バイデン・岸田会談が、設定されたのは、私のブログ
のせいである。そこに書いている、CIAエージェントが、警察を支配下において、その警察が、あれこれ(細かいが、私をやっつけてやろうとして)、工夫の限りを尽くして、いじめてきているケースについて、微に入り、細に入り、書こうとしている・・・・・ことを・・・・・・差し止めるために、政府という権威と、総理大臣という権威を使ったのだが、
日本の、現在の総理大臣・岸田氏に対しては、私が、総裁選の時から、「プルトニウムを使った詭弁が、ひどすぎる」と批判を開始しているので、岸田総理大臣だけを使ったのでは、威圧の役に立たないと考えられて、バイデン大統領も使って、
以下の様に言っているところだろう。「日米の最高権威が、二人がかりで、お前のブログを威圧するために、動くんだ。どうだ。我々の力は強いのだ。日米最高権威を、自分たちの、(使い)パシリにできるのだ。それほど、我々の力は、大きいのだ。だから、お前、ブログの書き方において、少しは遠慮しろよ」と、言うのが、伊藤玄二郎を代表とする、日本における、CIAえ-じぇんとたちの、思惑である。
読者の皆様は、「何を言っているんですか? 誇大妄想もひどいですね」と、お笑い召されるだろうが、私は別に気にしない。平成の八墓村事件以来、または、やまゆり園事件以来、警察の発表には、嘘が満載だと、思っているので、それを指摘しているが、私以外に、そういう論調を張っている人間がいないので、孤立無援であり、それには慣れているからだ。
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ところで、岸田総理大臣の、さらなる権威付けに利用をされているバイデン大統領について、述べたいことがある。
アメリカの大統領または、大統領候補なのだけれど、JFケネディ、ゴア副大統領、レディクリントン、トランプ大統領などは、CIAから、困ったやつだと、思われた人材であり、生き様というか、その生涯が、簡単ではない。
一方で、クリントン大統領とか、ブッシュジュニア大統領とか、オバマ大統領とか、は、明瞭に、CIAと、手を結んだ後に、選挙で選ばれたことに成っているので、米メディアの報道が、好意的である。
バイデン大統領は、むろん、CIA側の人である。しかし、私が、驚くのは、その行動力の高さだ。ほぼ、私と同い年で、しかも、テレビカメラの砲列にさらされていて、破綻をみせないでいる。死んでしまって議会に出てきていない代議士を探したと、言われていて、少々のボケが、確認されているが、その程度なら、今の政治姿勢は、お見事というしかない。いやあ、驚いた。もっと死に体の、大統領だろうと思ったが、思いがけない行動力と、決定力があるので、私は、その点には、敬意を払っている。
で、私が敬意を払っているからこそ、バイデン大統領を使うと、効果があると、伊藤玄二郎一派が考えたと、推察している。ただ、臨機応変にしても、そのスピードの速さには、驚かされるが?
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さて、私が、この件に気が付いたのは、午後零時の、NHKニュース内でだった。
もちろんのこと、今、上に書いている様なことにはすぐ気が付いたが、最近の私は、余裕を持っているので、すぐには、動かなかった。つまり、パソコンを開いて、NHKオンラインから、このニュースをコピペしておくと、言う様な作業をしておかなかった。または、テレビ画面をスマホで、撮影をしておくという様な作業をしなかった。
これは文末の青い⇒へ続いていきます。
そういうことは、一般の人には、関係がない。また、鎌倉警察署の生活安全課の課長(昔でいう公安だそうだが?)にも、意味が、伝わっていたかどうかはわからない。また、ご近所様にも正しく伝わっていたかどうかはわからない。しかし、四日の、夕方八幡宮様へ、出かけたところ、八幡宮様は、この件だけが原因ではないと、思うが、ものすごいレベルで、防衛をなっておられた。
まず、手水鉢が、赤白の天幕で、隠されていた。手水鉢がどこにあるかを、昔から、知っている人間・・・・例えば、私・・・・・などには、そこに到達できる、二つの出入り口があったものの、一般参拝客は、特に若い人は、まったく気が付かず、通り過ぎている模様だった。
