銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鶴田伸子は、誇りが高い大作家で、私に言わせれば、sacred でもあるのに、私に嘘をついた。その嘘でCIAが企画した悪の謎解きができた。のには苦笑する他ない

2022-09-01 21:09:36 | 政治

 これは、同じ種(タネ)の、文章の四報目です。いよいよ、7月23日に、私が出会った、謀略に入ります。それ以前の物語は後注1~3に付記します。ところで、この総タイトルは、変化させていく可能性があります。一番最初は、【佐々木模索の令嬢が23年前に付いた嘘と、この2022年8月に、鶴田伸子が付いた嘘は、同種だった】でした。今は三番目のものです。

 今は9月3日9時ですが、相当に加筆していきます。

 いま書いている問題は、小さいです。しかし、鎌倉(CIA)エ-ジェントの思考様式と、それが、どれほどに、がんじがらめの思い込みに基づいているかということと、私が、本当に考えていたことが、どれほどに、彼らには理解をされていないかを語りたいと、思うから、丁寧に、丁寧に、文章作りをしています。

 特に31日に、浜銀前にいた、国葬反対署名活動が、午後3時20分に撤収し始めた事が重要な判断材料だからです。それと円安と、香川照之へのいじめ(下半身のことは、芸術家と、芸能人は問うべきではない)も、実は、この文章とテーマ=鶴田伸子さんと小野寺夫人が、組んで、謀略を発生させた=が重大だとCIAエージェントが考えているからですから、丁寧に、丁寧に、推敲をしていきます。

 その3つは、過去パターンから読むと、確実に私狙いの嫌がらせだったので、・・・・・ああ、そう。そういう風に出て来るとは、今書いて居ることが、重大だと、彼らが思うからですね・・・・・と、判断をしています。したがって、丁寧に書かないといけません。

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副題1、『鶴田伸子さんが、今、自分の作品だと、主張する織物は複雑な色と、糸を使っている。しかし、彼女は、それを着て街を歩いているわけではない。別の平織の生地を使った、自分で考案したスタイルのお洋服を着て歩いている。

 それなのだが、それについて、彼女の方が、或る嘘をついたので、喧嘩には、もっていかないものの、彼女に対して、・・・・・<<<<<もう駄目ですね。彼女は、120%の比率で、敵側の人ですね・・・・・これは、しっかりと、記録をしておかないといけないなあ>>>>・・・・・と、考えていた。それは、23日のずっと前で、8月の二日だったのではないだろうか。その結果、すでに、用心して、構えて生きていたので、8月23日の夕方の、罠には、十分に意味も因果関係も、その政治的コンセプトの流れも、わかっていた。彼女と小野寺夫人の二人が組んで、行っている手ひどい引っ掛けに、今、自分が遭遇していると、いうことは、瞬時に分かったのだ。

 だが、すぐにそれをブログとして、書かなかった。その理由は、・・・・・彼女には、2002年の8月に、上等なクッキーをニューヨークでもらったという恩義があるので、それで、書かなかった・・・・・と言うふうに、伊藤玄二郎達は、推察しているのかもしれないが、それよりも、自分の、体力が、今では、衰えているので、ゆっくりしているだけなのだった。

 恩義があるのに書くのだと言う事は、どうしてかというと、花輪夫人には、多数回、裏切られ続けているからだった。それに、安倍晋三さん殺しで、自分が助かったと、信じてはしゃぎ切っている安野智紗夫人と、鶴田伸子さんが、直接に、からんでいると、花輪夫人から、聞かされたからだった。花輪夫人は、賢い人で、そこに関して尊敬があるから、15年くらい前から、敵方に立っていると、気が付いていながらも、ブログには、それを、書かないでいるというのも、真実だが、彼女からのいじめの量にもよる。もう、堤防が切れるほどの、悪意を浴びたと、感じているので、・・・・・ああ、ここで、おしまいですね・・・・・・と、かんじたのだった。

 ただ、この15年間の、真実の関係を言えば、リアルな世界では、喧嘩をしない、それだけの関係だった。まあ、キツネとタヌキの化かしあいの、毎日と言ってよい。それは、小野寺夫人に対しても同じ。

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副題2、『鶴田伸子さんの、着ている洋服に注目をしたい。それは、母親の服装に比較をすると、お金を、それほど、かけていない。しかし、美しい。ただ、そこに、私の質問に対する嘘が、生じたので、それが、私にとっては、ミステリーを解く突破口だった。角野英子さんとの対話の再現だった。または、石塚雅子さんとの会話の再現だった

