この文章ですが、初期の総タイトルは、【ブランクーシ展で心が洗浄されたのに、婦人公論の目次と、隈研吾氏の槙文彦氏への追悼文を朝日で読み吐きそうになる】でしたが、またまた、そこまでは、書けないので、変更をします。
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今日、14日は、遅く帰って来て夜の11時から、新聞を読み始めました。NHKニュースは、二十年以上、激しく私を攻撃をしてきます。しかし、去年の11月から、絶対にそれに動かされない様にして、ブログを書くことに心を決めました。ずっと、ブログに集中しています。た問えば後註1としてここに置くNHKニュースは、私の反町の一階に住む、豊郷伊藤夫婦が、厚生年金をもらっているのにもかかわらず、生活保護費をもらっていて、月に50万円以上の生活費で暮らしているのですが、あまりに無礼なことばかりするので、厚生年金の、彼らの受給額を知りたいと思っています。その私を狙ってからかって来ているニュースなのです。
後註1,
しかし、これが、NHKで、放映された当日は、何も触れませんでしたね。
副題1、『京橋で、ブランクーシ展を見てきました。それは、美術館の企画展としては、珍しく、私を満足させたのです。で、気分は、爽快で帰宅をして、一時間程度、NHK1chのばんえい競馬とか、岩手の早池峰山のふもとでひとりで暮らす、高齢者の生活(=1987年に放映されたものの再放送)などを見ていたのでした』
この一文は、最初の総タイトルは、【いやだなあ。隈研吾氏・・・婦人公論にも嫌悪感・・・外部からの攻撃へ素早く対応する私…それ自体ひさしぶりなんだけど】としておりました。しかし、また、また、そこまで書けない見込みが出てきたので、総タイトルを変更します。
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実は、前報は、非常にシヴィアなものですから、責任はあります。本日は、ブログを書くことはせず、川喜多記念財団と、東和という会社について、調査をするつもりでした。ところが、きついきつい仕事である、前報を書いて朝6時に寝て、午後零時半に起きたものですから、生け花の水切りをしただけで、出立が、午後三時になり、鎌倉駅発の電車は、3時15分千葉行きです。『うわー、これでは、地下鉄に乗り換えて、麹町に行っても、5時までに到着できませんね』と判断をして、急遽、京橋のアーティゾン美術館へ、行き先を変更したのです。
これは、直接的には、ブログを書くことの役には、立ちません。でも、心身のリフレッシュには、なりました。で、間接的に、ブログを書くことを助けてくれたと判断をしました。ブランクーシ展の何が、私、および、他のお客さんを感動させていたかについては、また、別の機会に詳しく語りたいのですが、会場で、写真を撮ってもよいと書いてあったので、いろいろ、撮ってきました。それでね、ある作品など、思わず最近ハマっているNHKテレビドラマ【燕は戻ってこない】・・・・・の卵を思い起こさせるカタチでした。そのころ、ブランクーシが、追及した、本質的なカタチの一つが、【眠れるニューズII】
という作品に、結実していたのです。なお、この写真はトリミングなどの処理をすべきですが、今は、時間がないので、原JPEGを、そのまま、おいておきます。
ブランクーシは、むろんの事、他の形も追及していくのでしたが・・・・・ここでは、卵風の長楕円です。女性が寝ている姿から、頭部だけを抽出したものですが、それが、NHKドラマを思い出させました。
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副題2、『そういえば、【燕は戻ってこない】#6に、登場した、りりこさん(中村優子演じる)の、実家は、病院経営者だという設定になっています。富裕なので、主役、石橋静河を、「助けてあげられるわ」と、提案します。
