荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

夏の・・・、(7/15の記録)

2015年07月15日 | 散文
また雨が降るらしい。
今日外出しなければ、当分出られないかも知れません。
と言う事で、ママチャリを引っ張り出して、いつもの散策に出ます。

以下、冒頭に「夏の・・・」を付けて読みます。
こんな半日になりました。

スカイツリー


隅田川


浅草寺


正岡子規記念球場


根津神社/唐門


根津神社/透塀


藪下通り


藪下通り脇の石段


駒込大観音堂


旧安田楠雄邸庭園


ファーブル昆虫館


千駄木のレストラン


須藤公園


谷中銀座


谷中のかき氷屋/ひみつ堂


岡倉天心記念公園


夕焼けだんだん


初音小路


土塀


お地蔵さん


一本杉


根津のバッターボックス


池之端/浜寿司


井戸1


井戸2(反対側)


東京芸大/奏楽堂


東京芸大/音楽学部


こんな半日を過ごしています。
熱中症になりそうなので、逆光眩しい、東京芸大/美術学部に逃げ込みます。

続きは後日。


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江戸川球場

2015年07月14日 | 散文
高校野球夏の甲子園大会地区予選が好きです。
本大会より好きかも知れません。
近くに江戸川球場があって20数年通っています。
私と同じような野球好きが沢山います。
「贔屓のチームがあるわけでは無いが只々高校野球が好き」な人達です。
有名校が出る訳でもない平日にこの観客です。
まだ、1回戦ですよ!



(エピソードー1)
母校の応援をしている野球部OBが居ます。
1人は社会人、後の2人は大学生のようです。
学生が先輩を見つけて最敬礼で挨拶すると、先輩が自分の席の隣りに2人を呼びました。
暫くしてからの会話です。
「先輩の所へ会社訪問させてください」
「そういう意味でお前らを呼んだわけじゃないんだ。いいか、絶対に来るなよ!」
来られると不味いのでしょうか?

(エピソードー2)
小父さんが贔屓のチームを鼓舞しようと投球練習をしているピッチャーに「お~い○○、球が速くて見えないぞ!」と声を掛けました。
ピッチャーは帽子が飛ぶほど腕と頭を振って投球練習を終えました。
さて、先頭バッターの1球目を、思い切り手前(ピッチャープレートとホームベースの真ん中あたり)に叩きつけました。
失笑が起ります。
2球目、狙い澄ました強烈なセンター前ヒットを打たれました。
ガックリとうなだれたピッチャーは、その後ずっと調子が戻らず、フォアボールを連発して交代させられました。

(エピソードー3)
守備位置に走るナインを励まそうと小父さん(上記と違う人です。以下同様)が声を掛けました。

「頑張れ~!飛雄馬あ!」
球場全体が、「あ、その名前付けたんだ・・・」という雰囲気になりました。
偉大な名前は重荷のようです。
一人だけ俯いて走っている選手がいたので、すぐ誰か分かりました。
ベイスターズに飛雄馬選手が居ますが、彼は大阪出身なので、別人だと思います。


ノックを見ると、だいたい勝つチームが分かります。

(エピソードー4)
帝京高校の相手チームの近くに座っていました。
グランドでは帝京高校が守備練習中です。
相手チ-ムの野球部OBが言いました。
「すげえ、野球が簡単に見えるよ!」

(エピソードー5)
内野ノックの後、元気のいい監督が声を張り上げました。
「次、外野!いくぞ~!」
一際大きいその声に観客が注目した第1球。
彼は、ノックをレフトスタンドに叩き込みました。
すかさず小父さんの声。
「お前がホームラン打ってどうするんだよ!」

(エピソードー6)
母校の応援に来ている2人の会話です。
両人ともどこかのチームで監督かコーチをやっているようです。
「先輩は、キャッチャーフライは最後に上げますか?」
「うん、キャチャーフライで締めるね」
「うわっ、勇気ありますねえ!僕は内野ノックの時に打ちます。キャッチャーフライの当たり損ねが内野フライノックです」

