銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

八年ぶりに、訪れた、鶴岡八幡宮の、ぼんぼり祭りについて、ちょいと語りたくなった。奥谷博、守屋多々志

2017-08-09 20:22:37 | Weblog

副題1、『一つの展覧会として、見る時の、ぼんぼり祭りで、私が見つける楽しみについて』

*1)、どうして、こういうブログを本日書くか、に、ついては、説明をしないが、ご想像をいただきたい。前報を推敲し、加筆をしないといけないのだが、その前に、ちょっとと言うつもりで、夕方の六時半から、見に行った、山ノ下のぼんぼり祭りについて、やはり、文章が生まれてしまうので、つい、発表をしたくなってしまう。それほど、重いものでもないのだが・・・・・、だから、私の文章としては、軽すぎることが、かえって、異色なのだが・・・・・

*2)、「ぼんぼりの飾り位置にも、階級があって?」と、昔、私が言ったら、音楽の先生(旧公爵のお孫様)が、お笑いになったが、今日もそれを感じることはあった。8年間もブランクがあったので、それが、見えるケースがあった。上がった人よりも、下がった人とか、『この位置では、不足でしょうね。もし、ご本人が見にいらしたら』と、思った方もあった。しかし、その実名を挙げることは、お気の毒なので、やりたくない。・・・・・

*3)、献呈をする作家が、実際に見に来ている姿は、2008年ごろ、の、昼間には、中島千波さんをお見かけしたことがある。有名人としては、そうだった。しかし、有名人ではない、献呈者が、見に来ているケースはあると思う。本日も一人で、見に来ている女性で、きりっとした浴衣姿で、髪を巻き上げ、かんざしなど挿して、おしゃれをしている、50代の女性を、数人を見かけたが、その人達は、きっと、献呈者だと、思う。誇りを感じているので、おしゃれをしているが、他人が自分のぼんぼりを、どう思って居るか、その評判も確かめたいので、一人で、来ていると、見た。静かに辺りのおしゃべりを聞きながら、自分の作品を見ているのだろうと、推察する。書道の大家、和歌や、俳句の先生などは、特に、40代、50代だと、マスメディア有名人ではないので、私もその顔を知らないケースが多いのだけれど、一般の見物人とは、どこか、違うものがあって、判るのだった。これは、自分が献呈をしていた頃の、裏事情からも推察できることだった。

*4)、私は神奈川県内では、1980年ごろから、上野の都美館では、1990年代から、公募団体展に、出品をしていた。で、洋画家の名前なら、群れをなさず、独立して居て、個展だけで、生きて居る人を含めて、ほとんど、すべての献呈者を知っているが、日本画家とか、イラストレーター、漫画家などについては、その名前を知らない人が多い。でも、お花を丁寧に、描写している日本画を見たりすると、心打たれることがある。それは、若宮に、向かう脇道に飾られてることが多い。マスコミ有名人ではないが、真剣に、取り組んで居るその人の心や姿を感じてしまい、心打たれる。『こんな仕事って、どっちでもいいのよ。ちょっと負担だけど、お付き合いだから』と、思いながら描いている有名人もいると思われるので、比較して、その真剣さに、心打たれるのだ。

*5)、さて、ぼんぼりとして、最高の、階級は、本殿前、左側だと、推察される。2009年ごろ、そこは、新藤兼人監督だったか? 小泉淳作氏だったか? はっきりとは、覚えていないが、それ以前の、片岡球子女史の時代が長かった。というか、面構えシリーズを小型化したものなので、印象が強烈な絵なので、人々が、今も覚えていて、語っている。

*6)、しかし、私の印象に、強く残っているのは、小倉游亀さんなのだった。きれいな器に入った果物等を、描いたけれん味のない小品であり、いいなあと、思って居た。余白をたくさん残してあり、『これは、もし、デパートの個展に出したら、すぐ高額で売れますね』と、感じる様な、立派な作品となっていた。これは、引っ越してくる前に頃の話だったのかもしれない。同じ傾向を持っている人として、好きなのは、守屋多々志さんだった。

*7)、守屋多々志さんは、2003年に、91歳で亡くなっている。で、私がぼんぼり祭り内で、守屋さんの作品に惹かれ始めたころには、すでに、大小ある、ぼんぼりのサイズの内、大きな作品はお描きにならなくなっていたのではないかな? で、小さいサイズのぼんぼりは、献呈をされて居て、それが、常に、小さいサイズのぼんぼりの中では、トップの位置に、飾られていた。そして、それこそ、けれんみのない小品だったのだ。本日は、他にも問題作と言うか、人々の耳目を驚かす様な作品を多数みたが、それでも、これら、没故作家の作品とか、40代で、鎌倉在住で、まだ、都心の画壇で、有名でない作家たちの、まじめな、花の作品などに、心惹かれ、ある意味でそれが、ぼんぼり祭りの展覧会としての良さであると、改めて思ったのだった。

 私は毎週銀座の画廊巡りをしていて、多数の美術作品を見るのだけれど、そこでは、この種の作品はない。でも、美しいものを見て、それを、自分の手で、再現して自分のものにして飾りたいというのは、画家の最も基本的動機だから、それの発露を見るのは、気持ちの良いものだった。

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副題2、『奥谷博と言う方は、相当に複雑な心情を持っている人だと、思うが、それでも、ぼんぼり祭りのトップを担う重責については、よくわかっている方だと、思った。ぼんぼり祭りの性質に合わせて、大衆に判りやすい画題(=虎=)を選んでおられるが、手は抜いていない』

*1)、 さて、副題1で、語っていることは、ぼんぼり祭りには、その展示場所に置いて、階級があるという事だ。その階級として、トップの位置には、たいていは日本画家が、座っていた。しかし、8年ぶりに、訪問をしてみて、その位置に、奥谷博氏の作品が飾ってあるのを、発見してそには、ひどく驚いた。

 私は、独立美術家協会については、女流展関係の作家を通じて知っているだけだけど、奥谷氏が、マスメディア的には、地味な方でありながら、結構な実力者であり、画壇でも、着実に名誉欲を発揮なさっておられるという事は、知っている。今日初めて、wikipedia を見て、芸術院会員であり、文化功労者であると、知ったのだが、それを知らない時から、『奥谷さんは、なかなか、努力をなさっておられますね。画壇で、大きな地位を占めるために』とは、考えていた。

 ここで、こういうことを言うと、「お前に、そんな発言をする資格があるのか? ねえんじゃあねえか?」と、鎌倉エージェントに言われてしまうだろう。今、実際に、例の常に、このパソコンを、ハッキングをしている連中が、そう思ったらしくて、パソコンのシステム異常が三回から、五回ほど、起きたので、それは、確かな事だと、考えている。しかし、私の普段のブログを読んでいる方にしてみたら、私が、非常に硬質な事を書いて居るライターだとは、ご存じだと、思う。

 私のもっともよい部分としての才能は美術系統の創作にあると、自分では信じている。しかし、音や光、また、NHKニュースや、パソコンの異常という事を、通じて、常にCIAの日本人エージェントから、絡まれており、落ち着いて、油絵を描いたり、版画を制作している暇がない。で、パソコンを使う仕事だと、細切れでも、うまくいくので、美術評論を、書き始める。それは、非常にユニークな形であり、かつ、心情もこもっていて、面白かったので、2006年、四月から始まった月刊ギャラリーの、連載は、好評であった。しかし、それが、2007年の三月をもって、編集長から何のお断りもないままに、中止とされてしまう。あまつさえ、当時から、心の友となって居た、ギャラリー山口のオーナー、みつ子さんが、ころされてしまう。

 そして、その裏側を分析し始めた私に対して、2007年以来、11人の知人が、似たような、謀略で、殺されて行っているのだった。表向きは、癌が原因ですとか、交通事故でしたと、言われているが、真相は違うだろう。そしてこれら、身近な人への攻撃と並行をして、遠くで異様な形での殺人事件を起こされる。周南事件、山田浩二が、二人の中一児童を殺したとされる、寝屋川事件、ナカダ・ルデナ何とかと言うペルー人が六人を殺したとされる熊谷事件、そして、実際には、19人は、殺されてはいない、やまゆり園事件・・・・・で、その手の恐ろしいいじめとか嫌がらせを受け続けた私が、精神の、平穏を保つためにどうするかというポイントだが、

 覚悟が決まるという事だ。で、私はナイフのような切れ味をもって、ありとあらゆることに真実を語るという人間となっているのだ。

 で、私は、奥谷さんご自身と、短い時間ながら、二人だけで、会話をしたこともあり、謙虚な方だとも知っている。だが、同時に独立美術協会所属の他の作家(主に女流画家)とも、個人的に話したことがあり、そこから、奥谷さんの、真実と言うものもわかるのだった。私は、単に顔の表情一つ、または、片言双句からでも、真実を導き出す人間だから。

 その種の、別の作家との会話で、悪口を聞いたわけではない。ただ、これから、「奥谷さんの受賞・記念パーティに出ます」とか、「お祝いの会に出ます」と言う事を聞いただけだ。それで、奥谷さんが幅広い、人脈を築こうとなさっていることは判り、それは、芸術院会員になるためであろうなどと、推察をしていたのだった。

 しかし、本日、奥谷さんの、グーグル検索を掛けてみて、wikipedia が立っていることを知った。で、このwikipediaなのだけれど、私は、旬の音楽家について、興味を抱いて、誕生日等を知りたくて、グーグル検索を掛けるのだけれど、ほとんど、wikipedia が、立っていないのだ。今回のぼんぼり祭りについても、五百住乙人、小杉小二郎、松浦安弘の四人の私に言わせると、プロの立派な洋画家である人々について、グーグル検索をかけたのだけれど、wikipedia が立っていたのは、奥谷博氏だけだったのである。それだけ、奥谷さんは、ご自分の存在感が、広く、かつ大きくなる様に、努力をなさっておられるのだ。

 しかし、池田潔著の、『自由と規律』ではないが、名誉には、義務も伴う。ぼんぼり祭りのトップの位置に、ご自分の作品が、置かれているという事は、全日本画か、全洋画家の中で、トップと言える作品を提出しないといけないという事だ。そして、2017年度のぼんぼり祭りにおいて、奥谷博氏の、虎の無彩色の絵は、切れ味の鋭さ、と、大衆的な、判りやすさという両面で、トップだったと、私は思う。

 ただ、感服して立っている私の横で、「この人誰?、どうして球子さんではないの?」と言う奥様が居た。70代だと思う。これは、洋画家の宿命だ。日本画家よりも、どうしても知名度が劣る。それは、仕方がない。でも、繰り返すが、82歳か、83歳にして、あの迫力のある絵を描けるのだから、芸大出身者と言うのは、基本ができていて、かつ優秀だという事だろう。改めて脱帽だ。

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副題3、『奥谷博氏は、36歳か、37歳の時に、愛知芸大助教授の地位を捨てている。これは、本日初めて知った。その頃は、純粋で、かつ、攻撃的というほどに前向きだったと言う事だろう。しかし、・・・・・氏は、その後、その件を若気の至りだったと、して、後悔を、なさった・・・・・と、私は推察した。愛知県に住むという事は、東京を離れるという事で、子供の教育等を考えると、損には、なるだろう。だけど、大学教授の地位を捨てたのは、失敗だったと、お考えになったと、推察している。

 奥谷さんには、その時(=1970年)、すでに、ブランド的・冠は、幾つも持っていらした。芸大卒。文化庁在外研修生、第一期卒。そして、すでに、独立の会員だった可能性も高い。そして、有名な賞も受賞済みだ。しかし、大衆的知名度が、日本画家より、洋画家が、劣るという現実と、同じ様に、日本では、芸術家は、実力があるだけでは、尊敬を受けない。まず、金持ちである必要がある。

 その上、組織に属さない画家よりも大学教授の方が圧倒的な、大衆的知名度と、信用を受け取れる。年齢が近い有名画家に、大学教授と、画家の、二束の草鞋を履いている、絹谷幸二、大沼映夫、島田章三がいる。

 現在の私は、そういう枠組みから、一切遠のいていて、悟りの境地に達して居るのだけれど、40代では、悔しい思いをしたことがある。横須賀市の北久里浜と言うところで、英語塾を開いたのだけれど、当時のそこでは、国際基督教大学の知名度が無くて、お母様方の信用や、信頼が得られなくて、往生をした。一方で、知人の佐久間操さんは、明治大学の出身だ。六大学の一つだ。したがって、知名度は、抜群に高い。で、お母様方の、信頼度が厚くて、英語塾が成功した。一緒に郵便局について来てと、言われて、ついて、いったことがあるが、彼女は、塾の謝礼金を、分厚い札束にして、貯金をしていた。今、現在の貨幣価値に直すと、30万円以上だと、思われる。

 元に戻ろう。この大学教授職を捨てたという事が、奥谷氏に、後悔の念を呼び覚まさせていたと、仮定をすると、最近、20年間の奥谷氏が、名誉欲を追及されている姿勢なのも、ありだと、思い直されて来る。

