(?)にあたると思います。ところで、我が家の猫も特殊だったのですよ。それにもひとつの原因はあります。

 非常に頭が良くて、かつ好奇心・旺盛だから、広い世界を支配したいタイプで、陶芸教室にたくさんの生徒さんがいて、たくさんの人からちやほやされることが魅力だと、感じていた模様です。が、究極のところは、我が家の家族のほうが好きなのです。それを、勝気で、いばりんぼうの彼らは読めていなかったのです。
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 それと、初稿を書いてから、一晩寝ているうちにきちんと見えてきた、もうひとつの理由がありました。それは、この山に住む主流派をなす人間が、すべてアジサイ畑欺もう事件の主因者なのです。彼女たちが、中学校の番長さながらに、
 ターゲットを作って、人をいたぶるのが好きなのです。が、その結果、道路が通れないの、通さないのという、大騒ぎが転入する前にすでに、起きていたのでした。それを、解決するために、我が家が突然に、しかも、半分以上だまされて、土地を大きく盗られてしまったのです。後入りは弱いんだということでしょう。

 特に主人が松坂へ単身赴任をしていたいなかったから、さらにいいように揺さぶられてしまったのです。しかし、それをやってしまっていても、何らかの後ろめたさは感じているわけですね。だからこそ、かえって執拗にいじめてくるのです。地獄の螺旋階段ですが、・・・・・

 で、我が家の猫が川崎千恵子より、陶芸教室の奥さんを好きで、そこに、いずっぱりだということが、彼らにすさまじい快感を与えていたのです。それが、彼らに優越感と安心感を付与していたのでした。

 しかし、裏側の真実はこうです。陶芸教室は一種の社交場で、有閑クラブです。だから、猫と遊んでいる暇がある。一方こちらは世界的な規模で、第一線の芸術家とならんとしているのです。部屋に満ちている空気が違います。
 猫だって、どっちが楽しいと聞かれれば、のんびりしているから、遊んでもらえるそっちが楽しいと感じるでしょう。
 だからこそ、約束どおりに返さないし、迎えに行っても寒い中で5分以上待たせるようなひどいいじめをするのです。
 だけど、究極のところでは、猫は私の方が好きなのでした。

 猫って、遊ぶのも好きですが、静かな気配と、静かな環境と、そっとひそやかな親しみも、見せるものなのですよ。エンターテイナーでもあるが、詩人でもあります。とても繊細なところがあります。だから、私とか、我が家の家族の、静けさとか、慎み深さも大好きなのです。真夜中には、私と15分ぐらい、最高に猫がはしゃぐ遊びをいたしますし。

 そして、あの警官が呼ばれてしまった日のように、陶芸家夫婦が、大声で怒鳴ったり、けんかを売ってくれば、大きく心配して、味方をするのは、本当のお母さんである私の方なのです。言いように家来扱いができる彼ら、他人ではないのです。猫だって家族の方が大切なのです。

 それを初めて目のあたりにしててしまった彼らの、どうしようもない、自らのうちへ向かう実存的なレベルでの恥ずかしさを、どういう風に処理してよいかがわからなかったみたいですね。
 それで、一直線に、復讐に出て来たのです。私なんか、26年間、毎朝毎晩アジサイ畑欺もう事件の無残な被害の後を見て、怒りにかられますが、復讐という挙に出たことはありませんよ。困りごと相談室を訪ねたことさえありません。それなのに、単に猫に一回だけ、反逆をされたからといって、彼らは、逆上してしまう。
 ただ、ただ、甘くて訓練の足りない生活を送って来た結果です。大人とも言えないです。
 で、その復讐ですが、それを、する理由も必然も無いから、すぐ私の主人を、持ち出して利用をするのです。「だんなに、あの奥さんを叱ってもらいたい」ですって。しかもそれを警官に頼むのです。信じがたいわがままの発露です。めっちゃくちゃです。大昔の花菱あちゃこの連発ぎゃぐ、「めちゃくちゃで、ござりまするがな」の世界です。

 みんなが苦労して納めている税金を、何だって思っているのだろう。まったく未熟で原始的なんだけれど、それを自覚をしても、いない人たちだから、『あなた方二人とも、とっても恥ずかしいことをやっているのよ。毎日』と、教えることさえできないタイプです。 