 芸術家として、自信がある彼女は、自分が着る洋服には、お金をかけない。それが、母親である花輪夫人とは、違うところである。

 この山には、実動15軒しか家がなくて、動いている(自分の足で歩いている)女性は、12人しかいないのだが、最も見かけの良い女性は、自分では、「化粧品会社に勤務している」と語る女性である。しかし、私はそれは嘘で、彼女は、三井物産勤務ではないかと推察している。ただ、ここでは、お洋服と、本人のバランスから言って、常に、美しく装っているというだけにとどめよう。

 さてお値段の高い洋服を着ているという意味では、花輪夫人が一番である。いつも、その季節、一番早いモデルまたは、スタイルの洋服を買うそうである。ソレはまさしく、子供時代のわたくしであった。季節の初めに日本に橋買う場所とかお店の名前は、聞いたことがないが、ともかく、思い切った柄とスタイルのお洋服だ。もう、81歳だそうだが、非常に華やかで、いかにも高そうですねと、感じるものを着ている。ご主人が都庁の偉い人だったこと、自分の親や、ご主人の親の資産があること、それから、ご自分も42歳まで、都庁に勤務をしていたという事、お子さんが、一人だったという事、そういうことが、重なっていて、彼女が、今では、この山で、一番、可処分所得が多い女性だと、思う。

 しかし、しかしなのだ。女性が美しく見えるのは、あながち、お金だけで、左右されるとは限らない。その人の手仕事が、加わった、お洋服を身に着けている人は、つつましく感じて、そして、美しい。でないと、それこそ、資本主義の弊害に、すべての人物が、まみれ切ってしまうではないか。それは、残念だし、嫌なことだ。それには抗いたい。それに、その人の精神とか気構えとか、日常生活が反映したものが美しい。

 私は、20年前にニューヨークから帰ってきた当座は、常に、スニーカーで、ブラウス姿だった。冬でも、ブラウスの上に、vネックの、セーターか、カーディガンを、着て過ごし、コートは殆ど着なかった。どうしてかニューヨークで、毎日重労働であるヘイター方式の版画を、7時間から、8時間程度、制作していると、体質が変わってしまったらしい。しかし、帰国後、10年もすると、日本の冬を寒いと感じる様になるのだったが? 

 しかも、2003年から、六冊の本を工業生産的に作った。そのうちに一冊は、本屋で、売ったわけではなくて、銀座で、アーチストたちとか、美術界で、動いている人に700分程度、あげた(献呈した)だけなのに、アマゾンで、10年以上、1万円以上で取引をされていた。【黄色いさくらんぼ】である。そこに鶴田伸子さんが、関係して来る。

 自著は、6冊出版したが、そのほとんどが、このブログを編集しなおしたもので、所謂エッセー集なのだけれど、面白いのだ。で、そこに誇りがあるので、着るものにはお金をかけない。私はメディアを使った有名人ではないので、自著を全国展開して売る事などできないからだ。で、ただ、ただ、あげるだけだから、お金は、かかっている。だから、洋服にはお金をかけない。高いものは買わない。

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副題3、『鶴田伸子の画像検索をかけると、同姓同名の医師などが出てくるが、今=2022-9-1では、一段目に、6枚程度、彼女の画像が出て来る。fiber atrtistなどの肩書がついている、写真での彼女は、原田美枝子か?、鶴田伸子?かというほどに、美しい。今のところ、53歳から55歳の間だと、思うが、背の高さ、体重、すべてにバランスが取れていて、美しい。

 今回、27日(または、28日)に母親の花輪夫人が、我が家を、訪問をしてきて、腸詰屋の個展に、大勢のお客が見えて、大成功だと、言っていた。そのついでに、はっきりと分かったのだが、横浜国立大学付属、鎌倉小学校、中学校卒(そのころは、まだ、私は、ここには転入をしていなかったので、その日、それを初めて知ったのだが?)で、その後、スラムダンクの踏切で、有名な駅、鎌倉高校前が、江ノ電にある、鎌倉高校、東京女子大と、進学し、アパレルメーカーに勤務。その会社で、ニューヨークに派遣をされたのか?

