銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

私のブログが読みにくい場合は、コピペして、ワードで読んで下さい+ノーベル物理学賞が3人の日本人へ

2014-10-08 02:50:14 | 政治

*1)

 今、2014年の10月8日の、午前、3時です。ようやっと下にある、前報(後注1)を推敲しました。2014年10月7日にはノーベル物理学賞が発表をされました。だが、私には単純には喜べないものがありました。で、いろいろ考え込んだので、前報の推敲がめちゃめちゃに遅れたのです。後注1、 

本日、電車が50分も、遅延させられたので、瓜南直子さんとの、悲哀に満ちた2011年を思い出した△

しかし、せっかく、推敲をしたのに、テキストボックス内では正常に見えたワード機能が、アップ後のブログでは、めちゃくちゃにいじられていて、途中からインデントが、右揃えになったり、

 リンク先が見えなかったりする恐れがあります。一応直しましたが、こういう嫌がらせは、これが初めてではありません。で、やっている人間たちの一部については、その個人名さえ、書いてあるのに、なお、恥知らずで、やってきます。日本人が昔から涵養してきた、武士道精神などとはまるで、正反対の所業です。

 お読みになりにくい場合は、すべてを選択し、コピーをして、マイクロソフトのワードか、i-pad なら、メモか、スマホも、メモか? へ、ペーストしてからお読みいただけると読みやすくなります。

 ともかく、原始的な形に直してくださると、読みやすくなると思います。そういう妨害を受ける文章は、特別に出来が良いはずなので、お読みいただければ幸いです。

*2)

 ところで、原始的な形に直すと言えば、スタップ細胞の大さわぎを思い出します。ノーベル賞候補と言われながら、命を絶つという形で、この世から消えた笹井芳樹さんが気の毒でなりません。しかも、私は、笹井さんは他殺だと思う人間ですから、今回、物理学賞を得た三人の学者との比較で余計に気の毒でなりません。

 笹井さんが殺されたのは、氏が『真実を語りたい』と思い始めたからだと推察しています。真実とは、笹井さんは、小保方発見(または、スタップ細胞という)が、嘘の発見であると、知っていて噛んでいたと、私は睨んでいます。

 どうして、組み込まれたかというと、誰かが、笹井さんに、『これに協力しないと、ノーベル賞が、遠のきますよ』とでも耳元でささやいたのだと思います。または、少し違った形で、『少し、論文を手直し、してあげてください。そうすると、来年、または、再来年のノーベル賞は、笹井さんに決まりです』とか。

 そのほかにもノーベル賞というものが持つ、意味や、政治性も考えました。だが、それをここに開示するのはやめておきます。

 赤崎先生は嫌みのない方ですね。

 ところで、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2502469です。

              2014年10月8日、雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

 

 

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佐世保・同級生殺人事件の父、自殺という報道を受けて、実母の方を問う + 中園ミホの母子関係△

2014-10-05 21:16:58 | 政治

今、いろいろなことを書きかけ中であって、加筆やら推敲をしないといけないのですが、5日の夜7時ごろ、i-padを開いていた主人から、佐世保の同級生殺人事件の少女の父親が自殺したらしいと、言うことを聞きました。

 
  最初に写真の説明をさせてくださいませ。ちょっとクッションが汚れていて、それは、主婦としては、恥ずかしいのですが、緊急に見つかった写真はこれなので、これで、説明をさせていただきます。これは、90度右向きに回転させたものが正しいのですが、ともかく猫は絨毯の上に寝っ転がって、私を誘っています。目をつぶっていますが、それは、シャッターを切った瞬間だけ、たまたまそうなっていただけで、むろん起きているのです。何を誘っているかというと、「これから、ライオンごっこというゲームを、一緒に、しようね。お母さん」と言っているのです。私が突然に、といったタイミングで、お尻の方を持ち上げて、ひっくり返してやったりすると大喜びをして、ライオンになった如くに、とびかかってきます。で、興奮しきった彼女の爪が私の手の甲に、ささったりすると痛いので、その時に言葉で叱ります。で、手をわざと前に向けて半分に折っているでしょう。それは、「今夜は、お母さんのことを、爪では、ひっかかないと、約束するから、今からライオンごっこして、してー」、って、誘っているのです。猫だって、こういう風に、相手をしてもらいたいのです。ましてや人間の子供は、もっとたくさんのことを要求します。それに、答えてやらないといけません。
 
 それに答えなかったと推察できるのが、佐世保同級生殺害少女のお母さんです。わたくしは、以下の欄で、その部分を問題として一文を書いていきます。
 ただし、ここで、矛盾も矛盾したことを言いますが、私自身は、他人、とくにキャリアウーマンサイドで、私の生活をよく知っている方々からは、実質的なキャリアーウーマンだとみなされています。勤務先もないし、収入もないのですが、労働時間という意味では、そうだと思います。そして、別に上手な子育てをしたわけでもありません。だが、二人の子供は、今、普通の生活をしています。40過ぎて結婚をして子供を育てています。尚、私の母も家にいる人でしたが、実質的にはキャリアーウーマンでした。だからこそ、以下の様なことを言うのです。私はよく自分を専業主婦だと言いますが、お仕事をしている女性が、推察する典型的な専業主婦像とは、はるかに違った生活を送っております。ありていに言うと、この佐世保の加害少女の実母に近い形で生きてきました。ただ、組織に属していませんので、保育所に子供を預けることができません。それで、自分で育てましたが、まるで、わが家が保育所状態になり(それは、私がやさしくて、公明正大なお母さんだとみなされていたからですが)大勢のお子さんを我が子と一緒に育てました。そこで、分かったことがあって、基本的な善悪のしつけは、4歳ごろまでに母親が完成するべきであって、他人にはできないということです。
 それをやらないでも後で、修復することができますが、お子さん自身が、大きなマイナスポイントをしょって育ちあがります。そういうことを言っている書物や、評論家やメディアが、ほとんどないのです。
 それが、大問題です。その4歳ごろまでの善悪の判断も大切ですが、中三頃までは、人格形成にとても大切な時期であって、一見すると、自立している様に見えるが、まだ、まだ、親は目を離してはいけない時期なのだということもです。これも、言っている人が少ないか、皆無なので、声を高くして、申し述べている次第です。私は母親として、別に、遊んでいたわけではないのです。ただ、金もうけには結びつかない創作の仕事は、仕事として、世間や周囲に認められることが少ないというだけの話です。
 だから、私は専業主婦の立場から、一方的に、その東大卒といわれる加害少女の実母を貶しているわけではありません。両方の側を知っているうえで、彼女には、いろいろ、欠けているところがあったと言っているのです。日本社会では、父親の存在はそれほど、育児にとっては、大きくありません。ただ、夫婦関係が良いこともまた、育児には大切だから、そういう意味では、父親の存在は大切ですが、日常の些細なことは、主に母親の担当とみなされています。だから、母親のありかたが重要です。
 ちょっと、重要な弁解を、この写真についてだけでも、させていただくと、私はクッションの汚れなどには気が付かないほど、忙しい人だったのです。その忙しさこそ、現在の自分を生んでいる修業時代なのですから、それは、それで、自分は満足というか、納得をしているのですが、と、同時に、母となった限り、いろいろなことを並行してやっていかないといけないので、あまりにも外で(または、仕事で)力を使い果たすと、子供に、取って、必要な時間を割けないということとなります。それには、気が付いたし、それについては、修正の方向で、努力をしたので、そこの大切さを、言っているのです。

*1)

私は前にもそれをちらっと言っていると思いますが、この事件の最大の原因者は、前の奥様です。既に亡くなっていますが、長女の実母です。

その人が良くないです。基本を作っていません。それに、もしかしたら、愛情も注いでいません。

お父さんが後妻を家に入れて、少女の居場所がなくなって、ワンルームマンションに引っ越しをさせたのは無論いけません。だけど、普通に育ちあがっていて、普通に道徳観を持っていたら、ああいう事件は起こしません。彼女は普通には、育ちあがっていないのです。

洋服、おもちゃ、ケーキ、本などは与えられていたと思います。だけど、見守る注意とか、そのほか、心という分野で必要なものを与えられていません。

後妻もいけないですよ。また、素早く再婚をしてしまったお父さんもいけないです。だけど、最大にいけない人は、実のお母さんでした。亡くなっているので、死者に鞭打つことになるので、それは、きつく見えるでしょう。だけど、カッコウを繕っている場合ではないです。フェイスブックに投稿をしたりして、動きが派手だったためにひどく目立っているお父さんより、同級生の首を、ただ、殺してみたかったから、切り落としたという犯罪に対して、実質的に責任があるのは、亡くなった前の奥様です。

  2ちゃんねるなどでは、この加害少女をサイコパスと呼ぶ人が大勢いるみたいです。だが、私は遺伝的な要素よりも、このケースでは後天的な要素が大きくて、実母の心が、この子に対しては、むいていなかったということにも、大いなる原因があると思っています。だから、実母が育児の大切さに気が付いて、きちんとこの子に向き合って、育て直し(欠損部分を埋めていく育児のやり直しのこと)をしていれば、第一の犯罪(給食へ洗剤を混入した)は、仕方がなかったとしても、次の大犯罪は防げたと思うのです。だから、残念で、仕方がありません。

*2)

 どうして、前報や、前々報の加筆をやめて、急きょそちらに筆を移動したかというと、お父さんを責める一方のトレンドができるのではないかと危惧するからです。おとうさんは、自殺かもしれませんし、自殺を装った、他殺かもしれません。笹井芳樹さんの自殺(絶対に嘘であり、他殺です)の報道以来、私は、自殺、とくに有名人の自殺には、さらに、警戒心が強くなり、簡単には信じないこととしています。

 笹井さんも、死を選ぶタイミングが、変です。が、この少女の父、も、タイミングがおかしいです。マスメディアに注目され、叩かれた人ですが、世間はすでに、忘れようとしていたころですね。ほぼ、半年弱、経っています。笹井芳樹さんの方は、100%の謀殺であり、その理由についてはすでに述べています。こちらも自殺を装った他殺だと見ますが、その理由については、今は語りません。わたくしには正しい理由がわかっていますが、それを書いても読者の皆様が納得をなさるかどうかがわからないので、書きません。

*3)

 「後妻は、今どこにいるのだろう?」 これは、大勢の人が感じた疑問でしょう。事件直後の段階では、再婚した妻との間は、相当に、連携が利いているがごとくに見えました。それが、かえって不思議でした。後妻の家族は、どうして、「早く、家へ帰っていらっしゃい」と言わなかったのかしら? 普通なら、「そういうお子さんを育てた男なら、どこか、おかしいところがあるはずだから、早急に実家に帰っていらっしゃい」というはずです。

 でも、一部では慶応大学卒の美形でと、報道されており、夫と比べると、ひどく若いのだとも、いわれていた、その後妻さんは、今では、普通の気づきを得て、実家へ帰っているのではないでしょうか?

