荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

真冬の東京タワー

2019年02月06日 | 散文
寒い日です。
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近藤勇の墓を探しに行く。

2019年02月06日 | 散文
先日「新撰組の街滝野川 さくら通り商店会」に行き当たって散策しました。
帰宅して地図を見てみると、近藤勇の墓所はこの街らしいのです。
で、再びやって来た次第です。


商店街を行ったら、


呆気なくありました。


墓所の前10mにはJR板橋駅です。
前回あの駅の看板を撮って、駅前をそのまま右の飲み屋街に行ったのです。
なんとまあ、呆れるくらい運がありませんでした。


さて、訪問します。


写真で有名な座像の石碑が出迎えてくれました。


説明板を読みます。


右手には肖像画がありました。


右から、近藤勇と土方歳三と永倉新八です。


近藤勇像です。


これは何でしょう?
風化していて文字が読めませんが謂れがありそうです。


正面を見ます。


近藤勇の墓の手前には、この墓所を造った発起人でもある永倉新八の墓です。


さあ、近藤勇と土方歳三の墓です。


新撰組の隊士を弔う供養塔でもあります。
お花が供えられています。


墓の両脇です。




墓の右奥には埋葬当初の墓石がありました。
処刑された罪人なので、墓を造られなかったようです。


墓の裏に回りました。
平素から墓のお世話をしているようです。
新選組の根強い人気の一端を見た思いです。


近藤勇と土方歳三と永倉新八の墓を訪ねました。


後は沖田総司ですね。

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池江璃花子選手の「淑徳巣鴨高等学校」に遭遇した。

2019年02月05日 | 散文
巣鴨近辺を迷っていたらこの垂れ幕に出逢いました。
Oh!!


ちょっと衝撃でした。
実は、彼女の通っている高校を良く知らなかったのです。
こんな所で出くわしました。


彼女以外にも、活躍している生徒が多いみたいです。


学校の前は明治通りらしいです。
あの丁字路を右に行ったらJRの板橋駅のようですが、なんせ初めての場所なので位置関係が全然分かりません。


正門脇にはバス停があります。


バス停の後ろ、つまり学校の隣には公園がありました。
向こうの建物が学校です。


その公園には「千川上水路図」がありました。
「玉川上水」から派生した江戸時代の上水路の説明らしいですが、地図上に現在地が示されていないので何処が何処だか分かりません。


ふと前のバス停を見ると、「堀割」の文字があります。
なるほど、昔この近くに上水路があったことだけは分かりました。


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鳩の街商店街/「エネルギースーパー たじま」の変遷ー2

2019年02月05日 | 散文
前回からの続きです。

(2018年9月)
鳩の街商店街のアーチから見上げます。


工事足場が組まれて、マンション名が表示されました。


(2018年12月)
背が高くなっていきます。


マンション名が無くまりました。


全室完売でしょうか?


(2019年3月)
突然工事シートが取られて、全体像が現れました。


11階建てマンションです。


鳩の街商店街入り口です。


アーチ下から見上げます。


商店街ごと「ペイペイ」を導入して、起死回生を図る計画です。


こうして、また東京下町が変わって行きます。

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駒込天祖神社の日溜まり

2019年02月05日 | 散文
東京の気温が19度を超えましたが、吹く風は強く冷たく年に数度しか体感できない天候です。
このような天気を昔の人は何と呼んだのでしょうか?「春待ち日和」でしょうか?
そんな日溜まりに小さな祠がありました。
干された洗濯物と布団が眩しい午後です。


