師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

いそがない

2010年07月22日 | 天意の実践

不安を撒き散らしそうになっているときは、

既に、不安に自分の場を明け渡し、個体ー塊と化している。

自分であることを放棄し、不安や問題という幻にその判断を

任せているのだ。

だが、不安は不安でしかなく。

問題は、問題なのであって、解決策ではない。

もとめるならば、解決策だ。

しかし、それすらも、問題ばかりをあげつらい、その事象の本質に

気づいていないのだ。

本質の事象。

それは、何度もいうように、正常に機能することだ。

不安や問題に囚われている時点で、

すでに正常に機能しているとは言えない。

自分の望む状態とはなんなのかすら、危ぶまれる。

なぜなら、正常に機能することをまず、選んでいないからだ。

それは、さとりや明確な意識。真理や真実とはあまりにも

遠い場所だ。

すべてのことには、順位があり、低位は高位へと登るように

なっている。

この順位も、こつこつと、一歩一歩登るよりほかはない。

自分のこころの庭に雑草を生やしているから、

こころが定まらない。

この生い茂る雑草を抜くのは、誰でもない。

自分自身だ。

自分自身のこころの手で一本、一本抜くのだ。

自分自身のこころの手で一本抜くたびに、

「アリガトウ」とつぶやいてみることだ。

あなたのこころは、雑草が生えようと、庭が荒れ放題になろうとも

常に一緒なのだ。

あなたがあなたのお手入れを放棄しようとも、

その庭は、確実に存在し、あなた自身を映し出している。

部屋に溜まったごみを捨てるのは簡単だが、

それを捨てる行為は

あなたが決めなけれれば、誰も代わりにはやってはくれない。

あなたの人生だ。

あなたの部屋も、庭も、ほかのひとのやり方や

ほかのひとに気を取られて怠れば、怠るほど、

荒れるに任せることとなる。

こんなときほど、

まず、

イソガナイ

じっと、荒れるままの状態でいる。

ばたばたと、捨てても、こころが定まっていなければ、

また、同じことを繰り返す。

行く先はみな同じ。

いつか行くどこかがあるのは、みな同じ。

けれども、今の荒れた自分でいたくないのなら、

自分の荒れ狂う嵐をしずめることだ。

これは、あなた自身がしなければならない。

誰にもたよれはしない。

いつだって、自分の行く方向は、

それが気分や、誰かの誘いに乗ってであろうとも、

そのことを自分に決めて、

自分で決めて、

今があるのだ。

そして、

あなたがするのはこころに命令すること。

ダマリナサイ。

だまりなさい。

黙りなさい。

     

     

     

    

≪下の「イソガナイ アワテナイ へ続く≫

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イソガナイ アワテナイ

2010年07月22日 | 天意の実践

≪上の『いそがない』の続き≫

     

      

     

そうやって、

こころのざわめく波紋を沈める。

泣くことも、わめくことも、それで気が済むなら、

とりあえずは、やってみるもいい。

それすらも、自分の意志なのだから。

なによりも、すぐに解決しようなんて、思わないことだ。

前進することを選ばず、問題ばかりに気にかける。

それでは、解決しようがない。だのに、あなたがたは、

なんでも、すぐにー

を望む。

こころの定まっていないうちは、前進などとは思わずに

こころにも、休みをあげてごらん。

あなたが悲鳴をあげている間も、こころは必死に耐えているのだ。

今、あなたとあなたのこころはばらばらに機能している。

だから、こころを休ませる。

あたまを休ませる。

思考などと難しい問題は、あなたが解決することだろうか。

今のあなたでは解決できないと認め、手を離し、

休みなさい。

がんばりつづけなければならないなんて、

だれも、

ホントウハ

言っていないからね。

100720143339

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする