永らく東大で、現在は工学院大学で機械工学と「失敗学」という興味深いテーマを研究されていらっしゃる、畑村洋太郎さんという教授がおいでになります。
失敗学とは、まず失敗をきちんと理解するところから始まります.
どういう原因が,どんな結果(=失敗)をもたらしたのか.
原因とは、その要因とメカニズムから構成されます。
大切なのはメカニズムの解明であり、そのプロセスを経て新しい知見に到達することができると畑村教授はおっしゃいまして、実は私も、「失敗学のすすめ」を参考に、銀行実務で使用する報告書の書式を制定したりしています。
さて、その「失敗学」の畑村教授が、トヨタ自動車のリコール事件に関連して、日本企業の抱える「品質の呪縛」について、数日前の新聞にコメントを寄せていらっしゃいました。
トヨタ自動車の生産方式に代表される絶対品質の追求、その方法が世界を席巻したという成功体験が、日本産業界の呪縛となり、高コスト体質に陥っていると畑村さんは指摘されています。
すなわち、
>「自分たちは誰よりもまじめにやっている」と考え、視座を自分の側に固定し、反対の視座から自らの行動を振り返ることができない
>その結果、絶対品質を追求することで勝負すると自分の居場所を正当化し、さらに高品質・高価格を追求する袋小路に迷い込んでいく
絶対品質の追求という日本流の考えに固執するのではなく、相手の国に出掛けて、現地の市場で求められる「相対品質」を見極めたうえで商品を企画し、そして生産する発想こそが産業のグローバル化だと畑村さんは提言されています。
世界を見渡すと、
韓国の電器メーカー、サムスンでは、メンテナンス部品を満載したサービス車が主要都市を常に巡回していて、製品故障は発生すると顧客の自宅に直行し、その場で修理してしまいます。買ったお店に修理を依頼して一週間待つというような日本流の方式は通用しません。韓国の消費者は待ってくれないからです。
新興国では、一世代前の製品である二槽式洗濯機が低価格で売れ筋。つい先日まで手で洗濯していた国にとっては、十分すぎる利用価値があるのです。
インドでは、使用人による食品持ち出しが多いお国事情から、鍵付き冷蔵庫が良く売れます。
イスラム圏では、どんなチャンネルを放送していても、一定の時刻が来ると自動的にコーランが流れるように切り替わるテレビが売れ筋。
インテリアを重視する欧州では、ワイングラスを形どったテレビが人気だそうです。
このように、消費者が何に対して価値を見いだし対価を支払うかは、国によってマチマチ。
かたや、最近の「ものづくり」をテーマにしたテレビ番組を観ていると、神業の域にも達したような高い加工技術を有する中小企業を紹介し、「この技術がある限り、日本の製造業は競争に勝てる」というようなメッセージを発信しています。
でも、それは本当に正しいメッセージでしょうか。
高い技術が、高品質の自動車、多機能携帯電話、PC、薄型テレビなどの製造を可能としているのは確かです。
しかし、インドのタタ社が20万円台の自動車を発売しても、日本では対抗製品を作ることができません。
絶対技術力では何の問題もないはずなのに。
私は、次のような算式を頭の中に描いています。
国際競争力=絶対技術×コスト競争力+相対技術
相対技術は、カタログ・データだけでは推し測れない、顧客目線の商品企画力と商品のティストと置き換えても良いでしょう
さて、絶対品質の追求という呪縛は、製造業に限った話ではありません。
例えば、鉄道においても、世界最高レベルの正確な運行管理を行なうために、あるいは最新鋭の快適な車両を走らせるために様々な努力と工夫を凝らしています。
でも、そのような鉄道システムを支えるために、相応のコストを日本の国民は負担し、それが様々な製商品やサービスの価格に上乗せされています。
一方で、もう少し大雑把な運行管理でも、年式の古い車両でも構わないから、当面は可能な限り低運賃の鉄道システムにしようという選択をしている国は、その分だけ低価格で様々な製品やサービスを提供できるわけです。
新幹線に次々に新型車両が投入される、あるいは全国に新幹線網が拡がっていくという高品質化の積み重ねは、その分だけ、国内産業を高コスト体質にして価格競争力を損なっていくという負の側面があるということです。
高規格の有料道路や空港を各地に建設するのも同様で、これらは財政負担の側面にとどまらない問題なのです。
日本経済が低迷を脱するためには、どうしたら良いのか。
実は、日本人の思考回路の構造改革が最も必要なのかもしれません。
失敗学とは、まず失敗をきちんと理解するところから始まります.
