いつものことですが、今日も長いです(笑)
これは私個人の一考察なので、間違っているところもあるかと
思いますが、ご勘弁を。
先日の記事でWA(西オーストラリア)の在宅看護(介護)は100年ほど前に
数人のコミュニティー看護師のグループから始まったと説明しました通り
非常に長い歴史があります。
日本も、家族(主に長男&長男の嫁)が両親の面倒をみるという形での
在宅ケアは長い歴史の中でずっと行われてきたことですが、これは家族の
務めとして文化的に発展してきたものかなと思います。
でも、こちらは家族内の援助を最初から前提としていないという点で
在宅介護(看護)といっても考え方が大きく異なるかなと思います。
日本も在宅介護・看護サービスの介入が幅を利かせてきておりますので
次第に変わりつつあって、もしかしたら転換期なのかなという気持ち
もしますけれど、地域によっては、従来の慣習(家族が面倒を見る)が
強いところもあるのかなという気がします。
日本は文化的に慣習として発展してきたもので、なんというか、文化的
拘束力に拠っている部分が大きいですけど、こちらは第三者による介入の
必要が先にあって「社会的システム」あるいは「社会的機能」として発達
してきたという歴史があると思います。
さらにその背景として「独立精神」の強さが関係しているかと思います。
家族の単位がカップルを中心としているというところです。
同居なんて滅多に聞きませんし、嫁だからという理由で義両親の
面倒をみる義務があるなんてこともほとんど聞きません。
実の娘、子供であっても、両親の面倒をみるために仕事を辞めるとか、
聞いたことがありません。
ので、家族の介入を最初から当てにしないので、第三者が介入する
必要があるわけです。
老夫婦も自分たちのことで子供に面倒をかけたくないと思うのが普通だし
子供たちも自分たちの生活&自分の子供たちの世話をまず第一に考える
という感じかなぁと思います。
個人が尊重される社会では、長男であろうが、嫁であろうが、実の娘、
息子であろうが、個人として生きる権利がより大きく保障されていると
思います。かといって、親をないがしろにしているわけではないことは確かです。
さて、こちらパースにも義両親と同居している人はいますが、大抵アジア人です。
わたしの友達にも義両親の介護をしている(していた)人がいます。
部外者が関わるのを嫌がって、同居している嫁に介護の仕事を期待するとか、
そういう人の介護にまつわる大変な話を聞くと「あぁ、日本でよく耳にする、
あるいは取り上げられる問題だなぁ」と思うわけです。
ということで、オーストラリアの在宅介護&看護が個人を更には社会を健全に
維持するためのシステム、機能として成り立ってきたという意味で、学ぶことは
多いかなあと思いますね。
親と子であっても、個人の権利意識が強いんですよね。
日本人は個人の権利なんて言い出すと「わがままだ」とか「勝手だ」とか
「冷たい」とか「家族をないがしろにしていいと思っているのか?」
という感情論でぶった切る的な傾向があるような気がしますけど
健全とは思えません。
それをどう受け止めるかは個人の自由だし、人それぞれなので
どちらがいい、悪いとは言えませんけど、親であっても子供であっても
互いの幸せのために、個人の権利意識は大切だと思うし、親子であっても
相手の決断を尊重するというスタンスは守られなければいけないと思います。
家族を思いやるにしても、自分の生活をある程度犠牲にするとしても
限度があるということでしょうか?
そして、核家族化が進んできている日本においても、こういったシステム
がしっかりと確立させることが求められているのではないかと思います。
家族みんなで助けあって最後を看取るという考え方はとてもいいと思いますし、
それがある意味理想なのかもしれませんが、そうじゃない場合だってあるわけで
過去の義両親との確執とかが絡み合っている場合は、そんなきれいごとでは
済まないですよね。
それに、社会に出て働ける能力や収入を確保することができる人が無償の介護に数年、
十数年、あるいは数十年という単位で関わるということが、美徳で片付けられて
いいのかどうか...
