さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

スティンガーにやられた

2012年01月31日 08時55分32秒 | Web log
金曜日から昨日まで、Busselton という場所に友人家族と泊まりがけで行ってきました。
友人所有のホリデーハウス。歩いてビーチにいけるほどのナイスロケーション。

で、毎日海に出かけていたのですが、昨日、最後のひと泳ぎをしていたときに、
ジョナサンが異様な叫び声をあげました。

何かと思ったら

スティンガーに刺されたという。

わたしも刺されたことがありますが、そんなに痛いか???

と思うや、背中をやられた様子でした。

日よけ用のラッシー(伸びてちょっとぶかぶか)を着ていたのですが、
「 あ、スティンガーが、中に入ってラッシーに取り込まれて、体にベターっとはりついたようになったんだな 」と、思いました。

ラッシーを脱げ!と言っても聞こてない様子。狂ったように叫ぶだけ。

走って駆け寄って、ラッシーを脱がせましたが、興奮してどうしようもない様子。

マイクが付き添ってホリデーハウスに戻り、急いで薬局に行きました。

心配でしたが、わたしとベンジャミンと他のメンバーは、泳ぎを続行。

わたしはウェットスーツを着ていたし。

ジョナサンに関しては、刺され方と、刺された場所が決定的に悪かった。

残念でした。

海に恐怖が残らないことだけを祈ります。

日本には「クラゲがでてくるので、お盆すぎには海に入るな。」とか、言い伝えがありますが、
オーストラリアには、そういった言い伝えはないのかなとふと思いました。

スティンガー被害は、時期の問題なのか、それとも場所の問題なのか。Greens Pool では、なんともなかったのに、木曜日に行ったCoogee beach でも、ちょっと刺されたし。
誰かに聞いてみよう。

Denmark 旅行 #5日目 Greens Poolへ行く

2012年01月27日 10時03分42秒 | Web log
そういえば、Wilson Inlet に行った4日目、午後1番に Denmarkの街を流れる川(Denamrk River)で
カヌーをしたのを思い出した。

カナディアンカヌーで、私が前、マイクが後ろ。子供たちが真ん中に乗って、1時間ほど川くだり。

川に集う鳥たちを見たり、景色を眺めたり・・・そういえば、鷺を見かけました。

といっても、観察できる鳥や昆虫がたくさんいたわけでもなく。

川が茶色ににごっているのが特徴で、マイク曰く、川の周辺の植物の落ち葉から「タンニン」が溶け出して
茶色くにごるらしいとのこと。わたしはてっきり藻かなんかで汚れているんだろうと思っていたのですが。

で、5日目は、本屋さんに寄り道して、釣具屋さんに向かった後、Greens Pool へ行ってみました。
夏休みなので、地元の小学生が通う Vacation Swim というプログラムが開催されているとのこと。

人が多くて、Parkingに苦労するかもしれないわ。

とAnne(宿泊先のオーナー)に言われましたが、とにかく行くしかない。

ちょうど、Vac Swimを終えた親子と入れ替わりに駐車スポットも見つけられました。

Greens Pool その名の通り 緑色の海。翡翠色と言ったほうがいいかなぁ。

海の中を覗くと 透き通るような Whiting という魚が群れをなして泳いでいるのを
簡単に見つけられました。

岩場に近づくと、エンジェルフィッシュのような魚とか、Rock Skipper とか、
ひらめのような平ったい魚とか、簡単に見つけられました。

マイクがちょっと探検にでかけ、穴場を見つけたらしく、ジョナサンを連れて
深いところでシュノーケリング。

大きい魚とか、いっぱいいた!とジョナサン喜んでいました。  

わたしは1人で行くのがちょっと怖かったし、ジョナサンとベンジャミンを残して
マイクと2人でというのもちょっと心配だったので、断念。

暑くなったといっても、25度くらいで、風も強く、また頭痛が・・・

大きな岩場の陰に避難して、安全そうな場所でシュノーケリングを続行しましたが
体が冷えて、しびれてきたりしたので、その日はこれで終了。

ベンジャミンが、家族で自分ひとりだけシュノーケルを持っていないということに
気づき、

『 僕も、シュノーケルが欲しい!! 』と言い出しました。

これはいい兆候だ!

