駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

異常の朝雨、軽人を惑わす

2014年09月25日 | 自然

              

 朝雨女の腕まくりと言ったが、雨も変わったし女も変わった。今朝は、車軸を流すような雨が降っていた。とても傘でしのげる雨ではなく、二十分程出発を見合わせていたら小降りになったので出掛けてきた。

 なんだか天気がおかしいと何度も書いてきたが、それは日本だけのことではなかったようで国連で地球規模の大問題として取り上げられている。安陪首相も気候変動について演説で言及するようだが、四季に恵まれ気候変化に敏感な日本こそがイニシアティブを取って欲しい大問題だ。

 アメリカはデカプリオが特別大使となり、気候変動は架空の問題ではなく現実の問題だというメッセージを放った。誠にその通りで、百五十年前には誰も人類が地球環境を変えるなどとは予想しなかっただろうが、今や現実となった。地球温暖化は左巻きの連中の陰謀だなどという妙な言いがかりに惑わされず、可能な限り人間による因子を取り除いていって欲しい。 

 とは言っても、いつものことだが総論賛成各論反対で、まずお前がやれという押し付け合いが避けられない。どこまで実効性のある対策を打ち出せるか国連の力量というか、人間の知恵が問われている。このわかっていても中々出来ないというのが、人類永遠の課題で、末梢の市井の医者も毎日頭を痛めている。

 昔、池田首相は貧乏人は麦を食えと言った。安陪首相が低所得者の方は自転車にお乗りくださいと言ったらどうなるか。リニア中央新幹線よりも、自転車通路の整備の方が、一石三長(健康増進、温暖化対策、経費節減)でマジ良い方法と思うが、如何。市の中心部は自家用車を締め出し、路面電車を復活するのも名案かも知れない。桝添さん、新国立競技場は小規模にして、路面電車復活と自転車用通路の整備をしたらどうですか?

 

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窓際が好き

2014年09月24日 | 

                       

 窓が開いて駅弁が買えた時代を記憶する者には窓が開かず車内販売となった今の列車の旅は少し味気なく感じられる。それでも窓から移りゆく外の風景が眺められれば、そこはかとない旅情を感じる。

 見慣れた東海道沿線でも、季節により目に映る景色の印象は変わり、何時見ても飽きることはない。今では窓際に新たなあまり芳しくない意味が含まれるようになったが、私は窓際の席が好きだ。飛行機でさえ窓際の席だとしめたと思う。トイレに行く関係もあるのか、全ての人が窓際が好きというわけではないようで、女房などはいつも窓際を譲ってくれる、有難い。

 列車の窓から移りゆく風景を眺めていると、網膜に映るのは外の風景だけではなく、呼び覚まされた内なる風景もおぼろげに鮮明に浮かび上がってくる。あの時と特定できるものもあるのだが、何時の事だかどこの光景かわからぬままに、微かな余韻を残しながら流れてゆくものもある。先日、揖斐川を渡り長良川を渡り、長良川の静かな水面を見送っていたら、会ったこともない平田 靫負の後ろ姿が見えたような気がして胸を突かれた。

 こうした感覚はどこか風狂の才に恵まれた?私固有のものかもしれないが、同種の人もおられるだろう。窓際族と呼ばれる人達もこうした感覚をお持ちかもしれない。

 旅は窓際に限ると思っている。

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物言えば唇寒し、この国の病気

2014年09月23日 | 世の中

             

 大型書店では気が付きにくいが中小書店にゆくと、こうすれば儲かるこうすれば勝てるこうすれば上に上がれるという本ばかりが積み上げられている。百歳まで元気で大金持ちになるにはなどとという本を書いて小金持ちを目指す著者となんとかそれで売り上げを伸ばして生き残ろうという出版社が多いということがわかる。

 またそうした本だとある程度売れるらしい?。きちんと読んでいないでこうしたことを書くと、苦情が出るかもしれないが、少し冷静になれば、水の上を歩くには右足が沈まないうちに左足を出し、左足が沈まないうちに右足を出すという方法と似ているのに気付かれるだろう。

 タイトルとは中身が違う、出来そうにないことが書いてある・・としても、一つ二つ参考になりそうな所があったからまあ良かったという感想が多そうだ。なんだか、「なぜ必要でも無いのにそんな高い検査をするの」に、「安心料と思えば高くはないわ」という答えに似ている。高くはないわですと、殆どは国が負担しているんですよと、ご注意申し上げたくなる。

 北朝鮮拉致被害者の報告が遅れている。「けしからん」という声が聞こえる。まさか希望通りのきちんとした内容の報告書が期日に出されると思っておられたのではないでしょうね、と呟きたくなる。全員無事は願いと祈りで、小さな声で現実は別では囁きたくなるが、そうした囁きにも「けしからん」という声が返ってきそうだ。