どういう原因が,どんな結果(=失敗)をもたらしたのか.
原因とは、その要因とメカニズムから構成されます。
大切なのはメカニズムの解明であり、そのプロセスを経て新しい知見に到達することができると畑村教授はおっしゃいまして、実は私も、「失敗学のすすめ」を参考に、銀行実務で使用する報告書の書式を制定したりしています。
さて、その「失敗学」の畑村教授が、トヨタ自動車のリコール事件に関連して、日本企業の抱える「品質の呪縛」について、数日前の新聞にコメントを寄せていらっしゃいました。
トヨタ自動車の生産方式に代表される絶対品質の追求、その方法が世界を席巻したという成功体験が、日本産業界の呪縛となり、高コスト体質に陥っていると畑村さんは指摘されています。
すなわち、
>「自分たちは誰よりもまじめにやっている」と考え、視座を自分の側に固定し、反対の視座から自らの行動を振り返ることができない
>その結果、絶対品質を追求することで勝負すると自分の居場所を正当化し、さらに高品質・高価格を追求する袋小路に迷い込んでいく
絶対品質の追求という日本流の考えに固執するのではなく、相手の国に出掛けて、現地の市場で求められる「相対品質」を見極めたうえで商品を企画し、そして生産する発想こそが産業のグローバル化だと畑村さんは提言されています。
世界を見渡すと、
韓国の電器メーカー、サムスンでは、メンテナンス部品を満載したサービス車が主要都市を常に巡回していて、製品故障は発生すると顧客の自宅に直行し、その場で修理してしまいます。買ったお店に修理を依頼して一週間待つというような日本流の方式は通用しません。韓国の消費者は待ってくれないからです。
新興国では、一世代前の製品である二槽式洗濯機が低価格で売れ筋。つい先日まで手で洗濯していた国にとっては、十分すぎる利用価値があるのです。
インドでは、使用人による食品持ち出しが多いお国事情から、鍵付き冷蔵庫が良く売れます。
イスラム圏では、どんなチャンネルを放送していても、一定の時刻が来ると自動的にコーランが流れるように切り替わるテレビが売れ筋。
インテリアを重視する欧州では、ワイングラスを形どったテレビが人気だそうです。
このように、消費者が何に対して価値を見いだし対価を支払うかは、国によってマチマチ。
かたや、最近の「ものづくり」をテーマにしたテレビ番組を観ていると、神業の域にも達したような高い加工技術を有する中小企業を紹介し、「この技術がある限り、日本の製造業は競争に勝てる」というようなメッセージを発信しています。
でも、それは本当に正しいメッセージでしょうか。
高い技術が、高品質の自動車、多機能携帯電話、PC、薄型テレビなどの製造を可能としているのは確かです。
しかし、インドのタタ社が20万円台の自動車を発売しても、日本では対抗製品を作ることができません。
絶対技術力では何の問題もないはずなのに。
私は、次のような算式を頭の中に描いています。
国際競争力=絶対技術×コスト競争力+相対技術
相対技術は、カタログ・データだけでは推し測れない、顧客目線の商品企画力と商品のティストと置き換えても良いでしょう
さて、絶対品質の追求という呪縛は、製造業に限った話ではありません。
例えば、鉄道においても、世界最高レベルの正確な運行管理を行なうために、あるいは最新鋭の快適な車両を走らせるために様々な努力と工夫を凝らしています。
でも、そのような鉄道システムを支えるために、相応のコストを日本の国民は負担し、それが様々な製商品やサービスの価格に上乗せされています。
一方で、もう少し大雑把な運行管理でも、年式の古い車両でも構わないから、当面は可能な限り低運賃の鉄道システムにしようという選択をしている国は、その分だけ低価格で様々な製品やサービスを提供できるわけです。
新幹線に次々に新型車両が投入される、あるいは全国に新幹線網が拡がっていくという高品質化の積み重ねは、その分だけ、国内産業を高コスト体質にして価格競争力を損なっていくという負の側面があるということです。
高規格の有料道路や空港を各地に建設するのも同様で、これらは財政負担の側面にとどまらない問題なのです。
日本経済が低迷を脱するためには、どうしたら良いのか。
実は、日本人の思考回路の構造改革が最も必要なのかもしれません。