荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

亀戸銭座跡にて

2019年02月21日 | 散文
江東区の横十間川沿いの道路脇に「亀戸銭座跡」があります。
あまり気にする人は居ません。


石碑の題字を除く3面に説明書きがあります。


「この付近に幕府の鋳銭所がおかれ亀戸銭座と称し寛文八年から明治六年まで各種の寛永通寶銭を鋳造しその銭のおもてには寛永通寶うらには文の字のあるものや二十一本または十一本の波模様のあるものなどがある 昭和三十三年十月一日江東区第十三号」


・・・最後の「十三号」って何だろう?
まあいい。


このモニュメントの前はマンション街です。


正面はマンションの壁です。


その脇に、「日清紡績創業の地」碑がありました。
今回初めて気付きました。
「日清紡績株式会社は明治四十一年一月創業後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地二万余坪に、最新鋭設備を誇る本社工場を建設した。云々 後略」


なるほど、このマンション群は工場跡地だったのですね。
この付近は昭和後期まで大工場地帯でした。
その工場群が地下水を汲み上げた為に、この地域一帯が海抜ゼロm地帯となったのです。

銭座から大工場地帯を経て大住宅地帯となった歴史の証言の場所です。

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亀戸香取神社へ行く。

2019年02月21日 | 散文
池江璃花子選手への応援絵馬で話題の亀戸香取神社へ行きました。
この参道を行きます。


10数年前に商店街全体を再開発して建て替えました。
大正ロマンを感じさせる参道商店街です。


いつも自転車で走る場所です。






いつもはここで左折して亀戸天神方向へ行きますが、今日はここで自転車を降ります。


元々勝負事の神様で、最近は「スポーツの神」として売り出しています。


この地は亀戸大根の生産地でもあります。


10数年振りに鳥居を潜りました。
案内板があります。


御水舎脇には亀戸大根の碑があります。
説明板は読みませんでした。
覚えていないけど、10数年前に読んだので・・・。


拝殿です。
こうしている間も参拝者が絶えません。


御水舎と拝殿の間に「勝石」があります。


由来が書かれています。


なるほど、勝石の上にある剣です。


亀戸は古い街なので寺社仏閣が多く、「亀戸七福神」巡りも行われています。


ここには七福神の内2社が置かれています。
お得な神社でもあります。


久し振りの訪問ではありますが、時々鳥居脇のこのトイレを利用しています。
勝負事の神様らしいデザインでもあります。


既報の通り池江りかこ選手への応援絵馬が沢山あります。
勝負事の神に彼女の「勝ち」を祈る人々が居ます。


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消滅した商店街?(遊園地通り商興会)

2019年02月20日 | 散文
荒川遊園へ向かう道路脇に地蔵堂があります。


地蔵堂を入って行くと、左右に商店が健在でした。




僅か数軒の商店街ですが、以前と変わらぬ景色です。


外れにある「たこ焼き屋」です。


これほど変わらない景色も珍しいです。


あれ!?
貼り紙が出ていました。

こういった時の「しばらく」は、「永遠」である場合が多いです。

振り返る景色も以前と全く変わりませんが、商店街の幟がありません。
大丈夫か?


(前回訪問時)


ここは「遊園地通り商興会」だったのです。

商店街は衰退の一途です。

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上がった所は文豪旧居跡

2019年02月20日 | 散文
根津の日医大つつじ通りから藪下通りへ入ってすぐに、西の丘に続く坂があります。


気になったので自転車を押して上がってみます。
左側は日本医科大学付属病院の塀です。


右側には民家が並んでいます。


地価が高い地域ですが足腰が弱ったら住みにくいだろうと思いながら民家を眺めながら自転車を押し上げてていました。
あれ!?
あれって、大根では?
坂を吹き上げる風が干し大根作りに良いのでしょうか?


思ったよりきつい坂です。
民家の門扉脇に自転車がありました。


坂が続きます。


病院の塀が続きます。


千駄木の坂道です。


頂上から振り返ります。
町並みに日が当たる冬の根津風景です。


坂上から開けた街に出ました。
そこには夏目漱石の旧居跡があります。
題字は川端康成です。


説明板を読みます。
「夏目漱石は明治36年1月英国から帰り、3月3日ここ千駄木本町57番地に居を構えた。

前半2箇年は一高と東大の授業に没頭したが、38年1月『我輩は猫である』『ろんどん塔』等を発表して忽ち天下の注目を浴び、更に『猫』のせっこうと並行、39年初から『坊ちゃん』『草枕』『野分』等を矢継早に出して作家漱石の名を不動にした。歳末27日西片町に移り翌40年4月朝日新聞に入社し、以後創作に専念した。