これは、手水鉢のそばで、上級神官・龍村さん・と、工務所の所長・とうまさん・が、2019年4月27日に、私より安野智紗夫人を上に置いた場所なのだ。安野智紗夫人というのは、多くの謀略的殺人事件で、やっと守られている悪魔の様な女性である。それらの事件は、表向きの犯人は、保美死刑囚にしろ、山田浩二死刑囚にしろ、植松聖死刑囚にしろ、逮捕されて死刑判決が下っているが、実際の殺人集団は、警察庁に飼われている特別な任務遂行の人間たちである。下にある同じ色の、⇒へ、⇒ ⇒ ⇒続く。
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ごく最近のそれは、飯能市で、起こされた、ビショップさん一家殺害事件だが、これは、ビショップさん一家は、殺されていないはずだ。保美死刑囚と、山田浩二死刑囚の場合は、裏社会人間たちが、実際に人を殺している。しかし、植松聖とか、青葉真司は、大量殺人を、本当は、犯していない。
で、私の言っていることが正しいので、どんどん、私のブログ対応風に、謀略事件も変わってきていて、都立大学教授傷害事件では、犯人は、まだ、見つかっていないことに成っている。そして、飯能事件では、犯人は、すぐ見つかったのだが、緘黙していて、しかも、やっていないと、言い始めている。緘黙をする様に、命令をされていたが、取調室の、一種の心理的拷問に耐えきれなくなって、やっていないと、言い始めたのだろう。と、なると、斎藤淳容疑者は、本当に死刑執行で、殺されるかもしれない。かわいそうに。
私はひそかに、斎藤勇、東大名誉教授(東京女子大の学長にも就任、そして、ICUの、草創期にも活躍・・・・・しかし、1982年に当時27歳になっていた、孫に殺害をされた)の、子孫の一人ではないかと、思っている。いかにも学者風の顔貌で(クレッチマーが言う学者の典型像としては、少し面長ではあるが、40歳にして、すでに、禿げているに近い額の広さがあり)、かつ、父親が、行方知れずなどの、秘密を抱えている一家らしいので、そういう風に感じてしまうのだ。斉藤勇東大名誉教授には、お子さんがたくさんいる。したがって、孫世代、または、ひい孫世代も、数が多いはずなのだ。斎藤淳容疑者は、ひ孫世代だと、思われる。
で、彼が、犯人を引き受ける様に、リクルートをされたのは、ICU時代の知り合いが、父親を、まず説得し、その結果、彼が、ビショップさん殺しを引き受けたと、推察しているが・・・・・まあ、この部分は、見てきた様な嘘を言いの一種で、傍証付けも、確証もない話ではある。ただし、ビショップさん一家が、殺されていないと、言うのは、確実な話である。
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ここで、何故、手水鉢が隠されたかを語りたい。実は、私のブログは、相当数の人が読んでいるのだ。私に知らされている数は、嘘で、その10倍、もしくは、100倍、もしくは、1000倍、もしくは、一万倍の数の人が読んでいるはずだ。というのも、開始3年目で、そう閲覧回数が、717万回を超えていた。その後、今は、開始後14年目に入る。単純計算をしても、そう閲覧回数は、2800万回を超えるのだった。
しかし、私が、このブログ内で、その717万回という数値を書いた途端に、32万回だと、言うウソの数値に落とされて、その後も、ずっと、嘘の数値が知らされている。それが嘘だと、わかる仕組みがあるけれど、皆様には、それは、開示しない。彼ら悪人たちに、その手法を、だめにされる可能性があるからだ。
だからこそ、「あ、あそこだ」と、一般人が指摘することを恐れて、八幡宮様の手水鉢が隠された。これはあれこれの謀略を考え出す伊藤玄二郎と、その裏にいる井上ひさしが、どれほどに、臆病なのかを、証明しているし、私のブログへの訪問者数が、実際には、莫大であることをも証明をしている。
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ところで、普段の年だったら、多数の若い男女の、警官が配置されているはずのお正月の鶴岡八幡宮境内だが、23-1-4の、18時ごろ、境内に、警官の姿が、一人も見つからなかった。これは、不思議だったが、前報(上にリンク先がある)で、警察が、どれほどのいじめ行為をしているかを、詳細に書こうと、決意をしていることに、やはり、一定の、評価を、CIA側が下していると、考えた。
