新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

羽島市竹鼻地区・真宗大谷派・竹鼻別院を参拝する…

2023-06-20 05:25:57 | 歴史史跡
大正の…昭和の…街並みが残る
羽島市竹鼻地区
 
 
羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館のあった場所は
 
竹ノ鼻城があった場所で
 
 
道路挟んで、その向かいには
 
お城地蔵大菩薩
 
 
1600年、織田秀信の配下にあった竹ヶ鼻城は関ヶ原合戦の直前、福島正則ら東軍に攻められて落城…
この時の戦没者を供養しようと、昭和になって建立された地蔵様
 
 
その奥にあるのが
今回紹介する
 
真宗大谷派・竹鼻別院
 
 
 
樹齢300年以上といわれる「竹鼻別院のフジ」が有名で…
 
「藤」の季節には、この境内で「美濃竹鼻ふじまつり」が行われ、多くの人で賑わうようですが、私が訪ねたのは、2022年1月
「フジ」など咲いている訳がなく…案の定、誰もいません!
 
100パーセント、ソーシャルディスタンス!!
 
 
立派な1本の「藤」…
ぜひとも、また「フジ」の季節に再訪したいものだ
 
それまで、「フジ」で…もとい「ブジ(無事)」で元気でいられるようにと古木に向かって手を合わせる…
 
 
さてさて、この「竹鼻別院のフジ」は境内にあって、当然、山門をくぐらないと、お目にかかれない訳で、前後逆になってしまったけど
 
山門
 
 
 

1833年に建立された山門は「御坊大門」と親しまれていたが、濃尾大震災で倒壊

現在の山門は、1925年に再建

倒壊した山門と同様「唐破風造」で、桃山式の風趣を伝える極めて華麗な山門であるとのこと…棟梁は、本堂と同じ伊藤平左衛門さんだそうな

 

鐘楼を眺め

 

手水舎が見当たらなかったので(参拝後にみつけた)持参の手指消毒液でシュッシュ!!
果たして、これが手を浄めたことになるのかわかりませんが…
その後、本堂へと
 
 
 
 
竹鼻別院は、1235年、親鸞聖人が関東から上洛される途中、三河国矢作の柳堂に立ち寄り布教された…その時、尾張国葉栗郡門間庄の住人河野四郎通勝は、同郷の八人とともに帰依し、木瀬に草庵を結んで聖人を招いた…この草庵が竹鼻別院の前身といわれている…
この時、門弟となった九人がそれぞれ開いた道場は、室町時代中期には木曽川両岸の美濃国と尾張国に分かれて点在し、河野九門徒と呼ばれて濃尾真宗門徒の中心となったそう
1470年に、八代蓮如上人が当地に下向され、洪水で流出した木瀬の草庵を再興し、「河野御坊」と名づけたといわれ、その後、専福寺と改称
元亀・天正年間の、織田信長との石山合戦(1570~80)には、河野門徒も馳せ参じ、専福寺住職らが討ち死にしている…
 
石山合戦後は教如上人に従い、1602年の本願寺の東西分派に際しては東本願寺に属した…1604年、竹鼻下町に移転し、1607年には本願寺十二代となった教如上人によって御坊に取り立てられ、近郷の東派五十四カ寺を附与されているとのこと…
その後、二度の火災に遭い、1760年、さらに現在地に寺基を移転
「本堂」「山門」「経堂」などを建立するもこれらの諸堂は1892年の濃尾地震でことごとく倒壊した…
 
しかし門信徒によって仮御堂が建てられ、親鸞聖人以来の法灯は護られ、現在の本堂は1922年に建立、山門は1925年に造られた
1876年に竹鼻別院と改称され、専福寺住職が輪番を勤めることとなった…これにより、専福寺は住職持ちの寺院ではなくなったので、住職は取り消しを求めて本山に訴えを起し、その結果、専福寺は地所や本尊・御影を授与されて別に再興された…
親鸞聖人旧跡の木瀬草庵は専福寺と竹鼻別院に分立し、別院へは本山から輪番が派遣されるようになり、現在に至っているとのこと
 
そんな竹鼻別院本堂にて、合掌!!
 
 
 
その後は、本堂から境内を眺め
 
 
 
再建された「経堂」
 
 
 
さてさて、ここで目に留まったのは
「竹中伝六喜伯之墓」
 
 
 
 
 
この方は幕府の直臣で、1754年、薩摩藩が幕命によって実施した宝暦治水工事の御手伝普請を監督するため、当地に来て御小人目付となった方
彼の担当であった一の手普請場の第一期工事は1754年3月に完成し、 逆川締切などの第二期工事も年内に完了して、ただ検分を待つばかりとなっていた翌年1月13日、突然、この竹中氏が竹ヶ鼻村の止宿先旅館藤丸屋平右衛門方に於て刺刀で自害を遂げたとのこと
その理由は遺書もなく不明であるが、恐らくは監督上の責任を負ったものと思われるとか…
宝暦治水工事では薩摩藩士51名が自害、33名が病死といった治水工事を背景にして、多くの尊い人命が失われたことによる自責の念が感じられる…
 
平田靱負を中心とし行わさせた宝暦治水工事は、あきらかに幕府の嫌がらせ
宝暦治水工事に薩摩藩が使った資金は約40万両(約300億円)といわれている… この治水工事で大名を痛めつけ、薩摩藩の力を削るのを目的とした政策
 
その監督をしていたこの方、竹中伝六喜伯は、幕府のお方
 
治水工事のプロでもないシロート同然の薩摩藩士が理不尽で悲惨な扱いを受けながら働いて死んでいく様子をずっと見ていて、それも監督の立場なので、もっと働けといっていたのか、薩摩藩士の不満を浴びていたのか、真相は定かではないが…どういう想いだったんでしょう
 
人として…
 
眼を閉じて、手を合わせる…
 
竹中伝六喜伯が自害した真相は闇の中
 
ふと森友事件の公文書改ざんで亡くなった官僚とかぶって思えてきた…
 
竹鼻別院参拝だったのでした…

新庄監督の采配が観たくて、バンテリンドームナゴヤ…2023・6・18、中日・日本ハム戦!

2023-06-19 06:45:10 | 中日ドラゴンズ

私…
真の!真の…笑…阪神タイガースファンでありますが…

新庄選手が
大リーグから戻って来た時から
ずっとずっと

阪神タイガースの10分の1くらいは…
北海道日本ハムファイターズ贔屓なんですよ…



TVで
北海道日本ハムファイターズの試合中継がなされていても
ほとんど見ないけど…苦笑


北海道日本ハムファイターズ贔屓なんですよ…

ホントにホント…というのは、北海道日本ハムファイターズがナゴヤドームにやってきたときには、必ず駆けつけている私…

大谷選手やダルビッシュ投手は、もちろんのこと、北海道日本ハムファイターズ在籍時代には応援してましたし…

他には、稲葉ジャンプにハンカチ王子…

暴力事件を起こして、某東京お金持ち軍団にお咎めなしで移籍した「背番号6」の男も…北海道日本ハムファイターズ時代は応援してました…

そもそも、阪神タイガースの10分の1くらい…北海道日本ハムファイターズを贔屓している、そのきっかけとなったのは、新庄選手が日ハムでプレイしたから…

そんな北海道日本ハムファイターズには、昨年度、新庄さんが監督としてやってきて…スポーツ新聞をみれば、「虎」の記事のついでに、必ず新庄監督のオモシロ発言をチェックしてる自分に気が付きまして…

 

「要」は「虎」の次に「新庄監督」が好きなのよ…

 

そんな新庄監督率いる北海道日本ハムファイターズが、名古屋…そうバンテリンドームナゴヤにくるとなれば

3連戦のうち、一つくらいは駆けつけますがな…

久しぶりに「生」の新庄選手がみれる―!!わくわくわくわく!!