 人間の心理的機序と言うのは、複雑だ。本日は、奥谷さんの、wikipedia を見て、大きく学ばさせていただいた。

 なお、マスコミ有名人のぼんぼりについて、触れるつもりでしたが、9日のブログとしては、すでに、書くのに疲れたので、後回しとさせてくださいませ。

 なお、このブログの、延べ訪問回数は、4163971です。誤変換を直し、推敲をしたら、署名と、書いた日付を入れます。

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谷垣禎一さんは、自民党葬も、密葬も、まだ、出してもらえないみたいだが、前田祝一氏は、神式の葬儀で、見送られた

2017-08-08 21:51:00 | 政治

 この一文ですが、9日の午前、一時まで、『北大路魯山人が、日曜美術館に出ると、私は、にしおおじさんを、思い出すのだった』としておりました。これは、上品で、気に入っているのですが、午前、一時、以降は、上のものと変更しました。下品ですが、本文の内容と、リンク度が、より高い総タイトルは、こちらです。

副題1、『美しく、かつ、珍しい、苗字を持っていると、厄介なこともある』

 今日も一種の閑話休題です。しかし、底流では、すべての問題は、いつもの鎌倉エージェントの悪辣さの分析に繋がってはいくのですが。8月6日(日曜日)午前中の日曜美術館で、北大路魯山人を特集した模様です。私はそれをまだ見て居ません。そして、皆様におかれましては、次の週の、夜ETVで、それが、放映をされます。

 しかし、私がここで問題としたいことは、その苗字なのです。非常にかっこいい名前ですが、ペンネームではなくて、本名なのですよね。ということは、南大路もあって、東大路もあって、西大路もあったはずなのです。

 今、北大路以外のせいの方については、世の中に、その活躍は、喧伝をされて居ません。

 しかし、音だけをとらえると、にしおおじは、ある意味で、私には、強烈な名前となるのです。しかし、漢字変換が、どうなるかと言うと、西大寺ともなりますね。こちらのせいが、音で、読むのか、訓で読むのかが、判らないのですが、もし、訓で読めば、にしおおじです。まあ、音で読むと推察していますので、【さいだいじ】でしょうが、そのさいだいじさんは、このブログの世界で、相当に、重要な人物なのです。

 ただ、さいだいじさんは、女性です。それで、結婚をなさっておられるので、今のせいは、異なってきています。朝の内はその、現在の姓の方を、ここで、併記として、書こうかと、思っておりました。国立劇場のトップである、茂木七左衛門さんからの連想ともつながって行く苗字だからです。しかし、夜になって、その人の、結婚後の名前を、ここで、書くのは、自重しようと、成りました。

 皆様におかれましては、『うっ、はぐらかされたかな?』と、お思いかもしれませんが、まあ、自重をして置きます。どうしてかと言うと、嘘の塊である、やまゆり園事件を、私の妹を殺して、語らせない様にさせた件についての怒りが、少し、おさまってきているからです。本当は、怒っていますよ。そして、それらのすべての源泉である、仲野通巳吉、安野智紗、柳沢昇の、三人に対する怒りは、大きいです。しかし、先週、その私が鎌倉エージェントと呼ぶ、グループの、一角を占めている前田祝一氏が、亡くなりました。

  上の写真は、二年前に偶然に、撮影出来た、我が家の前で、あくどい事をやっている前田氏です。どんなあくどい事かは、柳沢昇の項目で、語ります。特に警官が呼ばれた件で、語ります。副題5になるでしょう。こういう写真が撮影できたのも、それも、神様のご援助だと、おもっております。ひどい事を、私に隠れてやろうとしている処なのです。私が絶大な損害を受ける事をこれから、やろうとしているところです。

 まさか、とは思いますが、一方で、ちらっと、『奥様の留守のうちに、誰かが、ピッキングをして、鍵を開けて、旦那さんに、筋弛緩剤を使ったのかな?』と、も、思いました。奥様がお葬式で、説明をなさったところによると、ちょっとした突然死だからです。入院は、なさったそうですが、退院して後の事であり、タイミングとしては、本当に、突然の死ですから。無論、以前から、癌をり患されていたと、聞いています。そして、衰弱をされて居るとは思って居ましたよ。だけど、一か月前に、この山を歩いて登っていらしている姿を見たと、思うので、ある部分で、『変だなあ』と、思うのです。母の最終段階を、見ていると、死ぬのも大変です。ひと仕事です。数か月かけて、弱って行くのです。そして、一か月前は、歩けないです。

 だけど、前田さんの死に対して、私があれこれ、推察を、はびこらせるのは、やめて置きます。ただ「そうですか」と、言う形で、受け止めて置きます。そして、先週の4日に通夜があり、5日に告別式があり、私は、両方とも欠席をしています。しかし、主人は通夜に行っていて奥様のあいさつを聞いたわけです。奥様自身が、突然で、と、おっしゃたそうです。

 やまゆり園事件と、妹の他殺に対しては、激しい怒りを持っていましたが、前田氏の死を聞いて、ちょっと、勢いをそがれたと、言う感じです。でも、隠し玉と言う形で、いろいろな傍証があり、引き続いて、「絶対に、19人は死んでいない」と、主張することができます。まだ、皆様には、語っていない重要な事が、幾つも残っているからです。ただ、妹が複雑極まりない形で殺されている事と、前田さんの、突然死が二つ相まって、私が、怒りをスムーズに発することが、今は、抑えられているわけです。それが、敵の本当の狙いだったら、私は、敵の罠にはまったという形ですが、・・・・・・?????

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副題2、『国立劇場の塀(または、石垣)を入ってから後の、進入路が、封鎖されて居て、回り道をせねばならず、タクシーの支払いを、50円余計に支払ったことがあるのだが、これは、茂木さんが命令した事ではないでしょうね』

 国立劇場の歌舞伎鑑賞教室の切符の販売方法が、2016年は、非常におかしかったと、怒ってブログの世界で、書いても、修正されなかったが、茂木七左衛門さんが、若い時に、アメリカで、仲良くなったとされる、大来洋一さんと、その母君寿子さんや、父君佐武郎氏に触れた途端に、事態が改善されたというのが、前報です。2016年は、国立劇場の二階席は、まだ売れていない部分があるのに、パソコン上真っ黒になって居て、買えなかったのに、2017年度は、自然な、形になっていたからです。

 こちらの事は、トップである、茂木七左衛門さんも、認識なさって居ら得ることだと、思うのです。しかし、税金で、運営をされて居る国立劇場が、その入場料収入を減らすわけですから、もし、トップとして、知っていて、それを許可なさっていたら、一種の背任になりますね。

 だけど、大来さん一族の名前を出す前は、一切をご存じなくて、誰かが、それをやったわけですが、その誰かとは、それこそ、鎌倉エージェントであり、ここでも、日本の警察は、鎌倉エージェントの私兵化しているという事が、証明づけられるのです。

 私は、鎌倉に住んでいるのですが、そういう私が、国立劇場に行くのに、もっとも、安くて、便利なのは、都バスを、銀座四丁目か、数寄屋橋バス停か、日比谷バス停で、利用することです。そして、三宅坂で降りる。

 しかし、歌舞伎を見ようとすると、横須賀線だって、一時間遅延することがあるのですよ。それは、何度も書いて居ます。それほどの、妨害を受けるのが、私です。バスなんって、横須賀線より乗客は少ないです。だから、間引かれてしまう可能性は大です。ですから、帰りは、利用しても、行きには、とても怖くて、利用できません。特に、30分に一本しかないので、もし、間引かれたらアウトですから。

 国立劇場そのものが推奨しているのは、東京メトロ半蔵門線の、半蔵門で降りて、歩くか、有楽町線の、永田町で、降りて、歩くことです。しかし、これが、乗り換えが面倒なのです。

 で、結局のところ、新橋から、タクシーで、行く事が、一番多いのです。スムーズに、進行すると、970円で、行くことができます。

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副題3、『バスも間引きされることが多いのだが、タクシーの運転手が、刑事とか、警察官が変装している場合も多いのだった。2014年6月4日、コバヤシ画廊前で、拾って、安藤てる子さんと、日比谷シャンテ内の柿安ダイニングに、一緒に、乗ったタクシーは、完璧に刑事の変装した運転手だった。その男性は白髪であり、2003年、3月31日に、中央郵便局のロビーで若い女性と2人で歴史の勉強をしていた男と同じだった。主人が心筋梗塞で、入院中は、大船駅西口タクシー乗り場にそれと思しき、タクシーが待っていたし、国立劇場の、切符を持っているときは、切符を買う時に、記名するシステムに一時期なっていたので、敵さんは、私がいつ、新橋駅東口のタクシー乗り場から、乗るか、判っているので、待ち構えていたのだった』

 私は誰のものも盗んでいないし、誰も殺していないのですよ。だから、弁護士さんは、何も怯えることはないと、言っているのですが、嫌がらせは、大量に受けます。毎日、毎日、外出するたびに受けます。

 その理由の一つが、柳沢昇が私の猫を盗んでおいて、しかも、それを隠したいがために、大声を出して、私を脅かした日に、猫が、びっくりして、彼を捨てて、私のもとに逃げ帰って来た日に、パニックに陥って、警官を使って、恥をすすごうとしたことから、始まっています。柳沢昇と、石川和子さん夫婦は、私の猫がそちらに遊びに行くことを、一種の、証拠として、自分たちは、川崎千恵子よりも優れていると、信じていたみたいで、最後の最後に、それが、間違っていて、猫が私の方を、彼等よりも好きなことを知った途端に、とんでもない事をやったのでした。

 つまり、警官を呼んで、「川崎家の旦那を呼び出して、旦那に奥さんを叱ってもらうように、旦那に命令して、ください」と、頼んだらしいのです。こういう依頼にうかうかと、乗って、この山の上までやって来る、交通警ら隊の警官が居るのですよ。驚いちゃいますよね。民事不介入ではなかったのですか? しかも、山の上ですよ。ドリームハウスと言う特番をご覧になった方は、石段を、130段ものぼってこないと、この山の上には、家を建てられないのです。だから、重い鉄筋を使った、北隣の家が、建てるのが、どれほどに大変なのかが、その番組内では、繰り返し、表現されていました。

 だから、交通事故など、生起しようもないこの山の上に、交通警ら隊が、登って来てはいけないのです。しかも猫の事ですよ。しかも、持ち主は私なのです。こういうのは、徹底的に民事と言うものではないですか? で、警察とは、民事不介入だったのではないですか?

 だから、日本全国的に言えば、虐待が判って居ても、また、ストーカー被害が判って居ても防げないのが、現在の警察でしょう。悪い愛人と巡り会ってしまった女性は、殺されてしまうし、母が、実父と違う男性と、セックスフレンドになった幼児は、相手の男に殺されてしまっているではないですか?

 しかし、鎌倉で、パトロールをしている交通警ら隊の、警官は、猫のことで、しかも、持ち主でもない方の、言う事を聞いて、猫の持ち主をいじめに来たのでした。脅かしに来たのでした。驚くべき偏波です。

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副題4、『柳沢昇と、石川和子は、・・・・・あそこの家は、家庭内別居だから、東側の玄関を、訪問をしてはダメなんですよ。西側の玄関だけを、使ってください。そして、あそこの旦那だけを呼び出して、旦那に奥さんを叱ってくれる様に頼んでください・・・・・と、頼んだらしい。我が家にやって来て、乱暴狼藉に限りを尽くした警官が、私にそう言ったのだった』

 二重ガッコ内に書いたことをこれから、丁寧に敷衍をして行きます。展開をして行きます。その際に、やはり、神様はいらっしゃるのだと、言わせてください。この日、主人は家には、いませんでした。もし、家に居たら、もめ事を避けたいと、思って、家族の方を下にしたと、思います。で、私は警官の前で、自分の方が頭を下げないといけない羽目に陥ったと思います。

 我が家と言うのは、1984年に2860万円で、18坪の古家を買って引っ越してきたのです。そちらの部分についているのが、西側の玄関と言う事で、壁がベージュ色のトタンでできておりました。そして、そちらには、ベージュ色のドアがついていたのです。

 で、そのご、1989年に、15坪の、増築をして、全部で、33坪になっています。新規に増築した方にあるのが、ラス張りの白い壁に、白いアルミ製の、ガラスがはまったドアのある玄関です。石川和子さんが、一回だけ、彼女の方から、猫を抱いて、返しに来た時があって、その時に、白い玄関から、私が出てきたので、そういう風に判断をしたらしいのです。

 その陰に、この山の住人の普段の生活と言うのが、加味されています。大原光孝さんから、面と向かって、「川崎さんが、離婚をするって、この山のみんなが噂をしているよ」と言われたことがあるのですね。2002年か、2003年です。それから、同じころに、千駄ヶ谷の、河出書房新社に、同期生の川名昭宣君を訪問したことがあって、その時に、彼の方から開口一番、「あれ、未だ離婚をしていなかったの?」と、言われたことがあって、『ああ、川名君って、伊藤玄二郎と、親しいのだな』と、判断をしたことがあるのですが、