で、翌日、再び 釣具屋さんに戻ってシュノーケルを買うことに。

Denmark #5日目 ちょっと脱線 ~『保刈 実』という日本人歴史学者に出会う~

2012年01月26日 09時45分21秒 | Web log
翌日。

釣具屋さんに行く前に、マイクが『お金下ろしてくるからちょっとその辺ぶらぶらしてきて』というので
子供たちを連れて、小さな本屋さんに入りました。

とても素敵な雰囲気。色んな本がありました。オーナーの心意気が感じられるようで
何時間でも居たくなるような本屋さんでした。

そこで、オーストラリアの動植物に関するいい本がないかなぁと思って、物色しているときに
「 MINORU HOKARI 」という文字が目に留まりました。

MINORU という First Nameからして 日本人だよな~と思って、手にしてみると アボリジニーと呼ばれる
オーストラリア先住民の研究についての本のようでした。

こんな田舎で、しかも日本人の書いたアボリジニーに関する本にめぐり合うなんてと思ってちょっとびっくりしました。

表紙には エアーズロック(アボリジニーの聖地)を背景に 何もない赤茶けたオーストラリアの道の上で 保刈実さんが
バイクに跨っている写真

中をちらちらと見てみると、どうもノーザン・テリトリーに居住するアボリジニーのコミュニティーに入り、
長老などに話を聞きながらアボリジニの歴史にアプローチしたという内容のものらしかった。

歴史学者であるにも関わらず、そのアプローチが文化人類学で行われるフィールド・ワークの手法を採用している
というのに興味をそそられました。

わたしは、学生の頃、文化人類学専攻だったので、漁村のフィールドワークを行いましたが、新潟の漁村の人たち
のなまりがひどくて(例;「たこ貝」→タコゲイにしか聞こえなかった。) ????な私でした。

なので、日本人同士でも大変なのに、しかも被差別民族のアボリジニーコミュニティーに入っていった
という事実にまず驚きました。

日本人でアボリジニの研究をするなんて珍しいんじゃないのかなぁ、すごいなぁ、今はどんなご活躍を
なさっているんだろう、まだオーストラリアにいらっしゃるかも?と思いながら、さらさらとページをめくっていくと、
保刈さんが若くして、志なかばで亡くなられたということを知りました。

アボリジニーの歴史に興味をもたれた保刈実という日本人に強く魅かれて、買おうかどうか迷いましたが、
でも、アボリジニーにはあんまり興味がなかったので、買えませんでした。


さて アボリジニーについてご存知ない人もいるかと思うので、余計なお世話ですがWikiから引用してみましょう。

『 西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリア内に生活していた。言語だけでも250、部族数に至っては、700を超えていた。

しかし、1788年よりイギリスによる植民地化によって、初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚はスポーツハンティングとして多くのアボリジニを殺害した。「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に残されている。1803年にはタスマニアへの植民が始まる。入植当時3000~7000人の人口であったが、1830年までには約300にまで減少した。虐殺の手段は、同じくスポーツハンティングや毒殺、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成されたという。数千の集団を離島に置き去りにして餓死させたり、水場に毒を流したりするといったことなども行われた。

また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。捕らえられたアボリジニ達は、ブルーニー島のキャンプに収容され、食糧事情が悪かった事や病気が流行した事から、多くの死者が出た。』


という、ヨーロッパ人入植後の悲しい歴史をもっています。

このような時期を経て、アボリジニーの人口が激減し、1920年ごろから保護策がとられますが、これは隔離政策と
対をなしていたようです。そして、白豪主義によって、アボリジニの弾圧が強まり『白人化教育』が行われ、アボリジニの
子供を親から引き離し徹底的に西欧文化を叩き込もうとする政策が、政府とキリスト教会によって推し進められました。
この事実は映画化もされています。

そのような歴史を背景に、今でもアボリジニーの社会問題、差別問題は色濃く残っています。

そして、

ケビン・ラッド首相は、2008年2月13日の議会で、先住民アボリジニに政府として初めて公式に謝罪した。
同日の議会には約100人の先住民らが傍聴する中で、同首相は「Sorry」の語を3度使い謝罪した。


とあり、つい最近、公の謝罪が行われました。長い時間を経て、謝罪にたどり着いたとはいえ、差別、被差別双方の
意識に深く刻まれたものは消しがたく、問題解決まで、まだまだ長い道のりが続くことと思います。