 遺体を発見したのは知人だと言われています。奥様が、一緒にいて、何も気が付かなかったということはおかしいので、一緒にはいなかったと考えるべきでしょう。この弁護士は、福岡市にもマンションを持っているそうですから、ひと目を避けて、若奥様は、そっちへ行っていた?

 いや、だれが考えても、東北にあるという実家に帰ったか、実家の援助で用意してもらった東京の仮寓先へ逃げているとみるべきでしょうね。実家は富豪だという話です。で、それは、それで、いいのです。わたくしが若奥様の母だったら、当然のこととして、それを許します。お父さんが自殺をした原因が、後妻が、自分から離れたことにあるのだとしたら、それは、お父さんが弱すぎるということとなります。そんな近未来は、誰にだって予測ができることなので、想定内出来事として、とらえ、生き抜いていかないとならないのです。他殺だったら、思いは残って、怨念も空中に漂っていると思いますが、もし自殺だったら、本当は、これ以降は、そっとしておいてあげればいいのです。「結局は、そういう選択をしたのですね。それが一番楽な道だったのですね」というしかないです。

 ただ、実母と娘の関係は、どうだったのかは、誰かが取材をして、ぜひ報道をしてほしいです。家政婦さんの証言とかをとって。

*4)

 お父さんと、先妻さんとの結びつきは、中学時代か、高校時代だったと思われます。 先妻は東大卒だそうですから、お見合いか、同級生同士、または、同じゼミ同士の結婚以外は考えられないのです。同じ学校の上下の関係でも結びつく場合もあります。だけど、これほど、早い再婚があったということは、先妻とお父さんの間に、大切な意味での、愛情の交流がまだ育っていなかったとみるべきでしょう。

 二人に、共通の、<偉くなるべきだ>とか、さらに<上流階級になるべきだ>という目標はあって、夫は高収入を上げる弁護士になる、妻は教育委員長になるという目標に向かって、まい進し、と、同時に豪邸を建てるという目標もあった模様です。それから、二人の子供を東大へ入れるという目標も。その豪邸ができた後でしょうね。少女が、洗剤を友達の給食に混入したのは。両親が大きな達成を果たして、共闘する目標を失ったころではないですか?

 ここで、また、安倍さんに帰ります。成果主義、達成主義は、決していいことではないのですよ。それは、人間生活から幸せ感を奪うものでもあるのです。日本人は、もっとすぐれた価値観を江戸時代にすでに、養成しています。どうして、たかだか、戦後67年間だけ、負けている国の価値観に、どっぷりつからないといけないのですか? 実力主義もいいところがあるでしょうが、女性にもっと働けというムードとか、トレンドを、国が旗振りして行ってはいけませんん。この国は滅亡します。

 だって、この東大卒のお母さんは、他人から見れば、理想的な職業形態で働いていた人ですよ。だけど、その内実はこんな無残なことだったのです。そして、被害者の命は絶対に、帰りません。

*5)

 この少女は四年前にすでに、洗剤を給食に入れるということを犯しているのですから、その前の、6年間も、お母さんは、心理的な面では放ったらかしだったとみられます。母と子の間に、ある程度以上の愛情の交流があれば、子供は道徳を守ります。小6で、すでに、道徳観の欠如がみられるのだから、お母さんとの間に愛情の交流がなかったと推察されます。

 お母さんは、犬の散歩をするので、それにはくっついて行っていたと、言われています。『だから、仲良しのはずで、お母さんはいい人でしょう』という判断が出ている様です。でもね。他人の目に見える場合は、演技をするケースもあるのです。

 ここでいう演技とは二人が協同をして演技をしているわけではなくて、お嬢さんにとって、母と唯一交流ができるのが、犬の散歩のときだけだったので、いつもくっついて行っていたのだと、私は見ています。<外に見える部分と内実が違う>という意味で演技と、言っているのであって、二人がある脚本の下に、協力して、行動をしていたわけではありません。

 犬の散歩に二人で出かけたことの、何が、本質かというと、その時間しか少女が母と心の交流をする時間がなかったのだと言う部分です。そう、私は見ています。母親の方は、いつも、心ここにあらずですが、犬の散歩中は、近所の人と出会う可能性があるので、普通の人と化していて、ハートが開いているので、少女はその時だけは、会話が成立するので、一緒にくっついていったと、私は考えています。

 これは、私と猫と園芸の関係を見ると、気が付いてきたことなのです。わたくしは五年ぐらい前までは、ものすごく忙しくて猫にせがまれてもなかなか、一緒に遊んでやることができませんでした。彼女が最も好きなのは、ライオンごっこというもので、両者が、ミニ・ライオンになって、戦うというものです。真夜中にウンチをするらしくて、そのあとで、喜びを爆発させながら、部屋や廊下で、7m程度の長さの、猛スピードの、ダッシュを7本ぐらい猫がやります。そのあとで、身体能力が高まり切っていて、目も、らんランとしているときに、ひょいととんでもない方向から突っついて、ひっくり返してやったりするのです。すると大喜びをするので、奇想天外なタイミングと、奇想天外な方向からひっくり返すことを、10分ぐらい続けてやるのです。非常に喜びます。全身を使って、かつ、最大限の運動ができるからでしょう。

 しかし、昼間はそれをやってあげる時間がほとんどありません。すると、別の方法を見つけるのです。それは会話ごっこというものです。ライオンごっこは絨毯の上でしかできません。だが、会話ごっこは、どこででもできます。で、私が園芸の仕事をやりに外へ出た瞬間に、そばに、飛んで出てきて、話しかけてきます。そして、長い時は会話が10分ぐらい続きます。十分に応じてやると満足して、家の中へ引っ込みます。

 その佐世保の家にはお手伝いさんがいたみたいなので、お母さんは家に帰ってからも、書類を広げて、ものを考えていたと推察されます。そして、お母さんは、「子供は、私がインテリの仕事をしていたら、きっとインテリの子供になるわ、東大へ入学できるでしょう」と考えていたと思います。今現在、70歳程度までの、お母さんは、その上の世代から、『親の背を見て子は育つ』ということわざを聞いて育ちあがり、それを信じている人が多いみたいです。が、これは、今は有効ではありません。今の子供は、ひどく愛情に飢えている子が多いのです。だから、背中を見せているだけではだめです。十分に遊んでやったり一緒にいてやることが必要です。

 今必要なのは、新しいトレンドを起こすことです。それは、子供は、もっと面倒を見て育てなければならないのだというトレンドです。また、安倍さんに反論をするけれど、国際会議まで開いて、女性に働け働けというのはひどく間違っています。無論、働きたい人は働けばいいのです。だが、そこから起きる弊害も、社会の共有財産として、広くシェアすべきです。だから、犯罪も研究されないといけません。だが、この事件も、実母についてはほとんど何も報道をされていません。というのも1960年代から70年代にかけてスポック博士の育児書というのが大流行をしました。わたくしもそれを買いました。そして、それに毒された一人なのですが、そこに書いてあるのは欧米風の、しかも中流の上の階級の子育てであって、夜はパーティに夫婦で出かけるために出来るだけ、手をかけないで、育てましょうという手法です。

 しかし、それは、日本人には合いません。もっと、手をかける必要があるのです。しかし、それは、親にとっては楽な甘い時期だけでは、ないですよ。反抗期というのがあって、親は振り回されます。第一反抗期、第二反抗期、そして、第三反抗期、または、40過ぎてからやっとそれが表れて、その時は親殺しだったなどというケースもあるでしょう。

 それも含めて、もっと丁寧に、目や心をかけないといけないのです。佐世保の事件が氷山の一角だとするとあれの、100分の1程度で問題のある子はいっぱいいると思う。

 また、特別な才能のある人は両立できるのでしょうから、そういう人は、今までもそうだった様に、これからもそうしていけばいい。だけど、「国民すべての妻、または、母が、働くべきだ」という流れにして、男たちの給料を低く抑えていくのは、とんでもない悪政です。だって、今でも、日本社会の若者の心が、育っていませんよ。それは、以前には、四年生大卒の高学歴のお母さん(特に偏差値の高い大学を卒業したお母さん)だけの話だったのが、これからは、すべてのお母さんが、働かないといけないということになるらしいです。そういうことになったら、本当に目も当てられない世の中となるでしょう。

 子供って、もっと目をかけ、手をかけ、会話をしていかないといけないのです。一緒にいる時間が必要なのです。教え込むとか、しかりつけるのではなくて、ただ、一緒にいる時間が必要なのです。