で、私は、珍しい姿の、若い男性に、こういう質問をした。彼は、【鶴岡八幡宮】と襟に白く抜き染めをした漢字が入っている、綿入れめいた、半纏を着ていた。とても、かっこいいけれど、こんな人は今まで、見たことがない。湘南環工と、書いた作業服を着ている、男性が、お掃除をしているが、その会社から派遣をされている掃除人は、中年、または、定年退職後のサラリーマン風な太った人間が多くて、こんなにスリムでかっこいい、かつ、本藍染の綿入れ半纏を着ている青年など、見たことがなかった。高価であろう、こんな半纏を、数着、寸法を合わせて、作って、外部委託業者である、湘南環工の作業員に着せるはずもなかった。
で、私は、かれを、100%八幡宮様本雇の、社員だと、思いこんで、こういう質問をした。
「あそこでね、作業をしている白い袴の男性たちって、アルバイトですか?」と。すると、彼は「わかりません」と答えた。
私は、びっくりした。本雇の社員が、別の仕事をしている若い男性が、正社員であるか、アルバイトであるかを、知らないはずはないのだ。で、彼本人がアルバイトだと、仮定すると、鶴岡八幡宮がアルバイトに、こんなに高価な本藍染めの綿入れ半纏を着せるはずがない。で、「あ、警官の変装ですね」と、考えた。これは、20分後に私の考えの方が、正しかったと、証明されるのだが、その前に、白い袴の男性たちについての私見を述べたい。⇒ ⇒ ⇒ ここは、次の紫の⇒へ、続きます。
境内の中央に、舞殿がある。義経の大切な思いもの【静】が、ここで、頼朝の命により、舞ったという伝説のある舞台だ。
その舞台に、緋毛氈が敷いてあって、それを巻いている男女が、6~8名いたのだった。今、別のブラウザに移って、鶴岡八幡宮のホーム頁を開くと、4日には、【手斧はじめ式】があったと、書いてあった。大工さんや、工務店が参加する、お祭りだ。それの跡片付けだろうか? ともかく、絨毯形式の緋毛氈を巻いている男女がいたのだけれど、中に四人ぐらい、白い無地の袴をはいている人間がいたのだった。浅葱色の袴をはいている人が指導者で、白い袴をはいている青年たちは、指導者の言う通りに動いていた。来年、八幡宮に勤務することが決まっている大学生かなあ?』とは、思ったものの、今のところは、正式社員ではないと、私は、判断をした。
そのあとで、大階段を上がり、初詣をして、流鏑馬道に出ている屋台を観察した。『それらが、設置しているごみ袋に、汚れものが入っていないなあ。今さっき取り換えたのかしら? それとも、参拝客が少ないのですか? それとも、景気が悪いのですか?』などと思いながら、帰途に就き、自宅へ上がる、志一稲荷への、道へ入っていった。
このお稲荷さんの鳥居を新設する案で、白井達雄夫妻の、企画書が回っていて、寄付金が募られていて、それに対して、私は、いろいろ政治的な意味で、文句があるのだけれど、ここでは今は、詳細には、触れないで、先へ進みたい。
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ところで、志一稲荷を過ぎると、道が、直角に二回曲がる。それで、下から登るときには、見通しが効かない。

そこに音もなく、白井夫人が表れた。これは、その夜、二度目だった。非常に大きな意味があると思いいたる。
すぐ彼女の目的は、思いいたった。上にリンク先を挙げている前報で、私は、植木鉢の怪と、言う文章を書いている。誰かが、我が家から、大量に植木鉢を盗んだ。早計300個以上はある植木鉢の中から、50個ぐらいを盗んで、厳密な分別収集制度のある、鎌倉市のごみステーションに、17日も前に、捨てた人がいるのだった。鎌倉市名義の警告ビラ(黄色のインクで印刷してあるもの)が、べたべたとはってあって、間違えた人が、17日間も、恥多いさらし者になるはずだった。
私は無論のこと、それを捨ててはいない。⇒、⇒、⇒へしかし、2016年4月主人が心筋梗塞で、入院した際に、我が家の東側の庭で、一件、1500円のお礼で、花輪夫人が紹介してくれて、大原光孝さんというご近所様が、古い食器戸棚を破壊をしに来てくれた。石段を、160段上がり降りするのが無理かもしれないと、思ったので、北久里浜に引っ越すことを考えて、そういう家具の始末をしたかったのだ。その時に彼が青く、鋭い視線を、クーラーの室外機の上に積み重ねてある、大量の、使っていない植木鉢に目を走らせた。