参道奥には天祖神社が木漏れ日に鎮座しています。


駒込の街の一角です。


祠と天祖神社の間には小さな路地があります。




東の参道です。


そこに、「縁結び子育て地蔵尊」と「水子地蔵尊」がありました。
説明板をそのまま転記します。
読み辛いですが、何となくこの天気に似合いの文章です。


「地蔵尊は江戸時代正徳2年5月(西暦1712年)の創建でありまして本駒込3-40-13天祖神社入口地蔵堂に安置してあります。
地蔵尊の御姿は風化雨触を受け僅かに輪郭を偲び奉る次第でありますが霊験あらたかなりと古えより遠近からの参訪者多く願いを掛ける者は祈縄にて尊像をしばり奉り満願成就の日、其の縄をほどきて篤く報恩の誠をあらわす風習ありしばり地蔵と尊称し祈りを捧げた人々は実に今に至る迄その数を知れない程であります。
殊に『縁結び』『鎮咳』の御利益に優れた為め広く子孫の無事成長を祈る人多く今に至るも参拝があります。


地蔵講に於きましては日詣りは勿論、正月24日、5月24日、9月の24日には殊に講中相寄り法要怠ることなく御勤めして参りましたが、去る昭和29年5月24日『縁結び子育地蔵尊』と改称し奉った次第であります。
地蔵講」


暫く佇んでいました。





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ここにも居た金栗四三

2019年02月04日 | 散文
客足乏しい千石本町通り商店街です。


ここにも居た!
金栗四三!!




まあ、谷中の「よみせ通り商店街」と違って、正真正銘の文京区ではあります。


商店街の中心地です。


集客の救世主となるか?


この分だと全文京区の商店街に居るな。

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谷中銀座の商売に対する腰の軽さとしぶとさ

2019年02月04日 | 散文
昨日は節分でした。
聞くところによると、渡邊家と坂田家は「豆まき」をする必要が無いらしい!?
渡邊綱と坂田金時が鬼退治をしたので、その名を恐れて避けているから、とか。

さて、谷中の「よみせ通り商店街」を走っていたら、谷中銀座入り口のバナーが日に照らされて目に入りました。
早速大河ドラマに乗っかっています。
この腰の軽さが繁盛商店街に繋がっていると思います。


ランナーは本物の金栗四三氏の写真です。
ここが(だけじゃないと思うけど)彼の「青春の地」であり、「金栗足袋発祥の地」ですか!
知りませんでした。

よく見ると「文京区」って書いていますが、正確にはこの「よみせ通り」は台東区です。
文京区はこの道路の左端以西です。まあ良い。

谷中銀座へ入って行きます。
寒い日なのに、観光客で賑わっています。
もうここだけで立派な観光地です。


寒い平日なので、さすがに通行人が少ないです。


久し振りにゆっくり散策します。


名物店に観光客が群がっています。




どの店も繁盛しているように見えて結構店の入れ替えが激しいです。
この店も最近オープンしました。
暖簾に「フロランタン専門店」とあります。
なに?
風呂で使う明かりでしょうか?


新しい店や観光客だけではありません。
地元民も利用する商店街でもあります。
昼間のビールは利きますね。


魚屋もあります。


地元民しか利用しない店もあるのです。


もう数年前から貼られているレコード歌手のポスターです。
ここはレコード屋じゃないので、親族でしょうか?


この店この間TVで見たなあ。


もう終点です。


たった200m足らずの散策です。

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「ペイペイ」が使える街

2019年02月03日 | 散文
人通りがめっきり少なくなった「鳩の街商店街」です。


この商店街に「ペイペイ」のバナーが登場しました。




全く人通りがありません。







こちらは「下町人情 キラキラ橘商店街」です。


「下町のコッペパン」で有名な「ハトヤパン店」が在った商店街です。


宮城野部屋がある街ですが、白鵬が優勝してもなんにも町興しに活用しようとしない商店街です。


ここにも「ペイペイ」のバナーが冬風に揺れています。




人通りが無い路地に赤い「ペイペイ」がずら~と並んだ光景はちょっと不気味でもあります。


どちらの商店街も遠退いた客足を呼び戻す手段として導入を決断したのでしょう。
一方で、後発のキャッシュレスシステム会社が商店街を囲い込んで、他のカードをブロックして自社カード利用者を拡大する手段としたのでしょう。
構想は、いわゆるウイン・ウインの「業務提携」なんだと思いますが、、、。


