さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

ありがとう、はなちゃん

2019年11月30日 10時45分42秒 | Web log
11月17日 はなちゃんは 全ての痛みから解放されて お空へと旅立ちました。

2016年の8月、はなちゃんが我が家へやってきました。

はなちゃんは、その年の4月に山で彷徨っているところを捕獲されました。しばらく保健所にいましたが、残念ながら飼い主さんからの連絡もなく、
殺処分対象となっていたとき、愛護センターの班長さんが、はなちゃんを生かしたい一心でご自身の判断で引き出し、とある動物愛護団体へ引き取られました。
その後もなかなか里親がみつからなくて、預かりさんのところを点々として、やっと我が家にたどり着いたのでした。

命のバトンが次へ、次へと受け継がれて。

家へきたときは、標準体重よりもちょっと少なくて、食欲もあまりなく、階段も登れませんでした。なぜか下痢を繰り返し(精神的なものだったのかと思います)、
大丈夫なんだろうか、と思いながら、必死にお世話をしました。

わたしたちの顔色を窺って、何も要求もしなくて、とても大人しかったはなちゃん。
もっと甘えてもいいのに、もっとわがまま言ってもいいのに...と思っていました。
しばらくは落ち着かなくて、マイクが傍に寝ていたときもありました。

だんだん家にも慣れてきて、元気になって、何時間も歩けるようになって。
近所の人にも「顔つきが変わったね」と言われて。

少しづつ心を開いてくれるようになって、家の中でも自由にあちこち動きまわるようになって、足腰も強くなって階段も登れるようになって、昼間は
わたしのベットでお昼寝したり、夜は、ベンジャミンやジョナサンのベットで一緒に寝るようになって。

何よりも散歩が大好き、お外が大好きな、はなちゃんだったから、家族みんなで、何度も何度もお外へ連れ出した。
外へ行くと、近所の人がよく声をかけてくれました。本当にみんなに可愛がってもらったね。

わたしたちの生活は、はなちゃん中心へと変わっていった。はなちゃんは、我が家のお姫様でした。

お家でちょっとでもお留守番になると、わたしが帰ってくるまで鳴いてたね。

本当は寂しがりやで、甘えん坊さんだったんだよね。

山で、ひとりぼっちで、どんな思いで彷徨っていたんだろうと思うと胸が痛むよ......

はなちゃん、はなちゃん。

応えてくれるはなちゃんはいないけど、何度も呼んじゃうよ。

はなちゃん.....本当にありがとう。

もう一度、抱きしめたいよ。

2019年 秋

2019年11月13日 18時46分38秒 | Web log
ひさしぶりにブログを更新です。

前回のブログが春だったから、夏すっとばして、秋ももうそろそろ終わりを迎えようとしている今。

前回の記事から..... あぁ、本当にいろんなことがありました。

まずは、引っ越し。

母と同居することを前提に、少し大きめのお家へお引越し。

オーストラリアにいたときと同じ、とにかくできる限り自分たちでやるということで、
荷物をまとめては、何度も何度も古いお家と新しい家を行ったり来たり。
しばらく、腕が痛かったけど。力仕事はまかしとけ。

それから....はなちゃん

まぶたにものもらいのような出来物ができたので、病院へ。
はなちゃんも若くないし、全身麻酔の負担を考えると手術するのもどうかと思っていたのですが、
しないと取れないし、はなちゃんの腎臓に負担のないように輸液等を調整しますから、大丈夫と言われ、決意。

ところがそのとき...乳腺にしこりが見つかった。
病理検査の結果は悪性。しかも、たちの悪いもの。手術しないと余命一ヶ月とまで言われ、目の出来物と一緒に摘出することに。

開腹をしたら、思いのほか中で広がっていたことがわかり、獣医さんは「目で確認できる腫瘍はできる限り摘出しましたが
目に見えない癌細胞がすでに周辺の組織に転移している可能性はあります」と言っていました。

術後、病院へはなちゃんを迎えに行ったときの姿をみたときは、ショックでした。褥瘡もできていたし、術後二日間、何も食べていないと。
無理しても早くお迎えに行けばよかった....。

でも、頑張り屋のはなちゃんは、退院して3日後くらいから、自分で歩こうとし、介護サポートベルトを使いながら、
後ろ足を支えて外に出すと、日に日に元気になりました。

ご近所の皆さんからも、元気になったねぇと沢山声をかけてもらい、目の出来物もきれいになって、以前のべっぴんで
お散歩の大好きな、はなちゃんへと復活。

以前のように、一日に何度も外へ連れ出して、あちこち一緒に歩きました。そして、はなちゃんを通して、あっという間に、より多くのご近所さんと
知り合いになることができました。

手術からちょうど二か月くらいたった9月の半ば。

年のせいでしょうか?後ろ足がだんだん弱くなってきたたはなちゃんのお腹を支えて立たせると、手術の縫合の痕もすっかりきれいになったはずの下腹部が
ボコボコ盛り上がっているのに気が付きました。そして、その一部が小さく潰瘍になってます。

もしかして....と思い、すぐに獣医さんに診てもらうと、再発と言われました。
悪性度の高い癌だとは言われていたので、覚悟はしていたものの。

こんなに早くその時が訪れるとは.....

本人は、それでもいつものようにご飯をたべ、散歩に行き、普段通りの生活を送っていましたが、10月に入ってからは次第に散歩の距離が短くなり、
足が浮腫みで腫れあがり、後ろ足を引きずるようになり、爪が擦れて出血しはじめ、ちょっとした坂を上るのを嫌がり、階段で躓いたり、
道路で倒れこんだりと、はなちゃんが少しづつ弱っていきました。

10月の半ばくらいからは、サポートなしでは歩くこともままならなくなり、歩けなくなる日を想定して、少しでも元気なうちに車いすを準備。

介護用サポートベルトもだめになり、いよいよ車いすデビュー。車いすに乗せると、何もせずにいたときよりは、少し長く散歩できるように。

11月にやっと主人が出張から帰ってきて、しばらくすると食が細くなってきて、寝ている時間がだんだん長くなってきました。

腫瘍が原因でただれて血がにじみ出ている下腹部と太もももだんだん酷くなってきている。毎朝、毎晩、手当をしてもどうにもならない。

そして、急に下痢が始まりました。原因は分かりません。

下痢に苦しむはなちゃんを病院へ連れて行って、痛み止めと下痢止め、輸液をいれてもらい、帰宅するも。

その後は、食事も水も嫌がるようになり。なんとか、口にできるものを見つけては、シリンジで流し込む状態。

今は、そんな毎日です。

誰かが傍にいないと、ヒーン、ヒーンと切ない声で泣き続け、ただれた部分の処置をすると、痛みに苦しみ悶えるはなちゃんをみるのが
つらくてたまらない。何度、泣いたかわからない。

20㎏の大きいはなちゃんの介護も体には堪える。

自分がいつもおしっこしていたところまでいかないとおしっこをしてくれないので、おむつをつけて、外へ出す。
はなちゃんを車いすに乗せ、玄関先の階段を抱えながら、日に何度も上り下りするので、体中の筋肉がバキバキになる。

主人もわたしも、寝不足。特に主人が夜の介護を率先してやってくれるので、慢性的に寝不足状態。

それでも、はなちゃんをみていると、愛しくてしょうがない。
























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