大倉山ドキュメンタリー映画祭なるものが近所で開催されることを知った。
大倉山は、東急東横線の大倉山駅の裏にある、歩いて数分で登れてしまう小さな山。
その大倉山の頂上に、大倉山記念館と呼ばれる洋館風な建物があり、そこで大倉山ドキュメンタリー映画祭が行われる。
この映画祭は、横浜では普段なかなか接することのないドキュメンタリー映画に触れてもらおうと、ボランティアの人たちが手作りで開催しているもの。
二日間で6作品を上映する。
こういう地元に根ざした活動も、映画も好きなので、さっそく相方と行ってきた。
今回観た作品は、『月明かりの下で』と『ひめゆり』という作品。
その中でも、特に『月明かりの下で』に大きく感動した。
このドキュメンタリー映画は、埼玉の浦和商業高校の定時制のあるクラスを4年間、入学から卒業までを追ったもの。
問題の多い生徒たちの学校もの映画といえば、これも大きく感銘を受けた『パリ20区、僕たちのクラス』を思い出すが、今回のものはドキュメンタリー映画。
実在する人物、人生、出来事だから余計に衝撃が大きい。
入学当初から授業をまともに受けるつもりがなく、授業中に騒ぐ生徒に対して、全然叱らない先生たち。
それどころか、へらへら笑って、そんな生徒たちと友達のような感覚で話している。
なんて、軟弱で弱腰な先生なんだろう、と最初は思った。
でも、先生の「まずは絶対に叱らない。拒絶しない。彼らはこれまで十分社会から拒絶されてきた。まずは、このクラスが彼らの居場所だと思ってもらえることが大切。社会的なマナーはこれから2年、3年と経つうちにそれぞれが徐々に身につけていってくれるもの」
という考え方に、共感してしまった。
中学でいじめにあい、不登校だった生徒たち。
ちょうど最近読んだR.ウェストールの『かかし』にもいじめの描写があり、そうだ、小学校、中学校、高校とそれぞれにいじめがあったんだと思い出していたところ。
今ではなんとなく(意識的に?)忘れて(忘れたつもりになって)、遠ざかっていたいじめの被害をもろに受けた人たちがこの映画に登場する。
そんな彼らに向けたクラスの担任の、「嫌いになることは自由だ。でも、存在を否定するな。つまり、無視をするな。」
という言葉が重い。
親に暴力を振るわれたり、生活費のために日中ずっとアルバイトをしていたり、自傷行為を繰り返していたり…。
先生ですら「あいつらが、あの環境の中で、学校に来ているという事実だけでも尊敬する」
と言わしめるほどの逆境にいる彼ら。
そんな彼らが、修学旅行で行った沖縄のひめゆり平和祈念資料館で、同年代の女学生たちが大勢戦争で殺されたことを目の当たりにし、
「自分たちは幸せだ」というメッセージを書いていた。
自分がその立場だったらそんなことが言えるだろうか。
こういった、定時制に通うような、環境に問題のある子供たち、そして、その中で悩み、なんとか学校に来続ける生徒たち。
彼らの言動を聞いていると、なんだか彼らのほうがよっぽど僕なんかより大人なんじゃないかと思えてくる。
少なくとも、彼らを過去にいじめた人間や、彼らに暴力をふるう親たちよりは、ずっと賢くて、大人だ。
数えきれないくらいの、心に残るエピソードがこのドキュメンタリー映画にはつまっていた。
これほど、多くのシーンで涙が出たのは初めてかもしれない。
ぜひ、多くの人に観てもらいたい映画。
一つだけのシンプルな感想ではなくて、いろんなことを考えると思う。
大倉山は、東急東横線の大倉山駅の裏にある、歩いて数分で登れてしまう小さな山。
その大倉山の頂上に、大倉山記念館と呼ばれる洋館風な建物があり、そこで大倉山ドキュメンタリー映画祭が行われる。
この映画祭は、横浜では普段なかなか接することのないドキュメンタリー映画に触れてもらおうと、ボランティアの人たちが手作りで開催しているもの。
二日間で6作品を上映する。
こういう地元に根ざした活動も、映画も好きなので、さっそく相方と行ってきた。
今回観た作品は、『月明かりの下で』と『ひめゆり』という作品。
その中でも、特に『月明かりの下で』に大きく感動した。
このドキュメンタリー映画は、埼玉の浦和商業高校の定時制のあるクラスを4年間、入学から卒業までを追ったもの。
問題の多い生徒たちの学校もの映画といえば、これも大きく感銘を受けた『パリ20区、僕たちのクラス』を思い出すが、今回のものはドキュメンタリー映画。
実在する人物、人生、出来事だから余計に衝撃が大きい。
入学当初から授業をまともに受けるつもりがなく、授業中に騒ぐ生徒に対して、全然叱らない先生たち。
それどころか、へらへら笑って、そんな生徒たちと友達のような感覚で話している。
なんて、軟弱で弱腰な先生なんだろう、と最初は思った。
でも、先生の「まずは絶対に叱らない。拒絶しない。彼らはこれまで十分社会から拒絶されてきた。まずは、このクラスが彼らの居場所だと思ってもらえることが大切。社会的なマナーはこれから2年、3年と経つうちにそれぞれが徐々に身につけていってくれるもの」
という考え方に、共感してしまった。
中学でいじめにあい、不登校だった生徒たち。
ちょうど最近読んだR.ウェストールの『かかし』にもいじめの描写があり、そうだ、小学校、中学校、高校とそれぞれにいじめがあったんだと思い出していたところ。
今ではなんとなく(意識的に?)忘れて(忘れたつもりになって)、遠ざかっていたいじめの被害をもろに受けた人たちがこの映画に登場する。
そんな彼らに向けたクラスの担任の、「嫌いになることは自由だ。でも、存在を否定するな。つまり、無視をするな。」
という言葉が重い。
親に暴力を振るわれたり、生活費のために日中ずっとアルバイトをしていたり、自傷行為を繰り返していたり…。
先生ですら「あいつらが、あの環境の中で、学校に来ているという事実だけでも尊敬する」
と言わしめるほどの逆境にいる彼ら。
そんな彼らが、修学旅行で行った沖縄のひめゆり平和祈念資料館で、同年代の女学生たちが大勢戦争で殺されたことを目の当たりにし、
「自分たちは幸せだ」というメッセージを書いていた。
自分がその立場だったらそんなことが言えるだろうか。
こういった、定時制に通うような、環境に問題のある子供たち、そして、その中で悩み、なんとか学校に来続ける生徒たち。
彼らの言動を聞いていると、なんだか彼らのほうがよっぽど僕なんかより大人なんじゃないかと思えてくる。
少なくとも、彼らを過去にいじめた人間や、彼らに暴力をふるう親たちよりは、ずっと賢くて、大人だ。
数えきれないくらいの、心に残るエピソードがこのドキュメンタリー映画にはつまっていた。
これほど、多くのシーンで涙が出たのは初めてかもしれない。
ぜひ、多くの人に観てもらいたい映画。
一つだけのシンプルな感想ではなくて、いろんなことを考えると思う。