午前五時からずっと間をあけて、今、夜七時ですが、再開をいたします。
副題1、『わたくしは前報で、美形のバイオリニスト、Koh Gabriel Kameda について、ちらっと、触れた。その後だと思うのだが、人生最大級の弾圧に出会っている』
私は、前報
本日のNHK画面に、栗原弁護士のオフィス出現!・・・香月泰男は瀬島龍三のシベリア抑留仲間である。朝ドラは1979年に既にCIAに悪利用をされていたのだった 2022-09-25 20:04:32 | 政治
の中の副題6の最後の方で、ちらっとですが、美形のハーフ・バイオリニスト、Koh Gabriel Kameda について触れています。ドイツ系美形のハーフである演奏家としては、アリス・紗良・オットー(ピアニスト)が、今は、有名です。が、コー・ガブリエル・亀田は、アリス・紗良・オットーよりも有名な時期がありました。
wikipediaに、9月25日の時点では、画像が載っていました。今は急に消えたので、それも、私のブログ狙いですから、・・・・・いやなことではありますが・・・・・自分がどれほどに、大物なのかを語っていると思います。
で、K.G.Kamedaについては、画像検索という項目が、良いです。彼がどれほどの美形であるかがご理解いただけるでしょう。お探しになると、今は、google 一頁目の最後の項目として出ています。すっごい美形です。並みの白人よりも美形だと、思います。
この演奏家は、お父さんが、外科医で、横浜の有名な一族の出身です。このバイオリニストの、父親のいとこにあたるお嬢さん(ただし、2022年9月現在、彼女は79歳であるが)について、前報で、ちらっと述べる際に、彼女がどれほどの、上流階級の人であるか、説明していますが、その中で、彼女にとっては、いとこの息子であるこの美形のバイオリニストについて、ちらっと、述べております。
この美形のバイオリニストですが、1958年に横浜国立大学付属中学を卒業した同期生100人の間では、「カメのいとこのお坊ちゃまが大変なことになっていると、言う噂が回って、非常に有名でした。それは、当時の音楽の友などをご覧になると、はっきりと出ていると思います。
日本語のウィキペディアにも、☛ ☛ ☛
ここで、午前五時から、九時までパソコンのそばを離れた間に、2000字ぐらいが、消えました。システム異常を利用した、悪の仕組みです。ひどい事ですが、再度、書くことへトライします。
☛ ☛ ☛2000年には、サントリー・ホールで5回の講演を行い、すべてのチケットが完売となった。
その10年前、1990年に、カメダは日本でのステージ・デビューを果たしており、東京のサントリーホールや大阪のザ・シンフォニーホールで、様々なヴァイオリン協奏曲を演奏していた。
しかし、カメダの日本での活動は、こうしたコンサート活動以前に、NHKがプライムタイムに放送したドキュメンタリー番組『NHKスペシャル アインシュタインロマン』への出演から始まっていた[8]。カメダはこの作品に、『はてしない物語』、『モモ』で知られるドイツの作家ミヒャエル・エンデや、ファッション・デザイナーの森英恵とともに出演し、主役を演じるとともに、サウンドトラックを録音した。
同時に、カメダはこの番組のレーザーディスクにも出演し、BMGファンハウスからリリースされたこの作品は、日本においてクラシック音楽を取り上げた最初のレーザーディスク作品となった。日本におけるカメダの人気は実に高く、日本ではファンクラブが結成されている。
カメダが今も取り組んでいる「癒しの音楽」という各地の病院でコンサートを行なうという企画は、長年にわたって活発に取り組まれてきた、入院患者たちに音楽を届けようというボランティア活動であり、1999年にはテレビ東京で1時間のドキュメンタリー番組[1]として紹介されたことは、定期的にクラシック音楽のコンサートに足を運ぶような人々以外から、カメダが広く注目を集めるきっかけとなった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『さて、上の、wikipedia からの抜粋に置いて、ミヒャエル・エンデが出演した、NHKスペシャル アインシュタインロマンが、放映をされると、わたくしたち、カメの同級生+別のクラスの子供たち(だった、その時に、すでに、老人になっていたが)大騒ぎで、喜びました。しかし、それを今見ようとすると、NHKは、以下の画面で、見られませんと、言います。