石橋静河は、代理母になりながら、他の男と、実際のセックスをしてしまったので⇒・・・・・(精子の、生存日数が長いことを知らなかったゆえに、そうしてしまった)・・・・・DNA鑑定をされたら・・・・・そして、生まれてくるベイビーが依頼者の精子と自分の卵子の結合でなかったら、・・・・・⇒違約金を請求されるのではないかと、悩んで居ると、語ります。すると、「大丈夫よ。そのお金は、出してあげる。まず、私のアシスタントとして、働きなさい」と、提案してくれるのです。
ここですが、ご近所・住民、大原光孝さんの、今は、10年以上、家出をしている奥さん、恵美子さんと、条件が、そっくりです。
似ているところは、結婚制度に縛られない点。また、男性に対して、男性の嘘を見破り、覚醒をしている点。実家が病院経営者であり、富裕だという事。二人とも美大を出ていること。
違いは、中村優子(りりこ)はすでに成功した画家であり、画業で、生きていること。恵美子さんの方は、今は、独身で、人に教える仕事を、している可能性はあるが、その技術内容は、フランス語であり、絵ではないこと。まあ、これは、偶然だとは、思いますが、蛇の道は蛇で、私の文章が桐野さんに、伝わっている可能性も感じています。あさどらスカーレットの主人公の名前は、喜美子で、他殺として、殺された私に実妹と同じです。妹の葬儀の際に、骨盤が、重量車両に、轢き殺されて一切の形が、残っていないのを確かめた後で、
(それは、自分が暗殺される際の手法として、妹の死の前に、このブログで書いたアイデアを、そっくりそのまま、利用をされてしまったのでした)
西葛西の埋め立て地、清新町の 東京都の分譲住宅、14階建てのマンションに行ってみたのです。そこから、飛び降り自殺をしたと電話で、夫である、柏木孝司から、いわれたからです。が、14階建ての建物とされているそのマンション群では、14階には入れないことがわかりました。および、何棟もあるそれらに、飛び降り自殺があった形跡は、一切ないこと、その団地の町内会は、夏祭りの準備会合中で、事件の影は微塵もないこと。普通の住民にも、あたったが、そんなことは知らないと言われた事。建物の周囲の、植え込み、などに損傷の後は、一切ないこと、自転車置き場の屋根等にも損傷は、一切ないこと。
それを何日も現地に行って確かめたうえで、夫である、柏木孝司に、西葛西駅周辺で、「食事を一緒にしたい」と言ったら、断られた事。葬儀、四日目で、死者の姉が、わざわざ、現場まで、来ているのに会うのを断るのは、嘘がばれることを恐れてであろう。と、私が考えたこと。
彼と妹は、夫婦ともに千葉大薬学部卒で、医家向け製薬会社・鳥居薬品に勤務していた上に、自分たちで、一戸賃貸マンションを所有している(結婚後二度目に住んだ家を、賃貸に出している。西葛西駅そば)うえに、
父から、賃貸用のマンション(日吉町、一丁目)及び、八街市の土地、100坪を1987年に相続し、
八街の方を10戸のワンルームマンションにして、しかも、ワンルームマンションが飽和状態になると、売り抜けて、大金を得たのです。父は、彼女たち一家が、庭付き一戸建てを建てるために八街の土地を買って与えたのですが、妹夫婦の一人娘は、渋谷幕張・在学中に知り合った同級生と結婚し、そのお婿さんが、これまた、富裕である(セガサミー創業者の甥です)ために、一戸建ての家を作る必要がなくて、その清新町に建つ、110平米のマンションで、一章を終えるつもりだったらしいです。その低層階マンションは、彼が、妹が飛び降りたと、電話内で、言った、14階建てのマンション群より、ずっと、駅に近いので、駅まで、徒歩10分圏内であるのに、出てこなかったのです。夕食は、カロリーメートで済ますそうです。その低層住宅ごは、四階建てで、110平米以上ある。30年以上前に、100平米以上のマンションとは、相当に豪華なものであり、妹は、昔の山の手は、今は、川の手と言って、こちらが上なのよと、自慢していました。