 それとも、結婚相手が、ニューヨーク駐在を、命じられたのか?は、知らないが、すでに、30年近いニューヨーク暮らしである。

 そして母親の花輪夫人から、さんざんに自慢をされた通り、(そのことは、

安倍さん暗殺は、警察庁秘密部隊きっての愛玩人物である安野智紗夫人をサポートする為に行われた  2022-08-29 22:27:21 | 政治

 に詳しく書いている通り)、世界中の美術館とか、博物館で、個展、グループ展を繰り返す、大物アーチストになっているそうだ。すると、大きな誇りを抱いているはずで、したがって、そこに自信があるので、お洋服には、お金をかけていない

 :::::::::ここから先は、9月2日に新しく加筆する部分です。したがって、アンダーライン等を敷きません。挿入であることを、強調するための着色も致しません。:::::::: 

 それが、私には、よくわかると、言う説明のために、副題2で、自分のケースを書いた。母親の花輪夫人が言うのには、同居をしていた、自分側の実の母と、娘と、自分と、三代にわたっておしゃれだったそうで、娘が美形であること、そして、おしゃれである事、服装から始まった、織物という芸術の分野で、大成功をしていることに、別に嫉妬しているわけではないだろう。ただただ、可処分所得が多いから、一着、10万円以上はする既製服を、いつも着ているということとなる。

 一方の伸子さんだが、原価にして、1万円以内のお値段の布を使い、自分で染め、自分で、カットして、縫う・・・・・そういうお洋服を着ている。布地は、工業製品としてできている、麻と木綿、混紡の平織りで、ガーゼとかローンとか、呼ばれているもので、彼女はそれを巻きで買うのだと、推察している。ニューヨークって、紙でも、キャンバスでも、布地でも、16mか、32mの、巻で買えるのだ。ちまちまとしたカット・コットンなどがある世界ではない。

 花輪夫人と娘のおしゃれの違いを見ていると、心を働かせること、技術を持つこと、が、女性にとっていかに、大切かがわかる。ただし、そういう服飾に関する技術を磨く時間を、都庁勤務で使ってき手獲得ができなかった花輪夫人が、高価な既製服を着ていることは、けなす材料ではない。

 しかし、はっきり言って、今の鶴田伸子は、美しい。年齢(50代という若さと、母であり、妻であり、働いたこともあり、創作に、日々、打ち込んでいるという経験値の多さ)などが、混然一体となっていて、美しい。特に腸詰屋で、個展をして、そこに、鎌倉中の、自分の知り合いが来て、感嘆し、ほめそやし、祝ってくれた、そういう累積がさらに輝かせている。

 彼女は、近々、ニューヨークに帰るから、それで、いいのだが・・・・・長らく、この山では、プリンセスの役目は、大原恵美子さんだったが、彼女は、白井達雄+小野寺夫人夫妻が、引っ越してきたときに、いろいろ、感じるものが生じて、家出をしてしまった。

 彼女の夫の、大原光孝さんに、わたくしが、面と向かって「この山の人は、川崎さんは、離婚をするよと、うわさをしているよ」と、からかわれた日があるので、・・・・罫線以下をはっきりというが、・・・・・恵美子さんは、白井達雄夫妻を見ているうちに、自分たち一家の中にある、欺瞞(夫の光孝さんが、エリートだと信じていたが、実際にはそうではなかったという欺瞞)に気が付いてしまったのだ。だから、光孝さんを捨てたと、見ている。

 大原光孝さんには、二週前にも、ひどい攻撃を受けたので、ここまで、はっきりと書いておこう。

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副題4、『私は、美形好きの川崎さんとからかわれるほどで、鶴田伸子の美しさに嫉妬するわけではない。ただ、昔、有名な文学博士・高木清子さんに、「ずるいわ、裏技を見せて」と、言われたことがあるのだけれど、一インテリ女性としては、驚くほど、ほかの分野の、いろいろなことができる。現代版、ダビンチといってよいほど、いろいろなことができる。時間と体力があれば、ウールを材料にして、裏付き、芯付きのシャネルスーツぐらい縫える。

 そういう技術を持っているわたくしから見ると、「今年の伸子さんの服ったら、手抜き、手抜きもいいところですね。笑っちゃうほどの手抜き、縫製ですね」というほどの、形なのだ。彼女自身も、アパレルメーカー勤務だったから、自分が、今着ているものが、どれほどに、縫製に関しては手抜きであるとは、知っていると思う。

 しかし、世界中で、だれも、ほかの人が、着ていないスタイルながら、現代の、ゆったりとした、服を着るという流れには、あっている。

 しかし、中に来ている、いくばくかのサーモンピンクが入っているオレンジ色の、ワンピース(これは、腰回りが、ぴったりとした、人魚型スタイルで、女性を美しく見せるものだ。もし絹でできているのだったら、材料費は高いはず)の上に、

 真っ白なガーゼでできた、大判の風呂敷といってよいか、それとも、風船といってよいか、風にふわふわと舞う、上着を着ている。それが、天の羽衣みたいな、効果を上げている。そのことを、彼女は十分に知っていて、