しかし、YU TUBEにおいては、見る事ができるのです。しかし、全部かどうかは、判りません。
ああ、ただ、ただ、驚くべき悪意を発見しました。その番組の中で、再現ドラマがあるのです。其れの中で、ガブリエルが、アインシュタイン(似ていないが)を演じています。
ところが、NHKが、公開している、この番組固有のwikipedia の中に、なんと、ガブリエルの名前だけが無いのです。念のためにその部分をコピペして以下に置きます。
プレゼンター
出演
ドラマ出演
- パントマイム:中村ゆうじ(現・中村有志)
- ミレーバ夫人他:毬谷友子
- バレリー・デュポン:ジュリー・ドレフュス(声の出演・小山茉美)
- 20世紀博物館学芸部長:ミヒャエル・エンデ
- 20世紀博物館案内人:天本英世
- お言葉の男:細川俊之
- バレリーの友人:佐々木すみ江
ガブリエルは、私の見方ではありません。そして、彼にとって、父親のいとこにあたる、カメダタカコさんが、私の味方かというと、そうでもないのです。では、なぜ、こういうことが起きるかというと、googleが。CIAの命令によって、ガブリエルの情報を削っているのです。
なぜかと言うと、いまだ、生きている井上ひさしが、私の文章に激しい嫉妬をしていて、どんな細かい事でも、私の文章が、輝かしく見えることは、削ろうとしているからでしょう。
こういうことは、私にとっては、大変嫌なことであり、困ったことではありますが、wikipediaの情報だけに、手が入れられているわけではなくて、コー・ガブリエル・亀田の演奏会そのものが、サントリーホールとか、NHKホールとか、王子ホールとか、凸版ホールでは、近年は、開かれていないのです。20年前には、一世を風靡した、人気バイオリニストの、演奏会が、現在では、ほとんど開かれていない・・・・・という事も、もしかすると、私狙いなのです。
ここら辺の状況は、私にとっては、無論、嫌な状況です。しかし、ここで、とどまらず、先へ進みます。もっと大切なことがあるので。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『副題2で述べたNHKの大型番組の前に、テレビ東京が、1999年に、あらゆる日本での演奏会に先駆けて、この美青年の人生を特集番組として放映をしたと、wikipedia には、在ります。
それを、私は、見ておりません。で、wikipedia に置いてあるリンク先から、今入ろうとすると、それは、不可能で、見る事ができません。
しかし、1999年のどこかで、コー・ガブリエル・亀田が、TVで、個人的に、その特集をされたことは、確かで、そこからも、また、今では、それを、見る事ができない事からも、CIAの動きがわかるのです』
そのTV東京の特集が放映された1999年のさらに、30年前、コー・ガブリエル・亀田が、まだ、生まれていない、1966年か、1967年に、すでに、CIAが私を弾圧していたかどうか、また、伊藤玄二郎が既に、CIAエージェントとして、発掘をされていたかどうかが、判るのです。
私が、愛称カメ(当時の本名、カメダタカコ)さんと、日比谷公会堂で、音楽を聴いた後で、日比谷公園内を有楽町駅まで、歩いていた時に、当時は、存在していた(今はない)日比谷花壇のオープンカフェで、司法修習生時代の、青山敦子弁護士(当時は、岡本姓)が、司法修習生仲間と、懇談会(修習後のお茶のみ会)を行っていたと、書いて居ます。
1966年日比谷花壇で懇談中の司法修習生達がいた。あれが既に敦子弁護士をCIAが取り込んでいた証拠だと、今では、判るのだが 2022-09-24 21:13:53 | 政治
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4,『ここで、こう言う一文を書いた限り、もうCIA側のごまかしは利かず、私は、カメダタカコさんと、永遠に別れることになるのだろう。しかし、だからこそ、ここで、カメダタカコさんが、どういう人であったかを、しばし、語らせていただきたい』