夫の柏木孝司は、共産党員であり、こちらのご近所様、前田祝一・清子夫妻とも、また、井上ひさしとも面識があり、その指導の下に・・・・原発に反対している私を陥れるべく、綿密にアイデアを練っていたのです。
前田祝一と、清子さんは、・・・・・義弟に裏切られていても気が付かないでいる馬鹿め?・・・・・と、私をあざ笑っていたでしょう。それは、わかっていましたが、共産党の、真実の姿(=警察とともに、CIAの家来として、その一翼を担っている)を一般人がまだ、理解していないので、誤解を恐れて書けないでいたのです。
柏木孝司は、夕食を「カロリーメートで済ませます」というように、父親が長期にわたって愛人の元で暮らしていて、母親が保険の勧誘員をして三人の子供を育てたみたいで、非常に貧乏な育ちらしいのです。でも、妹は、両親にかわいがられていた私に激しい嫉妬心があるらしくて、自分の悩み事は、私には一切打ち明けないい人でした。
それなのにです。殺される半年ぐらい前に、生涯で、初めて電話をよこして、三十分以上の長話で、悩みがあるというのです。お金がないとか、そのほか、事実と違う支離滅裂な話をしました。
その内容は、テレビで、放映をされ、大勢の人の批判を受けたとされる、あれとそっくりだったのです。私は、それを実際には見ていないのですが、石堂順子さんの外人記者クラブの会見が、そっくりだったでしょう。私が、ブログで使う語彙が、ちりばめられてはいるが、構文はめちゃくちゃであったと聞いています。私が北久里浜に泊まって、テレビを見られない日に報道があったのです。
それと同じ脚本が、妹にも当てはめられていたのです。どうせ、井上ひさしが楽しみながら書いた原稿でしょう。それを丸暗記して電話で語るのです。金融資産を、10億は持っているだろうに、「お金がない。だから心配でたまらない。自殺をしたいぐらいだ」とか。
これがおかしいのは、鳥居薬品を一時期やめていたのです。娘が結婚をして、しかも相手がお金持ちです。で、援助する必要がない。で、何の義務もなくなったので。
ところが、私が本を作り始めると、ここで、ヘッドハンティングが起こります。妹は、医家向け新薬の宣伝パンフレットを、鳥居薬品の学芸部で、作っていました。そのカラフルなパンフレットは、一種類作るごとに、150万円から、200万円、または、もっと、かかるものですが、それと同じ仕事を世界第三位の、広告会社、JWトンプソンから、出したい。各製薬会社の、パンフレットを、この会社で、作りたい。それで、あなたを使いたいと、ヘッドハンティングをされたのでした。
これは、2005年ごろの話で、
ここで、私も力尽きました。で、以下はメモ書きとします。なおこれは、声を大にして言っておきたいが、妹が、殺されたのは、やまゆり園事件一周忌直前で、私がまた、真実を書くと困るから最大の脅かし策として、妹が殺されたのでした。
妹のヘッドハンティングには、高校時代の、良き友人、小池玲子さん(世界第三位の広告会社、JWトンプソンの副社長だった。ダイヤモンド・デヴィアースの広告で、一世を風靡。
野々村泰彦日経新聞外信部記者として、ヨーロッパを取材、息子はハーヴァードへ入学。私とは、1962年のICUいち年めたった18人の英会話教室で、一緒だった。この二人が動いて、妹をヘッドハンティングし、妹に、有用な印刷物を作っているのに、お姉さんは、自分勝手な書物を作っていると威張らせた。
だから、妹が、私に悩み打ち明けるはずはない。その悩みは、後日、妹を殺して、自殺をしたことにする前段階の、ステップであり、電話は録音されて、アリと、あらゆるところに使われている。ご近所住民が、私を小ばかにするのも、その半年後、今度は、柏木孝司から、これも、生涯初めての長電話があり、・・・・・
「警察署に遺体が、保存をされており、僕は怖くて、シーツをめくることができなかったのですが、娘が看護師だから、シーツをめくって手で触って、骨盤が折れていると、言っていました」と、30分以上の長話で聞かされました。
この電話と、以前到着した妹、喜美子の電話を二つとも録音したものをセットで、
これですが、嘘がいっぱいです。遺体を見た時に、衣服の下の骨盤が、100%つぶれて一切なかったのです。姪が嘘を言ったというよりも、柏木孝司が嘘を言ったのです。警察に遺体があって見に行ったというのも、嘘の模様です。弟は、そういうことを一切聞いておらず、
また、姪と私との間が、遮断をされました。姪に、直接の問い合わせをすることを、私が行ったら嘘がばれて、大変だからでしょう。冤罪逮捕でもされたら姪を証人として呼びます。と書いたら、姪も学習を強いられて嘘を証言するのかしら。際限ない泥沼です。
さて、この録音を二つセットで聞かせるという案ですが、実際に実行をされているとみています。隈研吾氏、栗田玲子さん、角野栄子さん、養老先生ご夫妻、それから、ご近所人間、ほとんどが聞いていると思いますよ。原皮膚科の先生や医療スタッフだって、聞いているかもしれません。
そして、NHKはノースライトをドラマ化しました。これは、北村一樹演じる父親が、自殺したのか、事故死したのかを、友人、西島秀俊が、探っていくというミステリーですが、私は孫が、「大大叔母が、自殺したという形で、あの二つの録音が、就活と、婚活に利用されるのではないかと、恐れていたのをえぐってきているのです。
まさしく、それをするつもりでしょう。でね。それをなかなか、書けない(誤解を恐れるので)ので、そのすきに、(まあ、35年もまえからはじまっているのですが)
おなり中学の通信簿に、1と、2しかないので、有名なお子様だった安野家の次男殿が、どしてだか、国立大学の付属高校にご入学あそばされて、いつの間にか海上保安庁勤務になった話とか、平木家のご長男が、保美死刑囚の事件の時に、安野家を助けた恩賞として、その7年後、東大へ、推薦入学が決まり、喜び勇んで、ショパンの英雄を大音量で弾いているので、何の懸念もなくタイトルを聞いたとたんに、音量がゼロとなったケースで、なるほど、これも、CIAのサポートですねと、わかったうえで、
日大農獣医学部卒業時には、どこへ就職したかは知りませんが、一時期は朝日新聞専売書を、経営していたはずの前田家の長男が、いつの間にか、朝日新聞の正社員になっている話とかを対論として書くわけです。それを誹謗中傷として私を逮捕してしまおうというのが、彼らの次の差k某です。それを一般国民に納得をさせるために、竹内結子と、三浦春馬を殺しました。二人とも誹謗中傷に悩んで、自殺したとなっていますが、違いますよ。
伊藤玄二郎と井上ひさし(まだ生きていますよ)と、警察庁は、少しでも、私が新しい真実を語ると、すぐ、誰かを殺して、つじつまを合わせようとします。そして、ご近所人間が、一一、動くので、すべての真実がわかります。
でね、妹の他殺は安倍晋三殺しと極めて似ています。鎌倉エージェントの、井上ひさしと、伊藤玄二郎は、育ちがよくて上に対して従順な人間を利用しまくります。最終的な利用方法として、その死を利用するのです。山上哲也は、利用された人間の、もう一方の存在で、千葉景子さんが、伯父をリクルートをしたのだと思います。
まあ、ここで、なぜ、こういう嫌なことを書くか、私の意図を簡単に書きます。
それは、ここに記録をしておくと、神様が、必ず、罰してくださるからです。神様って、私にとっては、万軍の味方です。
最近の例では、能登町の大地震、熊本の大水害、瓜南直子さんの死、特に私が、かのじょをすててから、たった六か月弱で、死にましたね。そして、その後の周辺の人々のみっともない自己愛の数々を人々からのネット投稿で、見つけ、その忌まわしさを指摘したら、急にそれらが一切消えました。
ともかく、執事・金田佑子と、夫・伴清一郎とは、最低・最悪の種類の人間です。芸大卒の美女と一種の共依存の関係になることで、舞い上がって、ちゃらちゃらして、結局は、神様から遠い所へ、直子さんをいざなったのです。これは、別のところで、詳細に書いているので、後で、リンク先でも、見つけておきましょう。