 全国的規模、または、全世界的規模で、私を知っている人の間で、私が離婚をしそうだといううわさが流れていた可能性があるのです。もちろん、銀座の画廊の中にもそう信じている連中は居るでしょうし、小、中、高校、大学の同期生の中に、そう思って居る人間もいるでしょう。だけど、そういう人間は、私の事を知らないし、我が旦那の事も知りません。私の夫は、呉と言うところで育っていて、父が毎日、石川島播磨から、必ず、五時退社して来る生活を送っています。で、朝型人間です。

 一方の私は、日吉で育っていて、小学校四年時から、受験勉強をしてきているので、当然のごとく夜型人間です。午後四時ごろから、体の芯からの、目が覚めて来る。で、外出したいなあ。「夜って、11時まであるでしょう?」っていうタイプです。そして、両親も、戦前からモボとモガだから、夜型で、外出好きですね。また、日吉のご近所様なんて、夜型人間が多くて、夜遅く帰宅するパパが多いし、街も、学生街だから、12時ごろまで、生きて居ます。鎌倉の特に我が家近辺など、6時になると、しーんとしてしまうので、まったく違うのですがね。

 だから、価値観と言うか、生活パターンが全然違うのです。こういうポイントでは『東大卒の人と、お見合いが何度もあったので、ああいう結婚の方がよかったかな。都会育ちの人だと、妻の行動の自由は許すだろうにねえ』と、思うのですが、ともかく、海外修業をしたいという夢は、絶対にかなえたいことでした。1998年に文化庁の在外研修生制度で、パリで、三か月の、版画修行をして、絶対に自分には、海外暮らしが向いていると、思いましたね。だけど、我が夫は、許さないです。それが、今でも続いていて、特に病気になった後では、東京に行くのも北久里浜の、旧宅に行くのもいつも、彼にせき止められて、大騒ぎです。「朝九時から出かけろ。それならいい」と言うのですが、私の体内潮位が、その時間帯だと、まだ、満ち潮ではなくて、動きたくないのですね。園芸の仕事でもして、エネルギーレベルが高まるのを待っているのです。ともかく、2000年に、私はまだ、56歳であって、海外へ行きたいと、思っていました。お金も、父の遺産が、2400万円残っていましたし。

 しかし、この家から出立するのは、まったく無理なのです。だから、逗子で、一人暮らしをしていました。そして、1999年と、2000年の秋に行った、三か月間の、それぞれ、違った環境での、ニューヨーク版画修行は、本当に大きな実りを私にもたらしてくれたので、あれを経験して置いて良かったなあと、おもっております。あれを経験しているので、落ち着いているのです。あれが、無かったら、どこかで、何かを取り残した人生だと、思って、落ち着かないし、欲求不満の人で、不定愁訴気味の毎日を送ったでしょう。

 今、精神的には元気いっぱいです。そして、大原さんこそ、三年以上奥様は、家にいないですよね。大丈夫? あそこのご家庭は、攻撃されるから、語るのですが、非常に表面的です。中身に愛情の交流がない。愛情とは口先で、つくろえるものではないですよ。で、離婚もしていないし、家庭内別居もしていないのですが、石川和子さんは、山中の人間が噂をしている通りに信じて、

 東側の白い玄関を私が、使っていて、西側のベージュ色のドアを、主人が使っていると判断をして、必ず、西側だけをノックしてくださいと、頼んだらしいのです。石川和子さんは、猫を返しに来た時に、そちらのドアには、有効なベルは無いのには気が付いていたらしいですね。

 実はありていに申して、すでに、石川和子さんの事は、我が家中の人間が見放していて、猫を外へ出さない様にしようと決めていたので、西側の玄関に、ネコ砂入りパットを置いていて、猫トイレにしていたのです。しかも画家である私の巻キャンバス等も置いていたので、絶対に開けない玄関でした。主人ももちろんのこと、白い玄関から出入りをしているのです。(苦笑)

 でね、警官二人は、ベルを押さないまま、ただ、ただ、開かない玄関のドアノブをガチャガチャと、三分から五分程度の長さでやっていたのではないですか?

 そうなると、二階で、パソコンを打っている私もなんとはない以上に気が付いて、降りて行きます。そして東側の白いドアを開けて、古い玄関の外に、二人の警官が、恐ろしい顔をして立っているのを見つけます。

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副題5、『白いドアを開けて出た私に、二人の警官は、すこぶる付きの汚い言葉で、・・・・・お前に用はねえんだ。おまえの旦那に用事があるんだ。おまえを、旦那に叱ってもらわないと行けねえんだ・・・・・と、言った。その瞬間に、二人が、柳沢昇と石川和子の二人に呼ばれて我が家に来たことと、絶対に自分たちが悪い癖に、警官を使って勝とうとする、二人の幼稚さと、バカさ加減もわかって、私は、どっと安心をした。圧倒的な余裕をもって、アジサイ畑欺罔事件の事を語り始めた。

 なおこれから先は、アスベスト訴訟問題と、前田祝一氏が、それに関与している話と、彼が、2016年、7月17(または、18日)、テレビ東京の、ドリームハウスという特番に出た事と、その日に谷垣禎一さんが亡くなった可能性がある事と、

 旭化成、杭うち疑惑問題と、谷垣禎一さんの、自転車事故と、と、やまゆり園事件と、全部ここに絡まってくるのですが、壮大な、文章になるので、いったん、中断をいれさせていただきます。あしからず、ご了承をいただきたく。

  なお、このブログの、2010年より数え始めた延訪問回数は、4162542です。

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国立劇場の切符販売が、CIAの差し金で、おかしくなっている時、大来佐武郎・寿子夫妻と、子息洋一氏について書くと治るのだった

2017-08-05 22:34:52 | 政治

 この一文は、7日の午前二時から、五時まで加筆を続け、その後ばたん、キューっと言う形で、寝たのですが、起きた後で、続きを書こうと持っておりました。しかし、午前五時に寝て、午後零時に起きたのです。(苦笑)その後、日常の仕事をして、その後画廊巡りへ出かけ、今帰宅したところですが、すでに、夜の10時半です。それで、梅枝が、潰されそうになっているという問題を本日中に書きあげられそうにもありません。それで、総タイトルを、『緊急事態です。非常に実力のある若手女形の梅枝が潰されそうになっています。まだ生きて地下潜行をしている井上ひさしが、松竹に魔手を伸ばしていて』から、上のモノへと、変更をいたしました。あしからず、ご了承をいただきたく。梅枝問題は、後日再び、取り上げます。

 本日の文章は、閑話休題と言う感じで、いつものテーマからは、外れます。しかし、日本社会の、現状に、たくまざるして、遭遇をしてしまった、切ない体験です。胸がいっぱいになっているので、どうか、語らせてくださいませ。さて、5日に一部を書いて、6日の昼に続きを書くつもりでした。が、6日は、お出かけをして、その後、映画【桐島、部活やめるってよ】を、見て、その後、税務申告の書類整理を、7時間連続してやって、現在次の日の午前二時です。普通の日だと、もう寝ないとだめなのですが、税務申告用書類整理は、ブログ用の頭は使わないので、まだ、ブログを書く気力があって、今から、今まで書いたところを推敲します。加筆部分はアンダーラインを敷いておきます。

 相手が特定をされて、しまうのを恐れて、いつもは、本日(5日の事)経験したことは、語らない方なのですが、まあ、鎌倉エージェントも、あれほどに、貧しくて、切ない境遇の女性を、いじめるはずもないので・・・・・むしろ探し出して、飼ってあげるのではないかと、思うので、語ります。というのも、私の文章を否定する為なら、私は、その人から、逃げ出したわけですから、それと正反対の行動とは、最後まで、その人を大切にしてあげたらいいわけですから。で、生活費を出してあげて、ちゃんとした生活が成り立つようにしてあげることを、飼ってあげると表現したわけですが・・・・・どうなる事やら、これから、先に書く文章次第でしょうね。お待ちくださいませ。

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副題1、『今現在、朝ドラ【ひよっこ】で、白石佳代子さんが、演じているのは、若いころ、非常にきれいだった水商売上がりの女性という設定なのだが、私が、新宿で出会った、女性ホームレスは、元、国際劇場、または、宝塚に出ていたダンサーではないだろうか?と、思う程、美しい女性であった。洋服から考えると、確実にホームレスである。すでに、70代だと推察されるが、背は高くて、姿勢は、しゃんとして居て、しかも、お化粧はバッチリして居て、お顔だけは、ピンク色の肌である。

 その人は、交差点そばにある、高めの縁石風のものに座って、所在投げにしていたのだが、傍を通った、パトロール中の二人の警官の、彼女側の青年が、一本の真っ白なたばこを、彼女に渡したのだった。

 その時に、青年は、何かの慰労の言葉をかけていたと、思う。二人は、以前からの知り合いであるみたいで、女性は、一切のお断りをしないで、ひどく平静に、それを受け取っていた。

 その光景を見て、私は、非常にいろいろなことを考えたものである。本日(=5日の事)こちらは数年前の現象だが、この5日に出会った女性を語るためにも、比較対象例としての、あの女性は、重要な存在だ。

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副題2、『私が喫煙者の、待遇に、・・・・・あまりにも気の毒だ・・・・・と、同情する文章を書いたとたんに、真っ反対の方向へ事態は、進展した。神奈川県で、初めて、受動喫煙廃止条例ができて、「レストランを、分煙しないと、いけない」となったのは、鎌倉エージェントが、自分たちが助かるために、あいつの文章を潰してやれと、常に狙っている手法の一つとして編み出された謀略なのである。私の文章を潰すために起こしたケースであって、NHKニュースが言うほどには、健康被害は、無いはずなのだ。

  私は【一本の煙草が落ちていて】というエッセイを書いたことがある。それは、喫煙者が、追い立てられていて、まるで、犬扱いをされて居るのを、気の毒に思った同情心を表現したものだった。是の出来がいいので、突然に、受動喫煙廃止運動が高まったのである。

 これは、思い過ごしでも、誇大妄想でもなくて、お隣の小野寺夫人が、花の世話をしている私に近づいて来て、堂々と、受動喫煙を嫌う論調を、繰り広げたり、(後注1、へ。どこかにすでに詳細にそれを、書いて居るが、見つけられるかどうかが判らない)

 路上喫煙禁止マークは、まさしく、この雪ノ下の、うぐいす会と言う町内会への進入路に、全国に先駆けて、置かれたのであることなどを勘案すると、間違いもない事実なのだ。

 ところで、その道路標識なのだけれど、糊で、アスファルトに、引っ付いているのかと思ったが、違っていて、金属が混入された重いゴムでできているので、ペタッと、道路に張り付くのだった。だから、意図的にはがそうと思えば、はがれるモノだった。しかし、私は無論のこと、それを確かめただけで、剥がしたりはしない。もし剥がしたら、それは、リアルな世界で、喧嘩を売ることになるし、相手は、公共の団体だから、こっちが悪をなしたことに成ってしまう。だから、持ち上げて見ただけで、それを移動させることはなかった。

 それ以外にも、五色沼に旅行をすれば、ダリの作品を集めた美術館のトイレのドアに、同じマークが貼ってあり、歌舞伎を見始めると、最初は、きれいなドアだったのに、三か月後には、三階まで、トイレのドアにそれが張り付けられる様になった。2階と、一階は、まだ、チェックをしていないが。既に二回ほど、一階席で見ているのに、たまたま、トイレのドアは、チェックをしていない。一階席で、歌舞伎を見る人など、上流階級だろうに、そういう奥様が、隠れて、歌舞伎座のトイレで、たばこを吸うだろうか?