最近、キャッチャーフライを上手く打つと、観客席から拍手が起こります。


チアリーディングは高校野球の華です。
球児に取ってどれだけ励みになるか計り知れません。
勿論小父さんも好きです。

(エピソードー7)
「チアは青学がいいよな」
「俺は二松がいいな」
両校ともチアリーディング全国大会で活躍しています。
小父さん達お目が高いです。

一方、チアもブラスバンドも無い学校もあります。

その場合は、控えの野球部員が声を揃えて、メガホンで叫びます。
「パッパラパッパ、パッパッラパッパッパパー、カットバセエ○○!」
・・・色々な青春があります。


5回裏が終わるとグランド整備が行われて、水が撒かれます。
観客席まで涼風が吹き渡ります。

小父さん達のビールタイムです。
こんな風に先ず野球が好きで、その他、球場内で起こる何でも楽しむ小父さんが多く居ます。
・・・はい、私も含めます。
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月島へ行く

2015年07月13日 | 散文
佃島に続いて、隣の月島に来ました。

角にある交番が安全センターになっています。

通りの向こうに聖路加タワーが見えます。

ここも、新旧が混在する街です。

路地からの夜景です。



商店街には弁天様や温泉もありますが、



ここは御存知「もんじゃタウン」です。

商店街の半分以上がもんじゃ焼き屋です。

そして路地を入ってももんじゃ焼き屋があります。
この向こうの通りにもあります。
よくこれだけの店が営業を続けられる需要があるものだと感心します。

そして、多くの店が有名人来店の写真を店頭に張り出しています。
勿論、店内にはサイン色紙を張り付けています。
泥臭く下町風情たっぷりです。

その路地の、暫く行っていなかった店が変わっていました。

改造して小奇麗になっています。
7月18日新装オープンのようです。

狭い路地の向かい側の新しい店も同時に新規開店です。
商店街にも店があります。
当初は路地裏の1店舗だけでしたが、ブラッドピットを初め多くのスターが来店した事によって人気店となり、今や3店舗の経営のようです。

勿論美味しいですよ。
夜は予約できます。
でなければ1時間待ち覚悟の人気店です。

さて、商店街では祭りの準備が進んでいます。

月島は佃島の住吉神社の氏子ですので、祭りは一緒に行います。
7月末の祭りに、もう準備しています。
盛り上がりが期待できます。
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佃島へ行く

2015年07月12日 | 散文
永代橋上から見た佃島です。

今日は佃島・月島へ行きます。

先ずは佃島から。
佃小橋から運河の向こうのマンション群を見ます。



運河を掘った後があります。



祭りになると木を掘り出します(数年前の写真です)。

普段は運河に沈めています。

掘り出した木です。

大幟を揚げる竿です。

祭りの準備が始まっています。



神輿蔵の前でもこのとおり。



運河脇でも休憩所造りが進んでいます。



お祭り実施本部です。

祭りが近い雰囲気がムンムンです。
街が湧きたっているように感じます。

住吉神社の祭りです。

徳川家康の江戸開幕に際して、一緒に江戸へ移住した漁師の子孫の祭りです。
大阪から住吉さんと一緒に来ました。

神社の屋根の向こうに、運河を隔てた高層マンションが見えます。



運河を隔てて全く雰囲気が違う街です。

新旧の共存が好いです。

未だにこんな店があります。

子供たちが買い食いしているのでしょうか?

佃島と言えばつくだ煮です。

この店のつくだ煮を買いに来ました。

つくだ煮をよく食べます。

お使い物にもします。

船溜まりからマンション群を見ます。



隅田川土手から見た住吉神社です。

鳥居の正面に佇んでいます。

さて、祭りは7月31日からですが、もう準備をしています。
各所の大幟旗が掲げられて祭りの開始です。
神輿の宮出しは8月2日です。
氏子は仕事になりません。
私も気が抜けません。



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好きな商店街―1

2015年07月11日 | 散文
ママチャリで街を走っています。
表通りを颯爽と走るライダーではなく、裏通りや商店街が好きな街ウオッチャーです。
日頃通っている好きな商店街を掲載します。
勿論順不同で・・・。