 何十年も前、たけしが「赤信号みんなで渡れば恐くない」とほざいて、笑っていた人が多かったようだが、あれには赤信号みんなで渡ってみんなで怪我をすれば痛みも減るじゃんという裏の心理が隠されている。いいや、私は青を待ちますなどと立っているとすかすなと引っ張られそうで敵わんなあ。

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苦いカルテの報告

2014年09月22日 | 医療

                    

 内科学会の教育講演を聴きに京都へ行ってきた。これを受講することは専門医に半ば義務づけられており、年二回関東と関西に出かける。十年くらい前までは、全国でやられていたのだが、会場の関係(二千席以上が必要)と全国から来る会員の都合を考えてか、東京横浜大阪京都でやられるようになった。

 宝ヶ池の国際会議場が便利かと言われるとちょっと違う気もするが、自然に恵まれた良い場所なのは確かだ。臨床に役立つ講演が定着し、本当に役立つ内容の話が多い。中で現場の苦悩を伝えたのが、救急外来の難しさだ。年を追うごとに救急車の利用回数が増えている。勿論、この中にはタクシー代わりのような不適当な利用もあるのだが、実際には高齢者が増えたためにどうしても救急車の利用が増えているという現実がある。さてその高齢者だが、彼等は重病を持っていることが多いのだが、症状は非典型的で本人の訴えも曖昧で、診断が難しい。

 腹痛嘔吐下痢で受診した89才の老婆、受診した時には比較的けろっとしており診察採血検査で重大な異常を認めなかった。稔のためと撮影した造影MRIでも救急担当医の読影では著変がなかった。そのため自宅に帰そうとしたら、入院を希望する家族と言い争いになってしまった。高齢で自宅で面倒見るのが大変だから入院させようとしているという予断を担当医は持っていたのだ。結局、折れて午前四時に入院させたのだが、翌日放射線の専門医がMRIを読影したところ腸間膜動脈の血栓が見つかった。外科に転科になったのだが、薬石効なく四日後に亡くなってしまった。

 数週後その救急担当医を訴える告訴状が届いた。若い救急担当医は寝る暇も無く押し寄せる患者を診ながら、彼としては精一杯のことをしたのだが、家族と入院の適否で押し問答になったことが原因と思われる。医学的には高齢者の症状は非典型的で訴えは認知症もあり曖昧なので診断が難かしかった。造影MRIの読影は非専門医には難しい場合もある。救急外来でたとえ診断が付いていたとしても、ご高齢で救命は難しかったと推測される。

 救急担当医に医学的な落ち度がないわけではないが、決定的なものではなく二十代後半で経験の浅い医師としては平均的な能力と思う。結局は丁寧で誠意ある説明対応をしなかったために訴えられてしまったと思われる。

 講師の救急担当教授は高齢者にはたとえ認知があっても人生の先輩としての敬意を持って接し、若い救急外来医に先輩はどんどん助言をしてやって欲しいと締めくくられた。

 どのような結果になったかは話されなかったが、救急担当医の将来が気になった。診療においては患者さんに敬意を払うとことは極めて大切で基本的な礼儀と思う。勿論、それはお互いにだ。

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防御力は自前で

2014年09月21日 | 町医者診言

   

 果たしてアベノミクスはうまくいっているのだろうか?。八割方の人は恩恵を感じておられないだろう。

  私の医院でも四月に昇給させたのだが、手取りは増税のために横這いに留まってしまった。物価は秘かに確実に上がっているので、彼女達は昇級を実感してくれていないかもしれない。

  私の医院は庶民の住む町に在るのて、殆んどの患者さんはアベノミクスの効果を実感しておられない。そして残念というか歯がゆいというか、皆さんは政治とはそんなものと醒めたというか諦めた考え方をしておられるようだ。

  不思議なこと?だが、半数以上を占めるこうした庶民の声を反映した記事は影に隠れている。大手マスコミの多くは政府の意図を汲んだ?今のところ順調あるいはこれからという表現が多いようだ。勿論、いたずらに悲観的では明日への活力を削ぐことになるかもしれない。しかし、現実を直視することが最善の道を開く方策なのはもっと強い真実だろう。少なくとも庶民は言葉で操られる思惑を見透かし自らの身を守る道を術を身につける必要があると思う。何とかしてもらえると思っていると言葉でだけの慰撫に留まったり最悪あなたは違うと排除されてしまう恐れがある。

   政治家は修辞に優れる人が多いので背後の意図を見抜いて、より正確な現状把握を心掛ける必要がある。自分独りで出来ることは限られているように思われるかもしれないが、気を付けないと誰も守ってくれない。臨床医のいうことだから話半分以下と思われるでしょうが、専門外の臨床医の言うことだからということもあるかもしれませんよ。

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