 

♪それ行けGo 新庄 燃える男 それ行けGo 新庄 根性見せろ~

のヒッティングマーチは歌わないけど、(「虎」時代のものなので)…なんか、この歌を歌っていた頃に若返るような気持ちになってくる…

 

♪メジャーで鍛えた技と 熱き鼓動を 打ち鳴らして燃えろ新庄 北の大地の星となれ~

これなら、歌ってもいいかな(日ハム時代のヒッティングマーチなので)…と小さく口ずさみながら

JR大曽根駅から歩いて

バンテリンドームナゴヤへと

「交竜戦」が「降竜戦」と誤読できちゃう

 

2023・6・18

中日・日本ハム戦

もちろん、新庄監督の応援ですから、ビジター応援席で…

新庄監督の応援、即ち、北海道日本ハムファイターズの応援はもちろんのこと、昨年度まで「虎」にユニフォームを着ていた江越くんも応援したい!!

矢野監督時代は打席に立たせてもらえることが、ほとんどありませんでしたが…この日はスタメン…

この日の江越くんは、マルチ安打…5回表には意表を突く、ファースト前へのセーフティーバントを決め、さらに二盗にも成功…実に躍動的で…虎から移籍…新庄監督の下へ行ってよかったなと…しみじみと活躍を眺める…

肩も強く守備範囲も広く、足も早くて、こうした小技も出来て長打力もある…ホントは「虎」で開花してほしかったんですけどね…

まあ、こうして江越くんが活躍してる姿がみられただけでも、この日、バンテリンドームナゴヤに来てよかったなと思えちゃう!!

さてプレイボールの前にみつけた新庄監督

日本ハムのスターティングメンバー発表時、新庄監督が現役時代に登場曲として使用していた「The Next Episode」が場内のBGMに流れたのよ…これにはびっくり…ここは「エスコンフィールドHOKKAIDO」ではないのに…笑

それにしてもバンテリンドームナゴヤは超満員!!

中日ドラゴンズは3連敗中…ここまで北海道日本ハムファイターズにも2連敗中…なのに…

これも新庄監督効果でしょう!!きっと…

 

中日ドラゴンズの先発は福谷くん…地元、横須賀高校出身…

実は、地元選手だから、、ちょっとは頑張れっていった気持ちはあるんだけど

その福谷くんの立ち上がりを捕らえる北海道日本ハムファイターズ打線!

この日の1番が…な、なんと清宮くん!!

1番に起用したのは、新庄監督初めてとのこと…

新庄監督がいうには「清宮は選球眼がいいから」

そのとおりに四球を選ぶと、これをきっかけに「ビッグ・ボス」ならぬ「ビッグ・チャンス」

加藤豪選手も四球を選んだ1死1・2塁の場面で

4番の万波選手が右前へタイムリーヒットで先制点!!

さらにマルティネス選手も…センター前へ連続タイムリー

いきなり2点の先制で…実に爽快!!

きっと新庄(しんじょう)監督は大喜び!立浪監督の心情(しんじょう)は…

さて、北海道日本ハムファイターズの先発は

北山投手…

4回まで投げてパーフェクト

完璧なピッチング…ひょっとして、完全試合も、いけちゃうかも…なんて思えて来ちゃう

さて2回以降は福谷くんも立ち直って投手戦…立ち上がりとは別人のナイス・ピッチングで

そんな投手戦の中、北山投手、6回裏の先頭打者、石橋選手についにヒットを打たれ、

完全試合はなくなっちゃって気落ちしたのか

1死一、二塁のピンチになるも…

でも、北山投手…ここは踏ん張って、大島選手を空振り三振、福永選手をピッチャーゴロ…に斬ってとってお見事

ピンチの後にはチャンスあり

さて、北海道日本ハムファイターズのラッキーセブン

中日ドラゴンズのピッチャーはこの回から祖父江投手

その祖父江投手から、1番清宮くんが繋いだ二死1・3塁の場面で、松本剛選手がライト前にタイムリーヒット

 

 

さらに二死満塁となった、4番万波選手を迎えたところで、こんな二死満塁の場面で、育成から支配下登録され、前日プロ初登板したばかりの松山投手に投げさせる立浪監督…いくらなんでも、プレッシャーのかかるこんな場面で起用しなくても…とドラゴンズファンでもない私が思った通り…おそらく松山投手のプレッシャーは半端なかったことでしょう…

 

初球に暴投で、なんなく追加点!!

おお、喜んでいるのかどうかわからないけど、新庄監督がみえる!

7回表、二死までとったところで北山投手から替わって

河野投手

ピッチング練習をしている間のこの外野の風景は、ずっと変わらないのですね…

江越選手に「今日、ヘッドスライディング、まっ、もっと豪快にヘッスラせな…」と松本剛選手が言ってるような

「名古屋の錦で、えー、ご(娘)、しってますよ!」と、えごし(江越)くんが言っていそうな…

「明日、横浜やから、いかれへんやん」

そんな声が聞こえてきそう

さて、替わった河野投手は、村松選手を三振で斬ってとり

8回裏は、玉井投手が抑え…

9回裏は杉浦投手が抑え

北海道日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズを相手に、3タテお見事!!

ヒーローインタビューは北山投手!!

 

最後まで、応援団に混じって、「いいぞ!いいぞ!北山!!」と、あたかも熱心な北海道日本ハムファイターズファンであるかのように大喜び…してたら…

甲子園の「虎」対「電話会社」

「虎」の大敗の得点がスコアボードに映って、ちょいとテンションがさがったけど…

 

でも、ドラゴンズファンのイライラに比べたら…なんてことはない…

なんで福田選手や周平選手をスタメンで使わないんだろう…打たなくても、一発の魅力があるから、2割5分も打ってない、守備範囲も広そうにみえない…個人的には糸原選手の守備範囲をちょいと広げただけにみえる村松選手や、京田選手の穴を埋めてるとは全然思えない1割5分も打ってない龍空選手よりも、ウンとピッチャーが気を遣うように思うんだけどな…京田選手、阿部選手を放出して戦力ダウン、結果、打率1割台の龍空がショートでスタメン出場してるようじゃあ…

この日

も、ドラゴンズは結局、石橋選手の2安打だけ…周平選手は代打での出番もなし、劣化してるらしいビシエド選手も出番なし

で、ほとんど采配出来ないほどチャンスのないまま敗戦…

 

と…立浪監督の暗さとは対照的に…

 

新庄監督は、彼の野球が、選手に浸透しているかのように

新庄監督の采配は、

♪進めファイターズ勝利の男 進めファイターズさわやかに~

このとおりに明るく、光輝いていたように感じた

バンテリンドームナゴヤの昼下がりだったのでした

 


「羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館」に行く!

2023-06-18 07:26:18 | B級スポット

羽島市って、「円空さん」が生まれた地なんですね…

 

その「円空さん」は

里中満智子さんの漫画にもなってるんですね!

私が中学生の頃かな、里中満智子さんの漫画作品に「あすなろ坂」というのがあって、これが主人公に不幸という不幸が次々と襲ってきて泣けるんですよ…でも、そこには純愛があって…もう学生の頃、なんども読み耽ってました…

里中満智子さんの漫画、暗くて??好きだったなあ…

あ、全然「円空さん」とは関係がないんだけど

 

 

さてさて、この羽島市の「ふるさとを愛し、庶民と歩んだ円空さん」

 

生涯12万体の仏像を彫ったようで

その一つ、ホンモノがここにも飾ってありました…

 

「あ、円空さん」モドキの木彫りの仏さんもいっぱい!!

