キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

ヒッチハイク

2010年04月02日 | Weblog
ヒッチハイクという言葉には、バックパッカーとか放浪旅とかそんな言葉と共通のどこか胸躍る、自由な空気のにおいがする、そんな印象がある。
しかし、だからといってヒッチハイクをやったことがあるかといわれればない。
誰が乗っているかわからない、そこらへんを走っている車を止めて、行き先を聞き、「途中まででいいので乗せてって」と言うのはなかなかの勇気が必要だ。
少なくとも僕は。

しかし、この国が、というより東南アジアやインドの文化としてヒッチハイクは我々ほど敷居の高い作業ではないみたい。
町外れの、次の町へ続く道端には、よく数人が笑顔でこちらに手を振っているし、時には町から何十キロも離れた道になぜかぽつんとたたずみ、泣きそうな顔をして手を挙げる人もいる(どれだけの時間そこに立っているのだろう。というか、なぜ)。

そんな道端で彼らを乗せる勇気と慈悲の心がない僕でも、最近では現場内で交通手段がなく困っているワーカーたちをよく乗せるようになった。
広い現場内で自分の車を持っていないワーカーたちは、一旦バスを逃すと事務所にも食堂にも行けず悲惨な状況になる。
下手をしたら、灼熱の大地を数キロ歩くはめになる。

そんな彼らをみんなが少しでも車に乗せて移動することで現場内の人の流れはとてもよくなる(と信じている)。

しかし、人によっては、面倒くさいとか、もっと子供じみた理由から彼らを無視する。
僕も忙しかったり、心に余裕がないときは彼らを乗せないことがある。
でも、そんなときの彼らの悲しそうな顔といったら、罪悪感を感じるのに十分である。

だからというわけではないけど、現場中を車で走るような日は何人もの見知らぬワーカー、でも同じ目的地をもった仲間たちを乗せて走る。
そうすると、その数人の数十分をセーブした気になるし、何より熱くて埃っぽい道端から救い出したような気になる。
そう思うこと自体が、ヒッチハイクという文化に慣れていない僕の過大な気休めなのかもしれないけど。

もともと、車を一人で運転することほど非効率的なことはないと思っている。
人が一人移動するためだけに、その約20倍の重い鉄の塊を一緒に動かさなければいけないなんて。
だから電車やバスは好きだ(あくまで比較の問題だけど)。
じゃあ車に乗るなという指摘はきつい。
これはあくまで心持とつぶやきの範囲だから。

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