「こばと商店街」
西日暮里の、オリンピック水泳金メダリスト北嶋選手の実家の近くにあります。




「道潅山通り商和会」
こばと商店街近くの商店街でオリンピック金メダリストの実家が肉屋を営んでいます。


北京オリンピックの時は店を休みにして応援に行っていました。
店頭に「休業のお知らせ」の張り紙をしていたので気が付きました。

メンチカツが有名です。

「宮路通り商友会」
明治通の宮路交差点から三河島駅に向かった通りにあります。




「親交睦商店街」
街の景色が変わったと思ったら、いつの間にか街路灯ができていました。

完成記念セールの真最中です。

「Nippori Piasere」
上記「親交睦商店街」並びの商店街です。

街灯表示板の反対側はカタカナで「ニッポリ ピアセル」と書いてありました。

「Fabric Street」
日暮里は繊維の街です。

問屋が沢山あって、かつては随分賑わった街でした。

「日暮里中央通り」
バナーのセンスが好いです。
さすが、繊維関係。

丁度、統一地方選挙の真最中でした。

「佐竹通り商店街」
古くは秋田佐竹藩の屋敷があったところからの街名らしいです。
日本で2番目に古い商店街で樋口一葉が住んだ事もあるとか。

じゃあ、1番は何処だろう?

「おかず横丁」
名前がいいです。
鳥越神社の近くにあります。

何度かTVで取り上げられた歴史ある商店街で、最近若者の工房とかができて集客を図っていますが・・・。

「地蔵通り商店街」
京島から隅田川に向かう途中にあります。



「まさにわ商栄会」
墨田区にあります。



「中の橋南商店街」
江東区大島にあります。

この手前にある「サンロード中の橋商店街」は随分賑わっているのですが・・・。

「仲通り会」
深川江戸資料館近くにある商店街です。
入ってすぐに三遊亭歌司師匠の家があります。


賑わっている商店街も好きですが、ちょっと寂れた商店街が好きです。
今日紹介した商店街のいずれも、殆ど人通りがありません。
ちょっと心配になります。頑張れ!




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浅草ほうずき市

2015年07月10日 | 散文
先日の浅草神社「夏詣」の際、浅草寺の境内に屋台の設営が行われていました。
「あ!『ほうずき市』だ!」

多くの祭りは参加者の便利を図ったり売上増を考慮して土日曜日に催行しますが、朝顔市とほうずき市は曜日に関係なく、決まった日にちで行われます。
去年までは朝刊を見て、昨日祭りがあった事を知ったりして残念に思ったものですが、退職してちょくちょく走っていると祭りの準備に出くわす事が多いです。
家に帰って、正確な日程を調べて予定を立てる事ができます。

さて、昨日今日がほうずき市です。
昨日の東京は一日中雨でした。
今日は何日振りかで日光を浴びます。

やって来ましたほうずき市です。

やっぱり人出が多いです。

市に活気があります。



ほうずき売りも今日の天気で一安心と言ったところでしょうか。
明るく元気がいいです。

お客に声かけていきます。
今日で終わりの商売です。

選んでいます。
一鉢2500円が相場です。

中には、風鈴をサービスする店もあります。

切り花もあります。

大きさによって、1本500~1000円です。

こういった商売にはテキヤのオッチャン・ニイチャンが多いのですが、今年は浴衣を着た可愛い女性の売り子が多く居ます。

彼女たちは写真撮影に応じてポーズを取っていました。
「ミスほうずき」とか「ほうずき娘」とかでしょうか?

テキヤさんよりよっぽどいいです。



同じ買うなら、こういう店ですよねえ。



商売繁盛です。

ちなみに私は、朝顔と同じくほうずきも買いませんが、来年も来ます。

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亀戸天神の1年

2015年07月09日 | 散文
亀戸天神は、幾つかあるママチャリ散策のルートの1つです。
今日は梅雨で外出できませんので、改めてその1年の景色を振り返ってみることにします。

お正月です。

賑わいの初詣風景ですが、景気の影響か文化の変化かそれとも土地柄か、晴れ着を着ている人が居ません。

天神様には必ずある御神牛にお参りする人も多いです。

願い事をしながら撫でるのでピカピカです。
特に、顔と頭がピカピカです。

1月末には「鷽替え」が行われます。

去年の良くない事は全てウソであり、木彫りの鳥を買い替えることによって全て一新してチャラになる、と言うありがたいような、自分勝手な後ろめたさを感じるような神事です。