 だから、こういう現象からも、井上ひさしは生きて居ると、私は信じている。伊藤玄二郎も、山川静雄氏(小津映画のプロデューサーにして里見弴の、子息)を通じて、松竹に働きかけている。

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副題3、『今、まだ生きて居て地下潜行をしている井上ひさしは、中村梅枝を潰そうとしている。福助の復活が無いのなら、梅枝が、立女形の地位に就くはずなのに、出番を失くして、潰そうとしている。何故かというと、私が、非常に高く評価をしているからだ。私が隣の人と、駄目だなあと、3年前には、話し合った、橋之助一家は、女形の名跡、芝翫を襲名し、息子三人も次から次へと、先代の名前を襲名し、その襲名公演に、一年以上の、演目が使われているが、これは、私が、<橋之助は、勉強不足で、息子(長男)も、甘やかされている>と、隣のお客と話し合ったからだ。私はスマホを持たないで、歌舞伎座に行くが、今、切符を買う時に、名前と電話番号を記すように求められる。

 ここを今、ここでは、詳述しないで、後で詳述をする事として、国立劇場の、切符販売システムについて語ります。

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副題4、『国立劇場の、2016年度の歌舞伎鑑賞教室では、座席が全部売り切れだという事に、嘘で、させられていた。それをブログで書いて居ても、一豪も、改善をされなかったのだが、支配人の、茂木七左衛門氏の、友人である大来氏について書き、特に、大来佐武郎氏について書き、その奥様である、大来寿子さんについて書き、かつ、経済安定本部に父が在籍していたことを書いたころから、だいぶ改善をされて来たのだった。経済安定本部とは、戦後で来た配給物資を分配する役所の事であり、そこに勤めていた人は、当時は、日本社会で、もっともちやほやされていたのだった。大来佐武郎さんは、そこに勤めていて、そこが経済企画庁と、名前を変えたころに、息子さん(=大来洋一氏で、茂木七左衛門氏と、親友であると、wikipedia に出ていた)が、そこに勤務をしていて、そこの長官が、私の中学の同期生であって、ジャパンのオルフェの、企画委員か何かをしているのだった。

 このことは、お茶大付属高校の、同窓会がめちゃくちゃに、CIAに、悪利用をされて居ることに繋がってると、推察している。どうしてかと言うと、寿子夫人が、お茶大付属高校の出身で、しかも、小石川に、大きなお屋敷を構えていて、有力な、メンバーとして、同窓会に、力を及ぼしておられるからだ。このことは一度、ジャパンオルフェについて触れた辺りで、軽く書いて居るので、そのリンク先を後で、見つけておきたい。

 ただ、国立劇場は大来寿子さんについて書き始めた辺りから、やっとのことで、改善をされて来た。しかし、改善されたのは、2017年度からであって、2016年はひどかった。2014年から、国立劇場を見始めたのだが、切符を買う時に、名前と電話番号を書くように迫られるのは、

 国立劇場ではやっていないシステムだったが、私が、国立劇場を見始めると、国立劇場も、数か月後には、同じ仕組みになって来た。そして、驚くべきことに、2016年の歌舞伎鑑賞教室では、私に切符を交わさせないがために、前席売り切れたことにして、パソコン上の座席表が全部真っ黒になっていたのだった。インターネットで、座席表を、見た他のお客様も、歌舞伎鑑賞教室は、見ることができなかったと、言っている。しかし、実際には、二階の席は、スケスケだったのである。常連の人(校倉会と言う後援会がある)などは、別の方式で、切符を買うので、手に入れることができたと推察されうる。そのことを真正面から書いただけでは改善がなされず、バイパスである、大来寿子夫人とか、その子息である、大来洋一氏について、書き始めると、やっと改善をされたのだった。

 どうしてそうなるかと言うと、2014年秋に、豆腐屋うかいで、開かれたクラス会で、めちゃくちゃに恐ろしい謀略の罠が張られていたのだけれど、その陰に二つのらいいんがあって、宇都宮和代さんが、いじめてきたのは、イタリア留学の縁と、お茶大西洋史学科と、教育大学西洋史学科の縁で、栗田玲子さんが動いた可能性があり、それが、一つの線なのだけれど、

 もう一つあって、それは、大来寿子さんが、リクルートをしている、OPCのラインなのだ。時枝裕子さんが、私に、一種の盗聴によるスパイを、して、葉山の美術館で、ひどく悲しい思いを与えて、来たのも、井上ひさしと、関口台カテドラルの、ラインがあるのだけれど、大来寿子さんのラインもあるかもしれない。・・・・・ それは、黒田清子さんの結婚式にもつながって行くし、・・・・・

 大来寿子さんの件は、高木きよ子文学博士の大往生にもつながって行く。高木きよ子先生は、OPCにおいては、寿子さんの先輩である。きよ子先生は、OPCのメンバーである同世代のお友達と、亡くなった日は、お食事を一緒にレストランで、なさる予定があった。それほど、元気な方が、前夜、友人たちに、「気分が悪いので、明日は行かれませんよ」と言う電話連絡もせずに、ベッドの中で、亡くなっているという事はあり得ない。母は大往生と言う死因で、しかも高木先生と同じく、ベッドの中で、眠る様に死んでいるのが朝の、7時に発見をされた。しかし、その三か月前から、自分の意志で、食べなくなっていた。それに対して、延命治療(胃ろうとか、点滴液による栄養補給)を行わないことに子供たちは決めていたが、最後は、寝たきりに近い状態だった。ジョジョに、衰えるのだった。お棺の中のきよ子先生は、ソクラテス顔貌(極端にやせている事。母は、そういう状態で、亡くなったが)にもなっておられなかった。

 

 

@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。ところで、ホームレスと、受動喫煙の問題は後に回し、歌舞伎座における怪異現象について、語りましょう。国立劇場は改良されていますが、歌舞伎座は悪の巣窟となっています。

 なお、これは、無論のこと、未完成ですが、訪問数だけを、記載をさせておいてください。

2010年より数え始めた、このブログの延訪問回数は、4161429です。<input type="text" name="accesst/accesst_pv_user" value="4161429" size="200" />

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ラジカセ破壊ー3、・・・・・カザルスホールの怪と謎 +渋谷ロフトで、ラジカセ展が行われたのは、事前に周到に準備された事だったかな?△

2017-08-03 13:07:58 | 政治

 今、5日の午前9時半です。ほぼ完成をしました。それで、恒例の△印を、総タイトル右横につけて置きます。なお、推敲中に加筆をした部分は青の太字で表します。

副題1、『今日のブログを書き始める前に・・・・・新堀真知子さんと、鎌田毅君を思い出さないといけない』

 この一文は、次の二つの文章の続きです。後注1に置いた前報と、後注2に置いた、後注1の、さらに前のブログの続きです。ラジカセが壊されたという現象は、妹が殺されたとか、10人の知人が、どうも謀殺をされて居ると、言う現象よりは、小さいです。しかし、そこから枝分かれして、多大な、事を明らかにできるでしょう。彼らは、表向きには、私を攻撃することは、できません。だから、すべてをひねった現象として行いますが、そのひねった現象の、裏と言うか、謎と言うか、真実が、ラジカセ破壊から、解けてきますので、・・・・・・

 また、この文章は、実際には、4日の午後に公開をいたしますが、3日付の文章とさせていただきたいと、存じます。

 ところで、最近、私は「10人の知人や友人が殺されている」と言っていますが、実は、その中に忘れていた名前がありました。鎌田毅君であり、中学の同期生です。癌だという風の便りを聞きました。しかし、私が、その逝去のお知らせを、葬儀等に、間に合う時期に、受け取っていないのは、不思議なのです。どうしてそう言えるかと言うと、

 鎌田君と私は、新堀真知子さんと、言う、ハープシコード奏者(そして、ドイツの、フライブルグ大学の教授でもあった)の、日本・帰朝・演奏会の、準備(お友達に出席するように電話等で、勧誘する)とか、を、積極的に行ってご支援をした仲なのです。で、二次会等もすべて、参加している仲であり鎌田君が撮った二次会を含む記念写真(3~5人をまとめたスナップ類)を、鎌田君がその当時住んでいた築地のマンションに、私がとりに行って、それを、私が、郵便で、写っている友人たちに、発送を、したという仲なのです。鎌田君がDPE代を負担して、私が郵便代を負担して、みんなに送ったという協力者なのです。

 新堀真知子さんの演奏会には、100人の同期生の内、常に、30人以上は出席し、それをダシにして、みんなが、友好を温めた会でした。どうしてそういう役目を買って出ていたかと言うと、私は、新堀さんのお母さんが、行っていた合唱サークルに出席して居て、実家から歩いて、10分程度の場所に在った新堀さんのお宅には、100回近くお邪魔している仲だから、女の子代表幹事みたいなことを引き受けていて、一方の鎌田君は、抜群のレベルで、音楽が好きだったので、そういう役目を引き受けていたのでした。

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副題2、『カザルスホールは、飯田橋から、歩いて行ったという記憶があるのだけれど、その名前が、日大へ移動をして、お茶の水へ移り、しかも閉鎖された模様であり? 疑問がいっぱいある。が、もし、今、私が書いて居るこの文章で、現れるCIA日本エージェント(普段は、鎌倉エージェントとそれを呼んでいるのだが)の、トップが成岡庸司君だと、仮定すると、この現象もあり得ると成るのだった』

 私と鎌田君が新堀さん姉妹(妹さんは、パリの国立音楽院の教授となった)と、カザルスホールで、ハープシコード+ピアノの演奏会などを楽しく聞いて、終わった後で、神楽坂の、レストランで、二次会をしていた頃、カザルスホールは、東五軒町近辺にあったはずなのです。そこには、梶本音楽事務所もあったはずなのです。そして、カザルスホールのホール様式ですが、ウィーンの学友協会ホール(NHKが、年末に、ワルツの演奏会を中継するホールの事)を模して居て、長方形であり、座席に傾斜がないという形式だったと、記憶をしています。ただ、ウィーンのモノよりは、小規模であり、二階がなかったという記憶があります。

 ところが、今、wikipedia を、開いてカザルスホールを、チェックしてみても、飯田橋に在った方のホールについては、何の記述もないのです。無論のこと、東京は地価が高いです。ですから、天井が高くて、一階のみなので、客席数が少ないホールだった、カザルスホールが採算が合わなかったことも、想像はできます。それに、飯田橋駅から、ちょっと遠かったのですね。10分は歩くという感じでした。だから、お客が入る、コンサートを開くことが不可能だった?とも、考えられます。今、上野の文化会館小ホールは、復活して居て、たくさん、音楽会が開かれているみたいですね。あと、白寿ホールとか、王子ホールも御客の入りの良いコンサートホールみたいです。そして武蔵野の小ホール。これは、大編成のオーケストラ向きなホールではなくて、室内楽とか、ピアノ演奏会向けのホールとして語っております。ふと、想像をするのですが、梶本音楽事務所の誰かが、理想を実現しようとして、このホールを作ったのだけれど、内部分裂があったそうなので、そちらは負けてしまい、それで、地価の高い、場所の有効利用として、この贅沢な音楽ホールはつぶされてしまい、ただ、それなりに実績があるから名前だけは、より交通の便が良い御茶ノ水の日大講堂に移して、再開をしたと、感じています。

 私は音楽の世界には、詳しくはないのですが、その飯田橋の方の、カザルスホールについては、ネット上、どこにも記述が無くて、ただ、御茶ノ水の日大の、中の講堂がカザルスホールと呼ばれて居て、そして、閉鎖になるのを惜しんで、運動が起きた(後注3)という記述があるのみです。こちらの御茶ノ水の方の、記述もネットから消えるといけないので、wikipediaをコピペして、一章を立てて置きます。

 でね。どうも、「カザルスホールが消えますよ」と、言う情報がネットで出回り、私がそれに気が付いたという事は、これまた、私が書いた文章へ対する否定だったのではないかと、思い始めているのですね。原文は、新堀さんの思い出を書いたものだったと思うのですが、そこに出てくるカザルスホールを潰して、私の文章の価値を下げようとする目論見ではないかと。同じことは、鶴岡八幡宮様の、アメリカキササゲを伐採してしまったという現象にも見られるので、そう感じるのです。ただ、新堀さんの思い出を書いた文章は、それこそ、殺人事件を扱ったものではないので、どこに在るのかは、とても思い出せません。恐れ入ります。

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副題3、『このカザルスホールの消滅を反対する会は、テロ等準備罪に反対した文化人、13人の会等と、そっくりであり、両方の裏側に、鎌倉エージェント(=CIA)の動きを感じている、私だった。そして、そのトップが長らく、瀬島龍三であったが、現在は、成岡庸司君であろうと思う、根拠にもなっている。ただし、パソコンのシステム異常が起きないのが、不思議なのだが?・・・・・』

 私は、1990年に女流展に入選し、それ以来ずっと、出品をつづけているし、1991年には、国展に入選し、それ以来ずっと、入選を続けて居たし、1997年には、文化庁の在外研修生(これは、大学を卒業した後での、留学の事を指す)で、パリへ渡ったので、音楽の方とは疎遠になって行くのです。で、カザルスホールには、関心を失っているのですが、この保存を求める会の存在は、私のパソコンに、そのニュースが現れて、それを知る事となります。

 で、これから、語る一章は、皆様が、聞くのを嫌がり、また、読んでも笑止千万だと、仰るのであろうことを承知で、語るのですが、2003年ごろから、私がパソコンで書くことは、すべてが詳細に研究をされ、そこから、攻撃のポイントを探られ、使われる様になるのですが、それだけ、私が大物であったと、言う事に、成ります。それで、メルマガか、ブログかの、どこかで、新堀さんの事を書いて居るので、カザルスホールが、飯田橋の方も潰され、御茶ノ水の方も潰されるという事態に至ったのでしょう。