それより、ずっと前にオープンハウスをした時に、同じく、青く鋭い視線を大原光孝さんは、クロームメッキが光り輝くカトラリーに走らせた。それ以降、そのカトラリー群が、家の中を移動しまくったのだった。また、旧近代美術館が閉館するときに記念品として、銀座の伊東屋特製の゜鉛筆を販売した。通常は、赤、白、黒しか色がない鉛筆だが、その時だけ、美しいパステルカラーのものを販売したのだが、それが、この家から、何本か、行方不明になっている。
これは、美術館の閉館に関心のある人間でないと気が付かない、物品であり、酒井忠康氏、水沢勉氏、柄沢斉と、親しい大原光孝さんが、盗んだのではないかと、私は、考えた。
なお、このカトラリーだが、単純に盗まれただけではなくて、ブログで、盗まれたと書いたら、
上の様ないたずらをされて、返却をされてきた。
六本木の新国立美術館のショップで、買ってきた白と、黒だけで、そめられた、大判のハンカチが盗まれている。また、鎌倉駅のホームで出会った、私の「読者です」というご婦人に編んでもらった、白い毛糸の、抽象デザインのチュニック、これらが、盗まれている。私が、美しく見えるものが、すべて盗まれている。
ところで、大原光孝さんの奥様、恵美子さんだけど、兄が運営している病院の理事をしていると、推察され、お金持ちである。現在建て直した新しい家は、登記上は、奥様の、名義になっている。したがって、たとえ、それが高価な化粧品であろうとも、人が使いかけた、保湿ジェル(真っ赤で、透明なもの)を少しずつ家に持って帰ったり、パステルカラーの真珠状のおしろいを少しずつ、盗んでいくはずもない。病院経営者のお嬢様だから、衛生知識も高いであろうし、他人の指が突っ込まれた化粧品を盗んでいくはずもない。しかも、私が化粧品が盗まれたことに気が付いた時点ですでに、彼女は家出をしていた可能性がある。だから、彼女ではない。
ところが、実際には、そういう高価なお化粧品が盗まれている。しかも、盗んでいることが目立たない様に、少しずつ、少しずつ盗まれている。どうしてそういうことが可能かというと、私は、お化粧をしない人だからだ。旧・首相官邸の真裏に半官半民の翻訳センター=日本科学技術情報センター=という会社があって、そこで、化粧品の特許の翻訳を引き受けていた。したがって、化粧品の成分を熟知している。で、怖くて、皮膚には乗せないし、塗らない。したがって、高価な化粧品というのは、全部プレゼントである。だから、毎日ふたを開けるということをしない。娘の結婚式とか、息子の結婚式で、久しぶりにふたを開けてみて驚くのだった。
大原光孝さんというのは、柄沢斉との交流で、自分が特別偉くなった気分があるので、嫌がらせ行為の一つとして、記念品のパステルカラーの鉛筆を盗んだりする可能性があるが、化粧品をちびりちびりと、盗んでいくはずはない。
これは、自分が使いたいと、思っている女性が盗んでいると、考えた。すると、犯人を推理できる証拠に出くわしたのだった。
あれは、2016年主人が心筋梗塞で、入院している最中だった。我が家に安野智紗夫人の愛猫が、一階から入ってきたのだった。夜の12時近くだったが、我が家の猫さびちゃんが、私の、左側2.5mのところに置いてあるワインの木箱(布団を敷いて、猫ベッドにしていた)の中で、びくっとして、おきあがったので、すぐ異様な事態が発生したのを察して、二階から、一階に降りていくと、安野家の猫が、なめる様な瞳で、一階から二階を見上げていた。私が怒りをもって、とんとんと、階段を下りていくと、さすがに猫出口から出て行ったが、私が玄関ドアを開けて、外へ出ると、10m下の門の外まで、素早く逃げていて、そこまでは早くは追いかけられない私を道路から、見上げてニヤッと笑ったのだ。私は、80年間に五回ぐらいの一匹だけの猫を大切に大切に、育てた人間なので、猫の表情や、気持ちもわかるのだった。なんということだろう。私はびっくりして、自分宅の猫用の出入り口を閉ざし、室内にトイレを作り、安野家の猫が入ってこない様な工夫をした。ところが、安野智紗夫人は、我が家のカギを持っているのだった。
