キャンプ村に到着したその晩、ボランティアセンターのスタッフとボランティアの人たちでの懇親会が行われると聞いた。
早くにキャンプ村に到着していた僕と夕夏は早速参加してみた。
お化けのような担担麺を出すお店だった。
キャンプ村は唐桑という地域の高台にあるそんなに大きくない広場だったが、そこに少し不釣り合いに営業しているそのお店。
ボランティアセンターのスタッフには常連の店のようだ。
とはいっても、集まっているのはいわゆる正規のスタッフではなく、元々は一般のボランティアとして参加し、そこから一本釣りのような形で運営側に引き入れられた方々。
そのため、年齢や個性、考え方、そしてバックボーンも様々。
以下、特に印象に残った方々について。
Sさん
最初にキャンプ村やこれからのボランティア活動について説明してくれた方。
この飲み会の発起人でもある。
非正規(この言い方が正しいかわからないけれど)のスタッフとして人望が厚い。
大変な毎日の中で、それでもスタッフやボランティアの人たちに気持ちよく活動してもらおうと、笑顔を絶やさないその強さに感銘を受けた。
Iさん
通称ちゃらお。
21歳というその若さと、渋谷を歩いていそうなそのファッション、そしてノリの軽さから、みんなにちゃらおと呼ばれてかわいがられている。
仕事をやめ、久しぶりに母親に電話をかけ「2か月間東北でボランティをしてくる」と告げると
「2か月くらいで何ができるっていうの。少なくとも3か月は行って役に立ってきなさい!」と叱られたそう。
久々の電話だったこともあり、お互い溢れるものがあり、その電話はお互い泣きながらのものになったのだそうだ。
そのエピソードだけで、僕も涙出そうになった。
どれだけ分厚い心を持っているんだ、この人は。
昼間、ボランティアセンターのスタッフとして活動しているちゃらおさんは、ほんとにかっこよかった。
母親と高校生の男子の二人組
高校生は放送部。
母親はふっくらして大学生みたいに若く見える楽しいお母さん(最初は本当に姉弟かと思った)。
なぜ、ボランティアに来たのかと息子に尋ねると、お母さんから
「あんた、ほんとに募金とかしてるだけでいいの?
いつもボーイスカウトとか行ってたのは、こんなときに募金するためだけなの?
何かしたいとかぐちぐち言ってるんだったら直接行って直接見てきなさいよ!
ただし、向こうに行ったらきつくても一人なんだからね。
いつもみたいに私に頼れないんだからね!」
と発破をかけられて二人で来たそうだ(旦那は家で犬のお守りだそうだ)。
息子に、これだけのことが言えて、しかも一緒に車中泊の泊りがけで来てくれるお母さんって。
街でもし見かけたら(申し訳ないけど)ただのすごく甘そうな、ちゃらちゃらした、平和を謳歌する女の人、くらいにしか見えないのに、どうして、僕の目ってほんとにまだまだ節の穴だと思う。
どこからこんなどっしりとして、遠くまでの将来を見据えた、子供を前向きに歩かせるいい言葉が、しかも行動を伴って出てくるんだろう。
僕の母親とはいろいろな部分で似ていないが、「言葉」と「行動」という意味で、似ている気がした。
そして、理想の親の一つの形だと思う。
Yさん
普段は陶芸家。
もと、国境なき医師団のスタッフ。
阪神大震災でも独自のボランティア活動を展開。
そして関西でボランティア集団を設立。
現在は東北で子供たちの「すきま」を埋める活動を展開中。
お祭りや綿あめ、ポン菓子など。
風貌はモヒカンに迫力ある体格、赤ら顔で近寄りがたい。
最初は、話の長い、少しうさんくさいおじさんのように思っていたが、話している言葉に力があり、含蓄があり、なるほどと思う点、共感する点、はっと思う点が多いことに気付いた。
口癖は、「なによりもまずは挨拶。犬にも挨拶を。特にリーダーはどんなときにもメンバーに声掛けを。」
また、「被災者にも率直にいろんなことを聞いていい。その代わりに、全てちゃんとしっかり聞いてあげること。向こうは、聞いてほしいことがたくさんある。」
と教えてくれた。
この人、存在が大きすぎてつかみきれないけど、活動内容を報告するHPがあるようなのでもっと見てみたい。
こんな小さな飲み会の、しかも僕が話した人だけでもこんなに分厚い心と大きな生き方をしている人ばかりなのだ。
この東北にはどれだけのツワモノが集まってきているのか。
この未曾有の天災が起こり、それが磁力となって、日本全国、そして世界中から多くのそんな人たちがここに集まっているのだ。