 または、新堀さんの真知子さんの逝去があったのですね。その電話連絡等もあったので、こういうニュースが作られたのかもしれません。新堀真知子さんとは、ドイツと、日本を挟んで、電話で、応対をしたり、お手紙の交換もしています。特に成岡庸司君が中学の同期生で、しかも、自分を死んだことにしていますので、出席できませんね。で、一種の嫉妬心で、この音楽会の、催しを嫌がっていたとも、感じているのです。井上ひさしも、公的には、自分を死んだことにして、実際には生きて居て、地下潜行をして、CIAを助ける数々の謀略のアイデアを提供しているのですが、成岡君は、非常に若い時期に、自分を死んだことにしたみたいです。それは、三十代(=1980年代)に、私に早稲田卒で、朝日新聞社に、入社した、別の友人を通じて、伝えられました。だが、そちらの情報の方が嘘であり、成岡君は生きて居ると、感じています。

 そして、どうもアメリカ大使館等に住んでいて、板垣英憲氏などに、日本国民(特に知的な層)への、心理操作用、情報を流している感じがします。

 これは、部分的には間違っていて、板垣英憲氏と、直接接触するのは、成岡君の命を受けた別の人かもしれませんが、成岡庸司君の、生活がアメリカ大使館内に住んでいる生活であろうと言う部分などは、当たっているでしょう。彼は、今も、昔も、アメリカと、べったりであろうとは、おもっております。しかし、早稲田在学中は、新左翼系の学生運動(革マル派)のトップだったのですよ。それが、CIAへ、勧誘をされたのはICU在学中に、私と些細なレベルでの、接点があった、秋山豊寛氏の、せいだとおもっております。秋山氏とは、TBSの報道記者で、ソ連のスプートニクに乗って、宇宙へ行った、宇宙訓練し以外の、普通の人としては、最初の人です。

 そして、この手法は、そっくりそのまま、テロ等準備罪へ、応用をされることとなります。

 テロ等準備罪そのものが、・・・・・やまゆり園事件では、成功しなかった、私の拘束・・・・・を目的としたものなのです。『あのブログ=この、銀座のうぐいすの事=は、非常に困る』と、伊藤玄二郎たちは思って居て、テロ等準備罪で、彼女を、拘束をしてしまおうとか、それを利用して、あいつに、自分がみじめな立場であることを思い知らせてやれと、言うような目的で、起こされた事案でした。私が、みじめな立場かどうかは、私の主観に、依るわけですが、マスコミを最大限に、利用している彼等、CIAエージェントたちは、マスコミ有名人ではない私の事を虫けらのごとく、弱いものだと、見做しております。

 カザルスホールを潰すなと言う運動に加担をして居る人々は、音楽界の有名人をすべて網羅していますし、テロ等準備罪が、大騒ぎだったころに、立ちあがった、反対する13人の文化人の会と言うのも、50代から、60代の、バリバリの、テレビコメンテーターを右派も左派も網羅している団体で、『どうだ、お前、悔しいだろう。みじめだろう。この中に入って居なくて』と、井上ひさしが言っている様な気がします。

 どうして、そう言うかと言うと、2003年の、葉山の、美術館開館記念展で、小金井に住んでいる時枝裕子さん(物理学専攻で、女性とは、トップクラスの、とても偉い人であり、かつ、私のメンターであり、カソリック信者でもある)が、「ここに、自分の作品が無くて、あなた、悔しくないの?」と、仰った流れと、まったく同じだからです。私は普段は、親切な人である、時枝さんが、どうして、これほどに、とげのある言い方をなさるのかが不思議で、大いなる違和感を感じて、『もしかして、この人の後ろに井上ひさしが、おんぶお化けのごとく、くっついているのではないか?』と、感じたものです。その直感的推測は、今では正しかったと、おもっております。それで、本当に怒っておりますが、実際に、その推察を、口外し始めたのは、15年待った後でした。それだけ、私は他人を大切にする人間なのです。

 ・・・・・そんな純真な私を、だましたり踏みにじったりしている、井上ひさしと、時枝さんは、たとえ、関口台のカテドラルの偉い方と、お知り合いであっても、神様からは、遠い人だなあ・・・・・と、おもっております。本当に神様へ仕える人なら、そういう事はしない筈です。時枝さんに、いまさらながら言いたいのですが、あなたほどに、頭のいい方が、・・・・・人間存在とは、基本的に平等なものであり、だましたりすれば、すぐ、ばれるのだと、言う事をどうしてお分かりにならないのでしょう・・・・・と。もう、今では、無駄でありますけれど。

 でも、あなたほどの賢い方が、世間の、人間が構築する、枠組みとか、上下関係にどうして惑わされるのですか?・・・・・とも、問いたいです。人間は生まれる時と、死ぬときに、結局は裸である様に、すべての人は平等なのですよ。私をだますという事は時枝さんが、高をくくりすぎているという事です。または、井上ひさしの方が私よりずっと偉いと、お考えだという事です。それが、正しい事なのだろうか?・・・・・とも、問いたいです。

 で、カザルスホールという小さな現象からも、大ニュースを分析できるというわけです。テロ等準備罪について、どれほどの大量のニュースが作られたか、皆様も、記憶がまだ、新しくていらっしゃるでしょう。だけど、その本質は、ただ、ただ、伊藤玄二郎等の、鎌倉エージェントが、自分たちが助かりたいがために、起こした現象だったのです。そして、一般人も反対のために、デモをしました。あのデモの核は、共産党員だったと、思います。

 何故、伊藤玄二郎たちが、『自分たちが助かりたい』と、おもっているかと言うと、全部裏側が、判らない筈だと、高をくくって、恐ろしい事を数々、やってきて居るのですが、それが、すべて、見破られているし、最近、本当に深く、その真実を私が語り始めているので、弱り切っているのです。道義的には、許されない事ばかりやっています。

 まず、我が家の室内への盗聴、それから、電話の盗聴、そして、新橋等から、「何時に帰りますよ」と主人に、電話するにしても、逆探知をされて居るらしくて、長い時間、通話開始が、またされる事とか、本当に、人権侵害の極みです。妹が殺されたという現象を加えると、10億円でも済まないと思うほどです。

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副題4、『マスメディアを利用される、数の支配には、抵抗ができないのだ。だから、私は、ある時点から、神様だけを頼りにする様になった。そして、このブログも神様への、ご報告書として書いて居る。2003年ごろから内心では、そうしていたが、そうすると、神様の方からの、悪人への制裁も起きているのだった。悪魔の跳梁跋扈もあるが、紙様のお怒りの矛先が、彼等に、向く時もあるのだった。

 このブログは、最近、超がつくほどに暗い話が続いているが、私にしてみると、世の中には、明るい事もあり、すべて、バランスが取れているのだった。で、私の方が光が当たる方向に居ることもある。で、私の精神は、へこたれず、健康を保っている。ただ、その明るい方の現象を言上げすると、それを否定されるので、私にとって、良い事とかありがたいことは、ブログでは、表現をしないし、下書きとしてもパソコンを使って描くことはしないこと・・・・・と決めている』

 ここは、下部、説明をしないで、先に進みます。

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 副題5、『鎌田毅君の、正式な死因を聞いていないが、もし、癌だとすると、謀殺の可能性がある。癌を口実に入院をさせ、入院先で、筋弛緩剤を点滴袋に入れてしまうとか、不要な手術をして、体力を弱めて、殺してしまうとかがあって、癌が、死因として、報告をされて居る場合は、私は大いに疑う。特に、死亡前、半年前ころに、私が相手に出会って居て、元気な姿を見ていた人の癌死は、大いに疑う。芸大卒の、現代アート系作家・で、鎌倉小町在住だった月岡節さんなど、その典型である。将来、それを傍証づけて、癌を理由に他殺が行われていることを、書き表すつもりである』

  ここも、下部、説明をしないで、先に進みます。

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副題6、『私は・・・・・恥を知る筈の日本人がやっているのだから、私が裏側を正確に、知っているとなれば、やめるだろう・・・・・と、思って、詳細に各種の悪辣な謀略の真実(または裏側)を、書き始めたのだが、まったく反省をせず、ただ、ただ、

  さらに、攻撃を続けるので、2015年ごろからは、書き方を変えて、・・・・・どっちが頭がいいのかという風に、論調を移行している。【トカゲの脳味噌シリーズ】=後注4=とは、まさにその典型例である。

 安藤てる子さんと言う・・・・・刑事が、変装したファン・・・・・の、策略的、行動によって、危うく、京橋の有名カフェ内で、精神病院へ、強制収用をさせられそうになった話が、第一話であり、それは、6月4日の事であった。その時に、警察の特殊部隊は、カフェ内に、サクラを、20人ぐらい用意して、準備万端整えていた模様だった、警察の殺人用別働隊(特に、CIAの手下として、行動をする、言論封殺隊・・・・・警視庁も、神奈川県警も、屈強な若者で構成されている)は、そこで、失敗したので、一週間後、再度トライをしたのである。今度は、保土ヶ谷の、ネットカフェ【げらげら】内で、ゲロの音を利用して、同じことをやろうとトライして来た。6月13日の夜のことである。しかし、私は、8回ぐらいトイレから聞こえて来たその音が、人間が発する音としては、大音量過ぎるし、ゲロの音の流れが、八回とも、寸分たがわず、同じであったので、・・・・・これは、録音を再生しているなあ。もし、これを、げらげらの従業員に、「病人がいますよ」とでも言ったら、私の方に、幻聴があるという事で、このお店にいるお客が全部警察の特殊部隊が変装したサクラなので、精神病院へ、強制入院させられてしまうだろう・・・・・という罠に、すぐに気が付いて、引っかかることなく、そこを、立ち去った』

 ここは、後注〇に置いている、トカゲの脳味噌シリーズを読んでくださいませ。

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副題7、『私は、それで、たいていの謀略の場合、彼等のミスを見つけるので、だいたいが、嘘であることがわかるのだった。やまゆり園事件も、事件当日の午後二時か三時に、記者が、現場の警官に、<遺体はすでに運び出されたのですか?>と、質問をすると、現場の警官は、<未だです。一体も出てきていません>と答えた。そのごも遺体が運び出されたという映像も、ニュースもなかった。だから、19人の死者と言うのは、大げさに、盛り上げるための嘘なのである。

 しかし、こちらでは、もしかしたら、CIAは、頭がいいかな?と、思うポイントもあるのだ。

 ラジカセBOSEがこの2017年7月30日に破壊をされたが、それと、西武ロフトで、開かれた大ラジカセ展が、もし、連動をしていたら、彼等、鎌倉エージェントも結構頭が良いですねと、言わざるを得ない。

 まさかとは思うが、それを、実証できる事実もあるのです。【MASA 奇跡の合唱団】というスペシャルドキュメンタリーを、BS1で、7月30日の、夜7時から報道をしました。後注5へ 

 私が実際に、それを再生したのは、月曜日なのですが、その番組の宣伝が、事前に、大量に流されていました。特にEテレや、BSプレミアムで、流されていたと思います。それが、私の潜在意識の中にあったと、思います。ところで、これは、余談ですが、その再放送が、9日にあるそうです。よい番組なので、ご覧になることを、老婆心ながら、そしておせっかいながら、お勧めします。

 それと、これは、淳々と別の日に、語りたいのですが、妹が殺されたという件も、相当に消化が進んできたのでした。『今、できることは、ともかく致しました』という気分になったのです。直後が大切です。ご近所の動きも丁寧に、観察し、下書きとしてとらえております。まだ、まだ、解明は果たしておらず、しかも外部へ真相を、発表できるまでには、まだ、20年はかかるだろうと、おもっておりますが、骨格は、・・・・・やまゆり園事件に対して、真実を語らせない様にするために、妹は、脅かし策の一環として、殺されたのだ・・・・・と、言うもので、それをはっきりと、ブログで書いたので、安心をしたのでした。

 で、久しぶりに、美しい音楽でも聞きたくなって、レオンスカヤ、または、ピリスの、CDを取り出し、シューベルトの即興曲を聞こうとしたのです。そしたら、CDが壊されました。からかう様に壊されたのです。

 で、その三日後にNHKは、大ラジカセ展というニュースを、夜の七時と、夜の九時の二つのニュースで、報道をしました。今まで、私はそれを偶然の一致で、チャネリングだと、言ってきました(後注1)が、もしかすると、・・・・・【MASA と奇跡の合唱団】を放送することで、絶対に、彼女は、ラジカセに飛びつくはずだ・・・・・と、敵さんたちが考えていて、そして、ラジカセ展をぶつけてきたのだとしたら、

 「ありゃ、りゃ、意外と頭が良いですね。あんたたち」と、言わざるを得なくなりますね。最近、このラジカセ展について、ネットサーフィンをしたところ、すでに、大阪と、池袋で開催済みでした。となると、その時の展示品を、全部コンテナに詰めて置いて、倉庫に預けて置けば、瞬時に、開催できるわけです。いつでも、どこでもです。NHKは、渋谷のデパートと言っていましたが、ロフトのEXTRAと言う展示スペースらしいのです。後注6へ。