 そういう余裕ある時間を生み出すためには、仕事をせよ、仕事をせよだけでは駄目なのです。

~~~~~~~~~~~~~~~

*6)

 ところで、なぜ、ご長男はうまく育ったかの謎解きですが、それは、このお母さんも、男の子には、自然な愛情がわいたのだと思います。それで、自然に、必要なのものを与えたのでしょう。フロイトの言うエディプスコンプレックスは本当で、異性の母子関係は、うまく行きやすいのです。だが、同性の母子関係、特に母親と、娘とは悪くなりやすいので、母側は、気を付ける必要があります。特に見えない部分で不足したりします。

*7)

 中園ミホさんがNHKの朝イチに出演した時に、二つ、『おや、これは、見事ですね。花子とアンの脚本構成には、賛成できないところがいっぱいあったけれど』と、思ったポイントがあります。私は、民放のドラマはほとんど見ません。覚えているのは、『北の国から』と、第一期の、『金曜日の妻たちへ』ぐらいです。だから、彼女については、何も知らなかったのですが、その母子関係には、尊敬の念を抱きました。まず、実母との関係。それから、息子さんとの関係、両方、見事なものなのです。詳細には語られることのなかった、彼女の実母の、たたずまいも想像するだに、見事だし、ミホさんが、次の世代である、坊ちゃんに対して持っている態度とか、思いも、よいと思います。その二つには感心しました。

 詳しい姿は語られなかったものの、彼女の実母は相当な実力者で、愛情もいっぱいあった人だと思います。彼女の父君は彼女が10歳の時に病死とのこと。その後、再婚がなかったみたいなので、彼女の母君は当然のこと、働いていたと考えられます。で、上に私が言っている、必要な手数が、ミホさんに対しては、かけられなかったと思われます。

 だが、今、55歳の彼女は堂々たる人生を歩んでいます。才能が全開している状態です。

 それはね。10歳で、父が亡くなるまでは、母ぎみは、十分な愛情をもって、彼女と姉を育てたからだと推察されます。その母も、亡くなった19歳以降は荒れたとご自分で、おっしゃるが、軌道修正が、その後、ご自分だけで、できたのは、やはり、正しい育てられ方をしているからでしょう。姉君がいたのは特に、幸いだったでしょう。

 特に34歳で、未婚の母となった日のエピソードが秀逸です。それは、あまりに見事なものなので、創作の大切さという意味で、ここでは再録をいたしません。だけど、超、簡単に言うと、子育てへ向かう覚悟が、赤ちゃんを見た途端に、できたということです。そういう風な思考ができたという陰に、正しい愛情を注がれた過去があることをうかがわせました。

 迷ってもいいのです。若い時に、不良になってもいい。でも、どこかで軌道修正ができて、人間として、もっともよい生き方ができればいいのです。

 では、今日は短く、ここで、お別れをしましょう。誤変換が残っていると思いますが、日付と署名を入れます。

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2496734です。

   2014年10月5日から6日にかけてこれを書き、6日に推敲をする。

推敲が終わったので、恒例の△印を総タイトル右横につけておきます。         雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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ワーク米国防副長官が、尖閣については、米軍は日本の味方だと、言ったらしいが、遅すぎるでしょう

2014-10-04 20:31:50 | 政治

今、前報を点検し、推敲している最中に、また、余談というか、スピンオフへ入ってしまいました。と書いたのが、4日の夜のことで、今は、5日にすでに入っています。夜9時ですが、下の文章の加筆をさらに進めます。 

 最初に、尖閣諸島へ、中国艦船が出没することになった原因を示す写真を置きます。その詳細は、副題5でも、語りますが、ここでも、幾分かの説明をさせてください。真ん中にコンクリートで盛り上げた細い道が見えます。それは、中に我が家の崖の土を入れて、台形に盛り上げた通りにくい道です。この道を通る人がこの奥に二軒ほどありますが、通りにくいことこの上ない道です。   さて、1985年にわたくしは理不尽なやり方で土地を盗まれました。特に普通に暮らしているのに、家が崩れるかもしれないレベルで、東北の崖を、崩されてしまったのは、驚くべきことです。   その土を入れ込んだのが、この通りにくい道の中なのです。しかし、土の全量ではではありません。わたくしが気が付いて、びっくりして抗議を始めてからの残土です。それで、持ち主に無許可で行っている工事だという事が、初めて分かった土木業者が、慌てて、責任逃れに、ここに泥土をキープして保存をしたのです。何の役にも立ちませんが、アジサイ畑欺罔事件というものが、本当は、どういうものだったかを語る得難い証拠の一つです。

副題1、『タイミングから言って、あまりにも遅い、アメリカ側の、発言よ』

 それは、この2014年10月1日に、NHKニュースが報道をした、ワーク米国防副長官が、何かの講演会で、『米国は、尖閣諸島に中国が出没した際には、日米安保を守って、日本側に立つ』というニュースを語りたいと思いだしたからです。

 で、この章はそれを、問題としたいのです。特にその発表のタイミグがあまりにもずれていることを問題にしたいのです。それを前報の中に入れてもいいのですが、古い家の売り出しチラシの問題を、解説している文章の中に入れ込めるにしては、あまりにも異質なので、こちらへ、抜き出して置きます。

 ところで、中国艦船の尖閣への出動は、2012年から始まっていると思います。でも、アメリカは、一切無言でしたね。日本は、米軍基地の運営に際して、莫大な予算を使っているはずです。横須賀で、高級な新築の家は、米軍が、借り上げて使うそうですが、家賃は、18万円ももらえるそうです。それって、日本国民の税金で賄われているのですよ。

 しかし、やらずぶったくりで、アメリカは何もしてくれません。それなのに、安倍総理大臣は、また何か、米軍に自衛隊が協力するシステムを作り上げたらしい。恐ろしい総理大臣です。お声は美しく、敬語が正しく使えるし、英語も理解できて、使える、お坊ちゃま育ちです。だが、独断専行が目にあまる、超度級に、非民主主義的な、政治手法の、総理大臣です。野田元総理大臣は国連総会に出席した際に、イスラム圏で起きた半分戦争みたいな政治運動であった、『アラブの春』で、破壊されたイスラム圏での、インフラの再整備に、500億ドルを拠出すると約束をしました。

 しかし、安倍総理大臣は、(数か月前に言明されたのですが)、世銀に、5500億円拠出するそうです。むしりとられるお金の桁が、野田総理大臣の時代より、一桁多くなっています。私は、民主党政権の時代には自民党を応援をしておりました。だが、今愕然とするばかりです。あまりにも大きい、自民党内閣の変質と、安倍総理大臣の独断専行ぶりにです。

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副題2、『日米安保条約が、本当に機能をしているのなら、2010年の時点で、米国は、国防長官がホワイトハウスで、日本を守ると、記者たちに向かって言明をしなければならないのだ』

:::::::::::ここですが、期日が間違っておりました。尖閣問題は、すでに、2010年に始まっているのですね。すると、米国は、2010年にすでに、「日本を助けます」と言わないといけないのです。すると、それは、抑止力になって、中国が、つい先だってまで、尖閣に感染を出動させるという様な、不埒な行動を続けなかったはずです。公式には・・・・・しかし、裏があるのですが、::::::というところで、副題に乗せた期日の誤りという部分の説明を終わります。:::::::

 副題に書いた通りです。オバマ政権の国防大臣は途中で、交代しているはずです。今は元共和党議員である、ベトナム戦争経験者にして、苦労人の、チャックヘーゲル氏が、担当をしていると思いますが、その人は2013年の2月27日から就任していますので、その前のレオン・パネッタ長官がホワイトハウス詰の記者たちを前にして、堂々と、「中国に対抗をして、日本を守る」と言わないといけません。

 ともかく、中国の艦船が、最初に海上保安庁の船に、ぶつかってきたときに、即座にアメリカは、公式声明を出さないといけないのです。それがないので、アメリカの誠意は、信じられないものとなります。

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副題3、『どうして、アメリカは、尖閣問題で、日本を助けてこなかったのか? 答えはその攻撃が、アメリカの意思だったから』

 私はすでにあっちこっちで、それを書いているのですが、中国が、感染を尖閣諸島へ出没させるのは、裏で、アメリカから『そうする様に命令をされているからだ』と、見ています。アメリカを動かしているのは、日本人エージェントです。特に鎌倉エージェントと私が呼んでいる集団が、お願いをしているでしょう。

 具体的な個人名を上げれば、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康氏、石塚雅彦氏、・・・・・今では、それに加えて、安野忠彦氏、前田祝一氏・・・・・・などのことです。オスプレイ配備も似た様な動きと目的を持っている政治的な動きですが、両方とも、我が家のご近所住まいの安野夫妻と、前田夫妻を助けるために行われている政治的手段なのです。

 つまり、お互いに納得をした上での、遊びの攻撃にしかすぎません。だから、右翼的傾向が強い安倍内閣が、50回以上の尖閣諸島周辺への出没を許し、手をこまねいているのです。それが単なる遊びであって、重大な事態へは発展をしないことを知っているからです。で、何もしてくれないアメリカに対して、さらに尻尾を振っているのです。

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副題4、『安倍さんが、記者会見をしている最中に、後ろに、石川和子さんが、制作をしたのかもしれない大壺が置いてあったが?』

 小泉純一郎総理大臣は、自民党内に、地盤がない総理大臣でした。で、直接国民へ、訴えかけることで、自分の立場を強化しようとしていました。その手段の一つが、官邸で、記者団に対して、ぶら下がり取材というのを許すことです。で、一日に一回は必ず、時には数回、ぶら下がり取材に応じました。それは、赤いレンガ造りだった旧官邸での、事だったと思います。それに続く、安倍さん、鳩山さん、菅さん、野田さん、そして、安倍さんは、小泉さんほどの回数は、ぶら下がり取材には応じていないでしょう。または、ぶら下がり取材の結果が、NHKニュース内に載らないのかもしれません。ともかく、小泉さんの時よりは圧倒的に数が減っています。

 そして、撮影場所も、以前とは、違うところで行われていると推察します。新首相官邸が、できていますから。しかし、ある日、私は、テレビ画面を思わず注目しました。安倍さんの後ろに大きな壺が置いてあったからです。それは、鎌倉春秋社の入り口に、椅子の上に乗っていて、倒れそうに、不安定な形で置いてあったものとそっくりでした。鎌倉春秋社には、私は人生で二度しか入ったことがないのですが、一度目には、それは、置いてありませんでした。だが、二度目には置いてあって、私は自分が書いていることを否定するために、石川和子さんが偉い人なのだと、誇示するためにおいてあるのだと、感じました。だが、ちゃんとした壺用の台の上ではなくて、クッションのある椅子の上に置いてあるので、いかにも即製で、急に用意しましたと感じました。それは無論のこと、私のブログが関係している姿勢でしょうね。と思ったことです。

 彼女は伊藤玄二郎の推薦で、鎌倉市の複数の公民館に、陶芸教室を開いてもらって、教えるということで、伸びてきた人で、公募団体展とか、コンクールに作品を出品したことがありません。そのうえ、銀座等で、個展をしたこともありません。で、私は彼女から種々様々な迷惑を受けるたびに、日銭稼ぎおばさんのくせに、威張っている事・・・・・と内心で、軽蔑していました。

