日大三高が甲子園で猛打を爆発させたことをきっかけに、昔からの早稲田ファンの多くから、その強力打線の一角を担う吉澤翔吾遊撃手に注目が集まっています。
吉澤選手のお父上が、かつて早稲田の花形選手だった吉澤俊幸さん(日大三高-早大-阪急)だからです。
既に、いくつものブログで取り上げられていますが、その流れに便乗して、私も吉澤俊幸さんにまつわる話題を書いてみたいと思います。
私が入学した時、吉澤俊幸選手は三年生。
長打力があり、強肩・俊足。三塁とセンターを守ることができる万能選手でした。
身長176センチ、72キロという下級生の時のデータがありますが、三年生の頃には、もう少し身長が高かったような気がします。
当時の早稲田は、明治の丸山・名取、法政の江川という他校のエース投手の攻略に苦しんでいました。
打線には、八木(興国、元阪急)、吉澤(日大三、元阪急)、松本(報徳学園、元巨人)、佐藤清(天理、元早大監督、現・城西国際大監督)、山倉(東邦、元巨人)、白鳥(静岡、元日産自動車監督)ら、スケール感のある錚々たる顔ぶれが揃っていまして、中でも吉澤選手が打線の中核としてメディアで取り上げられることが多かったと思います。
ちなみに、地引くんの木更津総合での恩師・五藤貞道監督(関高校出身)も吉澤さんと同期です。
写真は、1976年(昭和51年)の春季リーグ戦展望号の巻頭ページ。
明治の丸山ら主力投手が卒業したため、いよいよ早法時代が到来したということになり、「充実の対決ー怪物vs神宮のホームラン王」というタイトルが付けられています。
この特集で、「吉澤は、大型早大のビッグ・トップバッターとして、母校の浮沈を担う」と紹介され、自身も「ベストの調子。江川の立ち上がりを叩くのが私の務めです。」と抱負を語っていました。
一方の江川は「ライバルは早大の大型打線です。その中でも吉澤さん。一発はあるし、塁に出せば足も速いから、いちばんマークしています。しかし、これまでも注意して投げて打たれていませんし、自信はあります」と、早稲田ファンから見ると、何とも憎たらしい余裕のコメントを残しています。
実際に、江川を擁する法政は、この春から二年間、全て勝ち点5で四連覇を達成することになるわけで、早稲田ファンがうっぷんを晴らすのは江川の卒業した後となりました。
しかし、このベースボールマガジンの特集記事を取り囲んで、法学部のラウンジで、クラスメイトたちと、江川が打てるか打てないかと大学野球談義に花を咲かせたこと、優勝の望みを残していた早慶戦での吉澤選手の先頭打者本塁打を学生席で目撃したのは、懐かしい思い出です。
吉澤さんのご子息・翔吾くんは180センチ、79キロで右投げ右打ち。
センバツ特集雑誌の自己紹介欄で、尊敬する人物は誰かという質問に「父」と答えています。
尊敬するお父上と同じ日大三高のユニフォームで甲子園で暴れまくった後は、お父上のもう一つの母校への進学を、ぜひとも期待したいところですね。
吉澤選手のお父上が、かつて早稲田の花形選手だった吉澤俊幸さん(日大三高-早大-阪急)だからです。
既に、いくつものブログで取り上げられていますが、その流れに便乗して、私も吉澤俊幸さんにまつわる話題を書いてみたいと思います。
私が入学した時、吉澤俊幸選手は三年生。
長打力があり、強肩・俊足。三塁とセンターを守ることができる万能選手でした。
身長176センチ、72キロという下級生の時のデータがありますが、三年生の頃には、もう少し身長が高かったような気がします。
当時の早稲田は、明治の丸山・名取、法政の江川という他校のエース投手の攻略に苦しんでいました。
打線には、八木(興国、元阪急)、吉澤(日大三、元阪急)、松本(報徳学園、元巨人)、佐藤清(天理、元早大監督、現・城西国際大監督)、山倉(東邦、元巨人)、白鳥(静岡、元日産自動車監督)ら、スケール感のある錚々たる顔ぶれが揃っていまして、中でも吉澤選手が打線の中核としてメディアで取り上げられることが多かったと思います。
ちなみに、地引くんの木更津総合での恩師・五藤貞道監督(関高校出身)も吉澤さんと同期です。
写真は、1976年(昭和51年)の春季リーグ戦展望号の巻頭ページ。
明治の丸山ら主力投手が卒業したため、いよいよ早法時代が到来したということになり、「充実の対決ー怪物vs神宮のホームラン王」というタイトルが付けられています。
この特集で、「吉澤は、大型早大のビッグ・トップバッターとして、母校の浮沈を担う」と紹介され、自身も「ベストの調子。江川の立ち上がりを叩くのが私の務めです。」と抱負を語っていました。
一方の江川は「ライバルは早大の大型打線です。その中でも吉澤さん。一発はあるし、塁に出せば足も速いから、いちばんマークしています。しかし、これまでも注意して投げて打たれていませんし、自信はあります」と、早稲田ファンから見ると、何とも憎たらしい余裕のコメントを残しています。
実際に、江川を擁する法政は、この春から二年間、全て勝ち点5で四連覇を達成することになるわけで、早稲田ファンがうっぷんを晴らすのは江川の卒業した後となりました。
しかし、このベースボールマガジンの特集記事を取り囲んで、法学部のラウンジで、クラスメイトたちと、江川が打てるか打てないかと大学野球談義に花を咲かせたこと、優勝の望みを残していた早慶戦での吉澤選手の先頭打者本塁打を学生席で目撃したのは、懐かしい思い出です。
吉澤さんのご子息・翔吾くんは180センチ、79キロで右投げ右打ち。
センバツ特集雑誌の自己紹介欄で、尊敬する人物は誰かという質問に「父」と答えています。
尊敬するお父上と同じ日大三高のユニフォームで甲子園で暴れまくった後は、お父上のもう一つの母校への進学を、ぜひとも期待したいところですね。