さて、パースでもアボリジニーの人々をあちらこちらで見かけることができます。

でも、私には、アボリジニーの『友達』がいません。
7年しか住んでいない私にも「アボリジニー」の人々に関する先入観があります。

外で見かけたら、まず彼らを『意識』はしますが、身構える感じです。進んで、話しかけようとはしません。
「 あ、アボリジニーの人だ 」とつぶやく私の心は、彼らに対して冷たく、否定的です。

この前も 実は 車を荒らされまして。大したことなかったのですが。

そのことを近所の人に話したら、「 家もやられた。でも、犯人を突き止めて、主人が追いかけたのよ。
アボリジニーの少年だった。」という話だったり

ベンジャミンの友達のお父さんが 夜道を歩いていたら、アボリジニーに『携帯とお金をよこせ』と言われて
脅されたけど、なんとか巻いたという話を聞いたり。

このように被差別側の起こす社会問題も、実際のところあったりするわけです。


アボリジニーに対する制度上の手厚い保護、優遇政策もあるのですが、それもまた、反感を買う原因に
なっていたりします。

とにかく 色んな問題が絡み合っていて 複雑です。

『かわいそう』なんて安っぽい同情では全く解決にならないことは、私にも分かる。
そして、歴史の中で行われた残虐行為を生み出した人々の相手をリスペクトしない『気持ち』の一端を、
私だって持っている。加えて、一部にみられる反社会的な行動をすべてのアボリジニーの人々に当てはめてしまう、
なんとも短絡的、でも根強い否定的な『意識』をアボリジニーコミュニティーの『外』にいる私たちが、どうやったら
変えられるのか?


社会に現存する、双方の深い『意識の隔絶』の中、保刈さんがアボリジニーのコミュニティーに自ら入っていって
共に生活をし、彼らの話に耳を傾け、それを記したということ。

オーストラリアが抱える アボリジニーコミュニティーの『内』と『外』のギャップを埋めるきっかけを生み出すのは
『理解しよう』、少なくとも事実を『知ろう』とする、小さな、強い意思なのかもしれないなと思いました。

保刈さんを通して文字となったストーリーを、アボリジニーコミュニティーの外にいる私たちに『語られ』たことを
読んでみたい、と今、強く思っています。

ちょっと脱線してしましたが、保刈さんのことを皆さんにお伝えしたかったので。

保刈さん御自身や研究業績等については、「Being Connected with HOKARI MINORU」(http://www.hokariminoru.org)
を是非、是非、ごらんください。

ということで、Denmark 旅行、もうちょっと続きます。

Denmark旅行 #4日目 いよいよ泳ぐ

2012年01月24日 08時00分47秒 | Web log
Albanyから帰ってきて、次の日。

天気が良くなってきたので、いよいよ泳ぐことに。

いやっほーい。

まず、近場のビーチの様子を見に行きまして。


これが、Wilson Inlet(ケイト・ウィンスレットじゃないよ、ウィルソン・インレット 何気に音が似ていると思いまして)

遊んだのは写真とは別の場所なんですが、で、水遊びしている人もいれば、魚釣りをしている人もいたりして、
たのしそー。

ホリデーだ、ホリデー。

念願の、水遊び。

わたしはパラソルの下で、ゆっくり読書という性格ではありませんから。写真なし。

だって、私も水に入るし、そしたらカメラなんてぬれちゃうし。

キレイな入り江でした。

干潮、満潮の関係で、深さや流れが変わって、流れが強いときは、ちょっと怖かったです。

で、ジョナサンとマイクがシュノーケルで流れに乗りながら、水中観察。
わたしはベンジャミンと置き去りかよ!

で、ひとしきり遊んだ後、夜再び入り江に戻ってくる。

ジョナサンとマイク、手釣りに挑戦。

成果なし。餌もしょぼかったしね。

で、ジョナサンが 釣り竿が欲しいという。そしてマイクは『 釣竿で釣るならちゃんとしたBaitもないとだめだよな。』ということで、街の釣りグッズショップにお出かけ。

わたしも是非、マイ・シュノーケルを買わなければ。

ということで、翌日、買いものにでかけた私たちでした。

そこで偶然、不思議な出会いがありました。

Denmark 旅行 #3日目 続き では、写真をご覧いただきます。

2012年01月23日 13時07分13秒 | Web log
このところ腰痛がひどくて、更新できませんでした。
腰痛再発。寝込むまでは行きませんでしたが、体を動かさないとだめだなぁと痛感。
昨日、水泳に行って多少回復。でも、ベルトで固定しています。ふぅ。

