六月も終わり
後二日もすれば六月も終わる。さる三月十一日、忘れるはずもない。東北に起きた地震と津波と原子力発電所の事故から、すでに三ヶ月が過ぎた。失われた十年、あるいは失われた二〇年とさえいわれる、人材も枯渇して疲弊した日本に、追い打ちをかけるような痛手となった。災い転じて復興の契機となし得るのか、それとも泥船のように、ただ沈み行くのみなのか私にはわからない。
戦後民主主義文化の日本と日本人に絶望している者には、すでに同時代人らともほとんど別世界に、異教徒のような立場に生きているようにも見える。それでもただ、自己と国家と民族に対してなすべき義務と使命と考えるところのみは、極力果たして行こうと考えている。同時代の国家と国民に対しては本質的な関心はない。その理由も明確である。真に興味と関心の対象として値するものとは、事物の概念のみがそうだ、といえる。その他の多くは、ほとんどむなしく、かつ馬鹿馬鹿しい。『伝道の書』のコヘレートと同じ眼で世界を見ることを宿命づけられているのか。
テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ、正→反→合という、事物の螺旋的な発展を認識することを、我が哲学は目的としているといえる。今年の東北大震災とその津波による原子力発電所のメルトダウンほどに、その具体的な事例としても、深刻なアンチテーゼはこれまでなかった。これほどまでに、原子力発電に対して『否定』を突きつけたられたことはこれまでなかった。この「アンチテーゼ」、「否定」をいかにして克服、アウフヘーベンして行くかが課題になる。この否定の意義を高く評価したのもヘーゲルである。
原発推進派の世人や多くの国民は、その否定的な側面には頬被りして、原子力発電のもつ、その利便性や快適性、また利潤といった観点から、積極的に支持していると考えられるのに対して、私の立場は、原子力発電については、どちらかと言えば「消極的な支持」というものだったろう。
アメリカに国防の首根っこを押さえられ、真の独立のために核武装さえ許されない哀れな日本国のこの現状で、将来の日本国の真の独立の実現という観点から、原子力発電に伴う核技術は、唯一核兵器開発の技術を担保できるものとして、必要悪として消極的に肯定してきたといえる。
しかし、今回の福島原子力発電所の事故を契機として、西尾幹二氏らは、「原子力発電所の存在こそが、日本の核武装、少くとも日本の国防の合理的強化を妨げている」という見解を主張している。
「脱原発こそ国家永続の道」について(二)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=20110628
こうした見解について、今のところ批判し、論評するだけの知識も能力も私にはない。
これまでの論考で、一通り私の立場は明らかにしており、さらなる全面的で広範な客観的な調査と研究なくしては、新しい段階で論考を展開してゆくことはできないと思っている。ブログ投稿の頻度が落ちているのも、そのせいでもある。
先日、軒下のアジサイに剪定鋏を入れる。乾燥した空気の、明るい日差しの下で見るアジサイは、色彩も濁って見える。梅雨の滴るなかでこそアジサイはよく似合う。
梅雨の合間を縫って、山の畑に行く。その巨大な樹木や竹林の叢生の凄まじい生命力に自然の威力の一端を思い知らされる。暫く山に足を踏み入れない間に獣道は失われ、雑草や雑木の凄まじい成長に、見慣れた山野辺の光景は一変している。
植えた後、一度か二度雑草取りをしただけで、ほとんど植えたことも忘れかけていたニンニク畑に足を踏み入れると、ちょうど茎が枯れていた。引っこ抜いて見ると、白く美しい球根が現れた。植える時とその後の二三度の雑草取りだけで、「最高級」のニンニクが手に入る。これこそ、ずぼらな私の目指すべき理想の農業である。早速、五、六株引っこ抜いて帰った。まだ畝には多く残っている。去年は見るべき成果はなかったので、記念に写真を撮って帰る。
ショウガと違って、ニンニクはあまり好きな作物ではない。臭いが気に入らない。それでも、せっかくの収穫だから、何とか美味しく食べる方法を調べてみようと思う。
ネットで少し調べてみると、「醤油漬け」と「蜂蜜漬け」などがあるらしい。何とかここ、二、三日の新鮮な内に実験してみようと思っている。
今年は青紫蘇の成長はよくないらしい。昨年は掃いて棄てるほどあったのに、今年はほとんど自生しているのを探すことができない。去年イチジクの木の脇に植えた名残の青紫蘇が少し葉をつけているだけ。その貴重な葉を四五枚冷や奴に添えるために摘んで持ち帰る。
西尾氏BLOGへのリンクを見ましたが、嘗てのイデオロギー対決での主張の類型かと思います。脱原発がイデオロギー化した歴史でもあります。
もう一つここで欠けているのは、西尾氏が知らないわけがないドイツでの郷土防衛の反原発運動です。CSUの支持層の環境保護運動はそこにあります。
そこで気がつくのは、功利主義的なプロテスタンティズムとカトリズムの社会主義との社会背景を土台とした議論でしたが、そこに脱近代のスローフードなどの新たな思潮が加わって大きな環境保護思想と環境産業への大きなうねりとなってきたのがここ二十年ほどの世界かと思われます。
こうして核大災害が一旦起こってしまうと、合理的な判断で原発には功利性はなく、確率論的には核抑止力の危険性にも帰納されるのは情緒でなく論理かと思われます。
このブログ記事でも述べましたように、私の立場は、「原子力発電」については「消極的支持」といったところだったでしょうか。しかし、この原子力発電に対するこの姿勢は、自己欺瞞ではなかったと反省しています。
というのは、国家の中枢における軍事的な戦略も哲学も機関も曖昧なままに、国防のための核技術開発を、原子力安全委員会の班目春樹委員長に代表される原子力オタクの集まりような「専門」技術官僚たちや、東京電力株式会社(以下テプコ)という利潤追求を第一目的とする俗人たちに漫然と委ね、この危険な技術を弄ぶことを許すことに結果としてなってしまっているからです。
原子核反応を利用するという点では、核兵器も原子力発電も共通しているのですが、明らかにテプコの経営者たちはその利益追求の前に、危機管理を安全管理を犠牲にしてきました。この点においては保安院や原子力安全委員会の役人たちも、それで自分たちの利腹を肥やしてきたのですから、江戸時代の悪代官のようにテプコの商人たちとも同じ穴の狢であり同罪であり、共犯者であるといえます。
さらに政治家たちの、非核三原則によってノーベル平和賞という甘い飴をアメリカからご褒美にもらった佐藤栄作元首相などの歴代自民党の政治家たちの怠慢も罪が大きいと思います。
ヒロシマ、ナガサキの原爆被害の詳細な把握と記録および保存と、さらに長年にわたる核兵器の実験、開発によって蓄積された核に関する膨大な知識と技術を保有するアメリカの支援無くして、今回の福島原電事故も日本はまた、ここまで制御することもできませんでした。
世界の核兵器の現実から眼をそらして直視しようとしなかった我が国民とその政府には、当然のことながら核・原子力についての知識や管理技術のアーカイブもまたきわめて貧弱なものです。
自前の核兵器も持ち合わせない軍事的にも政治的にも子供の小国民が、自分たちだけの利便と快適と利潤だけを手に入れようとする連中たちに、原子力発電という危険な「玩具」を弄ぶことを許して、その結果として陥らざるを得なかった罪と罰でもあるのでしょう。
西尾幹二氏の論文は私はまだ読んではいませんが、脱原発がどうして日本の国防の合理的強化に繋がるのか、その論理を検証してみたいと思います。そこでは「郷土防衛の反原発運動」も、平和主義的脱原発論のカテゴリーに括られるのではないかと思います。