2024/12/14 読売新聞オンライン
西面回廊の柱を支える礎石を据え付ける穴が見つかった調査区(奈良市で)
灯籠の痕跡とみられる磚列と土坑
奈良時代の西大寺金堂院周辺のイメージ
奈文研が初確認
称徳天皇が奈良時代に建立した西大寺の旧境内(奈良市)で、中枢部にあたる金堂院の中軸線上に、「ロ」の字状に配置されたとみられる 磚せん (レンガ)列と、その内側に土坑(穴)を確認したと奈良文化財研究所が13日、発表した。土坑は灯籠の痕跡で、磚列は灯籠を囲んだ区画と考えられる。西大寺で灯籠の痕跡が確認されたのは初めて。
西面回廊 位置と構造判明
寺は称徳天皇の発願で、父の聖武天皇が建てた東大寺に匹敵する西の大寺として765年に造営された。平安時代に衰退したが、鎌倉時代に 叡尊えいそん が復興した。創建当初は薬師金堂や 弥勒みろく 金堂、東西の塔などがあり、二つの金堂を中心に回廊で区画された範囲が金堂院と呼ばれる。同研究所がこれまで、金堂院の規模や構造を調べるため発掘を行ってきた。
今回の調査は駐車場造成に伴うもの。現在の境内北側にあたり、遺構が想定される2か所で3~6月に行った。
灯籠の遺構が見つかったのは金堂院の中軸線上に位置する調査区。約2・3メートル四方に配置されたと推定される磚列と、その内側に土坑(東西約1・8メートル、南北約2・5メートル以上、深さ約0・8メートル)が確認された。
山田寺(桜井市)を始め、古代の寺院では、灯籠跡が金堂の前面、寺の中軸線上で見つかっている。今回確認された土坑も弥勒金堂の前にあり、金堂院の中軸線上に位置することから、同研究所は灯籠の痕跡とみている。
このほか、西側の調査区では、西面回廊の遺構が見つかり、位置と構造が明らかになった。二つの通路が並ぶ「複廊」の柱を支える礎石を据え付けた穴18基、建物の土台「基壇」などを検出。これまで判明している東面回廊の調査成果と合わせると、金堂院の東西が約97メートルだったことが確定した。
奈良時代の寺の財産目録「西大寺資財 流記帳」に灯籠の記述はないが、上原真人・京都大名誉教授(日本歴史考古学)は土坑の大きさなどから、「東大寺に匹敵する大きさの灯籠が西大寺にあったと考えてもおかしくないだろう」と話している。