さて、

The Gap と Natural bridge については、写真をお見せしたほうが手っ取り早いかな
と思いまして。数年ぶりに写真をアップすることに。

ジャジャ~ん


これが、ナチュラル・ブリッジ


これが、ギャップ(南極大陸とかつて繋がっていたことを示す地質らしい)


これが、Blowhole (潮が吹き上げる)海岸の岩の割れ目)付近にある面白い模様。
溶岩が流れて固まったのを示しているようです。潮が吹き上がる迫力はあまりなかったけれど、音がものすごくて
びびりました。音の様子をお伝えできなくて残念。

ということで、とっても興味深い場所でした。

この辺りは、何も知らなければ、断崖絶壁でしかありませんが、

ここが、昔、南極とくっついていたんだ。
6億年前に誕生した ゴンドワナ大陸の名残! 3億年前にここが、南極から離れた!

という事実を知ると感動も最強になります。

6億年前なんて、想像できません。気が遠くなりますよ。

そういえば、ですが

地球は、温暖化、氷河期などを過去に何度も繰り返してきたわけですが、今、叫ばれている温暖化って
地球のサイクルの一部なんじゃないのかなぁなんて、ふと思ったりします。
そりゃ、現代の生活様式がサイクルの加速化に全く加担してないとはいえませんが。

でも、仮にアーミッシュのような生活を今の世界が実践したとしても、
温暖化するときは、しちゃうんだ。不可抗力。

だから 省エネとかスローライフな生き方なんて意味ないよとは言いませんけど。

左右の振れ、アップダウンを繰り返しつつ、なんとかバランスを保つように生きている。

人間もそして地球も。

変化しつつ、抗いつつ、それでも生きていくんですね。

たくましいよ。

Denmark旅行 #3日目 Albanyへ行く

2012年01月19日 09時16分41秒 | Web log
3日目。まだ天気がよろしくない。

ので、車で一時間ほど離れたAlbanyへ行くことに。

Albanyは1826年に西オーストラリアで一番最初にイギリス軍が駐屯した街。
パースよりも歴史が古い。

西オーストラリアでは6番目に大きい街、といっても人口は25000人。

こじんまりしつつも、ショッピングセンターへ行くと、パースでもみられる量販店が一通りあって
一応なんでもそろっているので、便利な街だと思う。

Denmarkあたりからも、週末には買い物に来る人たちも多いに違いない。

で、私たちもちょっとした買い物と観光で行きました。

景観についてですが、パースは、スワンリバーに堆積した土(砂?)でできている平野だけれど、アルバニーは違う。
街の中心に小高い山があったり、山すそが海岸まで迫っている感じ。

ゴツゴツ感があります。景観に起伏があって私は好きです。

で、最初の駐屯部隊(総勢60人 船長、兵士、外科医、服役囚を含む)が、軍艦アミティに乗ってシドニーからやってきた
らしいです。航路を考えれば、アルバニーが西の玄関口だったんだろうというのは想像できます。

で、その軍艦アミティのレプリカが入り江に展示されているので見学してみました。

軍艦といっても、木製の帆船でそりゃもう小さい。60人プラス食料等々をぎっしぎっしに詰め込んで来たのでしょう。

閉所恐怖症の人は絶対にだめですね。位の高い船長や外科医の寝るスペースだって、人が1人ぎりぎり眠るスペースと
荷物を置くスペースがあるのみ。ただ、個室だというのが大きな違いでしょうかね。

マイクは「この下が深い海かと思うと、僕は無理。何かあったらお終いじゃない。」と言ってました。

きっと海岸に沿って、平行して航海してきたんじゃないの?と思うし、距離の程度こそあれ、陸地を遠くに見ながら
の航海だったのじゃないかと思うので、ヨーロッパあたりからはるばる来るよりは恐怖心は少なかったんじゃないかと
思います。

で、わたしが面白いなと思ったのは、舵のメカニズム。ロープと木製の滑車を使って、よく調整できるように
出来ていること。

あと帆の調整。絡み合うんじゃないかと思われる多数のロープを使い、風力をロープの長さを調整することで
調整して進むというのはとてもシンプルな原理ですが、それもまた感動。

始めてじっくりみたので、それはそれは面白かったし、感動しました。(言葉では説明しにくいですけれども)

あと、アルバニーで有名なのはかつての捕鯨ステーション。1972年まで捕鯨していたらしいです。

今は、Whale World という観光スポットになって、むかしどのように捕鯨していたかとか、鯨の加工の仕方とか
鯨の生態が説明、展示されている場所らしいです。が、閉館が近かったのと、入場料が高かったので諦めました。
またの機会ということで。

次に、The Gap, Natural Bridge, Blowhole と自然の観光スポットを見ました。

その部分については、また明日。

Denmark 旅行 #2日目

2012年01月18日 10時31分28秒 | Web log
私の当初の予定は、観光は最小限にとどめて、ひたすらビーチで

泳ぐ、休む、食べる、泳ぐ(遊ぶ)、休む、食べる、読む

という感じにしようと思っていたのですが

初日はさておき、2日目(日曜日)、3日目は結構寒くて、泳ぐという感じではなかった。

まるでパースの冬。雨なんぞパラパラと降ったりして。

ということで、とりあえず天気が回復するまで、観光しようということに。

で、まずは Valley of Giant trees という Walpole という街に近い キャノピーウォークに挑戦。

最初は、地上で色んな形の木を鑑賞し、それから高い木に渡されている吊橋を歩くというものです。

結構高い所に位置されているので、高みからの眺めを満喫できます。

この辺は、Red Tingleという木の森らしいです。

西オーストラリアは、乾燥が強い地域で 毎年、あちこちでブッシュファイヤーの被害を受けます。

ガイドさんの引導で、Base(土台)を共有した2本の木を見ました。

説明によると、ブッシュファイヤーで木の幹が焼けても、違うところから新しい芽がでてきて

命を継ぎ続けるとのこと。

植林をしなくても、自然の営みによって、新しい命が生まれ続けるということなんでしょうか。

西オーストラリア州では、なんとかブッシュファイヤーの被害を最小限に抑えるために、規制を設けたり、

拡大を防ぐためにわざと一定地域の木々を焼いてしまうとか、いろんなことを行っていますが、避けられません。

それでも、ブッシュファイヤーに負けないたくましい木がそこにあるということも、長い歴史の中で自然淘汰された
結果なんでしょうか。

森の中を歩くので、野生動物を見れるかな?と思いましたが、全く観察できず。

で、次の水曜日の夜にナイトウォークに参加することにしました。

Valley of The Giant trees を後にして、次に向かったところが 恐竜ワールドというしょぼい場所。

Denmark周辺で発掘された恐竜の化石の展示でもしているのか?と思ってわくわくしていったら

なんと全く関係のない、恐竜の化石のレプリカが展示されているだけだった。

がっくり。

Denmark 旅行 #初日続き~カエルたちの夜~

2012年01月17日 10時30分48秒 | Web log
初日の夕食。街中のレストランにでも行こうかと思ったら、宿のオーナーが

「参加したマーケットで売ったソーセージとスープが残っているから、どうですか?」

と声をかけてくださって、それを食することに。

オーナーはドイツ人夫婦。もちろんソーセージもドイツのソーセージ。

わたしたちは、感謝してそれを頂くことに。

実は、途中休憩をしたウィリアムズのガソリンスタンドで、ソーセージを食べた私。

それが、豚ではなく、牛であったのです。それはそれはがっかりでした。

日本で牛肉のソーセージってありますかね? わたしはソーセージといえば、豚肉と思っているので、
期待を裏切られたときの落胆は「え?????」って感じです。

ここは、牛肉王国ですから。主流は牛肉、鶏は胸肉。そして羊肉。
豚は白人の食文化に深く組み込まれていないと思います。アジア人は豚をよく食べますがね。

で、パンと豚ソーセージと豆のスープ。

もう、十分!!です。

でもって、もう・・・おいしい。ソーセージ、おいしい!表面カリッ、そして中はジューシー。

幼いとき偏食傾向の高かったジョナサンも、私の長年に及ぶ努力のおかげ(?)で、最近は
食にこだわりを見せ始めているのですが、私としては喜ばしい限り。

で、ソーセージを食べまして 「 おいしい!!!! ドイツに一年くらい住んでもいいな 」

と、コメント。

それでこそ、わが息子。食は、ただ胃を満たすためのものではない、生活の楽しみの一つなのだ。
それで人生がちょっとは楽しくなるというものだ。(ここだけは、イギリス流に染まって欲しくない)