 というのも本当に、創作的な作品を、制作をしている人達の本音として、『ほかの部分でお金が稼げるのなら、生徒をとって、教えるのはまっぴらだ。特に私塾とか、おさらい教室という形で教えるのなどまっぴらだ』というのが、本音だからです。学校形式で、システムが確立している場所に勤めて、月給をもらう立場だと、まだ、ストレスが少ないのですが、シロガネーゼの延長として、お教室を開くのなど、まっぴらごめんです」というのが本音でしょう。頭の働かせ方としても全く別業でお金を稼いだ方が、楽だという気持ちもあります。ただし、おばさんや、おじさんという、種族の人を相手にしていたら、自分が上手に立てます。それが好きだったら、私塾は好きでしょう。で、石川和子さんは、先生と呼ばれる立場には、ついてから長い実績があるが、芸術家として実績がないと、私は見ていて、それを書いたこともあるのです。で、それに対する反論として、安倍総理大臣が官邸にそれを飾っているのだ。と言うことにしたら、一気に私の文章をぶっ潰せると伊藤玄二郎が考えて、あそこに置き、かつ、NHKテレビにそれが移る様に、手配をしているのでしょう。そして、それは、むろん、安倍さんの承知の上で、協力をされているとみています。なるほどねえ。そういう策もあったのか? というのが私の今の考えです。

 どうして安倍さんが、これほど、石川和子さんの見方をするかというと彼女は、私のねこのことで、警察を巻き込む大失敗をしているからです。また、そこから始まって、次から次へと、大勢の人に大迷惑をかけているので、彼女と、昔愛人であった、伊藤玄二郎は、私のブログを経居させたくて仕方がないのです。で、私を力で脅かせばノイローゼになって書けなくなるだろうと思うらしくて、その一助として、官邸に石川和子さんのツボを置いた可能性があります。

 でも、どうして、彼が、それほどの、影響力を安倍さんに対して、駆使できるかというと、彼が、現在の世界最高の権力者たる、国際的軍産共同体の頭脳部分(=CIA)のエージェントであるからです。その愛人として、信じがたいほどわがままであって、私のねこを間に挟んで、わが家に迷惑のかけっぱなしでかけていた女性ですが、それはどうも、猫を尺度として、自分たちが上であると、考えていたところがあるらしくて、その誤解が、上の写真で、左側にある出窓の下で、一気に崩れ去ります。

 たまたま、2005年8月の第4週の日曜日に猫が遊びに行ってしまったのですが、私の呼び声に猫が出てきてしまうと困ると思った柳沢昇が、大声で、私を脅かしたので、かえって、彼らの望みや思惑とは反対に、猫が、彼らを捨て、私と「一緒にお家へ帰ろう。お母さん」といったのが左側の出窓の下です。猫とは乱暴なこととか、大声とかは大っ嫌いですから。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『2013年8月に安倍総理大臣は、新・海上保安庁長官として、現場から採用して、その就任式さえ、NHKが放映したが、それは、むろんのこと、私の近所の安野夫妻を支援するのが、真の目的です』

 石川和子さんに、呼ばれた警官は、私がアジサイ畑欺罔事件のいきさつを話したら、驚き入っていました。誰が考えても現場を見て説明をければ、ひどい犯罪が行われたことがわかります。

 その犯罪とは、複雑怪奇なのですが、この山に住んでいる、石川和子さん、安野夫人、前田清子さんの三人の非常識な勝気さに最大の原因があります。それを嫌がった藤本夫人が、わが家と、藤本夫人の間の道路を、彼女たちに、通させない様にしようと試みたことから始まっていますから。

 その詳細は、ここでは繰り返しませんが、普通に考えると、どうあっても犯罪でしかないことが、堂々とまかり通り、かつ、反対に被害者のわたくしが損を重ねるということが大きなミステリーなのです。それをずっと説いている最中ですが、

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我が家の南の窓から東を見た風景

2014-10-04 02:48:04 | 政治

このブログは、ほかの文章に使う写真を、利用するためにいったんアップしただけです。後で、どういうことに利用するつもりだったかは書きます。

それは、

売り家チラシを悪利用され、私はこの雪ノ下の家という、虫取りゴケの、ドツボへ、誘い込まれたらしい。

2014-10-04 02:12:11 | 政治
 
という文章に使う予定があったからでした。そちらは、未完成です。お待ちいただきたく。
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売り家チラシを悪利用され、私はこの雪ノ下の家という、虫取りゴケの、ドツボへ、誘い込まれたらしい。

2014-10-04 02:12:11 | 政治

 今は、4日(土)の夜8時ですが、これから下の文章の推敲やら、加筆をしていきます。 

この一文も、ツィッター方式で書きぬけた順にアップしていき、総タイトルを変える可能性があります。最初の総タイトルは、『瀬島隆三が、30年前から、いじめを利用して暗殺しようとしていると、今は、分かるのだったー新稿』です。次に、『懐かしい、天然パーマだったおしゃれな関東法務局・横須賀支所・支所長さん』といたします。その次が今のものです。この文章は、最初の方は、2日に書いた副題8以下の部分をここへ移動させ、それを、副題1として、推敲しつつ書き進めます。

副題1、『今住んでいるところは、40年前から主婦たちが、争いあう修羅場だった。しかし、そこの売り家のチラシが、どうして北久里浜の郵便受けにに入ったのだろう?』

 2日の深夜のことです。頭が、疲労困憊していたので、2時間ぐらい単純極まりないPCゲーム、四川省をしました。その後で、お風呂に入っているうちに、ユーリーカ(わかったぞ)と気が付いたことがあります。わたくしが前に住んでいた横須賀の家のポストに、今住んでいる鎌倉の中古の売り家のチラシが何度も入ったのは、もしかしたら、自然なことではないと。それは、1980年代であり、パソコンも携帯もない時代で、家の売買は、チラシが、有力な手段だった時代です。

 しかし、鎌倉雪ノ下と、横須賀市、北久里浜の間には、ほぼ、20キロの懸隔があり、かつ間に、20万戸ぐらいの家があるはずです。本格的に売るとなると、西側、藤沢市側にもチラシを入れるだろうし、北側、戸塚区にも入れるでしょう。北久里浜までの距離を半径として、コンパスで円を描くと、50万枚以上のチラシを入れないとなりません。当時で、2680万円だったこの物件に対して、費用対効果があがるだろうか? 上がらないでしょうね。

 もっと狭い範囲で、ばらまくのが普通でしょう。それが普通なのだけれど、特別に我が家だけには、必ず、ここの売り物のチラシが入る様に、裏から手配をされていたのではないか?と、今、思い当たるのです。それが、2014年10月2日の夜、突然に、分かったことでした。それがわかった時に、『ユーリーカ(わかったぞ。真理が)』と、アルキメデスみたいに叫びたいほどでした。

 しかし、その真理は、私にとって、決して愉快なものではないのです。だって、1981年からいい様に、支配をされて来たのが突然に、分かったわけですから。だけど、私は今壮大なミステリーを解きつつあるのですから、少しでも謎が解けた方向へ向かったのは、よいことでした。
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副題2、『誰が、何の目的で、ここ、雪ノ下の売り家のちらしを、特別に、横須賀に住む私の家のポストへ、投げ入れ続けたか?』

 どういうことかというと、北久里浜の我が家の近所には、旧横須賀市の水道山があったのですが、それを瀬島隆三(元陸軍参謀)と、彼の親友、益山某(元海軍参謀)氏が、地籍変更届という書類を利用して私物化したのです。もちろん、お金を払わず・ただ・で、です。これは、どう考えても悪事ですが、表向きは悪事ではありません。だから、だれか、小才の利いた人が、このブログから得た知識を利用して、恐喝をしようとしても駄目です。それから、その水道山の跡地には、すでに、ルネ北久里浜(または、ソラヒルズ)という大マンションが、4棟建ち、


すでに、顧客に、売り渡してしまっているので、さらに、恐喝は無理です。

 その件ですが、私は巻き込まれたがゆえに、その狡さと、明瞭なる詐欺であることがわかってしまい、法務局や、財務局、そして、市役所に、問題を訴えましたが、どこも、書類の形式が整っていれば、それ以外の、真実とか、本質とかは問題にしないのだそうです。驚きますねえ。日本の役所の形式主義には。本当に驚きます。で、そういうことを問題にしているから、私がテロリストに擬せられるのだったら、これでは、私が神様に愛されるのも道理でしょう。だって、善悪が逆転していて、善の方が苦しんでいて損害を受け続けているなんて、理不尽極まりないことなのですから。

 ただ、その書類の形式を完璧なものとするためには、私の実印が必要で、それで、地籍変更届という一通しかない書類を手渡されたゆえに、私はその事件の全貌を知ることとなりました。彼らは、私が実際よりもっと、バカだろうと、考えてその一通しかない書類を手渡したのですが、私は、彼らが考えているよりもはるかに頭脳レベルが高いので、そこに添付されている測量図をみただけで、たちまちにして悪事を見破ってしまったのです。でも、瞬間的にも、変だということは、分かったけれど、それを傍証づけ、かつ、自分を守る方向へ動くのは大変でしたよ。一か月以上はかかり、法務局で、使ったお金は膨大なものでした。土地台帳の閲覧用、印紙代とか、謄本請求用印紙代とかで、法務局に行くたびに、当時のお金で、5000円以上は払いました。

 こういうところは、私の実家が裕福だったことが、何んとはない、サポートとなっているのです。その時点で、調査用の費用を出してもらったわけではありません。だけど、何んとはない形で、各種の援助を受けていたので、お金をバンバン使うことに、躊躇はありませんでした。普通のサラリーマン主婦だったらできなかったでしょう。私は、大切なこととか、必要なことに支出するためのお金には困ったことがない人なのです。貧乏だった時期もありますが、本当に必要な時には、お金を出すことができます。そこも神様に見守られているという点の一つかもしれません。
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副題3、『懐かしいなあ。天然か、人工かは、わからないものの、パーマをかけていたおしゃれな法務局の所長さんの姿』

 関東法務局横須賀出張所の所長だと思う、パーマをかけたおしゃれな中年紳士が、私を自分の机のそばに招いて、敬語で、『どうして、それほど、お金をお使いになるのですか? そろそろ調査はおやめになったらいかがですか?』と言ったり、しました。また、印紙を売るおばちゃんが、超という強さで、にらんできたりしました。それは、この詐欺を仕掛けてきている益山氏が、裏から手を回しているのだろうと思っていたので、気にしませんでした。むしろ、役所が悪人(常識から考えれば、盗人である)の見方をしているのを知り、その末端の手先として、私をにらんでくるおばちゃんをひどく軽蔑しました。

 それは、今も同じです。最近、西隣の小野寺夫人というひとが、さんざん利用されています。ちゃんと普通に付き合って居た時期もあるのですが、重要な時に、裏切ったりシカトしてきたりする人です。つまり、心理学的ないじめを、今最も先鋭に仕掛けてくる人なのです。その人が、この9月13日の町内会という悪辣な仕掛け(前田夫妻や、安野夫妻が主体として行って来た悪事をロンダリングしようとする仕組み)の前後に、特別に頻繁に、例の意味ありげな無視を、仕掛けてきたので、私は内心で、以下のように思いました。

