これも総タイトルをグングン変えていきます。最初のものは、【人は誰でも確信を持っているのだが】です。6日の午前10時に、二番目のものへと変更します。
副題1、『私は、本日=朝7時51分に起きた。五時ちょっとすぎに寝たので、3時間弱しか寝ていない。ちょうど、主人が玄関で、外出する準備をしていた。わたくしは、それを知っていたくせに、どこへ行くの?と、質問をした。中野皮膚科と答える。全身が、ぞくっとしたが、何も言わなった』
人はそれぞれの確信を持って生きています。中野泌尿器科のドクターと奥様はコシノジュンコの親戚であり、彼女をこのブログの世界で2017年に批判した私の事は、憎いわけで、私に対する復讐の1つとして主人の尿道と言うやわらかいやわらかい細胞の集積した壁をちょっとでしょうが、右や左に、カテーテルというものを動かして、その結果主人に痛い痛い思いをさせても、それを悪いことだとは思っていらっしゃらないのです。
私はね、主人がぐったりと疲れきって帰って来た二年前には、それを知らなかったのです。主人が「かかりつけ医に転院してください」と湘南総合病院から言われたのちに、コシノジュンコさんの、親戚らしい皮膚科を紹介されたという事を。
それも、そもそも、復讐行為だったのです。それが、2024年に入ると、主人も私も待ちに待っていた穿刺手術を二回も延期されたことと、同じく湘南総合病院から、連絡先第一号の、私に退院のお知らせが来ないという復讐行為にも出会うのでした。そして、そちらの担当医(肺専門の外科医の方)は、最初のころ、会ってくださっただけで、退院前には、あっても、くださらなかったのです。で、それも、また、伊藤玄二郎の復讐行為だと、わかって居ました。
が、脳梗塞をも患った主人のたどたどしい言葉から、やっと、推察ができて、退院に必要な、容量の小さな尿袋と付属器具を、鎌倉小町にある、中野皮膚科に、もらいに行ったのが、2024年の7月31日の事でした。そして、その日のドクターの様子(誰もいない待合室にいる私を6mぐらいの遠くの診察室から、わざわざ、出てきて、黙って眺めて、ぷいと別の部屋へ向かわれた)から、『ああ、そうだったのか!、復讐行為として、ここが紹介されたのだ。特に伊藤玄二郎が裏にいてね』と、考えました。ドクターは・・・・悪もので、テロリストで・・・・、と、ありとあらゆる讒言を事前に聞いていらっしゃったから、『どんな女なのだろう? どんな顔をしているのだろう』と興味を抱いて、一瞥をしにいらっしゃったのです。普通だったら、「あなたは、何が困っておられるのですか?」と、患者に対するお声がけがあるはずですが、全く無言で、プイと、いう感じだったので、それが分かったのです。
その二日後の8月2日に、中野皮膚科の奥様から、明瞭なるいじめ(48時間も前に、「調べておきますね」とおっしゃった、小さなプラスチック器具のお値段が、・・・まだわからない・・・という風を装って、ほかの患者が誰もいない待合室で、30分以上待たされた時に、これは、いじめだと、直感し)、数年前の疲れ切って帰ってきた時の主人の様子が、その日に、急に、コシノジュンコ批判の、私のブログに対する、コシノジュンコさんの、復讐である・・・・・と気がついたのですね。
そのあたりを5日の午前3時か、午前4時に書いているのです。で、ほとんどの方は、まだ、読んでいらっしゃらないと思います。それでそれがどんなに痛いものかをここに繰り返してコピペして置かせてください。
:::::::::皆様尿道に、チューブ(カテーテル)というものを通す際に、カテーテルの先端は硬いのだと、ごぞんじですか?。それは、ポリエルテルのチューブかなあ? ともかく、半透明の細いもので、2024年8月31日に、病院にいる主人から頼まれて、その日私が買ったもの(尿袋から、そこにたまっている尿を外へ出すためのチューブ)よりは細いものです。きっとそうです。
ただし医療器具だから、素人には、渡されません。診察に行くと、先生が、消毒棚から、それを取り出して、主人の尿道に差し込むものだと、思います。
しかし、皆様、尿道とは内臓の一部です。外に向かっていて、空気に触れることを歴史的に人類が獲得している器官ではない。父は、1986年に亡くなっているのですが、尿が出なくなったことが直接の原因です。しかし、当時は、尿道に、カテーテルを差し込んで、膀胱から、直接外へ尿を出すという技術はなかったと思います。⇒
で、妹夫妻と、いとこがお医者様に直接触れる、新薬の開発(医家向け、薬品の開発)に携わっていたので、いろいろ最新医療(1986年当時のそれです)を提案しました。お医者さま(主治医は、母のことを尊敬していました。それは、母が定期的に父を、自宅から、車いすで、10分の距離にある、川崎市立井田病院に連れていき、ちょっとでも、調子が悪いとみると、入院させ(父は、脳挫傷も患っていて、言葉がすでに出ませんでした)数値的に改善されると、また自宅へ連れて帰ると、言う形であり、それは、病人にとって、理想的な治療形態だったからです。