そして、シャワーを浴びて ベットに横になると

「ブルン、ブルン、ブルン」

モーターバイクのエンジンをふかす音。

「おー!!!モーターバイク フロッグ! うるさいって文句言う人もいるらしいけど、あぁ、虫(カエルは虫では
ありませんが)の鳴き声を風流と感じられる日本人に生まれてほんとに良かったよ」と、心で思う。

バンジョーフロッグの鳴き声も聞こえます。

バンジョーフロッグは、バンジョーの弦を一本爪弾いたような、単発な音です。

面白いですねぇ。

感動しながら、疲れを解き放つように、深い眠りへと落ちていきました。

で、翌朝。

カエルについて色々話していたら、ジョナサンが中々の知識を持っているので、びっくりしたら
「Piney Lakes Environment Centre  でカエルについて、勉強した」

という。そして、モーターバイク・フロッグも Piney Lakes に生息しているという。
マイクに言ったら「そうだよ」と言う。

なにっ?????

モーターバイクフロッグを楽しみに、宿を予約して来たのだけれど、車で5分のすぐ近くに
生息するって? 知らなかったのは、私だけ・・・

ちょっとばかし、ショックでした。

Denmark 旅行 #初日

2012年01月16日 08時55分39秒 | Web log
初日。マイクが出張から帰ってきたのが、前日。
疲れているだろうに、朝からせっせと出発の準備。

ご苦労様です。

わたしもわたしで準備とか掃除とかして、出発したのはお昼過ぎ。

で、車に乗り込んでビックリ。
マイクが準備したガジェットの数々。タブレットにGPSのAppsをダウンロードし、それで旅程を確認するらしい。プラス、登山用のGPS。タブレットのGPSのAppsと比較し、どちらの精度が高いかをみたいらしい。それからモバイル用インターネットアクセス装置。後ろには2台のDVDプレーヤー。
それらのガジェットを充電する充電器。

まるでスパイの改造車のようだ。
その執念にあ然。さすが理系のエンジニア。
こだわりどころがかなり違います。

わたしなら、地図と時計さえあればいいのだが。

さて、Denmarkまで 500キロ以上の距離。
トイレ休憩とか考えても、一体どれだけの時間がかかるのか。

ま、とにかく行くしかないです。

アーマデールを抜け、次の休憩地はウィリアム。ウィリアムまでおよそ100キロ。

サバーブを抜けると、景色に変化はほとんどありません。

赤茶けた土と、暑さで半分枯れた草、家畜動物(牛、羊、馬)が見えるくらいで、退屈な景色が
半端じゃなく延々と続く。

広大な大地は放牧地として利用されていて、時々、家が見えるけれど、まさに野中の一軒家。

人間との関わりを放棄して生きている環境です。
水と食料さえ確保できるなら。

こういう広大な土地に乗り込んで開拓して生きてきた人々の独立心とか、フロンティアスピリット、
そして集落には必ず教会がありますからねぇ、すごいなぁと思います。

ウィリアムで休憩したあとは、残りの距離をただひたすら走り抜けました。
渋滞なんてもちろんありませんし。子供達もdvdを見てるのでさほど退屈そうでもないし。

走って走って走って、ついに現地到着。

6時半を回っておりました。

Denmarkは 人口5700人のとっても小さな街。グリーンズプールというビーチと、
エレファントロックで有名です。南に位置しているので、パースに比べると緑も多く、
自然が豊かです。

一週間お世話になる滞在先も木々に囲まれています。目玉はカエル。

貯水池に数種類のカエルが生息しているらしく、モーターバイク フロッグ の鳴き声を聞くことができるとか。バイクのエンジンを吹かすような鳴き声だそうで、わたしはそれを聞きたくて予約しました。

さて、一週間どれだけ楽しめるかな。





Home Sweet Home

2012年01月14日 22時22分28秒 | Web log
Denmarkから帰ってきました。

楽しい一週間で、色んな発見もありました。
デンマーク付近には、面白い地質があって

素人の私がみても、

これって、流れた溶岩が固まった跡だよなぁとか
違うタイプの岩が突出しているなぁとか
ある地域の岩が 南極大陸と相似性があり、それははるか昔、世界は大きな一つの
大陸(ゴンドワナ大陸)ことを示しているという興味深い事実を知ったりして

世界がどの様に形成されたかということに、思いを馳せずにはいられませんでした。

自然は驚異に満ちていますね

ぼちぼちと旅行記をアップしたいと思います。

署名

<script src="http://www.shomei.tv/project/blog_parts.php?pid=1655&amp;encoding=euc"></script>