 その同じ上着を何着も作っている。今のところ、私は、三着ほど、同じ縫製、同じスタイルの、その羽衣を発見している。もっと、持っているかもしれない。ところで、これは、既製品ではない。もし既製品だったら、それなりの高さ(五万ぐらいは、するものなので)全く同じスタイルで、三着も買うバカはいない。どう考えても、彼女が作ったものである。

 彼女は、世界的アーチストにすでになっているので、お金は十分にある。だけど、「お金は、次の作品のための材料費に充てたい」と、思うはずだ。今、乗りに乗っている作家というものは、そういうものなのだ。自分が着る洋服なんか、本当はどっちでもいい。ただしメディア受けが、良くなるためには、作家本人も美しいほうがいいので、そういう意味では気を使うが・・・・・という程度のはずだ。

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副題5、『三着の羽衣は、ほとんど同じに見えるが、よおく、丁寧に、見ると、微細な、違いがあった』

 しかし、ここも、わたくしが芸術家、または、作家、または、美術家だから、わかるのだが、創作をする人というのは、常に発想が沸いているものなのだ。で、鶴田伸子は、真っ白なはごろも、三着を、それぞれ、少しずつ変化させたいと、思いいたった。らしい。で、一着は真っ白なままにしておいた。それは、2022年8月の23日の夕方、彼女が小野寺夫人と結託をして、意地悪をメインとする罠をひっかけてきた日に着ていたものだった。

 だが、私は、その、意地悪罠に対して無反応だったと、思う。あえて、そうしていた。二人の女性に対しても、無反応だったし、ブログでも書かなかった。そのころ、横須賀市の、ルネ北久里浜が、元は、横須賀市の水道山であり、無償で、地積変更届という仕組みを利用して、ある個人にわたった件で、調べ物をしていた。横須賀市へ、何度も足を運び、調べ物をしていた。

 横須賀市で、事案が発生した当時、土木課長だった、杉本俊一氏が、どうも怪しいと思うところがあり、それを調査していた。或る方向からだが、自分の考えが正しかったことが、120%証明されたのが、この8月26日だった。

元、横須賀市副市長夫妻が行った悪が、京急によって、謝礼をもらった上での、行為だったと、本日証拠付きで判明      2022-08-26 21:29:50 | 政治

杉本俊一氏の父親は、滋氏と、言います。まだ、詳しいことを書けませんが、滋氏も関与しているかもしれません。ともかく、すごい真実がわかりました。本当にほっとしました。

でね、心理的に余裕が生まれたので、鶴田伸子の、芸術活動について、ネット検索をしてみた。ホーム頁とか、そのほかを調べたいと、思いいたったのだ。その日には、(I'm uncomfortable) というブルックリンの、DUMBOという画廊の二人展(9月22日から始まる)だけが、見つかった。

 ただし、それは、27日のことで、現在は、9月2日だが、何も見つからない。

 しかし、これから先、はっきりと言いたいが、わたくしがアーチストであればこその行動を、わたくしがとる。そして、芸術を愛する者だけがとる行動をとる。

 この鶴田伸子騒動もまた、安倍さん殺しと連携をしていて、安野智紗夫人が主役だったと、後から、わかってくるのだが、私は、27日には、そこまでは、推察もせず、ただ、ただ、創作家としての鶴田伸子に、ニューヨークの美術事情のことを語りたくなった。そこが、この同じ山の、15軒の住民とは、まったく違うところなのだ。画家は何人かいる。だけど、ニューヨークで暮らした過去を持つ作家はわたくしと鶴田伸子さん以外にはない。

 だから、私は、突然にあれこれが、懐かしくなって、英語で、かつ手書きで、手紙を書き始めた。「DUMBO って、ブルックリン橋のたもとにあって、広い画廊ですよね」。とか、英語で、書いていく。「1999年は、そこは、まだ、床が土でしたよ」とか。

 ただし、腸詰屋のところで、はたと英語が止まってしまった。腸詰屋を英語で訳すと、どうなると、考え込んでしまったのだ。で、それ以降は、日本語で書いた、すると、どうしても、23日の罠のことが頭に浮かんでしまう。

 で、短縮形にすると、「あの罠ってひどいわね」という内容のことを、4行ぐらいにわたって書いた。これは、引っかけでもなんでもなくて、純粋に、美術から、始まった手紙なのだ。しかし、脛に傷持つ悪人たちは、そうは取らなかったらしい。なんと、この手紙は、鶴田伸子には渡らなかったそうである。母親の花輪夫人がそう言っていた。