で、その後も入っていた可能性があり、我が家の階段に猫スプレーのにおいが、何度も、染みついていたのだった。我が家の猫さびちゃんは、手術をしてあるし、もともと、雌猫なので、スプレー(犬みたいに、横向きに、おしっこをかけて、においによって、自分のテリトリーであると、主張をする行為)はしない。そして、2002年に茅ケ崎の動物病院からもらってきて、病気一つしたこともないのに、主人が入院中、どんどん痩せて行って、
主人の隊員を見届けて安心したかの様に、死んでしまった。猫出入り口をつぶしていたのに、我が家の中で、追い回されたのだと、思う。ひどいストレスだっただろう。かわいそうに、命を懸けた脅かしを受け続けたのだった。
安野智紗夫人は、警察庁が、CIAの手下なので、合いかぎを警察から、もらっていると、推察している。
猫が死んだのは、8月4日だったが、どんなに悲しかったか、言うに言えない。下はお葬式の写真である。前の猫は、19歳まで生きたのに、こちらは、太って丸々としていて、健康だったのに、やせ細って、死んでしまった。あの猫が入ってこない様にと、猫出口をふさいだので、逃げる場所がないこの家の中で、合いかぎで、入って来た安野智紗夫人と、彼女の猫は我が家の中で、我が家の猫さびちゃんを追い詰め切ったのだ・・・・・と、思う。でないと健康な猫が、15歳で、急死するわけはないのだ。今の猫は長生きだから。


ともかくにして、泥棒の話がずっと続いてきたが、植木鉢が盗まれて、しかも、間違えた日にごみステーションに出された問題は、今までの、泥棒とは、相当に、意味が違う。それ以前の泥棒は、こちらが、被害を我慢するとか、主人と一緒には、外出をしないと、言う防衛策で、乗り切ってきた。しかし、植木鉢の怪は、えん罪を被るという新しい形なのだ。それは、ひどい話だった。それ以前にも、手袋が、毎年、右手だけ盗まれるとか、粉末形式のクレンザーの瓶に水が、充満して居たとか、本当に心の汚い、嫌がらせは続いていた。
上の赤い⇒から、ここへ続く⇒ ⇒ ⇒私は無論のこと、植木鉢ごみを間違った日には、捨ててはいない。しかし、2016年4月主人が心筋梗塞で、入院した際に、我が家の東側の庭で、一件、1500円のお礼で、花輪夫人が紹介してくれて、大原光孝さんというご近所様が、古い食器戸棚を破壊をしに来てくれた。石段を、160段上がり降りするのがこれからの主人には、無理かもしれないと、思ったので、北久里浜に引っ越すことを考えて、そういう古い家具の始末をしたかったのだ。その時に彼が青く、鋭い視線を、クーラーの室外機の上に積み重ねてある、大量の、使っていない植木鉢に向けて走らせた。
それより、ずっと前にオープンハウスをした時に、同じく、青く鋭い視線を、同じ人、大原光孝さんは、クロームメッキが光り輝くカトラリーに走らせた。それ以降、そのカトラリー群が、家の中を移動しまくったのだった。また、旧近代美術館が閉館するときに記念品として、銀座の伊東屋特製の゜鉛筆を販売した。通常は、赤、白、黒しか色がない鉛筆だが、その時だけ、美しいパステルカラーのものを販売したのだが、で、喜んで、13本を買った。それが、この家から、何本か、行方不明になっている。
なお、このカトラリーだが、単純に盗まれただけではなくて、ブログで、盗まれたと書いたら、
上の様ないたずらをされて、返却をされてきた。
また、六本木の新国立美術館のショップで、買ってきた白と、黒だけで、そめられた、大判のハンカチが盗まれている。
ところで、大原光孝さんの奥様恵美子さんだけど、兄が運営している病院の理事をしていると、推察され、お金持ちである。現在建て直した新しい家は、登記上は、100%奥様の、名義になっている。したがって、たとえ、それが高価な化粧品であろうとも、人が使いかけた、保湿ジェル(真っ赤で、透明なもの)を少しずつ家に持って帰ったり、パステルカラーの真珠状のおしろいを少しずつ、盗んでいくはずもない。病院経営者のお嬢様だから、衛生知識も高いであろうし、他人の指が突っ込まれた化粧品を盗んでいくはずもない。
ところが、実際には、そういう高価なお化粧品が盗まれている。しかも、盗んでいることが目立たない様に、少しずつ、少しずつ盗まれている。どうしてそういうことが可能かというと、私は、お化粧をしない人だからだ。旧官邸の真裏に半官半民の翻訳センター=日本科学技術情報センターという会社があってそこで、化粧品の特許の翻訳を引き受けていた。したがって、化粧品の成分を熟知している。で、怖くて、皮膚には塗らない。したがって、高価な化粧品というのは、全部プレゼントである。だから、毎日ふたを開けるということをしない。娘の結婚式とか、息子の結婚式で、久しぶりにふたを開けてみて驚くのだった。
