民主党の「民主主義的」性格―仙谷由人官房長官の体質資料集
かっての歴史の教訓として、労働者の解放を目指したはずの「社会主義国家」が、その理想を実現できずに、むしろ、抑圧的な独裁国家に変質してやがて崩壊していったという事実がある。
昨年に民主党が自民党に代わって政権交代を果たしてから、鳩山前首相から菅直人現首相にバトンタッチが行われ、すでに一年以上が経過した。その間に現在の民主党がどのような政党であるかが時間の経過とともに、その本質が現象し、その隠されていた姿が国民の前に明らかになってきている。
とりわけこの民主党の体質は、現在の政権の中枢を担っている仙谷由人官房長官に集中的に典型的に現象しているように思われる。仙谷由人氏の研究は、民主党の本質を知る上で有益で、参考にもなると思われるので、ここ数ヶ月という短い期間にも明らかになった氏のこれまでの言行をここに記録しておきたいと思う。
事実上の指導者である小沢一郎氏が主張しているように、「政治主導、国民主導の政治を確立する」というのは民主党が目指してきたところである。官僚の天下り問題や官財癒着の弊害を是正するために、国民もそれらの主張を肯定してきた。だからこそ民主党へ政権交代も実現した。
しかし、昨年に民主党が政権交代を果たしてから明らかになりつつあるその実際の結果を見ても、「政治主導」「国民主導」というもののその実態は、幹事長室に予算の割り振る権限を集中するところの小沢一郎氏流の「利権誘導政治」に他ならないことも明らかになってきた。
現実や歴史の示すところは、「実際的な判断」といえるものである。単なる理論や言葉ではなく、事物の実際の真実の姿というものは、歴史や現実の時間的な展開の中で明らかになってゆくものである。だから、すべて物事の本質を知るためには、その事物の具体的な現実的な歴史的な展開を観察してゆく必要がある。民主党をその掲げるスローガンやマニフェストなどの言葉からではなく、その真実の姿を知るためには、政権の座に着いてからの次第に明確になってきたこの一年の実際の姿を見てゆく必要があるだろう。
仙谷由人氏は、「若かりし頃、社会主義を夢見た」と明かし、「社会主義社会には個人の完全な自由がもたらされ、その能力は全面的に開花し、正義が完全に貫徹しているというア・プリオリな思い」を信じた氏の理想も、だが、その「個人の完全な自由」を信奉したはずの実際の姿がどのようなものであるかは、検証に値するだろう。
このことは単に個人についていえるばかりでなく、政党である民主党においても同じである。民主党やその政治的指導者たちが、どのような思想と能力の持ち主であるかは、実際に政権を担当させて国家の経営を行わせることによって、その真実の姿が、その本質が明らかになってくる。
鳩山前首相から菅直人現首相に政権がバトンタッチされてからすでに、三ヶ月余が経過している。その中で政権の中枢にあって、民主党政治の本質的な体質をもっとも具体的に体現していると思われるのが、仙谷由人官房長官である。
官房長官としての日々の会見や国会答弁の中から浮かび上がるのは、かっての多くの社会主義者たちに見られたような、事大主義的で抑圧的、権力主義者的な体質である。それは言論封殺と情報隠蔽の傾向として現れているように思われる。
そのもっとも象徴的な出来事は、菅直人氏が首相になって一ト月にもならない十月の十五日にあった。参院予算委員会に経済産業省の古賀重明さんが政府参考人として出席し、公務員の「天下り根絶」を掲げる民主党の改革姿勢が不十分だと、公務員制度改革を担当していた時の状況を証言した。が、そのとき古賀氏の発言に対して仙谷由人官房長官は次のように述べた。
「古賀さんの上司としてですね、ひとこと私から話をさせて頂きます。」
「私は小野議員のですね、・・・ 今回の、・・・ 古賀さんをこういう所に現時点での彼の職務、彼の行っている行政と関係のないこういう-場に呼び出す、こういうやり方ははなはだ彼の将来を傷つけると思います。・・・ 優秀な人であるだけに大変残念に思います。」
ここで仙谷由人氏は、国会で自己の真実と思うところを率直に表明する部下に対して、耳を傾けるだけの度量もなく、明らかに人事権を振りかざして部下の不利益な取り扱いを示唆することによって恫喝し、自由な言論を権力的に抑圧しようとしている姿が、仙谷由人氏の体質として図らずも出ている。
昨年の十二月まで国家公務員制度改革推進本部事務局に出向していた「改革派官僚」と称された古賀氏は、政府の公務員改革への取り組みなどを批判したために、現在は経産省大臣官房付に回されているらしい。
要するに、自分たちは絶対的な正義で、したがって他者に対する批判は大いに行うし、それは許されるが、絶対的に信奉する自分たちの「正義」に対する批判はいかなるものであれ許されないということらしい。この仙谷由人氏も、多くの「共産主義者」や「社会主義者」たち「理想主義者」らの持つ体質を共有しているように思われる。
この日本国がこれからも自由な言論の行われる国であり、かっての社会主義諸国のように、情報統制と密告社会にならないためにも、こうした事大主義的で抑圧的な、権力主義者的な言論封殺と情報隠蔽の傾向と体質にはつねに批判と自己批判を繰り返してゆく必要がある。
①
「国会審議の撮影規制」を検討すべきだとの考えを示した。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101113k0000m010021000c.html
②
「仙谷氏、秘密保全法制を検討、 委員会を早急に設置」
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010110801000074.html
③
「自衛隊施設での民間人による政権批判の封じ込め」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101117/plc1011170031000-n1.htm
④
「属国化は今に始まったことではない」
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E3EAE2E3958DE3EAE3E2E0E2E3E28297EAE2E2E2
⑤
自衛隊は「暴力装置」
http://www.youtube.com/watch?v=y07Wzdgt_X0&NR=1
⑥
仙谷由人官房長官「古賀さんの上司としてですね、ひとこと私から話をさせて頂きます。」
http://www.youtube.com/watch?v=6HaGCZ6Cd5o&feature=player_embedded#!
これらの仙石氏の発言はいずれも「言論の自由」の範囲内で、謝罪する必要はないと思いますが、その評価は別にしても、ここに仙谷由人氏の「人間性」「自衛隊観」「戦前史観」などが明確に出ていることは確かだと思います。
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