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あしたのジョー達の節分は衣類分配日

2019年02月03日 | 散文
「いろは会商店街」に来ました。


アーケードが無くなって妙に明るくなった商店街ですが、相変わらず人通りがありません。


(アーケードがあった頃)




「今日の仕事は辛かった。後は焼酎を煽るだけ。どうせ、どうせ山谷のドヤ住まい、他にやることありゃしねえ」(岡林信康:山谷ブルース)


あしたのジョー達はどうしているのだろう?
山谷の象徴的建物に来ました。


アーケードがあった頃はここが溜まり場になっていて近寄り難かったけど、今は誰も居ません。


アーケードが無くなって初めての冬です。
ドヤ暮らしの日雇い労働者達は元気なんだろうか?
高齢化が進んでいると聞いています。


労働相談や衣類の支援を続けていました。


節分の日は衣類分配の日です。
今でも、この寒空に野宿者がいるんですね。


各地で支援を行っているようです。
ふりがなが切ない・・・。


集会もやっているようです。


建物の脇を覗きます。


炊き出しの道具などがそのまま有ります。
支援は続けられているようです。
キリスト教会等の支援と篤志家の活動が頼りなのです。


彼らは節分の行事をするのだろうか?

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日比谷公園に、カエル??

2019年02月02日 | 散文
日比谷公園の入り口の花壇に、昔あったアニメの「ケロロ軍曹」を連想させる絵がありました。


ちょっとカワイイ。
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禁止町

2019年02月02日 | 散文
江戸っ子の洒落です。
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旧中山道を通って「板橋」を過ぎても行く(坂町商店会)

2019年02月02日 | 散文
「縁切榎」を過ぎて、旧中山道の上り坂が続きます。


ここは「坂町商店会」ですが、あまり商店がありません。


向こうに橋が見えます。


立体交差の道です。

帰ってから地図で確認すると、上を走るのは「環状7号線(通称環七)」です。
潜ります。

旧中山道は商店街となって続きます。


ここも「坂町商店会」です。




環七を挟んで「坂町商店会」が続きます。




ここは「本町」です。
地下鉄都営三田線に「板橋本町」の駅があります。
たぶんその近くだろうと思います。


やがて「清水町」になりました。
旧中山道はまだ続きますが、切りがありません。
今日は随分遠く迄来ました。そろそろ帰ります。


帰りは「板橋」迄戻って、石神井川を南下します。


こんな自転車旅でした。
お付き合いありがとうございました。

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旧中山道「縁切榎」

2019年02月01日 | 散文
旧中山道の本町に居ます。
交差点に小さな祠がありました。


石碑では「史跡 縁切 」と迄読めます。 


幟には「縁切榎」と書いてありました。
何!?


説明板があります。

なるほど、ずっと昔にTVで紹介されていたのを思い出しました。
ここがそのようです。

絵馬が一杯掛かった小さな参道の奥に小さな祠があります。
狭い地所には榎のような大きな木はありません。


その脇に、コンクリートで固められた木がありました。
撫でられてツヤツヤしています。
これがご神体のようです。
たぶんこれが説明板にあった、この木の樹皮を煎じて飲ませると縁が切れる榎です。
もう樹皮がありませんが・・・。


こうしている間にも数人がやって来て絵馬に願い事を書いています。
ご利益があるのか、病気とかと縁を切りたい人が多く参拝するのでしょうね。


こんな沢山の絵馬です。
チラ見したら、「ストーカーとの縁を切りたい」との深刻なのが目に入りました。

切実な願いが叶うと良いですね。

旧中山道の散策が続きます。
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旧中山道を通って「板橋」へ行くー4(本町商店街)

2019年02月01日 | 散文
当初の目的である「板橋」を確認しましたが、折角の機会なので、もう少し旧中山道を行ってみます。


緩やかな上り坂です。


あまり営業していません。




米屋がありました。
古い町では時々行き当たります。


ちょっと賑わってきました。


上り坂がきつくなってきました。


小さな祠に出逢いました。


行ってみます。

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