そーいえば、近くの市道が「円空ロード」と名付けられていて、円空モドキの仏像がずらーっと…

 

 

信号機と同じ細さの円空仏2体

 

 

これだけ仏さんに見つめられていたら、自然と安全運転になりますなあ

「観光センターぐるっと羽島」の店の前にも

さてさて、そのお隣りにあるのが

「羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館」

竹鼻朝日館という映画館があった跡地に建てられた資料館とのことで

羽島市の歴史や民俗芸能に触れることができる歴史民俗資料館と、公立としては大変珍しい映画資料館が併設されている…

一見、竹鼻城と勘違いしそうな???

城をイメージしたハコモノです…

もちろん、入り口には木彫りの円空モドキの仏像が、welcomeしてくれてます…

めちゃ笑ってますなあ…

お金がザクザクたまりそうですなあ…縁担ぎ…お腹でも触っておこう!!

さてさて、ここからは、このハコモノ

「羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館」をどどっと紹介しますね!!と、いっても、私の独自の視点での偏った紹介になりますので、その点、ご容赦を…

 

 

まず、ひと際、目に留まるのが、いかにも「映画資料館」らしく、この看板ですね

おお、銀幕スター、大集合!!

誰が誰だか、私にはさっぱりわかりませんが…この看板、めちゃめちゃええがー!(映画!!)

 

さらに、もう一つ

「原節子のすべて展」の看板!!

もう2017年のものだから、ずいぶん前のことですね…

私にとっては、原節子さんといえば、「東京物語」「麦秋」「小早川家の秋」…はい、私、小津安二郎監督が大好きなんで…なので原節子さんも

ああ、2017年6月3日にここにきたかったな…なんせ、原節子さんは「永遠の処女」ですからね…

他には、このハコモノの前には、このような映画に関する華やかな看板なんぞなく…ジミに…ジミに…そこらの地方にある歴史民俗資料館でよく拝見するものが…展示されています…

大八車

 

農具の一つ、台唐臼

発電機

えっ、オチもなくただ写真をアップしてるだけじゃ面白くないって??

まあ、そういからんと(怒らんと)???

いや、錨(いかり)

鉄ちゃんなら大喜びの

名鉄竹鼻線のレールと枕木

私は鉄ちゃんじゃないので、枕木をみてても「ふ~ん」ってな感じで

強いて思ったことは「枕木」「枕木」
「まっくらな気」
にならないよう…
「まっくらな気」にならないよう…
「まっくらな気」にならないよう…

「まっくらな気」にならないためには
何よりも感染に気をつけること…

とことん!とことん!!
手を洗うぞ!!うがいをするぞ!!???なんのこっちゃ!!

 

この地元出身の江戸中期の俳人

太田巴静さんの句碑

松尾芭蕉の門人、まあ、松尾芭蕉に憧れてた点では、私こと、松尾ドショウと一緒??ですな

「涼風の他力や目にも帆かけ舟」

 

ここは、松尾ドショウも一句

「両面(リャンメン)のリーチや 自摸にも引っ掛け ひでー」

 

意…両面(リャンメン)待ちのリーチだったんだ 自模ったら安パイだと思って捨てたら、ひっかけの待ちだったことよ!酷すぎる…の意…

え???この句が酷すぎるって??「は、しまった!!(羽島った)」

…ってことで館内へと…入場料は300円 

よく地方にある歴史民俗資料館のハコモノのように、入場無料ではありませんでした…「映画資料館」が併設されているからかな

 

さて、1階の特別展では

昔のくらしと道具展

~羽島高等学校100年の歴史~

こういった地方のハコモノによく見られる光景、羽島高等学校生どころか誰もいません!!

これ、羽島高等学校出身の方なら、懐かしくて興味津々でしょうな…

私は、ただふ~んと眺めただけ…けして、はしまったり??あ、はしったりしませんよ??

他にも羽島高等学校出身の方なら懐かしいと思われる写真がずらっと…

そして「昔のくらしと道具展」らしく…

ザ、昭和!!

別に、うわっ!のっぺらぼうだー!!といった展示ではございません!!

なんか、この赤ちゃんに違和感!!

凄く憂いの表情で…帽子は楽しそうに笑っているのに、このギャップときたら…

 

電話には誰もでんわー!!

以上で、1階の特別展「昔のくらしと道具展~羽島高等学校100年の歴史~」の展示室を後にしまして、2階へと…

2階は歴史民俗の関するものと映画に関するものの展示品が所狭しと…

 

まずは歴史民俗資料の展示のコーナーから

案の定、誰もいません!!

江戸時代…の展示

 

おお、凝った演出、かまどの火が…燃えてる!!!

 

さすが、300円払うだけの価値はある???

この2階にも「ザ・昭和」

 

もう、福を呼び尽くして、燃え尽きた感のある「福助」

 

地元の産業…美濃縞

背景のポスターに目がいってしまうような…私のようなよこしまな気持ちでは、織れません!!

養蚕(ようさん)

手前の葉っぱには、ようさん、カイコがいました!いました!…養蚕(ようさん)だけにね!

農業…唐箕(とうみ)とか千歯コギとか…

長良川、木曽川と川沿いの町ということもあって、漁のコーナー

 

干からびた魚たち…

渡船場のコーナー

 

昭和の電気製品等グッズたち

間違いなく、子供の頃、見た記憶のあるものばかり

 

懐かしい…こんなの、もってました!もってました!!

古い電気洗濯機なのに、未使用というのが気になる!気になる!!

なぜ、使わなかったのか…??電気洗濯機収集マニアからの寄贈なのかな??

「サブ」確かに外は寒い!寒い!!

 

「サブ」じゃなくて「ザブ」でしたね!…北島三郎さんでももちろんありません!!…さすがに、こんなハコの中に、北島三郎さんは入れないやろ!!

 

 

もはや、ノートパソコンも懐かしい1品なのね…

 

美濃路に関するもの

 

定書

 

「人たるもの ごりんの道を正しくすべき事」

あんなにぼったくり男爵に忖度した東京五輪…多大な税金を乱費したのに、また北海道で冬季ごりんとかいってる……「人たるもの ごりんの道を正しくすべき事」なんだから「冬季(とうき)ごりん」は「投棄(とうき)」しておくれよ!!

「ごりん」なんか開催しないで、他国で開催されてる「ごりん」をこたつにあたって「ごろん」とみたいのよ!!

竹鼻祭りの神輿…きっと新型コロナウイルス感染症のせいで、竹鼻祭りもまともには行われてはいないことでしょうね

 

 

地元の英雄…大仏にもなっちゃってる永田佐吉さんのコーナー

 

 

さてさて、ここの目玉ともいえる映画資料の展示

チラシがここに126作品飾ってあるようです…もちろん、見たことのある映画もたくさん!!「ジュラシックパーク」「フットルース」「名探偵コナン」「ミッションインポッシブル」などなど

その展示室も誰もいません!!

 

「ニッポン、ゲ・ゲ・ゲ」

まさに、この時期、新型コロナウイルス感染症蔓延で、「ニッポン、ゲ・ゲ・ゲ」ですよね!!

 

「パトラッシュ??」「名犬ラッシー」どっちでしょう??

少なくとも、私が小5か小6の時に好きな女の子とみにいった(二人ではない…男女3・3のグループで)映画「ベンジー」ではないように思われる??