そして、2010年3月4日に倒壊した八幡宮の大イチョウです。これは、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康、松尾崇、角野栄子、竹部聡志などをお叱りになった点の懲罰です。ああ、浄智寺当主(というか管主というか)朝比奈恵温さんも含まれますね。
能登町の大地震は、以前、信州大学の学生が、祖父の家(空き家で、能登町にある)内で、女子高校生を殺し、自分は隣の穴水町で、自殺をしたというニュースがありました。これも井上ひさしとか、の、CIAエージェントが作り出した、80%は、嘘であろう謀略です。能登町の住人には、責任はないのですよ。だけど、天は、鎌倉で、こういうアイデアを出す、人々をお叱りになるために、地面が隆起するほどの大地震を起こしたのでした。
馳という元、プロレスラーですか? その人物は、即刻謝罪をして、辞任をすべきです。だって、東京にいたのに、「実家にいたですって」・・・・・実家って、普通は田舎を指すものであり、本当に東京が実家なら、石川県の知事に打って出ること自体が間違いなのです。テレビを利用して、有名人になったおちゃらけ人間の典型です。そして、鎌倉エージェントの代表格、井上ひさしも、テレビを利用して、有名人になったのだから、馳知事と同類項です。
大の里の、優勝ねえ。これも、日大出身の、尊富士を、休養させたから可能だった、半分は、作られた優勝ですよね。おかしいです。
熊本の大水害とは、小山薫堂が、人工的に作り出したくまモンの大宣伝がもたらしたと、推察しています。銀座【なびす画廊】(今は、閉店)で、発見した、東北芸工大出身の特に日本画家系統が優れていると書いた、私のエッセーに着目をして、小山薫堂を、私より上の人として、持ち上げ、持ち上げ、アカデミー賞まで、とらせた無理が、特にくまモンの生成に関して、天のお怒りを招いたのですよ。まあ、皆様が反発なさるのを承知で、書いています。でも、20年後は、小山薫堂は、消えているでしょう。それは、赤瀬川原平が消えているのと同じです。
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副題3、『わたくしは何日も現地に飛んで、調査したが、ある日(これは、三日目ぐらいのこと)、現地で、夜になってしまった。スマホは、もち歩かない主義なので(しかし、尾行がついていたと、確信するが)、清新町、住宅から出た後で、方向が分からなくなり、公園に入り込んでしまった。びっくりするほどの、樹木のある公園で、それに驚いたと書いている。これは、2017年の、7月ごろで、あるが、
ブログ化したのは、ずっと後であるので、今は見つけられない。
だが、妹が殺された意味は、分かる。また、目的もわかる。妹は、2017年7月10日に殺されたのだが、その前、2010年1月17日に、京橋の有名画廊のオーナー、山口みつ子さんが、これまた、殺されており、毎日新聞が、自殺と書いている。また、読売新聞は、ギャラリー山口の道路側から見た写真を載せ、暗喩的に、「画廊の中には、経済的困窮の為に、自殺をする人もいると、書いている。この記者が、いつか時期はわからないものの、周南市へUターンをした、保美死刑囚を取材しており、したがって、同じ人物が、2013年には、保美を説得して、五人の老人の惨殺しを、自分が行ったことにしなさいと、教唆した可能性が高い。
2010年には、川島女史(今は、閉鎖されている村松画廊のオーナー。多分、在日の出自があり、成岡康司君とか、井上ひさしと、直接関係を持ち、私を弾圧する様に、命令を受けていた人物)に取材をして、彼女の、山口みつ子さんへの嫉妬心をあおって、ある事ないこと、悪意を持て、読売新聞記者に、伝えていると思われる。