この行事は大変な人出で、初詣より多いです。

後ろめたさを感じている様子はありません。

冬になると池も凍ります。



行事には多くの屋台が出ます。
屋台間の狭い通路を歩くと、いつもお祭り気分にさせてくれます。

ちょっと高揚してきます。

試験シーズンになると、天神様の出番です。
全国でお馴染みの願掛け絵馬が一杯です。

湯島天神と比べて、偏差値的に2番手校の名前が多い気がします。
土地柄でしょうか?

天神様だけあって、右近も左近も梅です。



天神様と言えば梅まつりです。




春の訪れを教えてくれます。

「東風吹かば・・・」です。

そして、天神様と言えば藤まつりでもあります。

ゴールデンウイークが見頃です。

東京の爽やかな季節です。



夏は、行事がありません。
お勧めは池の亀でしょうか。

近年餌やりを禁止しているのですが、人の気配を感じると、餌を求めて大急ぎで寄って来ます。
餌が落ちて来るのを見る為でしょうか、首を上に上げた立ち泳ぎ状態で、両手で「トプトプ」と水を切って寄って来ます。
可愛いですよ。
一度見てください。
但し、餌やりは禁止です。

秋には菊まつりが開催されます。



スカイツリーが完成して以来、菊でツリーを作っていますが、年を経るごとに似ていなくなっています。
これが、初年度のツリー。


これが最新のツリー。

ね、似ていないでしょう?
氏子衆、手を抜いてない?


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夏詣・七夕・朝顔市

2015年07月08日 | 散文
北海道から帰っても東京は梅雨の真最中です。
それでも季節は廻ります。

時々小雨の曇り空の中、ママチャリを引っ張り出して、散策に出掛けました。
お馴染みの浅草神社(三社様)です。

夏詣の催行中です。

茅の輪くぐりです。
・・・、環が真円ではない。
でも、トーストの外周とは全然違うので、ありがたみがあります(こだわっています。老幼友達の神社総代から返事がありません)。

三社祭りの賑わいとはまた違った祭りです。
下町の祭りは決して賑やかだけではありません。
こんな祭りもあります。

長蛇の列の浅草演芸ホールと東洋館を横目に、ママチャリは右に行きます。



今半の角から始まる、かっぱ橋本通りの「下町七夕まつり」の会場です。



飾り立てた割には、いつもより人出がありません。



普通、七夕前後には梅雨明けしています。

今年は目途が立たない天候です。

例年、太陽ギラギラの下で見物したものです。



商店街の終点から振り返りました。
遠くにスカイツリーが見える商店街です。

たまたま、手を繋いだ老夫婦らしいカップルが写っていました。
微笑ましい・・・。

さて、少し走ると、朝顔の鉢植えを運ぶ「ワカイシ」が居ました。

「入谷朝顔市」の会場が近いです。

朝顔を選んでいます。


この人出です。

朝顔を求めてやって来ています。

大賑わいです。

選んでいます。

臨時朝顔屋台街の中心に神社があります。



ここが祭りの中心の「恐れ入谷の鬼子母神」です。

東京各地で朝顔市をやっていますが、ここが歴史的にもメジャーです。

境内いっぱいに朝顔を売っています。



この人が朝顔売りです。

江戸の朝顔売りです。

声は、もうガラガラです。
コカコーラを飲みながらなお、声を張り上げていました。
朝顔は、一鉢2000円~3000円が中心相場です。

買いますか?
故郷では何処にでもうるさい位咲いていた(晩秋まで咲きます)ので、私は朝顔には、お金を出せません。
タネを保存しておけば、毎年花を咲かせられますし・・・。

田舎には、朝顔売りは居ません。
・・・きっと私は江戸っ子にはなれません。
でも、祭りには参加します。
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避梅雨に出掛ける