こちらは「きな子」

映画「見習い警察犬の物語」にでていたようで

その映画は知らんけど

バカでかい16ミリ映写機…1956年エルモ製

幻灯機(げんとうき)…このハコモノを訪ねたのは、2022年1月の「げんとうき(厳冬期)…笑

もう映写機が、いじれないほど濃厚接触

映画館の座席…昭和の頃の映画館の座席は、こうでした…ときには立ち見でも人気映画はみたものでした…

それに対して、今の映画館のイスはふかふかで、寝てしまうじゃないか!!

ここにあった映画館、取り壊し直前の旧朝日館の写真と

その映画館にあった小物の数々

戦前にこの朝日館で使用されていた大太鼓と貸傘など

 

 

 

さて、奥の部屋では、第二土曜日に映画会が行われているようです!!

 

もうすでに映画鑑賞会の準備はなされていて

正面には大川橋蔵さんと

美空ひばりさん!!

「花笠若衆」…みたことないけど…

東海道に巻き起こる「ひばりの恋!」

なかなかのキャッチフレーズで!!

この映画もチャンスがあったらみてみたいな…

やっぱ、映画はええがー!!

 


岐阜県羽島市にある城址…竹ヶ鼻城址に行く…

2023-06-17 00:33:10 | B級スポット

城址マニアの私が、今回紹介する城は

竹ヶ鼻城址

岐阜県羽島市にある城址

1467~69年の応仁年間に、竹腰伊豆守尚隆によって築城

その後は土岐氏や斎藤氏に仕えた長井氏が入り、更に織田氏に支配権が移ったよう…

1584年(天正12年)織田信雄の配下の不破源六広綱が城主の時代に起きた小牧・長久手の戦いの際に、10万余騎を率いる豊臣秀吉の水攻めに遭い落城(竹ヶ鼻城の水攻め)…不破源六広綱は落ちのび、伊勢長島の信雄の城へ退去する…

その後、秀吉の配下の一柳直末が入城、直末が大垣城主となると、続いて池田恒興の配下の伊木忠次、その後は森寺清右衛門が城主となる…

1600年、関ヶ原で天下分け目の戦いが行われたその1か月前、木曽川をはさんでこの地周辺が東西両軍の前哨戦が行われることに…

岐阜城主織田秀信は西軍石田方についたので、配下の竹ヶ鼻城主杉浦五左衛門も西軍に味方することになる…

東軍は、清洲城を出発し、二手に分かれて、河田の渡しには池田輝政や浅野幸長ら1万8000人の兵が、下流の起の渡しには福島正則や黒田長政ら1万6000人の兵がそれぞれ到着し、その後、木曽川を渡り、ともに岐阜城を攻める作戦に出る…

これに対して、西軍、織田秀信は、諸将を木曽川右岸に配置したものの、東軍は次々と木曽川を渡河し、織田方を攻めて敗走させ、織田秀信は岐阜城内へと退くことになる…


一方下流に向かった福島正則らの軍勢も渡河しようとする

 

対岸には、竹ヶ鼻城主杉浦五左衛門重勝の軍が待機していたが…東軍は、夜中に船を集めて下流の加賀野井を渡河し竹ヶ鼻城を攻たてる…

杉浦五左衛門重勝は降伏のすすめを拒絶して抗戦を続けたもののついに力尽き、城に火を放って自害した…

これが竹ヶ鼻城の戦い

 

「天下分け目の関ヶ原」の

「前哨戦は美濃竹ヶ原」…

このイラストのクリアファイルが150円で売っていたので、購入した私…

この地で、初めてこの杉浦五左衛門重勝の名前を知りました…

これによって廃城

 

そんな竹ヶ鼻城の本丸を標す石碑と案内板

その後方には、城っぽく石垣も積まれてて、でも明らかに新しくて、遺構ではありませんな…


さらには、その後ろには竹ヶ鼻城が…???

 

おや、これは再建された竹ヶ鼻城ではなくて

「羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館」

 

 

でも、あきらかに竹ヶ鼻城を意識したハコモノですな…

この竹ヶ鼻城を意識したハコモノの中の一角に

竹ヶ鼻城の展示コーナーがありまして

 

 

そこには

竹鼻城のお宝??かも知れない?鞍(くら)がありました…

東軍が本丸まで攻め寄せてきたときには杉浦五左衛門重勝は目の前がまっくらになったことでしょう…

 

鎧(よろい)も展示され

杉浦五左衛門重勝は、東軍なんて、ちょろいと思っていたことでしょう

 

 

そしてパネルには

 

竹ノ鼻城本丸二の丸跡推定場所…とあるだけあって

どうやら城があった位置が分からないようで、もともとは別の場所に標柱があったようで

 

そんな謎がいっぱいの竹ノ鼻城

東軍に攻められて,杉浦五左衛門重勝は羽島(はしま)の地だけに、「こんな美濃地方のはしまで(端まで)攻めてくるなんて」「は!しまった!!」と思ったのに違いない???

 

はい、今回のブログは…

 

これで「はしまい」…

もとい「おしまい」…チャンチャン!!


「雲龍の絵天井」がみたくて羽島市竹鼻にある真如山・本覚寺を参拝する!

2023-06-16 00:01:28 | B級スポット

岐阜県羽島市竹鼻町に鎮座する八剱神社を参拝した後には

幕末の大和絵師・宇喜多一蕙の作「雲龍の絵天井」が素晴らしいとWEBで「羽島市・観光」とググってみたら載っていたので

それをぜひ拝見したいと思って

羽島市竹鼻にある曹洞宗の寺院、ご本尊は宝冠釈迦牟尼仏である

真如山本覚寺へと徒歩とほとほと向かう!!

 

その小径の途中にあった赤い社殿がキラキラと映える神社

秋葉神社

秋葉神社らしく…石塀の「葉っぱ」のくり抜きが、なかなかインパクトがあって

 

 

立派な石鳥居もあって

 

 

その奥の拝殿の門も赤くて、葉っぱの模様

 

 

この境内にある時計もなんかノスタルジーさを醸し出してて

ぶらさげてあるこの人形も、なんのキャラクターかわかんないけど愛らしい…

が片目を塞いでますな…

まあ、生きていれば目を覆いたくなること、多々ありますからな

髭―(ひげー)…もとい…ひでー(酷い)話が…

 

さてさて竹鼻の古い町並みは昭和初期にタイムスリップしたかのよう

 

歩いていると、本覚寺の駐車場をみつけ、ぐるっと廻ってみるとお寺が…

 

本堂にて合掌…

御本尊さまがいらっしゃいます…

 

さてさて、本堂の天井をみあげてみると…いたって普通…

お堂の横には

おそらく、びんずる様

 

繋がって、お隣りにもお堂が…

 

覗いてみると、弘法さまがいらっしゃったので、これは大師堂…

で、天井をみあげてみると…いたって普通…

 

境内のこの赤い鳥居は稲荷社だと思われるし…

「雲龍の絵天井」はどこ??「雲龍の絵天井」はどこ??「雲龍の絵天井」はどこ??

はい、ないはずです…このお寺は真如山本覚寺のすぐお隣りのお寺

普門山般若寺でした!!

真如山本覚寺と間違えて、ごめん!ごめん!!

ふもんざん(普門ざん)だけに、「間違えたこと」不問にしてくださいな…ともう一度合掌…

 

 

さてさて、この普門山般若寺も、名鉄竹鼻線の線路沿いにありますが…

お隣りの真如山本覚寺も名鉄竹鼻線の線路沿いにありました…

一度踏み切りを渡って、再度、別の踏切を渡り戻って

 

 

目指した真如山本覚寺に到着!!