 私は、花輪夫人の、28日の来訪と、彼女が、我が家の玄関先で、話した内容に関して激怒したのだが、リアルな世界では、喧嘩にはもっていかないという主義なのが、私のルーティン行動なので、花輪夫人には、「いらしてくださってありがとう。手紙より、会話で、話した方がいいのでしょうね」と言って帰したが、

 激怒しているから、「下書きという形で、詳細は、記録する」と、決意をした。しかし、その作業に、花輪夫人が帰宅した後、すぐ、その日の午後とか、夜、取り掛かるわけでもない。今度は別の調査をしに、外出をした。すると、腸詰屋の、彼女の個展の会場、前で、鶴田伸子さんが、お客をもてなしていたのだが、その時、例の羽衣に、黄色い線が走っているのが見えた。

 なるほど、これで、二着目ですね。すると、8月の、2日に見た、もうひとつの羽衣=白の中に、殺した、虹色の染め模様ラインが入っている=羽衣は、やっぱり、伸子さんが染めたものですね。しかし、あの日、彼女は、嘘をつきました。わたくしが、「それって、あなたが染めたの?」と聞いたら、「違います」と答えたでしょう。それは、嘘ですね。・・・・・と、ほぼ、一か月がたった今、9月2日に、むなしく、我が家の天井に向ってつぶやく。

 伸子さんが、嘘をつくなどということは、想定外だった。しかし、その時に、裏に安野智紗夫人がいるのは、はっきりとわかった。その四週間後の、28日になって、伸子さんの母親の、花輪夫人は、腸詰屋の、個展の展示は、偶然通りかかった安野夫人に手伝ってもらったのよですって。嘘っぱちもいい影にしてと、言いたいが、むろん黙っていた。一部は、本当だ。あ安野夫人が、展示を手伝ったという部分は、本当。だが、偶然通りかかったという部分は嘘だ。ほかにも花輪夫人は、いっぱい嘘をついた。

 なぜ、伸子さんに嘘をつかれるとつらいかというと、彼女は、私にとって、聖なる存在であるボブ・ブラックバーンの、その優しさや、悲しみを、しかと理解させてくれた、2002年8月11日のホテルチェルシー内にある彼の部屋への二回の訪問の、きっかけを与えた、人物だったからだ。ボブは、パーキンソン氏病を患っていて歩けない。で、人の助けを得ないといけないので、本当に成人そのものといってよいほどに、清らかで愛らしい性格の人だった。そのボブを、一方の主人公にして、出版した、自著、黄色いサクランボには、もうひとり、カラード(有色人種)の版画家が出てくる。二人とも。ひどく、悲しい死に方をして、2001年から、2005年までに、亡くなるのだけれど、その二人の死にざまの違いについて書いたのが、その書物なのだ。ボブはみんなから大切にされ、教会で、立派なお葬式を挙げてもらった。一方のホアレス(書物の中では、仮名エドゥアルド)は、孤独死=実際には、飢え死にをした。

 そして、1999年とか、2000年のニューヨーク滞在中には、二人について、理解が足りなかった、自分の、今(それは、2006年ごろの話だが)では、襲い来る、深い、悲しみについて、も、触れている。そして、2022年の今では、さらに二人について、悲しみを深くしている。貧乏ということについても、より深い理解が生じて、で、ホアレスにたいしての、哀悼の意は、深い。彼が版画工房に毎日持ってきていた、サツマイモ入り蒸しパンは、おやつだと、思っていたが、主食だったのだ。それも食べられないほどに、貧窮したのは、日本人女性、よよの、せいで、版画工房がつぶれたからだった。そこに、ドラマ性がある。

 だから、たった、500部程度、銀座で、献呈しただけであり、酒井忠康さんとか、栗田玲子さんとかは、ぽんと捨ててしまったであろうその書物は、今では、日本中で、100部残っているかどうかという具合だけど、最近でも、アマゾンで、12000円で取引をされている。

 その私の【黄色いさくらんぼ】は、伸子さんが、ニューヨークのセーラムギャラリーに、2002年の8月10日に、私の個展を見に来てくれた時に、プレゼントしてくれた、超上等なクッキーが、重要なアイテムとなっていて、発端がはじまるのだった。だから・・・・・伸子さんは、私にとって、一種のセイクリッド=聖性=を持っている存在だった=のだ。それなのに、この私に嘘をつくとは。おお、なんと、いやな話と、なってきた事だろう。

 すみませんが、これは、まだ、まだ、続きます。しかし、明日午前中の約束がありますので、本日は、ここで止めといたします。

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