2015年07月07日 | 散文
梅雨が続く東京を脱出して北海道へ出掛けました。
先ずは、千歳空港内で昼食にラーメンを食べます。

北海道ラーメン道場に沢山のラーメン店がありました。

入口にある「えびそば一幻」へ。
家族の目的の一つです。
他の店を圧倒する行列です。
入口でなければ他の店の邪魔になる列の長さでした。

味は、とっても濃いい!
海老が濃厚です。
東京ラーメンとは対極の濃さです。
概して、北海道は味が濃いと思います。

北海道が初めての家族の希望で羊が丘公園へ。

曇り空のせいもあって、気温は19°です。
皆さん寒そうです。

家族の目的の一つであるラベンダーが咲いていました。



家族の目的の一つである時計台へも行きました。



定山渓温泉に泊まって、翌日は、家族の目的の一つであるサッポロビール園でジンギスカンを食べました。

アッシー君はノンアルコールビールで我慢です。

ひたすらレンターカーを走らせて富良野へ。

家族の目的の一つである、ファーム富田へ行きます。

大変な人出でした。



ラベンダーが咲き始めです。



農場らしい光景ではあります。



家族の目的の一つであるソフトクリームとカットメロンを食べて、長男の家にメロンを送りました。

メロンが飛ぶように売れていました。
皆さんメロンを買いに来たかと思ってしまいます。

家族の目的の一つである富良野で泊ります。

ニングルテラスの夕景です。

灯りが灯って幻想的です。



翌日は、家族の目的の一つである美瑛です。
ここは四季彩の丘です。



三愛の丘展望公園から見る丘陵地帯です。



小麦畑です。



じゃがいも畑です。


逆光の小麦畑です。



ずっと丘が続きます。
切りがありません。

旭川へ向かいます。

昼食を食べたレストランです。

大変混んでいて、空席待ちでした。

人気の店のようです。

試食したうえで、おみやげにトマトを買いました。
甘いのとトマトくさいのがありました。
どちらも好きです。

旭川へ来れば、当然家族の目的の一つである旭山動物園へ行きます。



家族の目的の一つである「水中を泳ぐシロクマ」です。
ユーモラスな泳ぎにお客さんは大喜び。

家族の目的はほぼ達成できたようです。
食に観光に温泉に買い物にと北海道を楽しめました。

ところで、梅雨明けはいつでしょうか?
太陽が恋しいです。


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織田ヶ浜から頓田川河口へ

2015年07月05日 | 散文
織田ヶ浜です。
南朝方の脇屋儀助が上陸したとか、家来篠塚伊賀守が敵中を突破して敵船を分捕って沖の島に上陸したとか言われている「今張の浜」です。

沖の四角いのは、荷物を運んでいる船です。
絵的に面白かったので、ストーリーに関係なく撮りました。

現在の織田ヶ浜には遊歩道が出来ています。



頓田川河口へ移動します。

沖には平地島が見えます。

子供の頃から、子供のくせに、干潮時のこの場所が好きです。
夕方ならもっと好いです。
堤防の向こうに唐子山が、その向こうに世田山・笠松山が、遠景に石鎚山と四国山脈が見えます。
その向こう側は高知県です。

干潮まぢかです。
四国山脈の麓に、西条・新居浜の工場群が見えます。

反対側には来島の島々が見えます。



川上側の風景です。

子供のくせに、一人で此処に来て、時間の経過に連れて変わって行く景色を眺めていました。

更に潮が引いていきます。

静かに波を寄せながら引いていきます。














・・・父がデイサービスから帰って来る時間です。


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ユーカリの樹

2015年07月04日 | 散文
卒業した小学校の校歌を覚えています。
余談になりますが、中学校、高等学校の校歌も覚えていますが、大学校の校歌は覚えていません。
さて、卒業した小学校の校歌に「ユーカリの樹」が歌われています。
校歌に歌われるくらいですから、その存在は私を初め、卒業生みんなの印象に残っていると思います。
ここが卒業した小学校です。

校舎を初め、図書館や、講堂や、池や、築山や、鉄棒や、滑り台等何一つ在学時のものは残っていません。

唯一、ユーカリの樹だけが、当時そのままの姿で立っています。
この樹は、昔から一本だけで堂々と立って、その存在は他を圧倒していました。
子供心に「孤高」の神々しさを感じたものです。