ここは竹鼻城主歴代の菩提寺

さらには「大仏さま」になった永田佐吉さんのお墓もあるようで

 

 

解説板の左隅に「雲龍の絵天井」の写真がありますなあ…

 

これを見たかった訳でして

 

さて山門の手前の参道には名鉄電車を眺めるかのように並ぶ…8体のお地蔵様

 

こちらのお地蔵様は…ひとりぼっちで、ワンルーム屋根付きで…

山門

山門をくぐると正面に本堂…

 

山門から境内右側に十一面観音像と

瓦葺きの鐘楼

十一面観音像のおられたおそらく無縁仏の墓石の頂上には弥勒菩薩さまも座っておられます…

 

 

本堂の左、線路側には

竹鼻稲荷大明神が祀ってある竹鼻稲荷堂

 

めちゃ怒ってますなあ…

きっとコントンとした世の中に怒っておられるのでしょう!!…キツネだけにね

めちゃ怒ってますなあ…

新型コロナウイルス感染症に振り回されて疲労コン憊で、イライラしているのでしょう??

こちらは竹鼻稲荷堂の奥の院でしょうか…

鳥居が傷んで、なんか傾きつつあることを…とりいそぎ…ご報告しておいて

 

さてさて、いよいよお待ちかね

「雲龍の絵天井」のある本堂へと


この本覚寺は1558年の創立で、当初は天台宗でしたが後に曹洞宗に改められたとのこと

1600年の関ヶ原の戦いで
竹鼻城が落城したときに焼失…

1774年には再び火災に見舞われましたが、
1580年竹鼻城主・不破広綱が父の菩提を弔うために
本覚寺を再興し、不破氏の菩提寺として開基…1786年に再建
本堂の天井には、直径5・4メートルの円の中に龍全体が回転するように描かれていて、「八方にらみの雲龍」と称されているとか

その本堂は1891年に濃尾大震災で崩壊し、絵天井も破損してしまう…


そこで、1914年名古屋市に住む画系の後嗣、森村宜稲が補修し、現在に至っているとか…

ではでは、合掌し、本堂の中へと

 

 

宇喜多一蕙の作「雲龍の絵天井」を拝見しました…

ここに凄すぎる!!と、載せたいところですが、残念ながら撮影禁止でした…

 

でしたので、読者のみなさんに写真でお伝えすることはできないので「雲龍の絵天井」がどんな「絵天井(えてんじょう)」だったのか、私が見たその感想を、みなさんが見た気になれるよう言葉で書き綴ってみよう!!

 

えーと、「天井」にはド根性ガエルのように龍(りゅう)が貼り付けられていてな…宇喜多一蕙さんは「いちりゅう」の画家でな…江戸時代は、こんな絵がりゅうこう(行)してたのかな…

 

え??全然説明になっていないって??オヤジギャグばかりでオモシロくないって???

読者の不満が次々と…???

それって「絵天井(えてんじょう)」やなくて「えんじょう(炎上)」やないかー!!


岐阜県羽島市竹鼻町に鎮座する八剱神社を参拝する

2023-06-15 05:49:54 | B級スポット

岐阜県羽島市竹鼻町に鎮座する

八剱神社を参拝する

 

日本武尊が伊吹山の賊を征討した際、その雄姿を景仰した里人が後世になって尊を奉斎したものと伝えられていて、当初は竹鼻町の西端、字須賀の内元宮に鎮座していたが

1581年竹ノ鼻城主不破源六郎友綱が、城の鬼門の守護神として現在地に遷座したとか

正面の欄間を飾る「波に兎」の彫刻は左甚五郎の作と伝えられているとか

ここで山車が曳かれる「竹鼻まつり」も5月に開催されるとのこと

 

ご祭神は日本武尊さま(やまとたけるのみこと)

 

歩いてきた小径が、竹鼻不動明王のあった小径から歩いてきたものだから

まっさきに目に留まったのがこの忠魂碑

 

手を合わせますと

赤い鳥居が左手側にみえました…

その赤い鳥居から一度離れて、参道の写真を一枚

左側には池があり赤い橋が架かっています

 

赤い鳥居の前には郷社八剱神社の社号標

赤い鳥居の奥、正面には拝殿がみえます…

扁額

ご祭神は日本武尊さま(やまとたけるのみこと)なので、さっそく新型コロナウイルス感染症を討伐していただくように…

二礼二拍手一礼をば

 

さてさて、手を浄めようと…さらには、ひょっとしたら、ここには名鉄電車できたので、知らず知らずのうちにへばりついているかもしれない…新型コロナウイルスを洗い流そうと…手水舎へいけば…

 

 

完全に干上がっていました…

でも、大丈夫…

この手水舎の前にある

「浄湧井泉」が

めちゃ勢いよく!水を放っているのよ!!

もう三カ所もあって、まさに手を浄め放題!!

ここまで、ひょっとしたらへばりついているかもしれない新型コロナウイルスも洗い流されていくこと間違いない!!…笑

この水を飲んで、お腹が痛いとクレームごときなことをした方がいたのでしょうか…その方は、きっと日本武尊さまに「お腹が痛くなりませんように」って願わなかったんだと思う???

心まで浄められたかどうかわかりませんが、少なくとも「浄湧井泉」で完璧に手を浄めた私…

 

狛犬にご挨拶をして

なんか個性的な顔立ち

めちゃ驚いてますやん!!

 

ご由緒の案内板

「日本武尊が伊吹山賊を御征討の際その御通路であった里人が後世尊の御雄姿を景迎して奉斎したもの」と記されています
 
よく伝説にある「大蛇」とは記されていませんな…まあ、「山賊」が一番現実的ですよね???
 

早速、二礼二拍手一礼

「競馬で万馬券があたりますように…でも、食中毒にはあたりませんように…車にもあたりませんように…特別なことはおこらないあたり前の…ありきたりの毎日でありますように…」

お賽銭百円玉に、ありったけの願いをこめて

もう一つ加えて、お腹が痛くなりませんように!!!

 

この拝殿の天井絵が素晴らしいの

 

平成初期に地元の画家の方が奉納されたもののようで

 

拝殿にはお賽銭箱の横にいらっしゃる

大黒様

 

観音様が抱いているのは、おそらく「なまず」??後で、紹介するけど、境内社に「なまず神社」があるのよ!!

めちゃ笑ってますなあ…左側の神様が手にしているのも、おそらく「なまず」

そんな神様、大集合の図

 

さてさて、拝殿にて参拝後は、ぐるっと境内を散策をば

二株がよりそって連理木っぽい「くすのき」の御神木がめちゃすらっとしてて、みあげると、かっこいいですな

私のスタイルもこの「くすのき」のようにすらっとせんと!!

みんな「緊急事態宣言」とか「マンボー」とかがいけないのよ!自粛って言うから、家でゴロゴロしてたら、みるみる間に、私のお腹廻りが「緊急事態宣言」になっちゃって、解除の兆しはまだ、みられず…

よーし、一年後をみてろ!!

「くすのき」に誓う私…そのとき風が吹いて、葉が揺れ、くすくすって「くすのき」が笑ったような??

拝殿の向かって左側には

伊勢両宮社

ここで、拝めば、伊勢神宮に行った気分にさせてくれる!!

それも外宮、内宮二つも参らずに…一度にと、お得感満載??

その手前には、歴史を感じる石灯籠

 

拝殿を向かって右側には天神地祇社

天神は天の神、地祇は地の神のこと…天神だからといって、菅原道真公が祀ってあるわけではありません!

拝殿から離れて拝殿と赤い鳥居の間に点在する

熱田社と

津島社

 

魚入天神社

魚が入ってくる…たくさん魚がとれますようにと願う境内社…という訳ではなく、魚入という名の由来は、廬入(いおり)姫が転じた名前とのこと…
廬入姫とは景行天皇の皇女のこと…

 

赤い鳥居の向かって右側

忠魂碑のあった場所との間にも石の鳥居があって

 

そこには、胸郭の盛り上がった狛犬さんが

こちらの狛犬さんも顔の表情は個性的でありまする!

