今日の日経朝刊のコラム「春秋」に、大学生の就職難の話題がありました。
お隣り中国でも大卒者の就職難が構造的な問題となっており、就職率は70%程度に留まるそうです。
それでも、学歴に見合う職業を得られずに北京郊外に住む若者の1人は「自分を失敗者とは思わない。まだ成功していないだけだ。」と、誇りを失わずに自分を奮い立たせています。
早稲田の今年の卒業式が、例年通り3月25日に行われます。
中には就職が決まらぬ苦しみを抱えたまま卒業式に望む学生さんもいるでしょう。
でも、ぜひ誇りを持って、若々しく前向きに突き進んで欲しいと思います。
さて1977年(昭和52年)、早稲田の野球部は、有力選手たちの大量入部で話題となりました。
片桐内野手(桜美林高校で甲子園優勝)、応武捕手(崇徳高校で甲子園優勝)、中村誠司投手(PL学園で甲子園準優勝)を筆頭に、佐藤功(東海大相模)、島、新田(共に天理高校)、黒田(小山高校)、山岡長英(秋田高校)、新宮(高松商業)ら、高校野球で大暴れした選手たちが、早稲田に大挙して入学してきたのです。
この年は、ライバル慶応義塾にも、有力選手が入学しました。
写真の左から、玉川外野手(土佐高校)、青島内野手(春日部高校)、千賀投手(中京高校、現在の中京大中京)です。
玉川は甲子園でサイクル安打を記録して一躍人気者となった、シャープなスイングの好打者。
千賀投手は、伝統の半襟つきユニフォームを着て、エースとして甲子園で四強入り。
青島健太内野手は、甲子園組ではありませんでしたが、関東では有名な強打者でした。
私は、彼らが慶応に入学して、「これで早慶戦が面白くなるぞ」と期待を膨らませる一方で、心の片隅で少し不安も感じていました。
慶応の体育会は、伝統的に付属高校出身者が中心的存在で屋台骨を支えてきたので、当時は独特な気風が醸成されていたのです。
その象徴の一つが「外部」という言葉です。
「あの選手は、どこの高校の出身ですか?」
「ああ、彼は外部です」
すなわち返答者は、あの選手は付属高校出身者ではありませんと言っているわけです。
決して他意はないのでしょうが、付属高校出身者以外の人間にとっては、少し冷たい響きがあります。
青山高校で私の学年のラグビー部は、関東大会でベスト4という強豪でした。
その年の主将であった中曽根くんは、一浪して慶応に進学し、一年生からWTBでレギュラーとなりました。
秩父宮での試合の帰り道で彼と一緒になった時、私が「一年生から慶応でレギュラーなんて凄いじゃないか」と声をかけたところ、彼は「まあ、俺は所詮「外部」だからなぁ」と返答してきたので驚きました。
早稲田では考えられない雰囲気が当時の慶応にあり、中曽根くんも少々苦労したらしいのです。
部は異なるものの、中曽根くんの二年後に慶応に入学してきた玉川選手たちも、きっと最初は戸惑いを感じる場面があったのではないでしょうか。
最近は、慶応のラグビー部でも野球部でも、様々な高校の出身者が元気に活躍していますから、きっと以前のようなことはないでしょう。
今年もどんな新人選手たちが慶応に入ってくるのか、今から楽しみです。
お隣り中国でも大卒者の就職難が構造的な問題となっており、就職率は70%程度に留まるそうです。
それでも、学歴に見合う職業を得られずに北京郊外に住む若者の1人は「自分を失敗者とは思わない。まだ成功していないだけだ。」と、誇りを失わずに自分を奮い立たせています。
早稲田の今年の卒業式が、例年通り3月25日に行われます。
中には就職が決まらぬ苦しみを抱えたまま卒業式に望む学生さんもいるでしょう。
でも、ぜひ誇りを持って、若々しく前向きに突き進んで欲しいと思います。
さて1977年(昭和52年)、早稲田の野球部は、有力選手たちの大量入部で話題となりました。
片桐内野手(桜美林高校で甲子園優勝)、応武捕手(崇徳高校で甲子園優勝)、中村誠司投手(PL学園で甲子園準優勝)を筆頭に、佐藤功(東海大相模)、島、新田(共に天理高校)、黒田(小山高校)、山岡長英(秋田高校)、新宮(高松商業)ら、高校野球で大暴れした選手たちが、早稲田に大挙して入学してきたのです。
この年は、ライバル慶応義塾にも、有力選手が入学しました。
写真の左から、玉川外野手(土佐高校)、青島内野手(春日部高校)、千賀投手(中京高校、現在の中京大中京)です。
玉川は甲子園でサイクル安打を記録して一躍人気者となった、シャープなスイングの好打者。
千賀投手は、伝統の半襟つきユニフォームを着て、エースとして甲子園で四強入り。
青島健太内野手は、甲子園組ではありませんでしたが、関東では有名な強打者でした。
私は、彼らが慶応に入学して、「これで早慶戦が面白くなるぞ」と期待を膨らませる一方で、心の片隅で少し不安も感じていました。
慶応の体育会は、伝統的に付属高校出身者が中心的存在で屋台骨を支えてきたので、当時は独特な気風が醸成されていたのです。
その象徴の一つが「外部」という言葉です。
「あの選手は、どこの高校の出身ですか?」
「ああ、彼は外部です」
すなわち返答者は、あの選手は付属高校出身者ではありませんと言っているわけです。
決して他意はないのでしょうが、付属高校出身者以外の人間にとっては、少し冷たい響きがあります。
青山高校で私の学年のラグビー部は、関東大会でベスト4という強豪でした。
その年の主将であった中曽根くんは、一浪して慶応に進学し、一年生からWTBでレギュラーとなりました。
秩父宮での試合の帰り道で彼と一緒になった時、私が「一年生から慶応でレギュラーなんて凄いじゃないか」と声をかけたところ、彼は「まあ、俺は所詮「外部」だからなぁ」と返答してきたので驚きました。
早稲田では考えられない雰囲気が当時の慶応にあり、中曽根くんも少々苦労したらしいのです。
部は異なるものの、中曽根くんの二年後に慶応に入学してきた玉川選手たちも、きっと最初は戸惑いを感じる場面があったのではないでしょうか。
最近は、慶応のラグビー部でも野球部でも、様々な高校の出身者が元気に活躍していますから、きっと以前のようなことはないでしょう。
今年もどんな新人選手たちが慶応に入ってくるのか、今から楽しみです。