 ロフトは、堤清二さんが、力を発揮している場所です。堤清二さんは、義明さんと、仲が悪いと言われていますが、すでに亡くなっています。そして、義明さんと、私をおおきく、苦しめて来ている石塚雅彦さんとは、いとこ同士だと、思います。石塚さんの父と、義明さんの母が兄弟だと、思います。

 鎌倉霊園で、昨年の秋に母の七回忌を行った時に、異常なことがあったのです。二人がいとこ同士であろうという事は、それにも発展をして行くし、スタップ細胞疑惑にも、妙本寺のお見合い結婚にも発展をして行くので、ラジカセが、壊された話は、非常に大きな謎を解明する手立てに繋がって行くのです。 

 私は、〇々村君などの、音楽好きを傷つけたくないと、思って居て、今まで黙っていたことがあるのですが、このラジカセ破壊により、かつ、妹が殺されているのですから、相当に突っ込んだ話をしようと、思って居たのでした。今は、金曜日ですが、四日前の火曜日にすでにそう思って居たのです。で、メモ書きで、そこまで入っております。

 すると、それを阻止する為のリアルな世界での、電話がかかってきました。初めての事です。〇々村君について、ブログで、書くことを阻止しようとして、リアルな世界での動きがあったことは。

 ところで、本日そちらの〇々村君の、話題に触れなかったのは、妨害を受けたから怖がって書かないでいるというわけではなくて、本日は、カザルスホールの思い出と、鎌田君や、新堀さんの思い出が、頭に浮かんだからです。頭に浮かんだことを書くのが、大切な、手法だから、こちらにこだわったという事です。頭に浮かんだことを素直にさらさらと、書いて居るので、18年間も書き続けておられるわけです。あまり、とんがったり、無理をしているつもりはないのです。常に素直に、暮らしております。

 本日はここまでで、やめて置きます。今は、すごく疲れるのです。すべての事が、膨大な部分へ発展をして行くので、脳みその奥深くを、ひっくり返さないといけないので、相当に、疲労します。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4157886です。誤変換を直書いた日付と署名を、5日の朝、10時に入れます。

  この一文は、公開日は、3日になっているが、実際に書いたのは、4日から、5日にかけてである。

   雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

後注1、

ラジカセが5年ぶりに二度目として壊されたが、その技術的秘密を考えている内に、CIAの政治的秘密が更に読めて来る・・・・・その前篇  2017-08-02 20:33:49 | 政治 

後注2、 

30日、BOSEが壊された。そこから、日経BP社の〇々村君(歌舞伎座でのスパイ)児嶋百代先生(妙本寺のお見合い)MASA(個性を生かす教育)の話へ・・・・・に入って行きたい   2017-07-31 22:52:46 | 政治

後注3、

カザルスホールを守る会  2017-08-03 12:24:00 | 歌舞伎

 後注4、 

銀座の通が利用する休憩所+例の悪人達の脳は、とかげでは無くて鰐だったかな?△

2014-06-03 10:51:48 | 政治 

トカゲか、鰐か?-2・・・・・湘南信金と言うキーワードから、騙されていた事が解ってくる

2014-06-07 23:01:50 | 政治 

FBに入れなくなった頃から、2ヶ月、爆発的に書いた144章の、私が見た世の中と政治△

2014-06-08 02:42:01 | Weblog 

トカゲか、鰐か?-4・・・・鎌倉では将来は、一軒ごと個別にごみを回収するらしいが?

2014-06-09 18:55:05 | Weblog 

トカゲか、鰐かー5.......精神病院に強制入院させ様と言う罠には、はまらなかった私

2014-06-10 01:10:40 | Weblog 

保土ヶ谷のネットカフェ内での、罠

2014-06-13 00:40:11 | Weblog 

12日は、読みにくかったと思います。申し訳ございません。

2014-06-14 00:41:40 | Weblog 

制裁金、初日は支払われず・・・・・13日に若干加筆

2014-06-15 01:50:27 | Weblog 

私が、画家・長瀬いずみを、ランナー野口みずきと、誤記した理由は?、金・島田章三・暗殺の三題話

2014-06-19 20:07:14 | Weblog 

厚生事務次官殺しに死刑が下ったが、メディアの報道が少なすぎるのは何故だ?△

2014-06-21 14:01:50 | Weblog 

鎌倉で、我が家近辺の街灯が、最初にLED化された影に我が家への盗聴があったかな?

2014-06-23 14:24:03 | Weblog 

サディズムと性欲の結びつきをメディアは取り上げないが其は拙い(中尾知佐、飯島愛、石川和子他)

2014-06-24 14:30:05 | Weblog 

げらげら(保土ヶ谷店)の未来は? 福屋書店と、アサヒビールのレストランは?△△

2014-06-25 20:16:58 | Weblog 

後注5、 

NHK BS1, MASAと、奇跡の合唱団 へのご案内  2017-08-03 11:48:52 | 政治

後注6、

 

大ラジカセ展の、ご案内、原資料として、

 

2017-08-03 11:41:59 | 政治
 
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カザルスホールを守る会・・・・・原資料として、wikiよりコピペして、ここに置く。

2017-08-03 12:24:00 | 政治

これは、私のブログ、

ラジカセ破壊ー3、・・・・・カザルスホールの怪と謎  2017-08-03 13:07:58 | 政治 

と、関係があるので、原資料として、置くものです。 

カザルスホールを守る会

 

カザルスホールを守る会(カザルスホールをまもるかい)は、2010年3月末で閉鎖された日本大学カザルスホールの存続を願う著名アーティストたちで結成された非営利の活動団体。

 

目次

 

結成

日本大学カザルスホール閉鎖後の2010年4月~5月まで準備的活動。6月より本格的に始動。

目的

  • 公共的なホールとして、歴史的貢献と社会的価値を世に問いかける。
  • 署名活動を展開する。
  • 日本大学、千代田区、内閣総理大臣などに署名を持参し、ホールを愛し、存続を願う人々の気持ちを伝える。
  • チャリティ・コンサートを展開し、活動資金を募る。

活動内容

  • 記者会見(2010年6月18日)
  • チャリティ・コンサート(2010年9月1日)
  • チャリティ・コンサート(2010年10月9日)
  • シンポジウム(2010年11月16日)
  • チャリティ・コンサート(2010年12月2日)
  • チャリティ・コンサート(2011年2月13日)
  • チャリティ・コンサート(2011年4月27日)

日本大学カザルスホールの行方

公式情報では、ホール敷地(お茶ノ水スクエアA館)の開発については未定であり、ホールを存続させるか、取り壊して新しい建設物を考えるかについては、これから検討が始められる状態とされている。2010年5月に日本大学学内に検討委員会が発足している。ホールは2010年3月末で閉鎖されたが、取り壊しが前提でも確定でもないとのことである。[1]

お茶ノ水スクエアA館は、千代田区の都市再生特別地区に指定されており、日本大学の一存では計画が認められないことになっている。計画には、千代田区や内閣総理大臣が認めなければ進められず、実際に、千代田区はカザルスホールを保存するよう日本大学へと正式に要請していることを公表している。

日本大学は、お茶ノ水スクエアからA館を購入した際、担当弁護士と共に存命中のカザルス夫人を訪ねている。カザルス夫人からは、主婦の友社の芸術に対する熱い意思を受け継ぎ、ホール名に許諾いただいたカザルスの名前と共にホールを末永く守っていってくれることを約束として依頼され、日本大学の瀬在良男総長と主婦の友社の石川武美社長はそれに同意したとされる。それに反してホールが閉鎖になったことをカザルス夫人は日本大学側から聞かされておらず、巨匠カザルスの名前が国際的なだけに、音楽家たちはホールを守ることを強く願っている。[2]

一説によると、日本大学は当初から、ホールを取り壊し明治大学(リバティタワー)に対抗した高層ビルを建設する前提でホール付の土地を購入したとも言われている。[3]

活動動向

スペイン国内において、カザルスは国民的英雄であり、歴史的偉人であることから、本活動に対する署名活動がスペイン国内に広がりつつある。スペインから国の世論として声が大きくなりつつあることは、日大外部から日大の立場を心配してしまうような展開が予想される。[4]

発起人

生前のパブロ・カザルスにゆかりのあるアーティスト、カザルスホールで演奏歴のあるアーティスト、カザルスホールの名プロデューサー萩元晴彦にゆかりのあるアーティストたちをはじめとして、著名人が輪を広げつつある。

代表

名誉顧問

  • マルタ・カザルス・イストミン夫人

作曲家

指揮者

音楽学者

管楽器奏者

弦楽器奏者

鍵盤楽器奏者

打楽器奏者

声楽家

その他著名人

(増員中)

脚注

  1. ^ 2010年5月6日, 日刊建設通信新聞, http://fd005.exblog.jp/10559095/。
  2. ^ 「音楽の友 2010年6月号」, 音楽之友社, 141~144頁
  3. ^ 「暗黒の日大王国」, 坂口 義弘 著, スポーツサポートシステム出版,
  4. ^ シンポジウム(2010年11月16日), 池辺晋一郎による言

関連項目

外部リンク

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NHK BS1, MASAと、奇跡の合唱団 へのご案内

2017-08-03 11:48:52 | 政治

もっとNHKドキュメンタリー もっとNHKドキュメンタリー

これは、私のブログ、

ラジカセ破壊ー3、・・・・・カザルスホールの怪と謎 +渋谷ロフトで、ラジカセ展が行われたのは、事前に周到に準備された狙われた事だったかな?

2017-08-03 13:07:58 | 政治

 と、関係があるので、原資料としておきます。

 

と、関係があるので、原資料としておきます。実際にアップするのは、7月4日の夜11時ですが、日付だけは、3日に変更をさせていただきます。

 
届け!希望の歌声
<iframe src="https://movie-s.nhk.or.jp/player.php?v=d423gj1o&wmode=transparent&r=true"></iframe>
みんなの
レビュー
募集中!

BS1スペシャル「MASAと奇跡の合唱団」

  • 2017年7月30日(日) 午後7時00分(50分)
  • 2017年8月9日(水) 午後6時00分(50分)
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大ラジカセ展の、ご案内、原資料として、

2017-08-03 11:41:59 | 政治

 これは、私のブログ、

ラジカセ破壊ー3、・・・・・カザルスホールの怪と謎 +渋谷ロフトで、ラジカセ展が行われたのは、事前に周到に準備された狙われた事だったかな?

2017-08-03 13:07:58 | 政治

 と関係があるので、原資料として、ここに置きます。

 

shibuya seibu

 

大ラジカセ展〜shibuya extra【since1968】〜

       

■8月2日(水)〜8月14日(月)
※最終日は午後5時閉場。※入場受付は閉場の30分前まで。
■A館7階=特設会場
■入場料 :一般・大学生500円(税込)、高校生以下無料
カセットテープ付特別チケット1,000円(税込)
※数に限りがございます。売り切れの際はご容赦ください。
※クラブ・オン/ミレニアムカード会員さま、西武・そごうアプリクーポンご提示及び西武渋谷店LINE@友だちに限り、特別ご優待300円(税込)にてご入場いただけます。※西武・そごうモバイル会員さまは入場無料

▽△

ノスタルジーだけじゃない新しさ。ラジカセとそのカルチャーを楽しむ展覧会。

その重くて大きな箱にはアナログの魅力がぎっしり詰まっています。
ラジオの深夜放送にはじまり、原宿・ホコ天の路上パフォーマンス、ニューヨークではヒップホップ文化の象徴になりました。
場所も世代もボーダレスな家電「ラジカセ」のもつデザインの多様性とそこから生まれたカルチャーを日本随一のラジカセ・家電蒐集家 松崎順一ナビゲートによりご紹介いたします。

デジタルカタログはこちらから>>>

公式サイトはこちらから>>>
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ラジカセが5年ぶりに二度目として壊されたが、その技術的秘密を考えている内に、なびす画廊の閉鎖と再開について、私論を書きたくなった

2017-08-02 20:33:49 | 政治

 この一文は、完璧に、前報

30日、BOSEが壊された。そこから、日経BP社の〇々村君(歌舞伎座でのスパイ)児嶋百代先生(妙本寺のお見合い)MASA(個性を生かす教育)の話へ・・・・・に入って行きたい  2017-07-31 22:52:46 | 政治

の続きです。五年ぐらい前は、一気に、2万字は書けたので、一文内に、すべてをまとめたのですが、今は、その体力が無くて、一遍には、完成できず、しかし、同じところを何度もお読みいただくのも失礼なので、次のブログを立ち上げます。ただし、ここで、私側の、本当の処を言わせていただくと、衰えただけでもないのですよ。すべての問題を深めて書いて居ます。以前はよく、これで、は、まだ、45%の開示です。後は、口にチャックと言っておりました。しかし、今は、すべての事で、7,80%の、真実を開示しています。で、深いのです。だから、書くのも大変になっております。以前と同じ話題に触れているみたいですが、内容が、ずっと、判りやすくなっていると、思います。