3人の神様がきれいに並べられていまして

もともと、このように仲良く並んでいた訳ではないようで

 

玉垣が新設され、この地に遷祀されたようで

中央は

猿田彦大神さま

 

向かって右側には秋葉社

 

 

左側には金刀比羅社

 

さてさて赤い鳥居の左側には池がありまして

その手前には石の鳥居

 

てっきり弁天様が祀られているかと思えば

 

明治神宮の社号標があり

 

明治社…明治天皇が祀られているのでしょう

 

池には、先ほど参拝した「猿田彦社」が移設した案内板が…もともとは、こちらに鎮座していたのでしょうか

 

ここには、なんとも珍しい…

「なまず神社」が…

 

どうやら、この舟にのっかっている摂社がなまず神社であるようです

 

 

「商売繁盛・家内安全・宝船に乗って来たなまずの神」

とありますが…

この、宝船にしては、しょぼすぎる???

なんて思ってはいけません!

そんなふうに思ったら

ボーっと生きてんじゃねーよ!」

チコちゃんに叱られる!!

 

 

PS…我が地元の花火大会も3年連続の中止…

でも、花火が楽しめるフツーの世の中が、やっと戻ってきそうな予感大…もう新型コロナウイルス感染症に振り回されるのは御免やで!!

 

 


羽島市の竹鼻不動明王を参拝する…

2023-06-14 06:18:02 | B級スポット

名鉄竹鼻線と路線の名前になっているのに、小さな駅、竹鼻駅で降りて、竹鼻地区をウォーキングしようと

まずは、八剱神社を参拝しようと向かっていた途中にみかけたのが

今回、紹介する

竹鼻不動明王

 

「不動明王」と刻む石碑がわかりやすくていいですなあ

逆川といった小さな川沿いにあるこの「不動明王」

川の近くにあるので、炎が燃え過ぎたときに水をかけるのは、ちょうどいいのかも???

 

まずは手水舎で手を浄めまして…ついでに、名鉄で竹鼻まで来る途中に、ひょっとしたらへばりついているかも知れない新型コロナウイルスをしっかりと洗い流して

 

不動明王様を祀ってある前にて

合掌!!

 

 

ちょいとコミックにでてきそうなアニメ顔…

♪A CHI CHI A CHI 燃えてるんだろうか~

はい、燃えてますね!!

案内解説板

 

こちらが役の行者

 

 

こちらは逆さ不動

 

 

その右側にも新しめの不動明王さまが

 

 

 

柵にとじ込まれられたこの方は??

 

 

奥には、仲良くお稲荷様も鎮座

 

 

お花がきれいに添えられていて、地元の方に愛されている竹鼻不動明王さま稲荷社のように感じました

 

「疫病退散の守護神」ともいわれる「不動明王」さま

もう、かれこれ3年も、何かと話題になって続いている新型コロナウイルス感染症、中国で再熱とかニュースで言ってたけど…いい加減に終止符を!!

 

 

稲荷社のキツネ様との強力タッグで

新型コロナウイルス、コン絶だー!!

どうか!なにとぞ!!!


NHK大河ドラマ「どうする家康」で話題沸騰…家康と戦った寺…三河一向一揆の本證寺を参拝する…

2023-06-13 06:34:42 | 歴史史跡

NHK大河ドラマ「どうする家康」での

第8回『三河一揆でどうする!』での放送…

 

年貢を取り立てようとする家康(松本潤)に対し、一向宗徒が三河各地で一揆を起こした

そんな一向一揆で、一向衆徒の拠り所となったのが、上宮寺や勝鬘寺、そして第8回『三河一揆でどうする!』で登場した本證寺

本證寺は、上宮寺、勝鬘寺と並んで三河触頭三ヶ寺として知られている…

触頭とは江戸時代に江戸幕府や藩の寺社奉行の下で宗派ごとに任命された特定の寺院のこと

それ以前の戦国時代では三河一向一揆の拠点となったこの本證寺

1563年、当時岡崎城主であった松平家康(のちの徳川家康)が22歳のとき、本證寺を始めとして、西三河で一向一揆が起きる…

そもそも三河一向一揆が起きた発端は、寺の土地で獲れた米は年貢として領主に収めなくても良いという松平広忠(家康の父)の代に与えられてた「守護使不入の特権」を家康が破り、年貢の徴収をしはじめたから

その頃の本證寺の住職は

NHK大河ドラマ「どうする家康」で、歌舞伎俳優市川右團次さんが演じてた「空誓上人」

とても落ち着きのある威圧感で圧倒する存在感を放ちながら演じられていたけど

でも、実際は、「空誓」は、家康と対峙したときは、18~19歳だったんだって…あのようなオジサンじゃなかったんだ

 

三河一向一揆は、家康にとって
後の三方原の戦い・伊賀越えと並んで、生涯における三大危機の一つと言われるほど

一揆は半年続き、家康家臣団を二つに分けての闘争となる…
一揆終焉の後、本證寺の僧侶「空誓」は領国追放となり、主要なお堂も破却される…

 

ただし、20年後に家康の叔母である石川妙春尼の尽力により一揆の罪は赦免され、1585年に寺内の住人の租税免除が認められ、禁制が解かれると本堂などの再建を果たし、江戸時代に再興を遂げ、今に続いている…

そんなお寺である

本證寺

「若き家康と戦った三河一向一揆」との幟が…

さて、その三河一向一揆で家康を最も悩ませたのは、一門や家臣にも多くの門徒がおり、彼らが一揆側についてしまっていたこと

本多正信や徳川十六神将の渡辺守綱や蜂屋貞次も一向宗側に…

第8回『三河一揆でどうする!』では、家康の信頼している策士・本多正信(松山ケンイチ)が、一向宗側の軍師になっていることが判明…

家康が寺へ突撃する経路を先回りされ、銃弾を頭に食らって倒れる…この家康が同一揆で銃撃をされたのは史実なんだって…

もし、ここで家康が亡くなっていたら、日本の歴史は変わっていたのね…と壮大な悠久の歴史のロマンを抱きつつ

本證寺に行く…

本證寺は、鎌倉時代後期に慶円によって創建されたと伝えられる浄土真宗大谷派の寺院

今も所在地は、一向一揆の頃と同じ場所にあり、当時も浄土真宗……

山号は雲龍山…正式名は雲龍山本證寺

別名「野寺御本坊」とも呼ばれているよう…

 

山門…これは最近になって建てられた門のよう

 

山門をくぐった正面に本堂が…

まずは、手水舎で手を浄めて…と…

歳を重ねるごとに、穢れてしまってる心までは清めることはできないけど…苦笑

横に張ってあるテントには、歴史ガイドボランティアの方がおられました…おそらく2月以降、春までは「NHK大河ドラマ「どうする家康」」ブームに乗って、多くの観光客&松本潤さん、松山ケンイチさんのファンが訪ねていることでしょう…

 

そのテントに貼ってある説明板

おお、お寺と言えども城址みたい

二重の堀(内堀・外堀))や土塁が巡らされてることなどから「城郭寺院」とも呼ばれているようで…

案内看板を眺めた後には

本堂へと

本堂は1663年に再建された入母屋造り、本瓦葺きの建物

本堂を向かって左から撮影

 

本堂の屋根瓦は

阿吽の狛犬のよう

本堂の中に入って拝むこともできました

 

欄干の彫刻、彫りものが素晴らしくて…見惚れちゃいます…もう、ずっと眺めていたい衝動に…

歴史を感じさせてくれます

ご本尊であられる阿弥陀如来さまに合掌

 

国指定重要文化財の聖徳太子絵伝が堂内に展示されていました…

 

そして、本堂内の柱には

「徳川家康と戦った寺」とのポスターがでかでかと貼られていました!