今も堂々たる姿です。
ちょっと感動です。

当時はここに建物も遊具もありませんでした。
運動会の記憶があります。
前の夜からゴザ・ムシロを敷いて、父兄達がこのユーカリの前からグランドの半周を、場所取りをしていました。
昼食は家族と一緒に食べていました。

低学年生にとって、ユーカリを囲っている石垣を上るのが大変な苦労でした。
記憶の中では、腰の位置くらいに高かったように思います。

幹の周囲が大きくて、5人で両手を広げても抱えられませんでした。

とても頼もしい樹でした。

松葉の先に松ヤニを付けて、この樹に無数にあった小さな穴に差し込むと、白アリが採れました。

・・・当時より樹勢が盛んなようで安心しました。

樹の脇に説明板が建っていました(昔はありませんでした)。
私が知らない歴史が書かれています。
記録に残しておくことは大事ですね。

(説明板の記載内容)
「市指定天然記念物
ゆうかりじゅ ふともも科
大樹には歴史があり、それをはぐくんだ人々がいる。
目通りが4.7m 高さ38mあり、県下では最大で、姿も一番美しく、郷土の誇りとする樹である。
低い枝と高い枝では、葉の形や着き方がちがっている。
葉を透かして見ると小さい油点が存在する。
樹皮はたてによくはげる。
原産地のオーストラリアでは100mにもなる。

明治34年に桜井小学校が創立された時、高さ1.7m直径3cmの苗木を桜井村費で買って、校門の西側に植えた内の唯一本である。
幹には切り傷や落書きもなく、幹のまわりは盛り土をし、石垣で土止めをしてたいせつにしている。
創立してから約70年間、強く 正しく 美しくの校訓のように自然のままによく成長している。
昭和52年12月2日指定
今治市教育委員会」

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MSSサポーター

2015年07月03日 | 散文
三菱一号館美術館にサポーター制度があります。
年会費を払って美術館運営の支援をする会員、と言えば分かり易いでしょうか。
その特典として、会員と同伴者1名が、年間何度でも自由に展覧会を鑑賞でき、レストランでの飲み物サービスがあります。
その特典だけで十分満足していました。
だって、年会費1万円ぽっきりですもの。

そんな折、同美術館から「お知らせ」が届きました。
「『画鬼・暁斎展』貸切鑑賞会」の案内です。
鑑賞券2枚(会員は鑑賞券が必要ないのに)と一緒に届きました。
休館日に会員だけの展覧会を開催し、更に、希望者20名に対して「ギャラリートーク」と「建物見学ツアー」が実施されます。
当然、両方に申込み(先着順)ました。

その趣旨とは?
河鍋暁斎の展覧会を開催するに際して、暁斎の絵とともに、その弟子コンドルが設計した三菱一号館を見学してもらおう、と言うものらしい。

コンドルとは?
ジョサイア・コンドル
明治初期のお雇い外国(英国)人で、暁斎から「暁英」の画号を貰った建築家(彼の絵もあります。日本画を完全にマスターしています)です。
建築物の代表作は、鹿鳴館、ニコライ堂及び三菱の社長の館(岩崎邸等)等々。
併せて、日本文化の研究家で、西洋への日本文化の発信者でもあります。

それはもう、万障繰り合わせの上出席しますとも。


展覧会及びギャラリートークは展示場内なので、冒頭の絵以外の写真撮影はできません。
従って、建物見学ツアーの報告をします。
先ずは、英国式ローズガーデンの説明を受けます。

元々は建物の裏側で、馬車の駐車場でした。
この庭は好きで時々訪れています。

展覧会に行けば必ず覗く、階段踊り場の窓です。

建築物の再現に際しては、極力当時のものを再使用しています。

説明は、その階段へ行きます。



この手摺りも再現されたものですが、色の変わっている部分及びその下の石柱の一部が、建設当時のものです。

撫でると、ざらざらした手触りがあります(他の部分はすべすべです)。

1階チケット売り場での、煉瓦の説明です。
下の方に幾つか黒い部分がありまあす。
これは「木」です。
よく見ると、なるほど年輪があります(すみません、ガラケーなもので・・・)。
はめ込んだ木に煉瓦の膨張・圧縮を吸収させて、ひび割れを防いでいます。

