作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

嵯峨野広沢池

2012年10月06日 | 日記・紀行

 

2012年平成24年10月6日(土)翳

 

岩倉あたりにまで出たときに洛西までの帰途は、その道筋の組み合わせから言えば無数にある。たいていは北山通りを利用するか、あるいは川端通りを使うか、あるいはその中間として堀川通りを使うか、そのいずれかでふつうは帰る。

高野川沿いを走って出町を過ぎ、東一条あたりをさらに川端通りを下り、丸太町通りに出て右折して帰る。このあたりの地理感は今も残っていてそれなりに懐かしい。けれどもこのコースは途中に信号待ちが多い。一番にスムースに走れるのは、宝ヶ池の国際会館前から狐坂高架道を抜けて北山通りへ出るコースである。京都を離れている間にこの高架橋はできた。

岩倉から松ヶ崎方面へ行くときはこの高架道を走るしかない。今日はこの道を辿った。木々がうっそうと繁っていた昔の狐坂のピンカーブの面影は今ではもう見ることはできない。残されて記憶に存在するだけだ。かっての狐坂の面影を少しでも偲ぼうと思えば、徒歩か自転車で旧道を辿るしかない。

どうせ人間は不可逆の時間を生きるしかない。どれほど地団駄踏んでも、歯ぎしりして泣いて悔しがっても過去は戻っては来ない。

紫野泉堂町から金閣寺前を抜けて衣笠宇多野線に乗る。少し翳の差す空模様の下で、金閣寺前には行楽客の人波が見られた。平日で連休前ということもあり混雑しているというほどでもなかった。行楽シーズンにはまだ間がある。

嵯峨野の広沢の池を右手に眺めながら走った。池の真ん中あたりに壊れたような和船が傾いたまま浮かんでいた。閑散としたボート乗り場の横の池辺に、ボートはすべて舫をつながれて揺れていた。もう今年の夏も遠く過ぎてしまったのだ。来年の夏は久しぶりに池でボートを漕ぐことはできるだろうか、忘れることさえなければ。長閑に静まりかえった嵯峨野を遠望しながら一路嵐山に向う。

 

 

 


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