キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

スキーの思い出

2011年02月13日 | Weblog
今シーズン初めてのスキーに行ってきた。
今シーズン初めて、社会人2回目、小学校以来3回目のスキー。
まだまだ八の字でしか滑れない僕は、友人の勧めで一日スクールに入ることにした。
結果から言えば、やっぱり教えることを仕事にしている人はうまい。
抽象的な表現(重心の位置とか、スゥなどの擬態語)じゃなく、具体的にどこをどうすればいいかを教えてくれる。

走り方を教えるときも同じだと思うけど、身体の部分部分をどうすればいいかの個別指導(よくマック式と呼ばれている)よりも、目標とする感覚を教えてそれに向けて身体全体が強調しあっていくほうが理想的だと思う。
そのときの指導の言葉は抽象的になりがち。
ただしこの指導法は長期的に、継続的に指導できる環境があってこその方法で、今日のような一日である程度の進展(結果)が求められる場合は、身体の各パーツの個別指導が適しているんだろう。

別の話。

僕が入った一日スクールはレベルが五段階に分かれていて、僕は下から三番目、脱八の字ターンというクラス。
僕の他にクラスには三人のおばさんと小学六年生の少年がいた。

その少年、練習開始から頻繁にスキーのブーツが板からはずれてしまう。
そのたびにクラスみんなが待たなければならないため、僕らよりも講師の方がイライラしていた(もちろんあからさまに怒りはしないが、言葉が少しずつきつくなっていく)。
講師は少年に、足首を変な方向へ曲げてはいけないだとか、もっと足首を固定すればブーツは板からはずれないと教える。
それでも一向に改善されず、少し滑っては脱げ、明らかにそれは彼の滑り方が悪いのではなく、道具の方に問題があるように思えた。
少年もよく頑張った。
ブーツ脱げる度に健気にもがんばって履き直し、講師や手伝ってくれた大人にお礼を言う。
投げ出すこともなく、泣き出すこともない。

彼を見ていて、自分の小さい頃を思い出した。
小学校に入るか入らないかという時、町内会で初めてスキーに行った。
そこで入った一日スクール。
先生の指導のペースが早くて、飲み込みの悪かった僕はなんとかついて行こうと必死。
でも何度も転んでいる間に服の中にたくさん雪が入り、寒くなって、辛くなって、あきらめて途中でやめてしまった。
休憩室で休んでいると、近所の年下の子が来て「あっちゃんならしょうがないよね」と意地悪に言った。
彼が部屋から出ていった後、それまでこらえていたものがあふれ出て、悔しくて、僕はしくしく泣いてしまった。

僕にとってその思い出がスキーのトラウマであり、大きく言えば学校以外での集団指導に対する恐怖心になっていた。

今回、それ以来初めてスキーの一日スクールだったのは、一つはそのトラウマを消すため。

結果的に、講師の指導はうまく、一日スクールは上達には適していると思った。
でもそこで出会った少年は、あのころの僕に状況が似すぎていてた(僕のように途中で諦めなかったが)。

僕が小さかった頃もそうだったが、なぜか子供のスキーのブーツって板からよくはずれる。
怪我を防ぐためにそういう設計になっている?それとも、たまたま板側の調整がブーツにあっていないだけ?
どちらにせよ、あれだけ頻繁にブーツが板からはずれるのは彼のせいじゃない。
講師はどうすればはずれないかを繰り返し彼に言い聞かせていたが。

スクール終了後に、彼に「よくがんばったね、えらいね」と声をかけると、恥ずかしそうに、でも誇らしそうに、「ありがとう」と答えた。
たいした少年だと思った。
彼にとってこの一日スクールがスキーの悪いトラウマにならないことを祈った。