楽しんで喜んでやっているなら問題はないですが「辛いけれど、しょうがない」
という場合だってあるでしょうから。
楽しんで喜んでやっていたとしても、仮に有償であっても、年中無休の介護が
大変なのは明らかです。
そして、家族の助けが前提としてある社会で起きがちな、老老介護とか、
孤独死とかが起きないような、社会的弱者に対する行政の介入措置があるので、
より安心して生きられるということになるのかなと思います。
家の近所に奥様を何年か前に亡くしてひとりで住んでいるおじいさんがおりますが
娘たちはもちろん、ひっきりなしに、在宅看護のスタッフ、在宅介護のスタッフ
(ただおしゃべり相手にくる人もいます)が出入りしていまして、庭の手入れ
とかも行政がしてくれているのを拝見しますと、システムとしてよく出来ているなぁ
と思います。
そしてこれらのサービスは基本全て無料。
家族が身内を介護するときに支払われるCarer Allowance(介護者手当)は
アボット首相になって廃止になったといううわさですけど
以前は、家族介護者は政府からお手当てが支給されていたということです。
政府から賃金としてお金を頂いて家族の介護にあたるという選択肢も
あったわけです。
うわーすごいなぁと思うと思いますが、それは払っている税金が高いから
成り立つということでもあります。
日本の在宅介護(看護)のことをあまりよく知らないので、日本にも素晴らしい
システムがあるのかと思いますが、是非、比較してみたいものだなと思います。
これは私個人の一考察なので、間違っているところもあるかと
思いますが、ご勘弁を。
先日の記事でWA(西オーストラリア)の在宅看護(介護)は100年ほど前に
数人のコミュニティー看護師のグループから始まったと説明しました通り
非常に長い歴史があります。
日本も、家族(主に長男&長男の嫁)が両親の面倒をみるという形での
在宅ケアは長い歴史の中でずっと行われてきたことですが、これは家族の
務めとして文化的に発展してきたものかなと思います。
でも、こちらは家族内の援助を最初から前提としていないという点で
在宅介護(看護)といっても考え方が大きく異なるかなと思います。
日本も在宅介護・看護サービスの介入が幅を利かせてきておりますので
次第に変わりつつあって、もしかしたら転換期なのかなという気持ち
もしますけれど、地域によっては、従来の慣習(家族が面倒を見る)が
強いところもあるのかなという気がします。
日本は文化的に慣習として発展してきたもので、なんというか、文化的
拘束力に拠っている部分が大きいですけど、こちらは第三者による介入の
必要が先にあって「社会的システム」あるいは「社会的機能」として発達
してきたという歴史があると思います。
さらにその背景として「独立精神」の強さが関係しているかと思います。
家族の単位がカップルを中心としているというところです。
同居なんて滅多に聞きませんし、嫁だからという理由で義両親の
面倒をみる義務があるなんてこともほとんど聞きません。
実の娘、子供であっても、両親の面倒をみるために仕事を辞めるとか、
聞いたことがありません。
ので、家族の介入を最初から当てにしないので、第三者が介入する
必要があるわけです。
老夫婦も自分たちのことで子供に面倒をかけたくないと思うのが普通だし
子供たちも自分たちの生活&自分の子供たちの世話をまず第一に考える
という感じかなぁと思います。
個人が尊重される社会では、長男であろうが、嫁であろうが、実の娘、
息子であろうが、個人として生きる権利がより大きく保障されていると
思います。かといって、親をないがしろにしているわけではないことは確かです。
さて、こちらパースにも義両親と同居している人はいますが、大抵アジア人です。
わたしの友達にも義両親の介護をしている(していた)人がいます。
部外者が関わるのを嫌がって、同居している嫁に介護の仕事を期待するとか、
そういう人の介護にまつわる大変な話を聞くと「あぁ、日本でよく耳にする、
あるいは取り上げられる問題だなぁ」と思うわけです。
ということで、オーストラリアの在宅介護&看護が個人を更には社会を健全に
維持するためのシステム、機能として成り立ってきたという意味で、学ぶことは
多いかなあと思いますね。
親と子であっても、個人の権利意識が強いんですよね。
日本人は個人の権利なんて言い出すと「わがままだ」とか「勝手だ」とか
「冷たい」とか「家族をないがしろにしていいと思っているのか?」
という感情論でぶった切る的な傾向があるような気がしますけど
健全とは思えません。
それをどう受け止めるかは個人の自由だし、人それぞれなので
どちらがいい、悪いとは言えませんけど、親であっても子供であっても
互いの幸せのために、個人の権利意識は大切だと思うし、親子であっても
相手の決断を尊重するというスタンスは守られなければいけないと思います。
家族を思いやるにしても、自分の生活をある程度犠牲にするとしても
限度があるということでしょうか?
そして、核家族化が進んできている日本においても、こういったシステム
がしっかりと確立させることが求められているのではないかと思います。
家族みんなで助けあって最後を看取るという考え方はとてもいいと思いますし、
それがある意味理想なのかもしれませんが、そうじゃない場合だってあるわけで
過去の義両親との確執とかが絡み合っている場合は、そんなきれいごとでは
済まないですよね。
それに、社会に出て働ける能力や収入を確保することができる人が無償の介護に数年、
十数年、あるいは数十年という単位で関わるということが、美徳で片付けられて
いいのかどうか...
楽しんで喜んでやっているなら問題はないですが「辛いけれど、しょうがない」
という場合だってあるでしょうから。
楽しんで喜んでやっていたとしても、仮に有償であっても、年中無休の介護が
大変なのは明らかです。
そして、家族の助けが前提としてある社会で起きがちな、老老介護とか、
孤独死とかが起きないような、社会的弱者に対する行政の介入措置があるので、
より安心して生きられるということになるのかなと思います。
家の近所に奥様を何年か前に亡くしてひとりで住んでいるおじいさんがおりますが
娘たちはもちろん、ひっきりなしに、在宅看護のスタッフ、在宅介護のスタッフ
(ただおしゃべり相手にくる人もいます)が出入りしていまして、庭の手入れ
とかも行政がしてくれているのを拝見しますと、システムとしてよく出来ているなぁ
と思います。
そしてこれらのサービスは基本全て無料。
家族が身内を介護するときに支払われるCarer Allowance(介護者手当)は
アボット首相になって廃止になったといううわさですけど
以前は、家族介護者は政府からお手当てが支給されていたということです。
政府から賃金としてお金を頂いて家族の介護にあたるという選択肢も
あったわけです。
うわーすごいなぁと思うと思いますが、それは払っている税金が高いから
成り立つということでもあります。
日本の在宅介護(看護)のことをあまりよく知らないので、日本にも素晴らしい
システムがあるのかと思いますが、是非、比較してみたいものだなと思います。