腹膜還流といって、12個の生理食塩水500cc入りガラス瓶が台の上にびっしりと置かれている器具(腹腔ないにたまっている悪い液体を生理食塩水と交換する装置)とか、透析の機械とかを個室に持ち込み、父がチューブだらけになって、寝ているという状況でした。チューブを差し込む穴って、時間がたつと、だめになるのです。肉が、ふにゃふにゃになって液が漏れるからでしょう。で、看護師さんは、新しい場所の血管を探って、切込みを入れるのです。で、血に染まったシーツは茶色でした。白いところを残さず、全面茶色でした。取り替えられないのです。チューブだらけの父を、動かすスペースはないからです。痛かっただろうにと、思いますが、すでに、目をつぶったきりで、何か、不満を訴えることはありませんでした。
でも、それほどの、大装置を使っても、延命が効いたのは、たった一週間です。
⇒、今は、尿道に、直接カテーテルを通す人工的な医術が発明され、父の時代だったら、2017年中に死んでいたであろう、主人は、それ以降も、7年間も無事に生きています。ありがたい療法です。でもね。尿道には、皮膚がないのです。
皮膚とは、三種類の細胞が、40階段ぐらいに、詰まっている組織です。一方尿道の壁とは、柔らかいものでしょう。
ただ、豚の小腸は、ホルモンといって、人間が食べるときがあって、壁が厚いです。尿道とは、違いますが、それでも、・・・・それを、もし生で触ったら、煮たものとは違って、柔らかいだろうね・・・・と、理解できます。スーパーで売っているものは、生ではなくて、ゆでてあるものです。だから硬いけれど。
豚から人間の尿道カテーテルに戻ります。その直径ですが、尿道よりもあまりにも細かったら尿が漏れてシーツや衣服を汚しまいます。だから、ぎりぎりの大きさでできていると想像します。で、尿道壁を通って、差し込むのです。痛いでしょうね。
主人は愚痴を言いません。だけど、最初の診療日に、ものすごく疲れて帰ってきたので『痛いのを我慢をしたのだろうなあ。やはり、町医者は、下手なんだ。湘南鎌倉総合病院に戻りたいなあ』と、思いました。
が、何度も通ううちにそれほど、疲れては、帰ってこなくなったので、『あ、先生も主人の体の尿道にだいぶ慣れてくださったのかしら?』と思いました。
::::::::::ここで、挿入から、本日のブログ文へ戻ります。
ところでね、私は、2024年8月2日にそのこと===ドクターの奥様がいじめてきた===を知ってから、今日で3 4日間、主人の痛みの事を、心配しつづけて、悩みに悩んでいるわけです。爪の成長が、20本の内三本で、止まっています。根本が、ぐちゃぐちゃにへこんでいます。
どうしたものか? 本当はドクターと私が話し合って・・・・・医者としての本文として・・・・・どうか主人には苦しみを与えないでください・・・・・と頼むのがベストでしょうが、以前から、伊藤玄二郎から多大な悪口を聞いておられるのを、ひっくり返すのは無理でしょう。
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頭が痛いのですね。だけどみずほ銀行での、ひどい扱いが、私に、この件を書かせたのでした。それほどひどい扱いを、2024年9月4日の、午後1時35分から、3時40分までに受けたのです。本当に本当にひどい扱いでした。
それは、同じ様ないじめ行為が、始まっても、私が、「その裏側に気が付いていますよ」というサインを示したら、上品に、終着点を探して、常識の範囲で、収まる様に持って行っていた、
三菱銀行とか、横浜銀行の、鎌倉支店とか、大和証券の鎌倉支店とは、まるで、違う対応でした。これは支店長の部下への教育がなっていないという事と、支店長が私のブログを読んでいないという事と、
ロビー担当者の、今野さん(50代の女性で、時々、小林という名札を着装していると、記憶している。だから、今野が本名かどうかは、わからない)がボス志向で、「女を相手にするならだれにも負けないわよ」と、言う個人的な発想があり、
かつ、そこに付け込んでいる伊藤玄二郎か、鎌倉警察署の生活安全課の課長から、お茶のみ会等へ誘われていて、すっかり、私の事を悪人だと信じ込んでいるからでした。
ここまで、書いて「中断します」というお断りもせず、外出してしまいました。失礼をしました。今は、夜の7時です。
これから先を書く、時間は十分にあるのですが、何しろ、寝不足です。こういう状態で、批判ぶんをかくのはまずいです。寝かせてくださいませ。後で、加筆をします。
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