大原光孝さんというのは、柄沢斉との交流で、自分が特別偉くなった気分があるので、嫌がらせ行為の一つとして、記念品のパステルカラーの鉛筆を盗んだりする可能性があるが、化粧品をちびりちびりと、盗んでいくはずはない。
これらの化粧品は、自分が使いたいと考える女性が盗んでいくと、私は考えている。
猫の侵入の話を書いたのは、
鶴岡八幡宮様が、このお正月、手水鉢を紅白の幔幕で、隠しておられたので、かえって思い出したのだが、
上の緑色の⇒から、ここへ続く ⇒ ⇒ ⇒ 2020年4月27日に
鶴岡八幡宮の上級神官、龍村さんが、安野夫人を私の上に置いたときのこと(あと注4)を思い出したからだった。
私は、その時に、すっと何も言わず、踵を返して、手水鉢のそばから、離れて自宅へ帰った。龍村さんは、自分たちが勝った。警察に顔向けができると、思ったらしいが、私は正反対である。
なぜかは、ここでは繰り返さないが、申請であるべき神社が、合いかぎをもって、留守中の我が家に侵入をして、その方の猫によって、我が家の猫が追い詰められて死んでしまった・・・・・そういう女性を、私の上に置いたのだった。
今まで、私は、NHKが報道する様な、謀略事件に絡んでいる女性だから、そういう女性を、私の上に置くことは、数多い殺人事件と、鶴岡八幡宮様が同罪になるのですよ」と、言い続けてきた。しかし、NHKが、報道をしない様な、小さなケースでも年がら年中、合いかぎを使って侵入され、何かを盗まれる恐怖という苦しみを与えている女性を、
私の上に大木になったのだ。これは、NHKが、報道をする様なケースではないので、私は、書きにくくて、書きにくくて、今までただ、ただ、我慢をして、いた。しかし、紅白の幔幕で、手水鉢を隠しておられたので、
少しは、理解が進む、方向に向かわれたのかと、推察して、本日は、ここまでを語る。やっとだけど。
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さて、もう一度白井夫人が、音もなく目の前に現れた話をしよう。つまり赤い⇒の続き、その二回目となる。
なぜ、彼女が、音もなく表れたかというと、トップに置いたリンク先(前報)で、彼女が、違法な日に捨てられた植木鉢が入っているごみ袋を山の上まで、持ち上げて、臨時の町内会を開いて、だれが捨てたかを検討したと、言うところだ。
そこで、書いていることが、伊藤玄二郎らによると、白井夫人に対する悪口に当たるそうで、これは、すぐさま復讐をしておいた方がいいと、言うことに成ったと、推察される。でないと、彼女(=私)はどんどん先へ進み、結局は伊藤玄二郎達の悪辣さにまで、言及することに成るために、・・・・自分たちを守るために・・・・・白井夫人に対して、即座に復讐をしなさいと、命令をしたと考えられる。
彼女の復讐行為とは何かというと、すれ違う際に挨拶を向こうからはしないと、言う形だと推察している。そんなことは、すぐに分かるので、こちらも挨拶なしで、彼女の傍をすり抜けた。
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しかし、問題は、この夕方、同じことを、二度も彼女がやったという形なのだ。一度目は、主人との家庭内会話が、彼女の家にも、通じている可能性を感じるし、(しかし、安野家に通じているのを、安野夫人が白井夫人に告げたのかもしれないし、白井夫人は、すでに、警察と直通で、それを、教えて貰い、かつ命令を受けているのかもしれないし、
警察ではなくて、伊藤玄二郎と直通で、伊藤玄二郎から、「4日の夕方彼女は、生ごみを捨てに、山を下りるはずだから、そこを利用して復讐を遂げてくれ」と、頼まれている可能性も感じ取っている。
というのもトップに置いた、リンク先で、それを書いているが、反町の居住者が、サッシ類の掃除をしない人だったので、その掃除だけで、三か月かかっていて大変だが、物事にはフィフティフィフティの側面もあり、私は、80にして、急に掃除に熟練をしてきて、掃除が好きになり、お台所を中心として、鎌倉雪ノ下の家でも、深く、深く、掃除をやったと、書いている。その結果、濡れたぼろきれや、キッチンペーパーを含む、もえるごみが大量に出たのだった。
