キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

青梅マラソン

2011年02月21日 | Weblog
青梅マラソンに出場した。

45年という長い歴史を持つ大会で、小さな町のローカルレースながら、根強い人気があるという評判のマラソン。
昨年、申込までを終わらせた時点で赴任が決まってしまったので、今年こそは出られると楽しみにしていた。

実は朝に寝坊をした。
泣きそうに焦っているところを奥さんが冷静に餅を準備して送り出してくれた。

受付時間に間に合うために、立川駅から受付会場のある河辺小学校までタクシーを使った。
その運転手が、偶然にも30年前に青梅マラソンに出たことがあるという人だった。
1度目は恋人の誘いで出場するも制限時間オーバーで収容車に捕まったとのこと。
2度目の挑戦では、お祭りの法被に地下足袋を履いた仮装で出場。
しかし、途中で地下足袋の足が痛くなり、恋人に靴を差し入れてもらいなんとか完走したとか。
そのときの恋人が今では奥さんになり、先日高校生の息子とマラソンを走ったそうだ。
なんだか走る前からいい話が聞けたとうれしくなってしまった。
昔々から、今のようにマラソンで仮装をして走る人たちがいたというのも、おもしろい。

青梅マラソンは今回で45回大会という国内でもかなり歴史のある大会。
まさに町をあげてこの大会を応援しているという雰囲気が肌にひしひしと伝わってくる。
途切れることのない沿道の応援や差し入れ。
消防署や交番では、隊員やお巡りさんがみんな外に出て応援してくれている。
老人ホームの前には、車いすのおじいちゃん、おばあちゃんがずらりと並んで応援してくれている。
30kmの折り返しコースなので、実質15kmの沿道だが、4グループの盛大な和太鼓演奏が聴けたし(マラソン中の和太鼓は好きだ)、三線を演奏している地元のグループもいた。
とにかく、地元の盛り上げで作られている大会なんだと思った。
そして、それが45年も続けられている、その力、地元の方々の心意気がいい。
その心意気にのっかって、走らさせてもらえることがうれしい。

さて、レースの方はというと…
人生で初めてのことが2回あった。

1つは、このマラソンのコースが非常にアップダウンの多いコースだったこと。
そしてもう1つは、そのアップダウンのせいか、20kmを前にして突然スピードががくんと落ちて、その後立て直せなかったこと。

この青梅マラソン、平坦な部分と上っているか下っているかの部分が半々なんじゃないかと思うくらい、上って下っての連続だった。
思えば、東京マラソンも河口湖マラソンも、それにこれまでに出た駅伝なども、みんな基本的には平坦なコースだった。
その平坦が当たり前になっていて、アップダウンがこんなにじわじわ身体に疲労を溜めるとは知らなかった。
実は自分としては上りは得意な方だと思っていて、今回のレースの序盤も上りになると周りの選手をぐんぐん追い抜いて得意げになっていたくらいだ。

それが、あと少しで20kmだという辺りの上り坂で突然足に踏ん張りが利かなくなった。
得意なはずの上り坂なのに、どんどんと失速して、軽いジョグよりも遅くなってしまった。
意識はしっかりしているし、息もあがっていない。
なのに、身体が、特に足の裏が急に熱くなりだし、下半身ががちがちに固まってきた。
それは、平地になっても続き、あとはもう、最後まで走りきるだけで精いっぱいだった。

マラソンのラスト10kmくらいでどんどん失速していくという経験はあったが、これほどスピードが落ちたのは初めて。
それまで、軽快に1キロ4分38秒くらいで走っていたのに、突然1キロ5分20秒になった。
もう、後ろから人に抜かれるは抜かれるは。

ただ、課題というか、目標ができた。
フルを1キロ4分40秒で走りきる力をつけること。
今回の手ごたえで、4分40秒が今の課題だと思った。

30kmという中途半端な距離、派手な演出やゲストがいるわけでもない、決してアクセスのいいとは言えない会場、そして恐ろしいほどのアップダウンコース。
それにもかかわらず、これだけの歴史と人気を誇る青梅マラソン。
ぜひ、これからもこの大会で走らさせていただきたいと思う。