 ところで、今回も、内容が大変に複雑で、多岐にわたるので、ツィッター方式で、書けた順番に総タイトルを変更して行くつもりはあります。そのことは、恐れ入ります。ところで、その総タイトル変遷を目次として、下に置きましょう。また、総タイトルを、4日の午後4時にかえました。その前は、『ラジカセが5年ぶりに二度目として壊されたが、その技術的秘密を考えている内に、CIAの政治的秘密が更に読めて来る・・・・・その前篇』としておりました。

*1)、『本日、NHKニュースが、ラジカセ発売50周年だと、19時22分ごろ報道をしたが?』

*2)、『C夫人、この騒動の時に、月光仮面の役目を果たして、柳沢昇を救うのだが・・・・・それによって、引っ越しをさせられてしまうのだった。柳沢昇・石川和子さん夫婦(=春秋窯)の悪辣さは、極まっている』

*3)、

副題1、『本日、NHKニュースが、ラジカセ発売50周年だと、19時22分ごろ報道をしたが?』

 外で、長時間を過ごした後で、帰宅したら、NHK総合チャンネルが、ラジカセを、報道をしていたので、そのチャネリングには、驚きました。このチャネリングと言う言葉も最近使われない様ですが、何故か、同時に、意味ありげな事が起きるという現象を指します。

 私が前報の、総タイトルに入れた、BOSEと言うのは、もらったものですが、音楽好きな人が、音質がいいと言って、好んでいた、ラジカセです。外国製です。

 月曜日の夜に、それが、壊されたのです。ラジカセが、壊されるのは、時期としては、二度目だったので、機械的な、壊れではありません。外部からの操作です。で、どうして、そういう事が可能かという事を、説明をさせていただくと、我が家から、40mぐらい西に、ビーエンビーに登録してある、Kamakura Cottage という一軒家があります。名義人は、竹内啓貴と言う人物になっていますが、ここが警察、もしくは、CIAの牙城になっているのです。

 ここの持ち主は、現在も以前住んでいた、C(仮名)さんと言う一家で、一時期は、井上ひさしの、ひょっこりひょうたん島の、お人形を作っていた作家さんが、借りて、住んでいたお宅です。建て直して、三世代が仲良く住んでいたお宅なのですが、柳沢昇が、猫のことで、警官を呼ぶ大騒ぎを起こした日(後注1)に、C夫人が、とても賢い行動をおとりなったのです。

 警官を呼ぶ前に、私の猫が、柳沢昇の、怒鳴り声(自分たちが悪い事をしていることを自覚しているからこそ、私を怒鳴り声で、脅かして、自分の家に逃げ帰らせようとした)に驚いて、その家から、外へ出てきたことがあります。彼と、石川和子さん夫婦は、鎌倉春秋窯と言う陶芸教室を経営している地域社会では、それなりの有名人ですが、その時点では、私の猫をいじることは、道義的には、許されない状況だったのに、わがままな、石川和子さんが、私の猫が、夏なので、開け放された我が家の、二階の窓から、西隣の家の屋根にいったん、飛び乗って、そこから、柳沢昇の二階のベランダに、降りたのを大喜びをして、隠していたのです。返さないつもりだったのかもしれません。私の猫は、当時は、4歳ぐらいで、大変やんちゃで、テリトリーを広く持っており、石川和子さんのお宅も猫に、取っては、自分のテリトリーの一つだったのです。しかし、石川和子さん夫婦のあまりにもどぎつい、性欲開示(猫を迎えに来る私を寒い外で、五分以上待たせる・・・・・そのいじめによって、性欲を亢進させていたみたいで、その後、やっと出てくると、二人で、幅三尺しかない玄関で、上下で、見つめ合って、まなざしによる、イチャイチャをするのだけれど、それがセックスそのものを、示唆する)に、驚いて、・・・・・嫌気も嫌気、が、さしました・・・・・という感覚を受けて、猫を、うち飼いにして、外へ出さないことにしていた時期でした。それ以外にも、とても嫌なことがいっぱいありましたので。

 ところで、柳沢昇としては、二、三回、どなれば、私がびっくりして、逃げかえると、思って居たらしいのですが、私はね、そういう簡単な人間ではないのです。ものすごく芯がある人間で、ここに引っ越してくる前に、元海軍参謀・益山重夫氏の実質的な、大詐欺事件(地籍変更届を利用して、横須賀市の水道山をただで、自分のモノにした。書類上は、瑕疵が無いので、犯罪として立証するのが難しいのだそうだ。法務局はそういう。少年Aが土師淳君他を殺した、と、されている<?>神戸連続殺人事件も、是と関係があるだろう)を、見破って、バッチリと対等に、向かい合った人間ですから、柳沢昇と、石川和子さん夫婦なんて、粘土細工みたいにひねりつぶすことはできるのですよ。まあ、比喩的な意味であって、腕力とか暴力で、そうするわけではなくて、こっちが、すべてで、上に立っているという事を指します。

 で、どなってくる柳沢昇に対して、心理学的手法である、オウム返し法を使ったのです。彼と、同じぐらいの声量で、同じセリフを、オウム返しするのです。以前なら、猫を探すために、自由自在に入る事ができた、ドアがない、工房に、入ろうとすると、「住居侵入で訴えるぞ」と言うので、こちらも、同じ音量で、「住居侵入で、うったえるぞ」と答えるわけです。

 柳沢昇は、三里塚闘争で、ゲバ棒をふるっていた人物だと、想像をしていますので、大学は入学したのかもしれませんが、ほどんど、勉強はしておらず、心理学の事も、オウム返し法の事も知らないみたいで、面食らってしまって、猫が、びっくりして、外へ出て来たのに、それに、対する応用力が無いのです。つまり、隠していた猫が、彼自身の、どなる手法を取ると言う大失敗によって、外へ出て来てしまったのですね。猫は乱暴者は、大っ嫌いです。私も大声で返答をしているのですが「お母さんの方は、知性を失っていないままで、その大声を出しているのだ」という事は、猫には、判るのですよ。

 しかも、猫は、私の猫なんです。そして私の事は大好きなのです。しかし、柳沢昇と、石川和子さんは、猫がただ、家来として、その家をテリトリーにしているのには、気が付かず、・・・・・・自分たちの方が、川崎千恵子より、好きになってもらっている。したがって、自分たちは、川崎千恵子よりも性格がいいし、立派な人間なのだ・・・・・と、信じていたみたいなので、この時に初めて真実を知って、パニックに陥ったみたいで、バカみたいに、「住居侵入罪で、訴えるぞ」と繰り返すのです。で、私もおうむ返し法を、繰り返すわけです。

 ところで、ここで、挿入ですが、柳沢昇が、・・・・三里塚でゲバ棒を振り回していた人間だろう・・・・と言うのは、ご近所様から、聞いたわけでも、石川和子さんから、聞いたわけでもないのですよ。ただ、ニュースや、加藤登紀子さんが、テレビに現れる時期で、それを察知したというわけです。ずいぶんと前から、それは、察知していました。だから、ご近所様に対しては、礼節以上の踏み込みをしてはいけません。土地を盗むとか、水を使って殺そうとか、絵を斜めにやりに入るとか、天井灯をつけて脅かすとか、時によって、ゴルフの打ちっぱなしの音で、脅かしてやろうとするとか、このご近所様は、すべてで、間違った手法を取っております。それは、ほとんどが、前田祝一氏から、命令されて、行っている事だと、思いますので、どれほどに、彼が、間違っている存在だかを明らかにしていますが。