さてさて、本堂で参拝を済ませた後には、再度、境内をぐるっと…眺めつつ散策をば…

境内は広い広い!だだっぴろい!!

そんな境内で目に留まるのが
二重の堀(内堀・外堀)や土塁が巡らされてるお城っぽい本證寺ですので

物見櫓…とも思えそうな

鼓楼…1760年に建立されたもの…

境内の外側は水堀に囲まれていて…太鼓を打ち鳴らして時を知らせたようだけど…きっと敵の侵入もここで見張っていたようにも思えちゃう…

水堀には蓮がいっぱい…溢れんばかりに

微動だりしないツル…水堀の奥に鼓楼

本證寺の境内の南側にある鐘楼

この鐘楼も江戸時代のもの…1703年に建立

 

境内にある本證寺の石碑と

説明案内板

 

国指定史跡になった平成27年に作られたと思われる

説明解説板

鐘楼の隣にある経蔵

経蔵は1823年に建立された寺の経典を保管するための建物…

 

こちらは本堂裏、駐車場近くの内堀

いかにも、城址っぽい!

もう城址マニアにはタマラナイ!!

内堀を眺めて大興奮…を眺めるとテンションがあがるのは、今までの人生、墓穴を掘ってきたからでしょうか??

内堀の前には、ここにも微動たりしないツル…

 

境内に戻って、境内から龍宮橋という…乙姫様が出てきそうな橋を渡ると

内堀で囲まれています…

そこにみえるのが

裏門

1700年代前半に建てられた薬医門

その裏門から入ると正面にあるのが

庫裏

庫裏は1830年に再建された建物

 

そして、この庫裏に裏手には

土塁が残ってる…

 

おお、テンションあがる!!

土塁だ!!土塁だ!!

 

内堀と外堀の二重の堀に囲まれていた上、土塁も築かれていたとなれば、城址そのもの…

物見櫓もあって…本證寺城として紹介されることもあるようで…

今の時代、もし「空誓(くうせい)」僧侶が生きていたら…

電気代、ガソリン代を始め、値上げ、値上げのラッシュに

もっと、生活をらくぅにせい!!楽にはやくぅせい!!と国のお偉いさんに、モノ申していたかも…

さすがに、この時代、一揆(いっき)という訳にはいかないよね…

と思いつつ

こうしてブログを書き終わったこのタイミングで、お酒を一気(いっき)に飲み干した私なのです……


桶狭間の戦い…名古屋市にある桶狭間古戦場公園ではなく…豊明市にある「桶狭間古戦場伝説地」に行く…

2023-06-12 05:56:13 | 歴史史跡

NHK大河「どうする家康」に便乗して

桶狭間の戦い

この桶狭間の戦い…

桶狭間の戦いというんだから、桶狭間で戦いが起きたことは間違いないんだろうけど…実際、具体的に、どこで起きた…どこで、戦ってた…なんてことは、はっきりわかっていないのか…

名古屋市から見れば

以前、このブログにもアップした

桶狭間古戦場公園

 

「桶狭間古戦場公園」(桶狭間の戦い…今川義元公戦死の地)に行く!!)

その片隅には




「今川義元戦死の地」


その右側…
写真の中央には
今川義元公のお墓




ここに足を運んだ時は、ああ、ここで今川義元公はお亡くなりになったのね…なんて思って帰ってきたんだけど

 

豊明市サイドからみれば

名鉄中京競馬場駅そばのこの日本庭園風に残された公園が

桶狭間古戦場跡であり

今川義元公がお亡くなりになった場所なんだな…

まあ、私の勝手な妄想を含んだ想いを露呈すると、今川義元公はきっと二人いたんだな…で、一人は名古屋市の管轄する「桶狭間古戦場公園」で殺されて、もう一人は、今回紹介する豊明市の「史蹟桶狭間古戦場」で殺されて…

あ、どちらかが影武者、まあ今川義元公のそっくりさんだったので、織田側もまあ、二人とも殺しておけば問題なかろうって??

で…どっちがどっちか今川義元公が殺されたホントの場所はわからないということで、お墓も二つ作っておいたみたいな…

 

いやあ、歴史って、このように妄想することが一番オモロイよね!!

 

さて、今回紹介する豊明市の「史蹟桶狭間古戦場」

「桶狭間古戦場伝説地」と呼ばれていて

こちらは、なんと国指定史跡なんだな…

国指定史跡なんて言われると、こちらがホンモノっぽい気もするけど…今、マイナンバーカードのトラブルとか、国にはイロイロ不備があって、かえって国指定史跡なんて言われると、怪しい…

 

桶狭間の戦いは…

名古屋市サイドの「桶狭間古戦場公園」かもしれないなって…

事実を知っているのは、お空にいる今川義元公だけ??

 

と前置きをだらだら述べたところで

今回は国指定史跡といった怪しさが漂う??

「史蹟桶狭間古戦場」こと「桶狭間古戦場伝説地」を紹介しよう…

日本庭園っぽく整備された公園

東屋なんぞあって、くつろげます…

特に、夜中に一人で、ああ、ここで武士がたくさん殺されていたんだろうな…と歴史のロマンに想いを馳せると…

そこで、物音でも聞こえてこれば

下手なジェットコースターよりも、ウンとスリルがあると思います…

とか言いながら、廻りにはお寺があるけれども、他は駅前で住宅地に囲まれて人出の多そうな場所にこの公園はあるんですけどね…

 

歴史を感じる

「古戦場」と書かれた木製の看板

 

みどころがいろいろあるよう…

「おばけ地蔵」???やっぱりでるんだ!!足のないお方たちが…

 

公園の奥にも

「桶狭間古戦場址」の石碑があって

その横には

弔古碑

まったく何が刻まれているのかわかりませんが…

今川義元の重臣、松井宗信の子孫で津島神社の神官・氷室豊永が建立したそうで
この碑文には桶狭間の戦いを回顧する文面や詩が刻まれていて、尾張藩初代藩主の徳川義直が執筆した「成功記」と内容が一致していることから、尾張藩からこの碑の建立を許可されたものであるよう…

そして、この近く…側道沿いには

今川治部大輔義元墓

かつては塚があるだけだったというが、明治時代に墓石が建てられたようで、江戸時代から、ここが今川義元が討ち取られた場所だと信じられてきたらしい

この横たわった木は

「駒つなぎのねず」

今川義元公がこのねずの木に「駒」をつなぎ、ここで酒宴を張っていたところ、たまたま雷雨となり、織田信長の急襲を受けたよう

このそばには

七石表の案内看板

「今川義元が戦死した場所を示す最も古いものである」という石碑

もう風化して、何が刻まれているのか読めませんが

七石表は、古戦場伝説地の中で一番古い史跡で、1771年12月18日に尾張藩士 人見弥衛門・赤林孫七郎により建立
全部で7本あり、全てに「桶峡七石表之一」と彫られ、6本は伝説地内にあり

一号碑には、「今川総介義元戦死所」と刻まれているのが、これ…

お墓の裏、道路沿いに

「今川義元公戦死所」と示す石碑が…

「七石表」の石碑は公園内を散策すれば、あちこちに散在してて、なんせ広くない公園ですのですぐに目に留まります

 

さらには公園内を散策すると

江戸時代の歌人、香川景樹がこの地で没した今川義元のことを偲んで

「跡とへば昔の時のこえたてて 松にこたふるかぜの悲しき 景樹」

と刻まれた石碑がありました…

公園を散策すれば…もうのどかな街の憩いの公園のような雰囲気で…

そして側道を挟んだ、高徳院の敷地内と思われる土手には

「徳本の名号」

桶狭間の犠牲者を慰霊するため文化文政期の徳本行者が建立した慰霊碑

その横には

今川義元仏式の墓碑

 

方形の石柱に笠と蓮花弁を模した台座がつく墓塔

そばにいるたぬきは今川義元公が化けたたぬきか、もしくは徳川家康公かも??