そういうわけですが、今まで、ずっと、青山弁護士が、美しく見えた・・と・・だけ・・語っています。カメ(カメダ・たかこさん)もものすごく美しいのですよ。彼女は私と同じくすっぴんはです。そして、自分が美しいことなど、一切鼻にかけていないし、気が付いてもいない風に、シャカシャカ、かっぱうに図書館で、司書として、働いているのでしょう。大きなレンズの眼鏡をかけています。一時期は、大内順子さんと、似ていました。しかし、もし、彼女がべたべたとファウンデーションを塗って、アイラインを敷き、マスカラを付けたら、後藤久美子か、南野陽子かと、言うほどに、洋風な派手な美貌と、なっていたと、思います。文末に、私の結婚式の写真を置きます。それを見ると、私も化粧をすれば、人並みに美人です(苦笑)、もしカメが、専門の美容師に、お化粧をしてもらったら、あたりを威圧してしまうほどの美女だと思います。
しかし、私は、カメは、弁護士ではないし、いろいろ、お世話になっているので、CIAの、動きと連動している点を語りたくないのです。
それに、いつだったか、カメと長電話をしていて、ウーム、今、また、2000字以上消えました。ちょっと、油断をしていて、コピーしていなかったので、大変ですが、再度入力しましょう。
カメが、義母さんの排便を、助けていることを聞きました。すでに、ご主人は、亡くなっている時期でしたが、ご主人の母君と、同居して、老人ホームには入れずに、お世話をしていたのです。お義母さんは、やせ形で、うんちが、ウサギのうんちみたいに、ころころと丸い形になっていて、力んでも出ないそうです。で、カメが指で、かきだしてあげていたのです。もちろん、カメの実家は、病院です。ガブリエルのお父さんは、外科医だと、wikipediaに、書いてある。だから、上等なゴム手袋は、昔から手に入っていたと、思います。それでも、血のつながって居ない老女、しかも、間を取り持つ男性は、すでに、この世の人ではない。
そういう人のベッドの傍らで、しゃがみこんで、ころ、ころっとしたウンチをトレイに出してあげている。
美しい声で、それを語るのを聞きながら、『カメも、すごく変わったのね、あの大交通事故のせいかなあ?』と、考える私でした。
カメの実家の経営する病院のすぐそばに、神奈川県立音楽堂というのができました。日本で、一番最初にできた、音響効果を考えたホールです。そこで、第九が演奏されました。今考えても、1950年代としては、日本最高の歌手の組み合わせです。ソプラノ伊藤京子、メゾ(多分、柴田ムツムの奥様)、テノール、柴田ムツム、バリトン、平野忠彦、
インターネットもなくて、ラジオも、それほど、情報に敏感ではなかった時代、日吉に住んでいた私は、もし、カメに誘われなかったら、それを聞いていなかったでしょう。もしかしたら、チケットもカメにもらっていたかなあ。お金を出した記憶がないのです。それに、私は、小学校時代から、いろいろなママから、いろいろなお誘いを受ける人だったので、施しを受けることに関して鈍感だったのかもしれない。もらっても、は、はあという感じだったかなあ。でも、音楽には感動しましたよ。
というわけで、カメは、クラシック音楽の生演奏をしょっちゅう、県立音楽堂で、聴いていたのでした。そのホールは掃部山(かもんやま)という丘の上にあって、もみじ坂を下ると、1950年代は、そこに市電が通っていて、花咲橋という停留所がありました。今と違って、車の数が、少なくて、かつ暴走車など、いるはずもないという前提で、フェンスもない、単純な突起物だったのです。幅1m、長さ6m、高さ15㎝ぐらいの、コンクリートの塊です。
ああ、すみません。私は、ここで、疲れ切りました。レストランで、これを書いて居ます。で、頭は動いていますが、自宅に居ません。今から、眠ることができる場所(北久里浜の旧宅)まで、帰り着く体力を残しておかないといけません。しかも明日は、重労働をする予定です。
北久里浜の家に、電気が十日間、来ていません。東電に電話をかけているのだけれど、来ません。で、相当に大変です。
で、まったくの途中ですが、ここで、中断をいたします。
@@@@@@ここが書きかけ中の、最先端です。
それを、この2022年9月24日に、当時の岡本敦子司法修習生は、すでに、CIAがぺ【つば】を、つけていたのではないかと、語り始めたのが、上の章です。そのために、25日サントリーホールへ行った私はとんでもないレベルで、弾圧をされました。