早くにキャンプ村に到着していた僕と夕夏は早速参加してみた。
お化けのような担担麺を出すお店だった。
キャンプ村は唐桑という地域の高台にあるそんなに大きくない広場だったが、そこに少し不釣り合いに営業しているそのお店。
ボランティアセンターのスタッフには常連の店のようだ。
とはいっても、集まっているのはいわゆる正規のスタッフではなく、元々は一般のボランティアとして参加し、そこから一本釣りのような形で運営側に引き入れられた方々。
そのため、年齢や個性、考え方、そしてバックボーンも様々。
以下、特に印象に残った方々について。
Sさん
最初にキャンプ村やこれからのボランティア活動について説明してくれた方。
この飲み会の発起人でもある。
非正規(この言い方が正しいかわからないけれど)のスタッフとして人望が厚い。
大変な毎日の中で、それでもスタッフやボランティアの人たちに気持ちよく活動してもらおうと、笑顔を絶やさないその強さに感銘を受けた。
Iさん
通称ちゃらお。
21歳というその若さと、渋谷を歩いていそうなそのファッション、そしてノリの軽さから、みんなにちゃらおと呼ばれてかわいがられている。
仕事をやめ、久しぶりに母親に電話をかけ「2か月間東北でボランティをしてくる」と告げると
「2か月くらいで何ができるっていうの。少なくとも3か月は行って役に立ってきなさい!」と叱られたそう。
久々の電話だったこともあり、お互い溢れるものがあり、その電話はお互い泣きながらのものになったのだそうだ。
そのエピソードだけで、僕も涙出そうになった。
どれだけ分厚い心を持っているんだ、この人は。
昼間、ボランティアセンターのスタッフとして活動しているちゃらおさんは、ほんとにかっこよかった。
母親と高校生の男子の二人組
高校生は放送部。
母親はふっくらして大学生みたいに若く見える楽しいお母さん(最初は本当に姉弟かと思った)。
なぜ、ボランティアに来たのかと息子に尋ねると、お母さんから
「あんた、ほんとに募金とかしてるだけでいいの?
いつもボーイスカウトとか行ってたのは、こんなときに募金するためだけなの?
何かしたいとかぐちぐち言ってるんだったら直接行って直接見てきなさいよ!
ただし、向こうに行ったらきつくても一人なんだからね。
いつもみたいに私に頼れないんだからね!」
と発破をかけられて二人で来たそうだ(旦那は家で犬のお守りだそうだ)。
息子に、これだけのことが言えて、しかも一緒に車中泊の泊りがけで来てくれるお母さんって。
街でもし見かけたら(申し訳ないけど)ただのすごく甘そうな、ちゃらちゃらした、平和を謳歌する女の人、くらいにしか見えないのに、どうして、僕の目ってほんとにまだまだ節の穴だと思う。
どこからこんなどっしりとして、遠くまでの将来を見据えた、子供を前向きに歩かせるいい言葉が、しかも行動を伴って出てくるんだろう。
僕の母親とはいろいろな部分で似ていないが、「言葉」と「行動」という意味で、似ている気がした。
そして、理想の親の一つの形だと思う。
Yさん
普段は陶芸家。
もと、国境なき医師団のスタッフ。
阪神大震災でも独自のボランティア活動を展開。
そして関西でボランティア集団を設立。
現在は東北で子供たちの「すきま」を埋める活動を展開中。
お祭りや綿あめ、ポン菓子など。
風貌はモヒカンに迫力ある体格、赤ら顔で近寄りがたい。
最初は、話の長い、少しうさんくさいおじさんのように思っていたが、話している言葉に力があり、含蓄があり、なるほどと思う点、共感する点、はっと思う点が多いことに気付いた。
口癖は、「なによりもまずは挨拶。犬にも挨拶を。特にリーダーはどんなときにもメンバーに声掛けを。」
また、「被災者にも率直にいろんなことを聞いていい。その代わりに、全てちゃんとしっかり聞いてあげること。向こうは、聞いてほしいことがたくさんある。」
と教えてくれた。
この人、存在が大きすぎてつかみきれないけど、活動内容を報告するHPがあるようなのでもっと見てみたい。
こんな小さな飲み会の、しかも僕が話した人だけでもこんなに分厚い心と大きな生き方をしている人ばかりなのだ。
この東北にはどれだけのツワモノが集まってきているのか。
この未曾有の天災が起こり、それが磁力となって、日本全国、そして世界中から多くのそんな人たちがここに集まっているのだ。
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