川島女史が、何を嫉妬していたかというと、みつ子さんの育ちの良さである。ある企業の社長令嬢という事で、いかにも明るかった。ただ、私と同い年なので、ボーヴォワールの【第二の性】とか、ロマンロランの、【魅せられたる魂】の影響を受けて、いて、女性も自立すべきだと、考えており、親が勧める、お見合いなどを蹴ってきた可能性が強い。でも、みつ子さんは、自分の計画が狂ったことを知り、少し、うつ病気味であったのは確かだが、絶対に自殺はしていない。
一月、14日に私は、画廊スタッフの白川さんから、以前、みつ子さんに、画家たちに配ってねと頼んでいた、著書四冊を美しい紙袋に入れて、「今度、画廊を閉鎖するので、これを配ることができなくなりました。大切なものだから、お返しします」と、みつ子さんからの伝言付きで返されている。それほど、気を使う人が、17日に、膨大な荷物を残して、自殺するはずがない。責任感は、しっかりと持っている人だ。
私の本…特に【黄色いさくらんぼ】は、その後アマゾンで、18000円(四六判、並装で256頁、定価は、1460円とつけているが600冊程度、ほぼ献呈のみである)で、2008年刊行以来、10年以上、出回っていたほど、面白いのだが(ごく最近の2024年まで、2000円程度で出回っていた)2010年は、それほど高い評価は、受けていなかった。ただし、それを配るなと、言ったのは、秋山裕徳太子か、野見山暁次氏のどちらかであろう。
みつ子さんの人生計画が狂ったというのは、野見山さんの、マネージャーとして、野見山さんをサポートする余生を考えていたのに、野見山さんが山口千里さんを秘書として雇ってしまいその夢が破れたことは、実際問題である。ただし、ここだけど、野見山さんが、千里さんを秘書に雇ったのは、千里さんと、私が、国展で、知り合い、お茶をしたり、電話で打ち明け話をするほど親しいのを盗聴して、わざと千里さんを秘書に雇いなさいと、勧められた可能性が高い。
私と、山口みつ子さんは、心胆照らしあう仲だった。だから、みつ子さんが、画廊をとじれば、しょっちゅう、お茶のみをしたり、お食事を一緒にして、結局、私が、格を上げることになる。みつ子さんが、持っている現代アート会の、知識を、画壇の連中とほとんど付き合っていない私が、身に着ければ、すでに、人気の高いライターであった、私の美術評論家としての、立場は、盤石になる。そして、美術作品の方も実際に見てくれている。そして、高く評価をしてくれていた。
ここで、私は、自分が、大物であることを嘆くのだった。で、2010年には、ここまでの話はしていない。しかし、奇魔々美術館の近藤実さんが、個人メールで、「山口みつ子さんが、自殺をしたと、告げてきたり、1月31日に予定をされていたしのぶ会(葬儀)が、千里さん連絡(実際は、野見山さんの命令)で、つぶれたり、4月9日に、急に井上ひさしが、自分を死んだことにしたのも、その流れの中で、私がすべての真実を知っていると、彼と、伊藤玄二郎がしったからだった。
ところで、山口みつ子さんが、一人暮らしだったことも災いした。彼女が返ってくる前に、我が家の合いかぎが作られて、上にあげた大原光孝家と、安野家に渡されている様に、山口みつ子さんのマンションの合いかぎなど、簡単に作ることができるので、1月17日に彼女が帰る前に侵入しておいて帰ってきた彼女を麻酔系の、薬で気絶させ、そのうえで、男二人、ないしは、男三人で、窓から突き落とせば、自殺したという形になります。でね。かれらの、本当の目的は、私にあったわけです。私をサポートする人としての、2月1日からの山口みつ子さんを消したいと、言うポイントにあったわけです。それだけは、なかなか書けませんでした。ところが、ついに書く日がやってきました。