 『おお、この人は東大卒だと思うのに、どうして、こういう風に、哲学的要素が駄目なのだろう。まあ、それでも、いいけれど。わたくしは、すでに、この、自分より20歳近く若い女性を、<愛さない>と決めたのだから、彼女がどう行動しようと、傷つかないのに、それに気が付かないで、いろいろ、やって来て下さること。でも、放っておこう。この人は、例のトカゲの脳味噌を持つ連中に支配されちゃって、こんなことをやっているのでしょう。ばかばかしいこと』と。

 しかし、その私が、2日の深夜にはいささか、動揺をしました。チラシの罠が、もし、私の推察通りだとすると、私は、30年間、いいように騙されてきたことになります。何をだまされたかというと、ここへの横須賀からの、引っ越しが自然なものではなかったという部分でです。ここへは、虫取りゴケの罠にかかる様に導入されたかもしれないのです。待っていたのは毒液ばかり。なるほど、そう考えると、ここで、私が被害ばかり受け続けるのにも、納得してき始めます。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『今日、語るチラシを使った罠は、なかなか、高度ですね。もし、私の推察通りなら』

 私はこの雪ノ下二丁目で、散々嫌がらせといじめを受けて来ました。で、それを、以前は・・・・・ここが、いわゆる、密室状態の場所だから、ブラック企業の飯場みたいなもので、いったん出来上がったヒステリー女性たちのヒエラルキーが、解消しないので、引き続き嫌な思いをしている・・・・・ととらえておりました。

 さらに、・・・・・・でも、自分は、ここの自然が気に入って、引っ越してきたのだ。彼女たちの悪さと、悪い性格は、哲学的研究に役立つから、転んでも、ただでは起きない私だ。その研究をしていこう。そして、いわゆる竹林の七賢として生きていこう。・・・・・と、考えておりました。でも、竹林はなくて、ブナやシイなどの、光葉樹林帯なのですけれど。(笑い)下の写真を見てください。樹木はいっぱいです。



 確かに東と、南の窓から、一軒の家も見えないという住宅は、現在の東京圏で、東京へ一時間とちょっとでいかれる場所では手に入らないと思います。で、プラス、マイナス、の両方を勘案して満足をしてきたのでした。
 ところが、ところがなのですが、それに入る前に、余談に入るのを許してください。 
~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『鶴岡八幡宮様は、木を伐りすぎです。それが、大きな衰運を招いています。八幡宮様、私のブログを読まないとだめですよ』

 この山の我が家へは、上の写真の左側から昇ってくる道一本しか進入路がありません。その道は、両側に、鶴岡八幡宮様の駐車場があります。バスではなくて、自家用車を止める場所ですが、二つあります。その真ん中に幅4mの道があって、その道には覆いかぶさる様に、美しい大樹が両側から茂っておりました。ところが、余談とは、その期が伐採されているということ語りたいという部分です。また、同じ伝で、その美しさをわたくしが文章に書いたものですから、その両側の樹木がほとんど、切られてしまい、稀有な、ニュアンスが、失われています。

 それこそ、私の文章に現れたことはすべて、消去していこうとする例の悪人たちの、常とう手段なのですが、人間の浅知恵に、天は怒って、それ以前はなかった落石が、最近、頻発をしています。樹木は自然に任せておけばいいのです。自然に、樹木自身が、枝を落としたりします。
 そちらの伐採は、鎌倉市がやったのか、それとも、八幡宮様がやったのか? 私は詳細を知りませんが、上の写真のすぐ左側の木も大量に枝払いなさったのです。それは、安野家の日当たりをさらによくしてあげるためでした。実質的にはそうなのですが、表向きには、防災無線が、よく聞こえる様にですって。『しかし、語るに落ちるとは、このことですね』と思ったのは、2014年の4月23日に我が家に来て、わが家側から八幡宮様が、大雪で折れた枝を切った日に、安野夫人が、勘違いをして、『どうして、我が家の方はきってくださらないのですか?』と、八幡宮様が雇った工務店に行ったことでした。その枝は、単に、大雪で、二月に折れたのですが、八幡宮様は、2か月も、放っておかれたのです。しかし、地上からは、15mで、しかも、木の立っている根本のすぐそばから、さらに、がけが下がっているので、ほぼ、20m近い高さですから、私たちに切れるはずもなく、放っておいたのですが、木を切る音がしたら、それは、個人を助けるものだと、すぐ思い込むほど、安野夫人へ、八幡宮様と市は、お金を出して、奉仕してあげたのですよ。何年か前に。

 尖閣諸島への中国艦船の出動は、安野家を、上昇させるためですから、どれほど、八幡宮様を私有化しているかがわかります。

 で、安野家が命令しているのではないかと思うほど、ごく最近も八幡宮様は木をお切りになりました。それは、例の9月13日の町内会へ向けて、行われた一種の恫喝だったと思っておりますが、その詳細は将来別稿を立てて語ります。
 ところで、鶴岡八幡宮様は、誰かの命令によって、樹木を伐採なさりすぎです。アメリカキササゲだけではなくて、ほかにも大量に樹木をお切りになっておられます。それは、音が出るので、私を脅かしたり仕事をさせないのに役立つと、例のエージェントたちが考えているから、命令教唆されておやりになっていると思いますが、最近も何か、おやりになっています。別の症で詳述します。

 
 
 
 
 
最初にチラシが入ったのが、1982年だったと記憶しているが?』
 
 ともかく、この山には、売り物件が多発しています。65年か、60年前に開発された住宅地ですが、車が入りません。それが欠点ですが、もう一つ大きな欠点があります。それは、ここに喧嘩が多発している一帯だったということです。それは、私がこの山に最初に、売り物件を見に来た時(1982年だったと記憶している)に、売主さんから、教えてもらいました。
 
 その方は、当時すでに、65歳を超えておられる方で、現在は無論、90歳を超えておられます。上品な大学教授でした。「ここは好きな、場所ですが、家内がノイローゼになりましてね。引っ越していくことにしました」とおっしゃったのです。で、私はすぐに、ここに、問題のあるいじめっ子(主婦)がいると、推察しました。ただ、『それに対しては、自分は大丈夫でしょう』と思っておりました。460人も児童がいる幼稚園のPTA会長をすでにやって来ていました。しかも、その幼稚園ではバザーの収益から、26人の先生方の夏冬のボーナスを、捻出しないといけないのです。現在の貨幣価値に直すと、利益だけで、550万円ぐらいをねん出しないといけないのです。バザーでおでんを食べてもらったり、お汁粉を食べてもらったり、エプロンを買ってもらったりして、一所帯から、1万5千円から、2万円支出してもらわないといけないのですよ。戦争以上の修羅場という体たらくで、苦しみましたので、あれを経験している自分なら、なんでも乗り越えられると思っておりました。でも、買いませんでした。いろいろ欠点がありました。だが、それは、今現在別の人が住んでいるお宅なので、何が欠点だったかは、語りません。
 ここの精神的な修羅場というか、心理的な困難というのは相当にひどいものらしくて、次から次へとチラシが入りました。一、二回は、パスしたと思います。
 で、売り物が頻発したというのは、当たっているというか、自然のことなのですが、そのチラシが毎度、北久里浜のわが家に入ったというのは、今思うと不自然なことでした。横須賀市の京急北久里浜近辺と、JR鎌倉駅の間には、峻険な岡がたくさんあって、行き来が容易ではないのです。だから、あそこから、ここまで、売り家を見に来る人がいるはずがないので、チラシをそこに、配布するのが変でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~ 
副題7、『東工大卒の測量士から、探りを入れる電話がかかってきたが? 私は悪意のすべてが、わかっていつつも、平常心だった』
 
 上にのべたルネ北久里浜を、建設した母体はどこかは知りませんが、その建設に実際に着手する直前に、1980年当時、私をたいへん苦しめた益山某氏未亡人と、また、建設母体の測量士を名乗る人物から電話がありました。それは無論のこと、探りを入れるというたぐいのもので、もし、例の旧・横須賀市の水道山にマンションを建てるとしたら、私がどう動くかを知りたかったのでしょう。
 
 それは、2004年ごろだったと思います。その二つの電話の前に、益山未亡人の弟から派遣されたらしい、やくざチックな男が、私たちが今も持っている北久里浜の旧宅を買うと言いました。で、鎌倉の家に訪ねてきました。でも、売りませんでした。売らせて、北久里浜と一切関係がなくなる様にしたいというのが、第一策だったと思います。その次に益山未亡人が怒鳴り込んできました。電話でですが、ヒステリー症状の典型で、この章の後半に書く、彼女が車で、私をひき殺そうとした日を、ほうふつとさせました。だけど、私は、こういう種類の、脅かしには、『別に』という感じで、めげないんです。内心で、『どうしたの? 益山さん、そんな下品なレベルにおっこちて』と思うだけです。
 
 でね、次に東工大卒という測量士から電話がありました。その人は紳士でした。が、名前も忘れています。彼は嘘を言っていないでしょう。うえに写真を上げたマンションは、山ひとつ崩して作っています。それの測量作業をするのですから、相当高度なレベルの測量士でないと、いけないです。で、丁寧語を駆使して質問をしてくるのですが、彼との会話で、二つの重要な傍証を得ました。それは、杉本副市長が、やはり内心では、自分の悪人度を自覚をしているということです。その大マンションは、横須賀市の旧横須賀水道タンクが設置されていた場所です。今はモーターの力が強くなったので、ほかの丘に設置したものでも、この丘に届くのでしょうが、お金を払って、益山某氏が手に入れたわけではありません。だから、当時土木課長だった杉本氏は、無責任の罪が科せられるのです。または、知っていながら看過した罪があるのです。
 そして、その後、大金持ちになり、かつ、横須賀市の副市長にまで出世しました。副市長って、市行政のトップでしょう。市長は選挙で移り変わるので、副市長の方が実力があるとみます。
 しかし、測量士が言うには、「杉本さんの坊ちゃんが不良になったことを知っていますか?」ですって。『知りません』といいました。で、10年前から耳に入っていますが、ブログの世界では、今日初めて書きました。どうして書いたかというと、前田祝一・清子夫妻にとことん怒っているからです。または、安野夫妻にとことん怒っているからです。
 さて、この杉本家の坊ちゃんが不良になったという話は、あっちこっちから耳に入っています。すべて、私にそれを書かせて、それで、ブログを閉鎖させてやろうとする試みで、れいの「いちばゆみさんの息子さんが、横浜市大の、一年生なのだけれど家出をしました。フェイスブックだけで拡散してください」という、ひっかけと、同じ類でしょう。いちばゆみさんの坊ちゃんは、今年、就活の年だったわけですが、朝日新聞などの良い(?)会社にお勤め先が決まったと思います。ママが行ってくれたことへの論功行賞で。
 
 で、杉本家の方ですが、すでに、坊ちゃんは、42歳です。お父さんのコネで、どこかの建設会社に就職済みで、不良だったころの毛ほどの、残渣もないということでしょう。だから、不良という言葉は、私をひっかけるために、出されたものだと推察しています。せいぜい、高校生なのに、髪を金髪に染めて、制服を、だぼだぼズボン風なスタイルにして、それをはいたりしたとか、250ccのバイクを乗り回していたというくらいのことでしょう。私は杉本家の坊ちゃんは、4歳から知っているけれど、おめめぱっちりの、かわいい子でしたよ。ただ、お母さんが偏愛気味に愛していましたね。だから、わがままには育ちあがったとは思いますけれど。
 それと測量士の会話から、もう一つ、重要なことがわかりました。
 
 例の1200坪で、ただ撮りした土地は、すでに、分割所有をされていて、伊藤忠なにがしという子会社、四社が持っている部分があるとのことです。『へーっ』と、たいへんびっくりしました。それを知った時から、私の思考は、格段に進んだのです。

@@@@@@ここが加筆中の最先端です。いかはメモです。
~~~~~~~~~~~~~~~~

 なお、ここで、長時間の休憩を入れさせてくださいませ。

副題8、『

 

  ここら辺りは、『元参謀の陰謀』という小説に書き表してあります。それは、二万字制限には、引っかかるので、このブログの世界にアップするのが、なかなか難しいのですが、将来、分割して、アップする可能性もあります。

 私はあまりにも頭がよく、かつ正義感です。どう考えても、書類の形式だけ整っていれば、すでに、2.73平米しか、土地を持っていない人が、1200平米に所有地が増えるというのが変です。それは、実質的に、4億円をただどりしたと同じことなのです。

 と、言う風に各役所に説明に行く私の力と、行動力に、困った益山夫人は、私を車でひき殺そうとしたのでした。

 何度も言っている様に、私は、ぎりぎりの時には、武士の遺伝子が立ち上がり、必ず被害をこうむらないのです。で、その時も、50m先に留まっている益山夫人の、セドリックツードアハードトップを見た途端、変だ。危険だと悟って、全身が準備をしていたので、急発進をして、私をめがけて突っ込んできたときに、右側に横っ飛びに逃げたのです。もし、道路がまっすぐだったら、逃げきれなかったのですが、天がお味方してくださって、そこが、120度にくぼんでいたのでした。そのくぼみに逃げ込んだので、益山夫人は殺害をあきらめたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『私は、1980年、元海軍参謀夫人に、車でひき殺そうとされたのだけれど、その晩、夫の元海軍参謀自身が死んだのだった』

 彼女は戦時中都立大学の土木建築学科を出た人で、原節子に似ている聡明な女性です。彼女と夫の失敗はひとえに、私がどんな人間であるかを正しく知らず、見くびったことにあるでしょう。だけど、彼女もギリギリのところで、120度のくぼみに入っている私を殺したら過失だとは、言い逃れができないでしょう。それは、分かったみたいで、暗殺未遂で、逃げ去っていきました。

 益山夫人と、この山の、主婦たちとを比較をすると、さすがに、戦前生まれのエリート女性です。全然格が違います。私の唯一の音鳴りである小野寺夫人は、東大卒出し、実家はエリートサラリーマンであって、現代の勝ち組ですが、品格において益山夫人には劣ります。前田夫人他は、足元にも及びません。益山氏には先妻がいたのです。その人はお嬢さんを生んで、その方がまだ小さいうちに、米軍将校と駆け落ちして、アメリカへ行ってしまいました。それも不運でしたが、仕事上もパージを受け、不遇極まりなかった益山氏が、不動産業者を始めたので、土地開発の技術屋として、雇われた女性です。二人の間には、30歳もの年の差がありましたが、深い愛情で結ばれていました。益山氏は、この奥様を、本当に大切していて、それゆえに、もともと美貌の人だった、益山夫人は内面からの美しさに満ちていたのです。
 そんな人が突然に阿修羅のごとくに変化して、私を殺そうとするのですから、人間はわからないものです。でも、さらに驚いたのは、その晩、夫の益山氏が、急死したのです。
 それは、1980年の、10月11日か13日のどちらかです。

 私はよく神様のお話をします。そして、信仰の人だと告白をしています。それは、こういう様なあまりにもはっきりした ”みしるし”というのを、神様が目の前に展開をしてくださるからです。もちろん、科学的な方向でも考えてみます。奥様と旦那さんが、二人で、熟考をしたうえで、選んだ方策が、駄目だったので、絶望のあまり自殺をした。または、あれは、奥さんが旦那に無許可で、じぶん一人でやったのだった。しかし、私が電話をあっちこっちに、かけたので、夫は真相を知ることとなり、そこまで愛する奥さんを追いつめてしまった自分の判断ミスを責めているうちに、脳溢血や、心臓まひなどの、急性に襲われたと。

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長嶋茂雄氏名誉都民となる。江角マキコ問題ー2

2014-10-01 10:13:34 | 政治
 本日も総タイトルを変更していく可能性があります。それは、書くことへ妨害を加えられてきた歴史の反映なので、お許しください。今は、3日の夜11時です。総タイトルをもとへもどします。それから、副題8以下を。一応ここへ残しますが、別賞へ、移動をさせます。そのあとの続きは、ここでは、加筆せず、別章で書きます。

副題1、『長嶋茂雄氏が、名誉都民に選出される』

 さて、2日早朝、五時に、NHKニュースを見ていたら、長嶋茂雄氏が名誉都民に選出されたことが、報道をされました。有名な人です。ただし、千葉県側から、名誉県民の称号はすでに出ているのではないかなあと、私は感じました。で、ちょっとした違和感を持ちました。ただ、立教大学では、大学学生寮に入り、その後、現在の川崎市、新丸子にあったであろう、巨人軍の寮に入り、結婚後は、東京都民となりますね。新居は、田園調布だったとか?

 奥様が、もと、東京オリンピックのコンパニオンだったという良家の子女ですから、田園調布が持っている不文律としての、地域性にもかなうわけです。ただ、その後、漫才師が、『田園調布に、家が建つ』と、言う決まり文句を大流行させました。それは、長嶋邸の建設を揶揄しているわけです。
 田園調布は、日本一の高級住宅街ですが、逗子で、英国のスチュワーデスを、殺して、洞窟に置いた、不思議な男・・・・・大阪の大金持が、慶応高校に入れるために、家政婦付きで、田園調布に一人住まいをさせた・・・・・の出現で、ずいぶんイメージを落としましたね。

 で、今は、最高級住宅街は上野毛あたりに移っているかもと、思うほどです。特に遺産相続後の、子孫は、気概のない人種も多く、『唐様で、売り家と書く三代目』という雰囲気もあるのではないかな? ただ、分割はしないという地域の決まりがあるそうですね。日吉あたりは、遺産相続の際に分割されるケースが多いです。で、町がごみごみしてきます。

 でそれ以降、50年は超す都民でしょうから、名誉都民に選出されても、おかしくはないです。千葉県民時代の三倍は都民であったわけですし。
ただ、普通ならもうちょっと、上等なスーツ(たとえば、ぴかぴかした絹のもの)ではないかあと、思うのに、そうではなかったので、あれは、例の話題のお嫁さんが用意したのかしら?、それとも、お嬢さんの方?なんて、考える私です。
~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『賞が、政治的に利用をされるケースが、大変多いのだ。裏に働きかけがなかっただろうか?』

 長嶋茂雄氏には、今現在は、後遺症があります。だから、絹物のスーツなど、おズボンをはくのが無理なのだということもあるかもしれません。でもね、亜紀夫人が健在だったら、絶対に、新しい絹物スーツを作ったはずです。で、いいスーツをお召ではなかったのは、例のお嫁さんが、駄目なのか、それとも、お嬢様が駄目なのか、真相は私には、分かりませんが、もう一つ、突然に、この受賞が決まったので、準備する日数が足りなかったという可能性もあります。普段使いの洋服屋さんが、リハビリ生活に入った長嶋さん向きのお洋服を作るのが苦手で、あったりすると、急に一週間で、作ってもらうわけにもいきませんから。

 しかし、ここで、一つの推理を立てる私です。江角マキコさんがいじめ問題をブログにあげたのは、7月だったそうです。その時点では相手方の名前は、明らかにされていなかったのです。しかし、私はそれを見ていませんが、2チャンネル等で、人々がこの話題を、取り上げ始めたと推理します。そこには、当該小学校の名前やら相手方の名前が、出ていたと仮定をします。

 私は一度ちらっとですが、玉川学園の運動会(中学校だったか、小学校だったかは忘れているが)を見たことがあって、有名人がずらずらっと、父兄席にいたのを知っています。”せんだるか”さんて、すでにタレントになっているみたいですが、当時はまだ子供で、お父さんの”せんだみつお”さんが、控えめに後ろの席で見ていました。一番目立ったのは、五十嵐淳子・中村雅俊さん夫妻でした。中央に、スタジアム全体の視線を集めて、堂々と座っていました。しかし、今、どこをどう、検索しても、玉川学園と、江角マキコさんが結びつかないのです。しかも、ほかの小学校名も出てこない。これは、相当な手配が裏でなされていると、推察されます。

 ところが、今、2014年の10月2日になって、やっと2チャンネルの検索をこの問題において検索し始めた、私は、この件に関する痕跡さえ見つけることができないのです。で、ふと、これは、私のブログへの対抗措置であって、例の、私の文章に登場したテーマの証拠隠滅を図るという目的で、2チャンネルに対して要請があり、ひろゆき氏が、削除したのではないかということです。私の文章の、アップの日付は、30日になっていますが、それいかんにかかわらず、私が江角問題を取り上げたのは、まるまる、4日前です。その時点から、急に一切が削除され始めた?

 こういうケースに、気が付いたのは奥島孝康氏にまつわる情報の処理が、変化し続けていることです。特におお相撲の、野球とばく事件のころ、独立ガバナンスの委員長だったと覚えています。大々的にメディアで報道をされました。しかし、時が経つにつれて、どんどん、その分量が少なくなっています。こういう時は、その事案に大いなる裏があるのが明瞭です。
 しかし、4日前に、急に長嶋氏を、名誉都民に決めるわけもないでしょう。すると、8月末に、週刊文春が、『落書き事件について書こう』と、企画を立てた時点で、同時に、この名誉都民選出も決まったのではないかと、推察するのです。

 すると、それを働きかけたのは、だれか?となり、私が推察するところによると、例の弁護士ではないかとなります。長嶋家の裏にいるとされる大物弁護士のです。長嶋茂雄氏は、有名人だし、大衆的人気モノですから、メディアの中で、パンとサーカスの犠牲になることも多かったと思われます。特にこれは困ったという事案は、一茂さんと、同じくタレント活動をしている三女三奈さんとの間の確執が、報道をされたことです。今となっては、一茂夫人が原因だったかなあと思うのですが、父君の貴重な所有物を売り払っているという娘さん側からの抗議は、長嶋家全体にとって、ダメージが大きいので、そこに、亜紀子夫人等のルート、または、野球ファンの弁護士などで、紹介された弁護士が一回、乗り出していて、沈静化を図ったと仮定をすると、今回もそちらも加わって、挽回策を講じたと、推察され、
 その一策として、週刊文春に、例のいたずら書きの事案を流したとも考えられます。
 女性週刊誌に、反江角マキコ側のママたちの証言を載せるとかいうのもその一環だったかもしれません。

 しかも、もう一点、『う、これはおかしいですね』と、思うのは、江角マキコ問題をブラウザのニュースで見ていたころは、彼女はツィッターでつぶやいたと、報道をされていました。で、私は前報(後柱一)では、それに依拠して論を起こしております。ところが、本日はブログで、と改変されていました。これは、むろんのこと、私ね来の後付改変である可能性は強いです。ただし、江角さんのご主人も、テレビ界の人間だから、当然のごとく、了承をして、こういう改変がなされているとみなされます。
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副題3、『訪問回数を、2011年度中に、98万回から、36万回に激減され、それ以来ずっと、364000回で固定化されている私のブログ・・・・・それは、まったくのウソの数字で、本当は、248万回以上ですが!!!!!』

 私は、昔メルマガだけをやっていたのです。それが、また、最高に高度だったのですよ。今みたいに、個人名は入れず、しかも、3600字制限があったので、短くまとめていましたが、その方が読みやすくて、サービス精神も大きいものだったでしょう。で、読者層もハイレベルでした。そこで、ちら、ちらっと朝日新聞の批判と、原発のどうしようもなさを述べてはおります。で、その読者層の中の、友人によっては「ブログをやりなさい」と言う人も、いたし、「あなたは、ブログをやってはだめよ。それは、攻撃もある世界だから、あなたにはたえられないでしょう」という人もいました。

 しかし、2007年にパソコンがおかしくなり始めてから、『これは、何らかの防衛措置を取らねば』と考えて、2008年からブログをはじめました。で、最初は政治的な主張の含まれている文章は、メルマガの方で発表をして、ブログの方では、温和なエッセイを書いていたのです。しかし、どんどん攻撃がひどくなって、個人名を書いて、その悪辣さを提示しないと身を守れないという事態に入っていきました。すると、個人名を書いたものをメルマガという相手が固定されたところに送るのは、不都合があると言うことにもなってきます。それで、攻守が逆転して、ブログで、重いものを書き、メルマガで軽いものを書くということとなりました。
 ここで、大転機が訪れました。

 3.11が起こりました。すると、私の独壇場が展開します。リケ女です。そのうえ、今は画家になっている人間ですから、物事をイメージとしてとらえるのが得意です。で、原発とか、核燃料がどういうものかということを、次から次へと、当時は、1万字の制限があった中で書き始めました。今でも、古びていないし、ああいう易しい文体で、原発とか、核燃料の本質を書いている人はいないと思いますよ。非常に分かりやすく書きました。それで、読者数が格段に伸びました。しかも、偶然の機会にフェイスブックにも入り、最初は、友人拡大努力もしたのですが、入って、半年後には、自然に、友人が増える様になり、2012年の一月の末には、905人に達していました。

 しかし、と、同時に弾圧もものすごいことになり始めました。友人や知人がスパイ役に動員されました。このころから、携帯を利用して盗聴ができる様になっていたか、カバンなどにその装置を隠した人間が、私が友人と会食しているところやお茶しているところの、近くの席に配置される様になったと、見ています。また、未知の人にして、刑事が変装していると、私が推察している安藤てる子さんが、ファンを装って、近づいてきたのもこのころです。彼女は金銭的にも精神的にも大きく、かつ深いレベルで、窮状にあるというものですから、優しい人である私は、彼女を、自宅へ上げて、いろいろ接待したりして、一方で、はかられはかられ、弾圧用の種を拾われていたのです。まあ、引っ掻き回され、そして、フェイスブックを追い出されてしまいました。彼女のせいなのです。でも、それでも、許して、今年の、6月2日、ほぼ、2年強の間をおいて、デートをしてみたら、彼女が、私の拉致さえ、計画していることがわかり、かえって、よかったです。私は、究極のところで救われます。
 それ以外にも美術界、鎌倉びと、ご近所様などが、総動員をされて、いじめてくるわけですから、『これは何らかの自己補強が必要だとなって、ある日訪問回数が、98万回を超えていると、この世界で書いたのです。すると、突然に、グーグル検索で、364000階へと激減した数が、ひっつく様になりました。
 そのうえ、ニュースを利用して、いじめてくるでしょう。たとえば、中国艦船の、尖閣諸島周辺の出没です。で、それを説明するためには、安野家の次男が、1と、2ばかりの通信簿だということで、学校中で有名な坊ちゃんなのに、お母さんは、「国立大学の付属高校へ入学しました』と、わざと私に聞こえる様な芝居を打ちました。・・・・・ということを書かないといけなくなったわけです。

 最近のことですが、鎌倉にある実力派・画廊、ジーアースのオーナーは不美人で、それは、目が悪いせいだと、いう様な無残なことを書いているのも、その弾圧と関係があります。まだ、詳細を語っていませんが、その人(=若宮さん)についても将来長文を書かないといけません。
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副題4、『2014年、9月24日になぜ、中国首相は、日本経済界の代表と懇談をしたのか?』

 この急激なる和解という中国の変化が、どうして起きたかは、別章を立てて丁寧に語らないといけないのですが、第一義的な理由は、安野家を私より上に立てて、それで、私をイライラさせ、ノイローゼにさせてやろうとする敵さんたちの方針が、急に変わったからです。そういう方針を続けていると、私が、自らに課している、35%制限とか、45%制限を外すことが、やっとですが、分かったみたいです。相手に対する思いやりから、そういう方針をとっていたのですが、この2014年9月13日に行われた異常な設定の町内会とか、そのほか京橋で起きたことなどを勘案して、私は相当に、書く内容を深めてきています。
 ところで、中国の外交上の、変化という部分については、別の機会に、丁寧に語ります。

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副題5、『しかし、江角マキコさんに関してググるうちに、私は、痛し痒しの状況に陥った』

 実はググりにググるうちに、江角さんが、同級生のママたちに嫌われてしまった原因には、思い当たるところがありました。それで『おや、おや、これでは、私は長嶋一茂夫人側になりそうですね』となってきたからです。

 グーグル検索で出てくる数々の項目のうち、「江角さんは、ショムニで演じた女性像そのままで、ぱきぱき、モノを言うので、やがて浮き上がってきて、みんなが離反をした」と書いてあります。

 読者の皆様は、これが、性格だけの違いなんだと解釈なさいますか? 私は、『これは、そうではない。文明の違いだ』と、感じました。そして、・・・・・江角さんは、この小学校(たぶん玉川学園)に、子供を入れるべきでは、なかったのかもしれない。だけど、ここで、こういうトラブルに遭遇し、我慢を続けたことは、将来の役作りには役立つでしょう。でもね、お金があること、および、自分が成功をしたことが、ここで、裏目に出ていますね・・・・・とも、思い至るのでした。

 文明の違いとは、地方の県立高校を出た人と、東京圏の、私立高校を出た人では、全く感性が違う事をさします。それに思い至ったのは、昨日江角マキコという項目で、wikipedia を初めて開いて見て、彼女が地方出身だということを知ったからです。しかも県立大社高校の出身です。その学校は、多分、島根県では優秀な成績の子供が進学する高校であって、彼女は鶏口となるも牛後となるなかれの典型例として、自分の実力には、すこぶるつきの自信があり、当たるを幸いなぎ倒すという行動力を、これまでも、行使してきたのでしょう。特にバレーボールをやっていて、卒業後実業団に、誘われるのですから、そちらでも、優等生であって、だれに対しても、引けを取らないという気持ちは強いでしょうね。

 そのうえ、成育歴をさらしたのですが、それによると、『父君が早くなくなって貧乏だったので、体育大学へ進学できなかった』とあります。
しかし、その言いぐさは、「私は本来なら、4年生の大学を出るほど、優秀なのですよ。もしかしたら、後日、バレーボールのどこかの有名チームの監督になり、その後、日本代表の監督になる器だったかもしれないのです』という自慢をしたくて曝した、情報かもしれません。

 これでは、玉川学園の小学校に子供を入れているママたちとは合わないです。というのも小学校から、子供を私立に入れる人たちは、中流の上の階級です。経済的には、何の不自由も知らないで育ちあがった人たちです。柔らかい態度で他人と接触します。そして、考え方も甘いです。そこで、まず、合わないです。江角さんの、<大学へ入学できなかったという、一つの劣等感があるからこそ、頑張るのだ>という精神が、根本的に共鳴できません。

 そういうママたちのうち、80%は、東京圏の女子高育ちでしょう。地方育ちだったとしても、地方の名門私立女子高育ちのはずです。そういう人たちのうち、「慶応の幼稚舎に入れるための、激しい受験勉強は、我が子にとって、かわいそうです。子供のころは、ゆったりと育ててましょう」と、思う富裕層の二代目やら三代目が玉川学園を選びます。東京圏のサラリーマンの娘だった松嶋菜々子さんは、玉川学園ではなくて、もっと、限定された階級の人しか通わない東京女学館を選びました。松島さんのいまは、富裕層ですから、都心で、富裕層が集まっていて、旧女子高スタイルが色濃く残っている学園を選びました。

 玉川学園は、女子だけの学校ではなくて、男女共学だから、明るいし、自由度は高いのです。だが、ママたちが、女子高育ちだと、江角さんの行動は理解がされません。簡単に言うと、江角さんは、『失敗しましたね。周りを知らな過ぎた』と言えるのでした。いじめられたのは気の毒で、いじめた方を許せないけれど、大勢のママから、『いやだわ。あの人って』と思われたことが、いじめられる素地になっていると思われるからです。

 ママの中に、『江角さんが、うちの主人を誘惑しそうで嫌でした』という人がいました。江角さんとしては、自分はさっぱりした柄で売っているのだから、男の人に声をかけても、誤解をされるはずもない』と思っていたでしょう。わたくしも72歳になった今では、男の人に話しかけたとしても、それが、セクシュアルな関係に、直結するものでもないと、分かっていて、時には、さばけた会話を、男の人に持ち掛けることができますよ。

 でも、女子高育ちで、しかも良家のそだちだと、披露宴まで処女だったという様な、お嬢様育ちは多いのです。そうすると、そういう人は、自分が男性には、自由には、声をかけられないので、江角さんの態度を遠くからでも、見ていると、ただ、ただ、びっくりして、そして、不快でしょう。一方で、夫族は世慣れています。クラブで、女性たちとじゃれたり、会社内でも、若手女子社員をからかったりしているでしょう。

 江角さんは、一回離婚をしていますね。そうなると、最初の結婚の前、それから一回目と二回目の結婚の間に、男女のお付き合いの経験が豊富かもしれません。そのうえ芸能界でも、ショムニで「回りに突出して、強いのです」とか、「優れているのです」という役割を演じたわけですから、軽い軽い動作の一つとして、運動会に出席しているで、パパともに、話しかけていたかもしれないのです。しかも、テレビ業界以外の世界の人と付き合うのもお勉強に役立つしということで、積極的だったかもしれません。不純な思いはみじんもないのです。それとも、普段は超い忙しい身が、5時間程度、全く自由に行動できるわけですから、『単純に楽しいわー。今日は、急がないで良くて』ということで、余裕のレジャーとして、男性たちに話しかけたと、言うことかもしれないのです。
 また、これは、気の毒極まりないのですが、そのときすでに、ママたちから疎外されていて、一種の突破口として、パパともと仲良くなろうとしたのかしら。そうすると、そういう下心はすぐ見破られて、ますます、嫌われます。

 ともかく、一番大切なポイントは、その私立小学校の、件のクラスの、大多数のママたちが、少女時代を過ごしたであろう私立の女子高では、自分の力をストレートに出すことは、非常に嫌われます。おしゃれじゃあないしぐさとして、嫌われます。もし、わたくしが、仮に、同じ父兄懇談会の教室にいたら、長嶋一茂夫人と同じ様に、『うわあ、いやだ。いなかっぺ丸出しの価値観で』と思うでしょう。
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え、そうとう永らく尊敬をしてきたのだけれど、多大なメディア露出の裏に、高須クリニックの会長がいると、聞いて大幻滅をした』

 私は一般論として、地方の方が、子供がまっすぐ育つので、地方出身者が上京して、東京都民となり、元から居た人々と混合したからこそ、日本社会は、健全性を保ちえたと考えています。日本は今、被・植民地国家なので、アリと、あらゆる側面で、ストレートに生きるのが難しいのです。で、私が上にあげているさまな東京圏の女子高育ちに固有な控えめな態度というのの、ない、まっすぐな少女とか、女性とかは、得難いものだと思い尊敬をしているわけです。

処があるときに、『西原さんは高須さんと事実婚の関係にあり・・・・』とか、『西原さんが「私近々、高須さんに捨てられる」と言っている』とか、ネットの情報で知り大幻滅しました。というのも、彼女の多大な、メディア露出の陰に、高須さんの助言や、企画力があったと思うからです。そうなると高須さんが、ベッドで、『ねえ、君、僕は医者だから、どこまで行っても、くいっぱぐれはないよ。でも、君の仕事には、流行とか、人気とか、言う側面がある。だから、今、君に人気があるうちに稼いでおいた方がいい』とでも、ささやいて、その結果、お子さんの父である元・ご主人との関係をテレビドラマとか、映画化したのではないかと、思い至り、すっかり幻滅しました。彼女一人の力で、メディアを遊泳しているわけでもなかったのです。

 NHKのファミリーヒストリーという番組が、西原さんを主人公にしたことがあって、その時に、出席した彼女が、短めの巻きスカートから、太ももをあらわにした座り方をしたので、ぎょっとしたことを覚えているのです。が、それでも、その時はまだ、私は高須さんの存在を知りませんでした。だから、『かわいい顔をした人だ。そして、全体にムチムチした人だ。肉体的にも魅力のある人だ。好戦的だし、前向きだし、東京育ちでは、こういう女性はなかなか、生まれませんね』と、好意的に思っていたのに・・・・・と、本当にがっかりしたものです。
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副題7、『西原理恵子さんに比較をすると、すこぶる健康な感じを受ける、江角まきこさんだが・・・・・インターナショナルスクールへ行っても、駐在員夫人を経験したママともが居たら、楽ではないですよ』

 江角マキコさんの問題は学級という閉鎖社会での出来事をより広い社会へ曝して、それによってより広い社会の価値観に照らし合わせ、より広い世間では、自分に同情する人が多いので、自分も気分的に救われるし、・・・・・という計算が合ったかもしれません。無意識なものか、潜在意識の中のものかは知りませんが、女優、とくにヒット作を出した、自分なら、絶対に味方をしてくれる人はいるだろうと、思って、その愚痴を、書きは、しなかっただろうか?
 それは、瞬間的には成功したみたいに見えたでしょう。それに、作用反作用から言えば、正しいです。
しかし、その陰にスプレー缶によるいたずら書きがあった。これは、どうしようもない、我慢の足りなさを証明しています。

 これはまずいです。マネージャーがやったのでしょう。同情して。だけど、それを信じる人はいないでしょう。子育てって、ものすごい苦労を伴うものだし、芸能人特に、有名女優という立場と、ママであるということは、両立しがたい事なのです。だから、江角さんより、二世代昔の人は、産まないか、産んだら、隠すか、母であることを明かすが、全部やめて引退するかの、3つのうちの一つを選んだと思います。山田五十鈴の例とか、山口百恵のケースを参考にしてください。五十嵐淳子さんだって、子供が小さい頃は、仕事はやっていなかったでしょう?

 江角マキコさんも、実母が既に、島根県からは、上京していて、手伝ってくれていると思いますが、父兄会も何もかも、実母に任せておけば、よかったですね。仕事と母であることの両方を楽しもうとしたのがいけなかったのではないかな? つまり、欲張りだったのです。それを、見抜かれて、違う価値感と違う育ちをしてきた人たちに嫌われたのです。女優として成功をしているのだから、それを今のところは、追求して、母親業は家の中だけで、とどめておいた方がいいでしょう。

 インターナショナルスクールへの転校はあっと驚く処理でしたが、そこのママ友社会が理想的というわけでもないと思います。特に日本人ママの中に海外で、日本人学校がない様なところで、駐在員を経験してきた様な人が居たら、今回のいじめより、さらに激しいいじめを受ける可能性があります。

で、私が言いたいのは、江角さんが、女優としても母としても、両方を公開して、生きていくのなら、激しい苦痛とか、苦労はあるでしょうということです。それを、ほとんどの人は我慢をして耐えているのです。そして、それを乗り越えた時に、その人間は一皮むけたということになるわけです。

 自分が才能に恵まれた芸能界のエリートであると、自認をするのならなおさら、苦労を乗り越えて、立派な人格を養成しないといけないのです。それが子供を持った母というものであって、ツィッターかブログで、愚痴を言うのはいいのですよ。相手を征伐してやろうとか、制裁を与えてやろうということはできないのです。無論、相手方が、そうしてもいいというほど、いじめてきたというのもわかります。だけど、これもまた、子育て中、いろいろな人に訪れる試練だと思わないといけません。

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 しかし、この痛し痒しの問題に接しているうちに、『あれ、これって、今のわたくしにも当てはまる命題だぞ』と気が付いてきたのです。江角さんが、田舎のトップエリートとして、自分を隠せないというタイプ、そして、ストレートすぎるので、周りを唖然とさせてしまう姿というのは、
 私の当面の敵、ご近所集団の中で、一,二を争う攻撃者、前田夫人の姿と、かぶるのでした。似ているのです。すると、私は単純には、江角さんを応援できなくなります。
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副題8、『今住んでいるところは、40年前から主婦たちが、争いあう修羅場だった。しかし、そこの売り物のチラシが、どうして北久里浜の郵便受けにに入ったのだろう?』

 先ほど、2時間ぐらい単純極まりないPCゲーム、四川省をした後で、お風呂に入っているうちに、ユーリーカ(わかったぞ)と気が付いたことがあります。わたくしが前に住んでいたうちのポストに、今住んでいる谷戸ないの中古の売り家のチラシが何度も入ったのです。それは、1980年代で、あり、パソコンも携帯もない時代で、家の売買は、チラシが、有力な手段だった時代です。

 しかし、鎌倉雪ノ下と、横須賀市、北久里浜の間には、ほぼ、20キロの懸隔があり、かつ間に、20万戸ぐらいの家があるはずです。本格的に売るとなると、西側、藤沢市側にもチラシを入れるだろうし、北側戸塚区にも入れるでしょうね。となると、50万枚以上のチラシを入れないとなりません。当時で、2680万円だった物件に対して費用対効果があがるだろうか?

 もっと狭い範囲で、ばらまくのが普通なのだけれど、とくに我が家だけには、必ず、個々の売り物のチラシが入る様に手配をされていたのではないかと思い当たるのです。

 どういうことかというと、北久里浜の我が家の近所には、旧横須賀市の水道山があったのですが、それを瀬島隆三(元陸軍参謀)と、彼の親友、益山某(元海軍参謀)が、地籍変更届というのを利用して私物化したのです。もちろんただでです。これは、どう考えても悪事ですが、それを遂行するために、私の実印が必要で、それをお願いされたがゆえに、私はその事件の全貌を知ることとなりました。彼らは、私が実際よりもっと、バカだろうと、考えてその一通しかない書類を手渡したのですが、私は、彼らが考えているよりもはるかに頭脳レベルが高いので、たちまちにして悪事を見破ってしまったのです。

 それに困った益山夫人は、私を車でひき殺そうとしたのです。何度も言っている様に、私は、ぎりぎりの時には、武士の遺伝子が立ち上がり、必ず被害をこうむらないのです。で、その時も、50m先に留まっている益山夫人の、セドリックツードアハードトップを見た途端、変だ。危険だと悟って、全身が準備をしていたので、急発進をして、私をめがけて突っ込んできたときに、右側に横っ飛びに逃げたのです。もし、道路がまっすぐだったら、逃げきれなかったのですが、天がお味方してくださって、そこが、120度にくぼんでいたのでした。そのくぼみに逃げ込んだので、益山夫人は殺害をあきらめたのです。
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副題9、『私は、1980年、元海軍参謀夫人に、車でひき殺そうとされたのだけれど、その晩、夫の元海軍参謀自身が死んだのだった』

 彼女は戦時中都立大学の土木建築学科を出た人で、原節子に似ている聡明な女性です。彼女と夫の失敗はひとえに、私がどんな人間であるかを正しく知らず、見くびったことにあるでしょう。だけど、彼女もギリギリのところで、120度のくぼみに入っている私を殺したら過失だとは、言い逃れができないでしょう。それは、分かったみたいで、暗殺未遂で、逃げ去っていきました。

 益山夫人と、この山の、主婦たちとを比較をすると、さすがに、戦前生まれのエリート女性です。全然格が違います。私の唯一の音鳴りである小野寺夫人は、東大卒出し、実家はエリートサラリーマンであって、現代の勝ち組ですが、品格において益山夫人には劣ります。前田夫人他は、足元にも及びません。益山氏には先妻がいたのです。その人はお嬢さんを生んで、その方がまだ小さいうちに、米軍将校と駆け落ちして、アメリカへ行ってしまいました。それも不運でしたが、仕事上もパージを受け、不遇極まりなかった益山氏が、不動産業者を始めたので、土地開発の技術屋として、雇われた女性です。二人の間には、30歳もの年の差がありましたが、深い愛情で結ばれていました。益山氏は、この奥様を、本当に大切していて、それゆえに、もともと美貌の人だった、益山夫人は内面からの美しさに満ちていたのです。
 そんな人が突然に阿修羅のごとくに変化して、私を殺そうとするのですから、人間はわからないものです。でも、さらに驚いたのは、その晩、夫の益山氏が、急死したのです。
 それは、1980年の、10月11日か13日のどちらかです。

 私はよく神様のお話をします。そして、信仰の人だと告白をしています。それは、こういう様なあまりにもはっきりした ”みしるし”というのを、神様が目の前に展開をしてくださるからです。もちろん、科学的な方向でも考えてみます。奥様と旦那さんが、二人で、熟考をしたうえで、選んだ方策が、駄目だったので、絶望のあまり自殺をした。または、あれは、奥さんが旦那に無許可で、じぶん一人でやったのだった。しかし、私が電話をあっちこっちに、かけたので、夫は真相を知ることとなり、そこまで愛する奥さんを追いつめてしまった自分の判断ミスを責めているうちに、脳溢血や、心臓まひなどの、急性に襲われたと。

 これから後も続きます。明日、別章で、加筆をします。


なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 2491346です。
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