鎌倉雪ノ下での燃えるゴミを出す年頭の最初の日は、5日(木)である。しかし、大袋40リットルが二つ、中袋20リットルが、一つ、小袋10リットルが、一つと、四つの有料ごみ袋があり、ゴミ出しを自分からやってくれる主人に任せるのは、危ないと、思った。心筋梗塞後の体だし、最近、特に痩せてきているので、心配である。で、彼に、「私は、4日はね、北久里浜にも反町にも、手当にはいかないわ。ごみを出さないといけないから」と告げてある。そのふたつの家に、掃除に行くと、結局は泊まってくることに成り、生ごみを廃棄する仕事を主人に全面的に任せることに成り、それが、彼の体にとって、危険だから、私は、外泊をしないスケデュールを選んだ。
この山の住民が自ら決めたルールだけど、ごみステーションにごみを出すのは、夕方の6時以降と決まっている。で、「6時以降、彼女を狙って、復讐をしてください」と、頼まれていただろう。主人が黙って、ごみを捨てに行ったので帰って来た彼に、「何を捨てたの?」と質問をすると、40リットルの大袋、一つと、答えたので、「じゃあ、残りは、私が今捨ててくるわ」と、自宅で、主人に告げた。すると、門のところで、目の前、5mの位置で、山を下っていく白井夫人を見かけたのだった。で、ああ、そういうことですか』と、すぐさま裏がわかったので、引っかからなかった。
しかし、彼女が持っているスマホなどの盗聴を通じて、私がわなには、引っかからなかったことを知った、敵さんたちは、もう一回、復讐のチャンスを白井夫人に与えようと考えたのだった。それが、志一稲荷のそばを音もなく、すれ違って降りていく白井夫人の姿で、読めた。ここで、上においている紫の⇒ ⇒ ⇒が生きてくる。
つまり、舞殿の傍で、本藍染めの綿入れ半纏を着て、掃除をしていた青年は、警官の偽装だったのだ。で、彼は無論、髪を染めていない現在の私の顔を、知っており、私の歩く範囲を逐一、上司に知らせ、上司は、それを白井夫人に逐一知らせていたので、白井夫人は、タイミングよく二度目の復讐を狙って、山を下りてきたのだった。だが、私は、何とも感じなかった。白井夫人は、家を建築中から、性格がとても悪いということがわかっていた。この場合の、性格とは、親が作るものを指す。親が、適切な時期に適切な量の愛情を与えて育てた、人間は、だいたい、性格が良いい人として、育ちあがる。白井夫人は、何一つ不自由ない家庭に育ったと、見えるが、親側になあんらかの問題があったということがわかる女性だ。だから、子供に近い年齢なのにかわいいと、思ったことがない。で、そういう人から、無礼な仕打ちを受けても、あまり、心に響かない。それに東大卒なのに、私のブログが理解できていない。私は、常日頃、「小細工は、嫌いです」と、言い続けている。それなのに、二度も同じことをする何って、「あなたって、あほ、ちゃうの?」と言いたくなる。
私が今書いていることは、警察が、何をやっているかの解説だ。で、ここまで、書くのに、14時間かかっている。
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ここで、やっと冒頭に戻る。⇒ ⇒ ⇒冒頭の岸田・バイデン会談に戻ります。
もちろんのこと、今、上に書いている様なこと====岸田・バイデン会談が、13日に設定された、本当の意味====にはすぐ気が付いたが、最近の私は、余裕を持っているので、すぐには、動かなかった。つまり、パソコンを開いて、NHKオンラインから、このニュースをコピペしておくと、言う様な作業をしておかなかった。
で、彼ら、鎌倉エージェントの、トップクラスの人間は、岸田・バイデン会談が、急に設定をされた裏側を、私が正しく見破っていることに気が付いて、すこし、バリエーションを加えてきた。
つまり、岸田総理大臣は、ワシントンだけを訪問するのではなくて、ほかに、四か国も訪問をするという形にもっていった。この外遊は、正式で、重要な、旅であるという風に変えてきたのだった。
一国の総理大臣が、海外の国を訪問するということは、税金を多大に使うということだ。お土産一つを考えても、大金を使うと、言うことに成る。それを議会に諮らずに、決めてしまうとは、岸田総理大臣の独善性とか、独裁性を改めて、感じている。