 元の、鎌倉春秋窯に戻ります。若いお嬢さんが、一人で、あそこに陶芸を、学びに来るなどとは、非常に危ない事ですよ。単純に・・・・・暴力が好きな男だ・・・・・という以上に・・・・セックスも大好き人間ですから。石川和子さんが亡くなった後で、もうすでに、女性を咥え込んでいるみたいです。その女性が道路に生えているど根性三つ葉をつみに朝早く、道路に、出てきたので、それが、判りました。後注3、

~~~~~~~~~~~

副題2、『C夫人、この騒動の時に、月光仮面の役目を果たして、柳沢昇を救うのだが・・・・・それによって、引っ越しをさせられてしまうのだった。柳沢昇・石川和子さん夫婦(=春秋窯)の悪辣さは、極まっている』

 で、鎌倉春秋窯のトイメンに住んでいるC夫人が見かねて出て来て、「川崎さん、さびちゃんが、帰りたがっているわよ。連れてお帰りなさいよ」と、言ってくれたので、私は、C夫人が目撃者として存在している限り、ゲバ棒を振りかざしていたであろう、柳沢昇も、まさか、暴力はふるうまいと、信じて、彼に背中を向けて、帰宅をしたわけです。このあたりのことは何度も書いて居ますが、今一つ、リンク先が見つかったので、下へ置きます。後注2、

 ところで、C夫人は、結局のところ、柳沢昇を助けたのですよ。引っ込みがつかなくなっていた、彼に、終止符を打たせるという形で。だから、月光仮面と、同じなのです。救う人なのです。そして、何が大切なのかが、わかって居る人なのです。しかし、鎌倉エージェント=CIAにとっては、真実が判るし、それによって、正しい行動をとる人間は、困るのです。これは、2005年の8月に起きた事なのですが、当時は、公的にも生きて居た井上ひさしなどの解釈によると、『C夫人は、私(=雨宮舜、または、本名で言うと、川崎千恵子)の味方をする可能性がある。これは、そばには、置かない方が良い』と、成ってしまうらしいのです。

 それで、C夫人、一家は、引っ越しをさせられてしまいました。引っ越し先は、風の便りによると、浄妙寺らしいのです。そこには、三井不動産が開発した、住宅地があって、原節子さんなども住んでいる地域です。そして、平地なので、車の車庫が作れます。しかし、いかんせん、鎌倉駅からは遠くて、歩いて帰る事ができません。

 でね。いつかは、ここへ帰ってくるつもりで、引っ越してくださいと、頼まれているので、依然として、その家の持ち主です。Cさん一家は、みんな、自転車には、乗れますから、バスに頼る必要はないけれど、自転車置き場の借り賃等が、必要になりますね。だから、帰ってきたいと、思いますよ。ここは、不動産会社で、言う処の駅まで、徒歩八分ですから。

 それもあって、前田祝一氏は、私を亡き者にしようと躍起なのです。で、ごく、最近引っ越して来た関本夫人にさえ、ちよこれーと遊びを夜に、4回もやらせたのですよね。それ以外にも多数の謀略を、国内外に起こしています。そして、私自身も、何度も殺されそうになっていますが、今般は、とうとう、妹が殺されたというわけです。柳沢昇の、特権と言うかなんというか、すさまじいですね。かまくら春秋窯とは、そういう場所なのですよ。だけど、じゃらん等で、宣伝をして貰っているみたいなので、ネットでは、素晴らしい場所として、紹介をされて居ますが、おへそが茶を沸かすという以上に、笑止千万な、事です。まあ、柳沢昇の特権と言うよりも、石川和子さんが、その愛人だったという過去がある、伊藤玄二郎の特権でしょうが・・・・・

~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『なびす画廊は、一年後に復活するでしょう。その前に、私を殺したらですがね。と言うか、殺すつもりだったのでしょうね。それが、完璧に成功すると、彼等、鎌倉エージェントは、考えていたと、思いますよ。それを目的としたテロ等準備罪だったのです』

 私ね、前報を、途中で終わらせた後で、「リンク先を見つけないといけません」と言っています。それは、本江邦夫さんが、なびす画廊に現れたので、云々と、一月か二月に書いて居ます。それを見つけないといけないし、早川重章さんについて、書いて居るものも見つけないと、いけないからです。ほかにも莫大な、量の過去ブログを見つけないといけません。 でもね。その一月か、二月が、2016年だったか、2017年だったかがあやふやなのです。それで、それを検証するのが、ものすごく大変です。で、仕方がないので、もう一回書き表しますと、

 本江邦夫さんが、なびす画廊で私の目の前に現れたのは、自然な事ではないからです。それが、彼等の謀略の一種であり、それを私が見ぬいた文章に、・・・・・それは、なびす画廊でだった、・・・・・という添え書きがあったので、なびす画廊を、一年間だけ、休廊をさせ、その間に、私を殺してしまおうとしたのが、テロ等、準備罪なのです。なびす画廊は、ビルのオーナーが経営している画廊だから、お金持ちなのです。一年間ぐらい、収入がなかったとしても、たいしたことはないという基盤に立っている画廊です。

 本江さんは、彼等固有の手法にのっとって、命令をされて、なびす画廊に、私と同時刻に、現れたと、考えます。どういうことかと言うと、臆病極まりない彼らは、・・・・・自分たちが、怖い事は、彼女も怖がるはずだ・・・・・と、思い込んでいます。それで、・・・・・私が、過去にそれについて書いた文章で、実名を挙げている人物が、目の前に現れると、私自身がビビるだろう。それによって、うつ病になるだろう・・・・・と、考えております。それは、何年も何年も繰り返されてきた手法であって、

 この2017年、7月18日の朝も、三人の人に出会ったのは、その手法の実行でした。それは、将来のブログか、次の副題か、のどちらかで、語ります。

 ところで、本江さんについては、それほどに大した、ことは、書いておりませんよ。 ただ、早川重章さんと、同じ時期に、同じ目的で使役をされて居ると、書いて居ます。つまり、ある時期には、丁寧なあいさつを交わす間柄だったのに、急に、無視し始めたら、彼女は参るはずだと、彼等は、考えております。醍醐いさむは、それが、問題で、数か月後に、大阪城北詰口駅で、私のビデオカメラが盗まれるまでに発展をしました。

 で、似た様な、ケースを起こせば、似た様に、私が混乱すると、見做されていると、思います。本江さんとは、醍醐イサムほどには、詳しい話をした過去の経験はありません。しかし、かまくらの住人である早川重章さんの方は、氏が、かまくらの住人であるだけに、複雑なラインが錯綜して居て、なかなか、厄介な関係となっております。会話だけではなくて、ものすごく複雑な裏側のある関係となっております。

 この二人は、早川さんは、かまくらで、本江さんは、銀座で、出会うと、嫌な感覚が、彼女の方には、生まれるはずだという目的以上に、もう一つ別の目的があって、使役をされたと、思いますよ。もう一つ別の目的とは、

 井上ひさしの使っている言葉によれば、「おめえは、小っちぇーんだよ。現代アート系作家としては、早川重章の方が上だし、美術評論家としては本江邦夫の方が上なんだよ。思い知れよ」と、言いたいのだと、思います。井上ひさしが、こういう言葉を使うのだというのは、一般の方は、ご存じがない事でしょう。だけど、私は、しょっちゅうこのブログにコメントをよこされるので、知っているのです。このブログにコメントをよこす人は、今では、井上ひさしぐらいしかいませんよ。(苦笑)

 さて、そこなんですが、そんなことはとっくに分かっております。だけど、もし、私が威張っていると、彼らが思うのなら、・・・・・彼等の作り上げる悪事は、隅から隅まで、因果関係が、判っている・・・・・というその点は、誇っていますよ。たとえば、4日前には、稲田朋美さんの離任式について、書くはずでした。しかし、その夜のうちにそこまで、達せられなかったら、次の日には、別の文案が浮かんだので、書いて居ませんが、

 ・・・・・稲田朋美さんの離任式が、特にNHKで、ニュースとして、大々的に報道をされるのは、何故であるか・・・・・を、書いたら、誰もが、「あの雨宮舜と言うのは、頭がいいねえ」と、仰ると、思いますよ。そのポイントで、言っているのです。本江さんや、早川さんが現代日本を、私ほどに正しく分析し、それを、文章で、発表する姿は、想像もできません。また、彼らが、それをしたら、今の地位とか、名声は失う筈ですし。

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副題4、『17日の夜に初めて発見をしたのだけれど、ウールでできた、横浜高島屋で買った、半そでの、喪服(夏向け)が盗まれていたので、急きょ、母が、30年以上前に、父の葬儀の際に着ていた、銀座マギー輸入のフランスチュールレースでできた、お人形さんみたいな形のワンピースを着て、2017年の7月18日の朝、8時25分に、外へでた。このドレスは、形(スタイル)も一般的な喪服とは、異なっているし、チュールレースは、黒と言っても、ところどころ、赤い糸で、できた花が入っている。もちろん、使いたくはなかった。しかし、前夜に泥棒に気が付いたので、どうしようもなくて、それを着て外へ出た。この時点で、泥棒が、黒い喪装用の真珠の首飾りも盗んだし、黒のプレーンな、つや消しの皮のパンプスも盗んだのを知っていたので、・・・・・妹は、やはり殺されたのだ・・・・・と、信じた。

  妹は、千葉大の薬学部を出ている。それを言うと、知人は「薬剤師だったのですか?」と、言う。しかし、妹の実態は、相当に違う。バリバリのキャリアウーマンで、医家向けの新薬の広報を、ホテルの宴会場で、お医者さん向けにやって居た。医学会とか、医師会の時に、そのプレゼンテーションを行う。着るものは、高価で、子供時代と、同じレベルの、何十万円とか、何万円で、買うものを着ていた。メガネは、はずし、コンタクトを入れて、お化粧はばっちりだ。いつもすっぴんで歩いている私とは大違い。妹の方は、目も大きいし。

 だから、母のお気に入りだった。おしゃれが好きで、高価なものを買うのが大好きだった母の、大のお気に入りで、一緒に社交ダンスもやっていた。ホテルでの発表会など、よく一緒に行っていたみたいだった。母は、死の三年前ぐらいから、私を大きく見直してくれていたが、その前の、20年間は、妹の方を、圧倒的に上に、立てていた。私の方は、一種の禁治産者並に、思われていたと、思う。しかし、それは、成果主義なので、本当の意味での、母の愛とは、違う様な気もするが、ともかく、妹は、肩で風を切って歩いていた。冬にはスイスに、スキーをやりに一家で出かけて居たし。

 その妹なのだけれど、すでに、鎌倉エージェントに取り込まれていた様な気がする。それは、いろいろな面で、判っているのだ。まず、共立薬科大学が、慶応大学の付属、薬学部になったこと(後注4)も、妹が、薬学部出身だと、言う事が一枚噛んで、いるだろうし。妹の連れ合いが、学術上、成功した立場にあるという事も、それが、関与していると、言える。現代社会で、出世する為には、鎌倉エージェントに、好意を持ってもらわないとだめなのだ。私の夫は、日産自動車の社長ぐらいになるつもりだったみたいだ。せめて、研究所の所長ぐらいになってもよかったと思うが、瀬島龍三に邪魔されたみたいで、ちょうど、この雪ノ下で、アジサイ畑欺罔事件が起きて、我が家の土地が盗まれたり、崖が無断で、崩されたりした時期に、セントラル硝子に出向を命じられてしまっていた。松阪に行っていたのだった。私は一人で、すべてを対応したのである。

 一方で、妹の連れ合いは、自らの所属している会社よりも、大規模な、資本を持つ非常に有名な、大会社の、研究所の副所長になった。薬学会の理事になりましたというような出世ではないが、成功した人生だと、言える。

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副題5、『丁寧で、親切に見えるが、実態は、恐ろしい内容の電話がかかって来て、国際基督教大学の10月のクラス会の予定を知らされた。それって、これから、書こうとしていることを阻止されたということを意味している』

 ・・・・・この一文は、C夫人宅にルーターが置いてあるので、ラジカセが壊れるのだと言うところまで行かないといけないのですが、ここで、午前二時になりました。恐れ入りますが、就寝をさせてくださいませ。疲れた。・・・・・と、8月2日の深夜(実質的には、3日の早朝)に言ったのは、その日、老骨に鞭打って、北久里浜で、夏草を抜くという農作業を、4時間やって帰って来たからです。それで、つかれているのに、夜の八時半過ぎに、私が驚く様な電話がかかってきました。「ICU10期生のクラス会が開かれます」と、言う電話です。私はリアルな世界では、喧嘩をしない主義ですから、相手に対して、

 「あら、この電話って、・・・・〇々村君に対しては、何も書くな・・・・・と言う事を、婉曲に、言っているのですね」などと言う、真実は申しません。だけど、丁寧で、親切極まりないお電話ですが、裏の実態はそういう事です。で、この文章の整合性が、失われかねないけれど、〇々村君は、ラジカセが壊れた件で、思い出した人物だし・・・・・と言うのは、彼は、音楽が大好きな人間であり、私もそうであり、一回目(=2013年)のラジカセ・破壊現象は、『モーツァルトのレクイエムを、聞かせてやらないぞ。そういう形で、お前が神奈川県立音楽堂で開かれる予定の、音楽会に出場するのを阻止してやる』と言う明瞭な目的があり、

 二回目の今回の破壊現象は、『お前の妹を殺してやったぞ。それで、お前は恐怖に震えて、鬱になり、ブログなど書けない筈なのに、平気な顔をして、ブログを書き続けているし、2日など、MASAのドキュメンタリーなどを見て、すっかり音楽好きな日常を回復し、あまつさえ、もっとも、好んでいるCDとして、シューベルトの即興曲などを聞き始めたな。そんなことをさせてやるものか? お前は、リセットをしようとして、20回ぐらい、コンセントから、プラグを抜いたみたいだ。だが、絶対に直させては、やらないぞ。私達の威力を示すために、再生時間を、4分13秒にしてみたり、23秒にしてみたり、5秒にしてみたりして、からかい抜いてやったが、それでも、参らないみたいなので、別の方法で、苦しめてやるぞ』と、言われているわけなので、

 妹の死が他殺であるという真実だけは、引き続き、書き続けないといけないし、

 自分が、自分の健康さをできるだけ、維持することも努力を続けないといけないわけです。

後注2、

2016年4月19日に当たり、私への言論弾圧の、特に、現状としてここ数日分を語りたい  2016-04-19 11:26:11 | 

後注3、 

 

三つ葉の摘み草から始まる・大・ミステリー、(政治もの)春なればこその、椿事でした。   2013-04-29 12:23:16 | 政治


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懐かしいラジカセ展と言うニュースをNHKが19時20分ごろ報道した。

2017-08-02 20:02:08 | 政治

******罫線以下は、NHKオンラインから、コピペしたものですが、これは、私のブログ

30日、BOSEが壊された。そこから、日経BP社の〇々村君(歌舞伎座でのスパイ)児嶋百代先生(妙本寺のお見合い)MASA(個性を生かす教育)の話へ・・・・・に入って行きたい  2017-07-31 22:52:46 | 政治

と、それに続く次のブログと、関係があると思うので、ここに置きます。

 

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懐かしいラジカセ展 若い世代も関心

ラジオとカセットプレーヤーが一体となったいわゆる「ラジカセ」の展示会が東京のデパートで始まり、ラジカセをかつて使っていた中高年だけでなく、アナログの音やデザインに魅力を感じるという若い世代の人たちも会場を訪れていました。

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この展示会はラジカセの販売が国内で始まってからことしで50年目にあたるということにちなんで、東京・渋谷区にあるデパートが開いています。会場には50年近く前の昭和43年に発売された国内で初めてとされる、かつてのアイワ製のラジカセなど、平成5年までに販売されたおよそ100台が展示されています。

このうち、昭和54年からかつての三洋電機が発売した製品のシリーズは、小型で鮮やかな赤などの色で、それまで大型で黒やシルバーの製品が主流だった中、女性など幅広い層に親しまれるきっかけになったということです。

このほか、ラジカセにさまざまな機能が加わった製品も展示され、テレビが付いて「ラテカセ」と呼ばれた製品や演奏用のキーボードがある製品なども展示されています。会場にはラジカセで音楽が聴けるコーナーも設けられ、かつての音を懐かしむ中高年だけでなく、ラジカセのアナログ独特の音やデザインに魅力を感じるという若い世代も聞き入っていました。

このうち、滋賀県から来たという22歳の女性は「ラジカセは祖母の家にあって触った記憶があるぐらいだが、アートとして興味がある。レトロでポップなデザインもあってとてもかわいいし、音もCDと比べると暖かみのある音だと思います」と話していました。

また、埼玉県の56歳の男性は「昔、ラジオを録音して友達と貸し借りしていた記憶がよみがえってきてとても懐かしい」と話していました。

この展示会は、西武渋谷店で今月14日まで開かれています。

監修の家電収集家「デジタルとアナログが共存を」

この展示会は、東京に住む家電収集家の松崎順一さん(56)が監修しました。幼いころから家電が好きだったという松崎さんは14年前、リサイクルショップでラジカセを見て、そのデザインや音の魅力を再認識して、収集を始めたということです。

今では1970年代から80年代に販売されたものを中心に、およそ5000台を所有していると言います。松崎さんは、「当時のラジカセは斬新なデザインで、今見ると非常にユニークですごくおもしろい。デジタルに比べれば、よい音ではないが柔らかくて味わい深い。ずっと聴いていても耳が疲れないし、癒やされる」と話しています。

松崎さんは、ラジカセの魅力を多くの人に知ってほしいと、中古のラジカセを修理して、ネットなどを通じて販売もしています。購入する人は、以前は50代の男性が中心でしたが、最近は20代や30代の若い人たちが、デザインや音の魅力にひかれて購入するケースが増えているということです。

松崎さんは「今のオーディオの世界はデジタル一辺倒だが、いろんな音を選択できたほうがよいと思う。デジタルとアナログが共存できるように、若い人も両方を使い分けてもらえればいいと思います」と話していました。
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