それは、2017年の五月でした。その日まで、三回=6週間ほど、行っては、スカをつかまされていたギャルリー・東京・ユマニテに対して、100%、怒ったからです。そこは、2週間に一回展示替えをする画廊なので、二週間ごとに三回ほど、展示がないという形で行ったのが無駄になったのです。その当時、その画廊は、京橋、二丁目だったか一丁目だったかの飛び地にあったので、行くのがなかなか大変だったのです。2005年の一月など、そこへ行くために、鍛冶橋交差点そばで、転んで慈恵医大へ、救急車で、運ばれるほどの大けがを負ったのでした。
それ程、忠実に誠実に見続けてきた画廊なのに、その顔の大けがの12年後に、三回ほど、展示がない状態に付き合わされたのでした。私は激怒して、十束さんとは直接には、関係がない、しかし、CIAエージェントからのいじめであるという意味では、引っ越しを教えてくれないのも、同じなので、その時に、山口みつ子さんの死が自殺ではないという事を書いたのです。それからね。野見山さんが、莫大なお金を儲けて、しかも、名声が高いのは、それも、私を弾圧しているからですよ。
さて、本日は、あの時ほど、ユマニテに対して怒っていません。でも、私が頭がいいという事を証明するために、夜の7時半、交差点で、金成悠子さんに出会ったという話をしましょう。場所は、google の地図で、403と番号が振ってある交差点です。目の前、一メートルのところに立っている金成さんの耳たぶが真っ赤だったのです。夕日は、もう落ちていて、夕日が彼女の、耳たぶを赤くしているわけではありません。しかし、最初は、その意味には気が付かなかったのです。しかし、後ろから、「金成さん」って声をかけると、彼女がいつもとは、3cm縮んだみたいな、肉体的、はにかみを見せたのですよ。それでわかりました。爆裂な血流の、奔流が彼女の股の間で、起きたのでしょう。彼女は、つい20分前まで、まるで、16歳の乙女の様なかわいらしさで、自分を抱く男の腕の中で、震えていたのです。
こういう経験を踏まえると、傲岸不遜にふるまう金成悠子さんを、失笑してみていたというのもお分かりいただけると思います。地下にエレベーターで降りると、地下鉄京橋駅階段入り口で、監視をしているガードマン、また、ビル一階で監視をしているガードマンから、私がエレベーターで、地下一階に来る時間を計って、いそいそと、鍵を持って現れ、目の前で、他のテナントがいるのに、鍵を閉めるのでした。
まあ、いいでしょう。ただ、福島県、相馬市出身だと、聞いている金成悠子さんは、あの、3.11の惨事が起きて、いまだに、何も解決をしておらず。ただ、ただ、処理水という海水で、次の大爆発を起こすのを抑えている、・・・・・そして、そのために莫大な金銭が無駄に使われている、3.11を、起こしたウランを日本に、輸出し、莫大な利益を得ている、
アメリカの軍産共同体に、奉仕をしているのです。日本の警察って、そういう組織の家来ですから、金成悠子さんって、東北の出身のくせに、原発に反対している、私を排尿をさせないという拷問で、弾圧をしているというわけです。むろん、一階それをやられれば、私は、すぐ、原因もわかるから、ユマニテで、トイレを借りようなどとは思っていませんよ。でも何度も言いますが、ユマニテ、専用のトイレではないのです。。二丁目の地下一階に画廊があったころのお話ですが。
というわけで、ユマニテの、引っ越しを知らせないといういじめに激怒した、私は、その日を境に、一段と、ブログで、書く真実をアップしたのでした。
ところが、それが、2017年の五月のことで、
敵さんは、その二か月後に私の妹を殺してきたのです。夫である、柏木孝司を、味方に入れて。
この処理が、非常に複雑で、簡単にはかけません。
しかし、2024年6月14日に朝日新聞の朝刊を夜の11時に読んだ私は、隈研吾氏に激怒しました。隈研吾氏が、槙文彦さんの追悼文を書くですって。とんでもないです。
この私の怒りが、妹を殺されたその謀略の複雑さを書く決意をさせました。
ただし、すでに、次の日の午前七時です。入力するスピードが遅くなり、2012年ごろだったら、一気に三万字かけたのに、今は、半分もかけていません。いずれ書きます。今は、寝ます。