 それ以来、鎌倉警察署は一切信頼していません。『あそこって、正邪善悪の判断では動かないところなのよ。力関係で動くのね。いやな場所だ。古い古い体質だ』と思い込まされてしまったのです。というのも、その陶芸教室は鎌倉で、とても大きな顔をしている出版社社長との、濃密な縁(同じ名前)を持って宣伝補助してもらっているところだからなのです。

 で、二人は警官たちに、その社長の名前を出して、自分たちの方に権威や正義があるがごとく、警官たちに信じ込ませたのに違いないのです。でないと、どう考えてもおかしい判断での動きです。だって、猫が反発したからって、警官が出て来ることはないでしょう。恥を掻いても仕方がない、それ以前の生活ぶりだから、『ああ、恥ずかしい』と夫婦だけで傷をなめあうほかないでしょうに。

 他人であるこちら側が、一家を挙げて、「困りますからかまわないでください。どうか、お宅でも猫を飼ってください。そしたら、お宅へ行きませんから」と頼んでいるのに、一切言うことも聞かないし、努力もしないで置いて、で、トラブルをわざと招くような人たちだから、警察や、警官が、そちらに味方をするなどとは、しんじがたい判断なのです。だっで普通の感覚では、自分たちより他人の方を大事にしますよ。

 夫婦間とか、親兄弟の間は一時的な齟齬は起きても、最終的には仲良く成れるものですが、他人とは、『齟齬が起きたら終わり』の間柄でしょう。相当に気を使う間柄のはずです。

 で、それ以来まったく警察は避け抜いている私でした。が、時々桜田門の、警察庁の、公安部門には、「パソコンの変調につき、原因を調べてもらいたい」と頼みに行きたいと思うときはあります。だけど、集英社前に朝の六時にパトカーが待っていたり、国会図書館の前にも、朝の六時に機動隊のバスが二台待っていたりすると、

 『え、なんなの、これって。もしかするとあのわがままな陶芸家夫婦に、味方をするために、私を脅かしているのではないですか?』と思うから、絶対に桜田門にも行きません。

 この山は最盛時でも主婦が15人程度しかいなかったし、今では、10人もいないので、非常に特殊な場所に成っていて、利口な人ほど、「面倒だから、あの人には、こちらが道を明けて、先に通させてあげましょう」と、するところがあり、それで、そういう未熟な人間が、わがままのし放題になっているのです。
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副題19-4、『鎌倉警察署の、困りごと相談室から、木曜日に、お電話があり』

 さて、刺繍をした夏用セーターをとりにいった次の日、なんと、その困りごと相談室から電話がありました。しかも大嫌いな鎌倉警察署から。

 うんざりします。が、丁寧に聞いて、金曜日の一時に自宅へ来てもらうことに決めました。警察さんから訪問をしてくるというのは、よっぽど相手方の見方をしているということで、それだけ聞いてもうんざりします。私は見かけが、弱々しい人なのです。だから獰猛で、欲望に忠実な原始的な人から見れば、とても簡単に操作できると思われてしまいがちです。

 一生損をするところでしたが、たまたまニューヨークで二回ほどけんかをして勝ってしまって以来、急速にコツがわかってきて、「ぜったいに負けないぞ」という気迫で、対処しています。が、26年も前は、それが、できないで、我が家の、私道部分がコンクリートうちをされてしまい、しかも手すりがつけられてしまったために、がけの草を抜けなくて、がけが丸くゆがんでいるぐらいです。花や野菜を栽培できないだけでも、ほかの15軒をあわせれば、25年間に500万円は差がついて、こちらが損をしているのに、さらに、崖がこわれたりしたら、2000万円をくだらない損失が生まれます。それをこちらはじっと、25年間も我慢をしてきてあげているのに、その実態は見ないで、ただ、表面上だけを見て、
 彼ら、彼女たちがやったことを記録をしている、私のほうへ、一方的に「書くのを止めろ」というのです。それが月曜日に町内会長のM氏から夫が言いつけられて私に入った命令ですが、