千駄木本町は漱石文学発祥の地である。
森鴎外も前に(自明治23年10月 至同25年1月)その家に住んでいた。家は近年保存のため移築され、現在大山市明治村にある。
昭和46年3月3日」


こんな坂です。


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東日暮里の使われなくなったドリンククーラーの上に、

2019年02月19日 | 散文


キューピーが居た。
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洋食「ニューマルヤ」

2019年02月19日 | 散文
好い感じの店が在りました。


私が「好い」と言うのだから、昭和の匂いのする店に決まっています。




通り過ぎて、このままでは名残惜しくて引き返しました。


次に出会える保証はありません。
方向音痴だし、健忘症だし・・・。


食品サンプルのショーウインドウが懐かしいです。


最近こんな洋食屋が少なくなりました。


日暮里中央通りの南端です。
日暮里は「布の街」です。
この道は「布の道」です。
シルクロードじゃないけど、昔からの繊維の街です。
端切れの街です。


そんな街に似合いの洋食屋です。


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やっと春らしくなった根津神社

2019年02月18日 | 散文


でも、明日は雨らしい・・・。
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池江璃花子選手を応援する人々

2019年02月18日 | 散文
池江璃花子選手が白血病を公表しました。
あの健康そのもののアスリートがまさか、との驚きでした。
淑徳巣鴨高校へ行ってみました。


丁度入試中でした。
受験生も快癒を願いながら解答用紙に向かったことと思います。


彼女の所属クラブ「ルネサス亀戸」へ行ってみました。




学校と一緒で特にコメントはありません。


私が5歳の時、3歳の弟が白血病で亡くなりました。
ずっと昔の子供の頃の事ですが、未だに当時のことをよく思い出します。
彼が生きていれば、私だけでなく家族皆も違った人生だったのにとか思います。


本人だけでなく、家族の心配はいかばかりかと推察します。
正常な血液を輸血して延命するしかなかった当時と違って、今は完治できるようになっているのが皆の希望です。


移動します。


亀戸の香取神社に来ました。
彼女の練習場の近くです。


勝負事とスポーツの神様です。


ありました。
彼女の平癒を願う絵馬が沢山あります。


皆の思いが心に沁みます。


私の願いは、「復活」なんて言いません。
ただただ、完治して欲しい。
先ずそれです。


余談ですが、桜田五輪大臣がまた失言してしまいました。
「してしまった」と表現するように、彼には全く悪気はありません。
寧ろ池江選手を応援している正直者で善人だと思います。

私だって、東京オリンピックであのパフォーマンスが見られないと思うと、残念で気落ちして「がっかり」しています。
ただ、言葉で戦う政治家の表現としてはお粗末です。
彼は正直な上に語彙の引き出しが少ないのだと思います。
海千山千の国会議員でなく町内会の役員だったら、おそらく人情に篤くて尊敬される人材だと思います。

色々考えた日でした。


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金剛寺の庭木を陽に透かして

2019年02月17日 | 散文
石神井川沿いに在った金剛寺に居ます。
源頼朝の布陣伝承地です。
庭木が丸く丁寧に剪定されています。


冬の陽射しに透かしてみました。








ちょっと好いです。


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源頼朝布陣伝承地/金剛寺

2019年02月17日 | 散文
石神井沿いの武蔵野の道を散策しています。
川辺に大きな寺がありました。


金剛寺です。




説明板がありました。
史跡ですね。


門前を眺めます。




門を潜ります。




門を入った左右に石像がありました。


随分と古いもののようです。


大きな寺です。


こんな行き当たりでした。

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武蔵野の道「石神井川コース」

2019年02月16日 | 散文
旧中山道から、石神井川沿いの遊歩道を西下します。


石神井川は王子駅前を経由して荒川に注ぎます。
桜の名所でもあります。


「観音橋」がありました。


「谷津大観音」に行き当たりました。
初めて見ます。


冬空の下に鎮座しています。


冬晴れの遊歩道が続きます。




大観音を振り返りながら行きます。


道案内がありました。
現在地を確認しています。


こんな公園の傍です。


前には水辺に橋があります。
水遊びや野鳥観察ができる公園のようです。


「憩いの水辺」脇の武蔵野の道です。


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榛馬場跡に行き当たる。

2019年02月16日 | 散文
日が射さない狭い路地に小さな神社がありました。




「榛馬場跡」との説明板がありました。


なるほど、その馬場の傍らに在ったのがこの「榛稲荷神社」なのですね。
葛飾北斎もこの神社脇に住んでいましたか。


境内を入った所に「葛飾北斎住居跡」の説明板があります。

読みづらいと思うので書き写します。

「この辺りには、江戸時代に武士が馬術を訓練するための馬場が設けられていました。東西約185m、南北約22mの広さがあり、馬場を囲む土手に大きな榛があったので『榛馬場』と呼ばれました。馬場に祀られていたのが『榛稲荷神社』です。