ここには仏像や石碑が立ち並んでいて

 

「阿闍梨締念の墓」

このお墓は、桶狭間の戦いとは関係なく高徳院に関連する僧侶のお墓も知れないな

お化け地蔵

このお地蔵様が建立される前はお化けが出没し放題だったんですね

そんな仏像や墓碑が、この竹林の中に散在

その横に側道沿いに並ぶ石仏群、実にシュールな光景

まあ、側道は車の往来が多くて、それほど、実はシュールではありませんでしたけど

 

さて道路を挟んだところにあるお寺が

高野山真言宗の寺院…香華山高徳院

空海開創という古刹

当然、ここも桶狭間の戦いが繰り広げられた場所でして

高徳院 桶狭間古戦場絵図は、歴史を重ねて、判読が難しくなってはいますが

立派な山門

 

仁王様が睨んでます…でも表情がちょっとユーモラス…

この山門をくぐったところにあるのが

「桶狭間古戦場」を示す石碑と

今川義元公本陣跡を示す石碑

本来、古戦場伝説地内にこの石碑の建立を求めたが、国指定史跡のため建立が認められず、高徳院内に建立されたそう…なので、ホントの本陣地は、先ほどの公園のようで…いや、あの公園が、ホントに本陣地だったってことすら怪しいんですけど…名古屋市の主張する桶狭間古戦場公園だったかも知れないし

でも石碑が「今川義元公本陣跡」とあるので、ここで、今川義元が腰を降ろして酒宴を行っていた様子が目に浮かぶようで

 

この境内からみえる…眺める…奥の方にある朱色の納骨堂である瑜祇塔がもうデカくて圧巻で

 

散策がてら、瑜祇塔に向かって歩いてみる、その途中には

「桶狭間七石表二号碑」

そして、松井兵部少輔宗信墓が

今川義元とともに討死した今川家重臣、松井宗信の墓碑

ちなみに、本堂とか、咲き誇っていた紫陽花もかな…高徳院は、どうやら撮影禁止のようで…

この後、さっさとスマホの電源をおとして、本堂で合掌して、高徳院を後にしたのでした…

 

中京競馬場駅へは徒歩五分

帰りに眺めた

中京競馬場駅前の像の子供は、今川義元ごっこをしてるのかな

兜(かぶと)を被ってる少年の目には、今川義元公が目にうかぶとか…

 

お父さんが指す指の先には今川義元の亡霊が…みえてるような

それをみて、お母さんは言葉を失っているような…


NHK名古屋放送センタービルB1Fにある「NHK大河ドラマプラザ」…ニューリアルされた「NHK大河ドラマ「どうする家康」展に行く…

2023-06-11 07:12:18 | B級スポット

NHK名古屋放送センタービルB1F

にある「NHK大河ドラマプラザ」では

NHK大河ドラマ「どうする家康」

に関する展示が行われていて

そこに立ち寄ったことを、以前にブログに綴ったけど、

NHK名古屋放送センタービルの 「NHK大河ドラマプラザ」で「「どうする家康」パネル展」

ここ、無料!無料!!私の大好きな無料ですので

こないだ、ふと通りかかって、立ち寄ったら、そのときとは、展示内容が、ニューリアルされていました…

 

放送回数も重なってきたことで

新たな展示物が追加されてて…

写真撮影禁止になってるけど、松本潤さんはじめ総勢22名の出演者のサイン色紙がずらっと…

(サイン色紙とインタビュー等の映像は写真撮影不可)

他にも「どうする家康」撮影時のNHK名古屋内スタジオ写真なども パネルになってて

 

 

 

これらのポスターは、前回訪ねたときにもあったような…

 

 

これらのパネルは新たに展示

「徳川家康の生涯」

 

顔は、松本潤さんとは、程遠い…(笑)…私たちが、教科書でみたことのある徳川家康の顔で…

 

 

「どうする家康!?」

桶狭間の戦いで、今川義元討ち死!

ここから、ドラマは始まりましたね!

今川義元が出てきたばかりなのに、第1回の放送で殺されちゃったのには、ちょっと驚きました…

「宿敵、武田信玄との戦い」

…信玄の顔は、阿部寛さんに全然、似てないのに、阿部寛さん演じる武田信玄をみてると、まさにこんな感じだと思えてくるのが、不思議なところ…

「信長の死と羽柴秀吉の台頭!」

 

織田信長の顔も羽柴秀吉の顔も、ドラマの岡田准一さんやムロツヨシさんとは、程遠い…私たちが、教科書でみたことのある徳川家康の顔で…

「家康vs三成!天下分け目の決戦へ!」

このパネルがあるってことは、関ケ原の戦いまで、ドラマでやるってことなんでしょうね!

「家康最後の戦い」

大坂夏の陣(じん)、冬の陣(じん)もやるのかな…大河ドラマを最後まで見続けると最終回で「じーん」としちゃうのかな??

 

さてさて、撮影コーナーが設けられているので…

その後は、平ぺったい徳川家康と瀬名さんと…

 

 

前回は、松本潤さんの目の前に立って、平ぺったい有村架純さんとツーショットを撮ったけど…笑

これが、前にきたときの写真…笑

今回は、フツーに、いや、むしろNHK信者のように(笑)

「アイ・ラブ・どうする家康」のプラカードをもって

 

さらに、平ぺったい岡田准一さんと北川景子さんとも

フツーに、いやNHK信者のように

「アイ・ラブ・どうする家康」のプラカードをもって

 

これだけ、NHK信者のように振る舞ったから、NHKの受信料安くして…なんてね…

 

いや、むしろ、スクランブル放送にして、みたい人だけが、受信料を払うシステムにしてくださいな…

 

もし、そうなったら、今後数年後のNHK大河は、

「どうする家康!?」ならぬ

「どうするNHK!?」

…で、どうかな???

三河一向一揆のように、民から受信料不払いの運動がおきて、平定にむけて、あれこれ、がんばる主人公…

民の願いはスクランブル放送で流してほしい…見たい人が受信料を払うシステムに…

そう…

スクランブル放送で「長篠(ながしの)」…もとい「流しの…」の戦いも起きて…

いかん!いかん!得意の妄想癖が…汗

 

このあとは、私、「どうする」かって?

腹が減っては戦はできぬ!ということで…

「ラ・ピエドラ」(La・Piedra) 栄店で…

 

注文したのはドライカレー

 

ピエドラ名物ドライカレー

この食べ方のマニュアルどおりに(笑)

 

 

はい、マニュアル通りに食べて、美味しゅうございました!!

 

 

 

 

満足!満足!満腹!満腹!

食べすぎて、三方ヶ原(みかたがはら)の戦いならぬ

 

目方がほら(めかたがほら)、とんでもないことに!

スクランブル放送で「長篠」…もとい「流しの…」の戦いよりも前に…

なによりも先に

めかたが、ほら!の戦いに挑まなくてはいけない?私なのです…???

お腹を凹ますために、ために、運動するぞー!!…苦笑