1階のこの辺りが重役室だったそうです。
名残の扉が数か所ありました。

外に出ます。



多くのものが再生品ですが、前出の階段のように、できる限り当時のものを使おうとしています。
上から2段目の左端の窓、これは建設当時のものです。

他の窓は再生品ですが、ガラスも当時のガラスの雰囲気を再現したもので、その面は均一でなく歪んでいます。

見学者の一団がぞろぞろとレストランに向かいます。



食事中の人が居る中での説明です。

ここは、元銀行でした。

銀行時代は、2階の廊下で各部屋へ移動していたそうです。

ここのレストランも好いです。

元銀行なので、窓口があります。



再び外へ出ます。
煉瓦と塔の説明がありましたが、ここではひとの話を聞いていません。



再び階段です。
ここでは鉄の階段の説明です。
採光の為に透かし彫りを施しています。

階段は鋳鉄、手摺り部分は鍛鉄で作られています。

資料館です。
建設当時の家具を再現しています。
最後に部屋へ帰ってアンケートを書いて終了です。

展覧会を観て、ギャラリートークを聴いて、こんな時間を過ごしました。

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芸予要塞跡(小島)へ行く-5(最終回)

2015年07月02日 | 散文
最後の芸予要塞跡訪問報告です。

北部司令塔跡へ行きます。



中部砲台と同様、急こう配の石段です。





司令塔跡に出ました。

当然ですが、眺望が良いです。

反対側は、今は竹藪ですが、その向こうに海が覗いて見えます。

中部指令台より、二回り程狭い司令塔です。

司令塔跡から砲台跡を見下ろします。



(発電所跡)



(地下室跡)



(砲座跡)



一通りの見学を終えて港に向かいます。

先日と違って景色が綺麗でした。
梅雨の晴れ間のしまなみ海道です。

小島には20数軒の民家があります。








屋根の遥か上空を自動車が飛びます。



漁港の上にも自動車が飛ぶ島です。



以上で芸予要塞散策の旅を終わります。

楽しくて、ドキドキしながらの散策でした。

初めての訪問でしたが、もっと多くの人にこの遺跡の存在を知って頂きたくて、長々と書き連ねました。
お付き合いありがとうございました。

定期船と歴史と景色と潮流が楽しめる島です。
ぜひ、一度訪ねてみてください。
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芸予要塞跡(小島)へ行く-4

2015年07月01日 | 散文
小島再訪です。
前回より天気がよくて、雨の心配はありません。

北部砲台を中心に廻ります。

海岸道路を通って島の北部へ行きます。



海岸から石段を上ります。

この石段は当時のものではない思います。

案内板に従って北部砲台跡へ向かいます。



<北部砲台跡>
案内板の記載内容
「小島東北部に位置する北部砲台には、24cm加農砲4門と軽砲4門が配備されたほか、発電所、兵舎、浄化槽、探照灯などが造られ、明治35年(1902年)2月に竣工しました。


しかし明治37年の日露戦争時には、中部砲台の榴弾砲が外されて旅順に運ばれるなど、小島砲台の武装は軽くなっていきました。


そして豊予要塞の完成によりこの芸予要塞も不要となり、大正13年(1924年)に廃止となりました。
大正15年には、北部砲台は陸・海・空軍合同の航空機による爆撃演習が行われ一部が破壊されています。


要塞の廃止後、当時の波止浜町長であった原真十郎氏は、要塞の町への払い下げを国に熱心に請願し、この芸予要塞の歴史的価値を永遠に伝える公園としての保存公開を訴え、昭和2年(1927年)に波止浜に払い下げられました。
この時、北部砲台の加農砲4門は、当地に残っていましたが、太平洋戦争の際に金属回収のため供出され今は砲座跡が残るのみです。」

(砲座跡)



(地下室跡)





(爆撃演習による爆破跡)



飛行機での爆撃演習を行いましたが、命中率は非常に低かったようです。



(井戸)



(浄化装置跡)



(発電所・地下兵舎跡)





(地下兵舎跡)



今日はここまで。
次回は北部司令塔跡へ行きます。

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