荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

冬の正岡子規の墓へ行く

2016年01月15日 | 散文
田端に来ています。


あまり人が通っていません。

寂しい商店街です。

冬の田端銀座商店街を抜けて行きます。


大龍寺へ来ました。


向こうの煉瓦塀と小さな竹藪の所に子規のお墓があります。

冬の墓地は寒々としています。

子規のお墓です。


手前に母八重の、奥に正岡家累代のお墓と一緒に、日差しがない冬の空の下に佇んでいます。

冬のお墓は一層寂しいです。

子規が好きだった羽二重団子の店先も閑散としています。


子規庵に来ました。

「前田別邸内の小家を借り住みて
加賀様を大家に持って梅の花」明治29年 正岡子規
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亀戸香取神社/御鎮座1350年

2016年01月15日 | 散文
御鎮座1350年との話を聞いて、香取神社へ行きます。

参道を進みます。

ここ参道の商店街は、数年前に大正ロマンを感じさせる街に改造しました。


参道の左右を見ながら進むのが楽しいです。




よく見ると店名が手書きです。

好いです。

年末に道路の改装をしたので、凸凹道ではなくなって、自転車で走りやすくなりました。


ここは「亀戸大根」で有名な街です。


境内に「亀戸大根ノ碑」がありました。
案内板を見ます。

「このあたりで大根作りが始まったのは文久年間(1861~64)の頃とされ、当香取神社周辺が栽培の中心地で、以来、明治時代にかけて盛んに栽培されてきました。
当地は荒川水系でできた肥沃な粘土質土壌であったため、肉質が緻密で白く冴えた肌の大根作りに大変適していました。
亀戸大根は、根が30cm程の短い大根で、先がクサビ状にとがっているのが特徴・・・云々」
説明はまだまだ続きますが、以下割愛します。

「木遣音頭碑」もあります。
木遣と言えば木場ですが、荒川を利用した木材の運搬業が盛んだったのでしょうか?
石碑を読むのが億劫なのでやめます。

先程亀戸大根の説明を読んだ後なので、根気がありません。

さて、本殿です。
「御鎮座1350年」の幟が見る人を圧します。

1350年前とは、斉明天皇が新羅と唐の連合軍と戦っている同盟国百済の要請を受けて、四国松山から援軍を発した頃です。
その際に額田王が詠んだ「熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」が有名です。
5音と7音を基本とする長歌や短歌の形式が定まった頃、万葉集編纂以前の時代です。
気が遠くなる程の昔に、この香取神社ができたのですね。

本殿前から参道を見ます。
使い込まれた石に1350年目の日差が反射して光る参道です。

ここ香取神社は元々勝負事の神様です。
「スポーツの神様」とも謳っており、サッカー小僧らがお参りに来ていました。

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