本所(現在の墨田区南部)に生まれた絵師葛飾北斎は、この稲荷神社のすぐ近くに住んでいたことがありました。北斎は90歳で没するまで常に新しい技法を試み、『富嶽三十六景』に代表される錦絵だけでなく、肉筆画も手がけ、数多くの作品を生み出しました。


榛馬場の辺りに住んでいた当時の様子を伝えるのが、『北斎仮宅写生』(露木為一筆)です。絵を描く老いた北斎と娘の阿栄が描かれています。阿栄も優れた絵師でした。
その暮らしぶりを飯島虚心は『蜜柑箱を少しく高く釘づけになして、中には、日蓮の像を安置せり。火鉢の傍には、佐倉炭の俵、土産物の桜餅の籠、鮓の竹の皮など、取ちらし、物置と掃溜と、一様なるが如し』(『葛飾北斎伝』)と記しています。北斎がこの地に暮らしたのは天保末年頃(1840年頃)で80歳を越えていたと思われますが、絵を描くこと以外は気にも留めていないような暮らしぶりが見てとれます。


北斎は生涯で94回以上も転居を繰り返したとされていますが、居所のすべてが正確に分かっているわけではありません。榛馬場の北斎住居跡は、ある程度場所の特定ができ、絵画資料も伴うものとして貴重な例です。


また、幕末明治期に活躍した政治家勝海舟もこの近くで生まれ育ちました。海舟の父、勝小吉の自伝『夢酔独言』の中にも、榛稲荷神社についての思い出が記されています。」


ビルの谷間の、両国国技館の近くです。


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呑んべ横丁の冬/2019年2月

2019年02月15日 | 散文
東京都葛飾にある「呑んべ横丁」です。
京成電車の高架化工事の推進によって、ここの呑み屋が半減してしまいました。


入り口にある電柱に、その地図がありました。
10数軒の店が残っています。


立ち退き保証があることを考えると残ったのが幸福とは限りませんが、その残った路地にやって来ました。




振り返った看板が時代の逆光を反映しているようにも見えます。


路地の最初の店です。
変なサワーがある店です。
当初パロディーかと思っていましたが、ホントにマツコ・デラックスが、こんな東京の東端で呑んでいるのですね。
少なくなった呑んべ横丁を盛り上げて貰いたいものです。


随分短くなった路地です。
もう、すぐ向こうに日光が射しています。


すぐに工事中の更地が見えます。




京成電車が走りました。


これから工事が始まる体制が出来上がっています。


路地を振り返ります。
ちょっと切ない・・・。


もう少しで、この、踏み切りに顔を出しそうな態勢で停まっている電車が、高架を走るのですね。
また、街が変わっていきます。
また、呑み屋街が無くなっていきます。


そんな時の流れを見続けていたいです。


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京成立石仲見世のお昼頃

2019年02月15日 | 散文
お昼頃の仲見世です。






正月飾りもすっかり無くなって、スッキリしたというか益々寂しい商店街です。
多くの店も昼休みです。


仲見世の中心地です。


この八百屋は少ない客を相手に、いつも休み無しで営業しています。


同様に少しの店が開店していますが、なんせ通行人が殆どいません。


総菜屋に客が来ました。
一人暮らしなのでしょうか?


自転車乗車禁止のアーケードを、危なっかしい運転で帰って行きます。
歩くよりもまだ自転車の方が楽なのでしょう。




何とかできないのか!? 日本。


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京都丹後鉄道「あおまつ」に乗った。

2019年02月14日 | 散文
鉛色の空から止めどなく雪が降っています。
今年は雪が少ないと地元の人が言っていましたが、背後に迫っている山が霞んでいます。

冷たい空気の中で、しんしんと降る雪の音だけが聞こえます。
私のイメージ通りの山陰地方の冬景色です。

車輪の音がして、私が乗る電車がやって来ました。


この列車は「あおまつ」と言うそうです。


電車の中も好い感じのデザインです。
トイレ脇の手洗い所です。


電車の中に絵画が飾られています。
好いです。




車窓の雪景色を楽しみます。






雪が降らない地方で生まれ育った私にとって、この景色だけで旅情です。


この列車名「あおまつ」を意識して、車内の天井や床、窓の周辺全てが「松材」でした。

他に「くろまつ」と「あかまつ」があるそうです。
全て乗ってみたい。

雪を見ながら京都駅に着きました。
冬の山陰の旅でした。


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