今という時代は、あまりにもことばがあふれ、蔓延し、
誰もがしゃべることをやめない。
何かをしている時でさえ、実際、あなたのアタマの中は、
しゃべり続けている。
見てもいないテレビやラジオ、パソコンからは、さまざまな音が、
声が流れ
どこにいても、喧騒の中。
たとえ、群衆の中にいても、ぶつぶつと、ひとりでしゃべり続けている
老人。
メールを打っては、おしゃべりをしている学生。
トイレの中でまで、携帯電話で話している若い女性や親子づれ。
そうして、この世界は、思考により、作りだされ、ばらまかれた想念に
あふれている。
使われることばは、乱れ、トとのえられることなく、流されている。
いきおい、あなたは、ひとのことばに相槌をうち、
つい、うっかりと同調する。
気がつけば、してもいないことも、自分がしたような気分になる。
そうなると、そんなもんだ、ではすまされなくなる。
そんなものだと思って、気がつけば、
自分のまわりは、自分の望むこととはかけ離れた、
ずいぶんと遠いものになって、気がつく。
こんなはずではなかったと。
では、どんなはずだったのか。
あなたの未来は、どんなものだったのか。
あなたの望みは、どんな望みだったのか。
思い出せ。
あなたが口にしたことばを。
あなたから発せられた思いを。
輝けるものにしたいなら、今、ここから、宣言するのだ。
これからは、自分の望むことのみを口にする。
と。
望まないことを口にすれば、望まないことがおこる。
だから、ことばを選び、時には沈黙していよう。
想念のおおきなうねりに巻き込まれたくないなら、
他者の想念からの無意識の誘いに乗りたくないのであるなら。
なにより、自分が大事だと思うなら、自分を守り、自分の周囲をも
守ろう。
自分で自分を卑下したりせず、
自分のことを誰かに守ってもらおうなんて考えなければ、
それこそが、最強の守護となる。
自分で、自分を守っていれば、最強の守りは自然と訪れる。