 こっちこそ、25年前にさっさと、相談に行きたいぐらいでした。が、横須賀市根岸二の103に住んでいたときに公有地や、国有地を利用した詐欺事件に出会った経験から考えて、警察だけではなくて、法務局とか財務局などという役所も、真実の、強さはないのを知ってしまっています。正義は通らないのです。知識を駆使して悪事をなしてくる連中に対しては、役所には、戦ってはくれないのを知っているから、今まで、何の行動もとっていないのに、今、26年後、驚くなかれ加害者側が、被害者面をして、困りごと相談室へ私への苦情を持ち込んでいるのでした。

 信じがたい逆転です。いやな気分であるのはもちろんですが、ともかく、お仏壇へお祈りをして寝ました。ありがたいことに、今は、薬なんか使わなくても、さっと寝入ることができます。芸術に打ち込んでいないので、眠ることが容易に、できるのです。激しい創作上の修行をしていない今は、睡眠へ入るのが容易なのです。

 何たる矛盾だろうと、怒りや、悲しみに打たれますが、大切なことは常に平静を保つことなのだと気がつき始めています。理性を失わないこと。それと、充分に睡眠をとっておくこと。

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副題19-5、『金曜日にもう一回電話がかかってきた。・・・・・』

 さて、私も、戦わないと、ことは解決しないのを知っています。これは、世の中で、ハラスメント(=いじめや弾圧)にあっているすべての人に申し上げたい真実です。誰かが助けてくれるわけではない。自分を救うのは、自分自身の戦いの結果しかないのです。

 で、その戦いに勝つコツですが、やはり、真善美を追求することと、常日頃修行を重ねることです。それしかないのだと、今は思っています。そして、そう信じることができる今は幸せです。 

 相手方の要求は、人物が特定できるような書き方をしないでくれ』と言うものでした。
が、経験上、仮名で書いている間は、一切効果がないです。悪さを止めません。もっと悪くなるほどです。アジサイ畑欺もう事件の証拠が次から次へとつぶされていっています。で、そっちが実際には悪いことをしてい手、何十年に渡る被害を与えているのにもかかわらず、書類上は、そっちが正しいとなる可能性があるのです。今回の相手方の挑発も、『大丈夫。裁判に持ち込んでも、こちらが勝てる』という見込みの上で発せられています。
 
 だけど、私が、この26年間観察を続けた結果、それは正義でもないと確信をしているのです。ここで言う観察とは、目で行うのではありません。耳で行います。ギリシャの円形劇場(しかもちいさいもの)みたいな地形で、音響効果がばつぐんにいい場所なので、威嚇的な声とか、誇示したがる声とかは、すぐ聞こえてきてしまうのです。慎み深く、静かな声なら聞こえないのに、大声が多いので、すぐ聞こえてきてしまいます。

 だから、私は金曜日の午前中、書きに書きました。どうしてそうするかというと、武器がそれしかないからです。私は、ここに越してきたときに、子供がすでに、中学生になっていたので、これからは、芸術の道に専念したいと覚悟を決めてきたので、ご近所でべたべたすることは一切捨てています。
 だから、彼らのように、仲間とつるんで、威圧をするということもできませんしね。
 
でもね。実際には悪いことをやっている相手方が、ボディラングェッジという武器を使ってくるわけですから、こちらは書く文字という武器を使うわけです。

つまり、あじさい畑の発端の発端は、我が家の近所で、大声で井戸端会議をして、数の力を誇示するところから始まっているわけです。私がそれに抗議をしたわけではなくて、お隣のF夫人という方が抗議をしたのですが、とばっちりで損をしている、それを書くわけです。万一裁判になったときに、冷静に説明をできるようにです。弁護士が探せないのなら、自分で論告をするつもりです。上申もするつもりです。

ありとあらゆることは準備しています。慎重にものを考え続けています。あじさい畑欺もう事件が起きた瞬間から、こちらには、その覚悟と、準備はしてあります。そんな中で猫ごときのトラブルで、警官を呼ぶなどという陶芸教室・夫婦のおばかさん加減は、こちらの主張をさらに裏付けることに、役立つだけなのです。これこそ、天の助けといった類のものです。あきれかえるほど、原始的な欲望に基づいて行動しているから、天はそちらには見方をしませんよ。

 結局今わかっていることは、現代の東京圏に住む場合、『となりは、何をする人ぞ』ということをぜったいに忘れてはならないということです。つまりある程度のよそよそしさをキープすることです。それと、礼儀ね。そして一番大切なことは、相手を対等に扱うことです。それだけをしておけば、無理も、無駄も、間違いも起こらないです。

 だって、ひとり一人ファクターがまったく違うのです。それを、親しいと思い込むのも間違いだし、だれかを敵視するのも間違いです。でね、ここは、ともかく住むのに、難しい地域ではあるが、それでも、以前よりはみんなが落ち着いてきてはいるのです。
 前の会長さんって、みかけはまことに格好の良い紳士だったけれど、威厳を持って、人を正しい方向へ導くということはできなかった人です。気が弱かった。で、主婦たちは欲望むき出しで、わがままいっぱいでした。
だから、いつも大浴場状態で、ぶわーんと、音がこもっているぐらいに、辺りいったいが、熱を持っていました。

 と上でいったような、信念に基づいて、必死に成って午前中は、文章を書いていたのです。これは、私にとって、自分を守る最低路線の戦いで正当防衛の類です。そして、その一部は午前中三十分ぐらいさらしていました。今問題になっているM氏より、有名人をまな板に上げて・・・・・
その最中に二度目の電話があって、

 『本日は連れが出かけて、一人だから行かない』
 『電話で要件を済ませるが、ブログの中では、ぜひ、実名は使わないように』
 『警察は、どちらの味方もしない。平等な立場をとる』の三つです。

その担当者のものの言いかたは、ソフトであり、洗練をされていました。前回、我が家の玄関前に踏み込んできて、ドアノブをガチャガチャ言わせた、乱暴で偏頗した警官たちとは、雲泥の差があり、ある程度のレベルで、心が慰むところがありました。

で、私も礼儀正しく「了承しました」と答えました。が、それで、最大の武器である実名で、真実を書くということは奪われたわけです。これから先、それに力を得た敵が、どんな被害を、与えてくるかが、思案のしどころになってきます。

 警察は本当に平等な立場に立てるのか、本当に悪を退治できるのか?

 早速の被害があります。13日の月曜日湘南信金のカードが利きません。これは何度もやられた悪ですが、鎌倉の有力者、たとえば、上に挙げた例の猫の問題で登場した、陶芸教室の先生のもとあいじんだったという出版社の社長さんの依頼で、湘南信金側がカードに悪い細工をした可能性も捨て切れません。もちろん、彼らの見方をしている国際的軍産共同体のエージェントが頼んだのかも、知れません。
 時間が十分にあったら、それこそ、警察庁に言って、どういう種類のバグ〔悪い作用をするソフト〕が、このカードに入れこめられているか、それは、何月何日に入れこめられたのか? など、最新の知識で探索をしてもらいたいぐらいです。
 その上、他にもあります。
 17日の木曜日、JR東日本の湘南新宿ラインが、1時間20分ほど止まり、遅延しました。これは、本日は語りませんが、鎌倉発のチョウリャクだとは、後日証明します。

 そして、18日の金曜日の午後は、レンタルビデオが読めないというトラブルと格闘しました。先週は音楽CDが流れることは流れるが途中で、針を飛ばされる被害が起きました。電気を使うことは同にでも左右できるようです。そのDVDは、貸し元のお店では読めるのですが、私宅では、四台のパソコンを取り替えても読めません。さあ、どうなるか。

 私への人権蹂躙と、この国が、蹂躙されるのは、ほとんどライヴ進行的に連動していました。それを阻止する有力な武器でもあった、あの例の実名表記による、真実の解明が、遅れれば、本当のことを語れない羽目になるやも知れません。
 ばかげているし、小さな話題に見えるご近所のあくを書き抜くことが、本当に大きく、政治を正してきたのです。というのも、チョウリャクを駆使する悪人たちだって、人間としてのお付き合いはあるわけです。
 そして、悪が達成されるのも、特別に、コネを駆使するわけですから、人間関係の源流をたどられることが一番怖いのです。自分たちの姿が暴かれないで済むだろうと、考えているからこそ、途方もない悪事もすっとやってしまう彼らです。だから、大本を探り、やっている人間たちの実名をさらすことが最も効果がある、悪人、とか、悪事退治なのです。、
  2011年6月16に日から18日にかけて書く、  雨宮舜(本名川崎千恵子)
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