オーストラリアで見られるNHKのお昼のニュースを見ていたら、旱魃に悩むマラウィのことがとりあげられていた。
旱魃が続き、主食のとうもろこしは全国民が必要とする量の40%しか生産できない状態で、市場からもどんどん姿を消していっている、仮に市場に出るものがあっても値段が高騰し、貧しい人には全く手がだせない状態だという・・・
子供は、栄養を十分に取れないために、感染症にかかりやすい状態になり、どんどん命を失っている。
乳飲み子は、病院に運ばれても栄養を取る力もなく死んでいく。
加えて、エイズが蔓延し、若い人が子供を残して死んで行き、労働力が全く確保できず、子供が学校を止め、労働力となって家計を支えているけれども、十分な食事をしていないために、畑を耕すにも時間がかかるし、働けば働くほどお腹がすく。現状は1日1食食べられるかどうかだという。
インタビューを受けていたのは、45歳くらいのおばあちゃんが15人の孫の面倒を一人で見ているといった家族。孫の親(おばあちゃんの子供とその配偶者)は全員エイズで死に、おばあちゃんのお姉さんにあたる人もエイズで死んだために、自分の孫とお姉さんの孫の面倒を一人で見ているといこと。で、おばあちゃん本人もエイズ感染者。自分が死んだら残された子供たちがどうなるのか、それだけが気がかりという。
そんなニュースを見ているだけで、涙がでてきた。同情の涙というよりも、怒りの涙に近い。
基本的にわたしは単純なので、以前は「かわいそぉぉぉ」って泣いてましたけれど、今はちょっと違いますよ。
で、なぜ『怒り』なのか・・・と言いますと。
アフリカで働いていたことのあるだんなは、かつてこういったことがある。
「残念だけれども、アフリカはきっと何年たってもかわらないじゃないかと思う・・・」
はびこる部族意識からくる内紛、内戦。
あまり先のことを考えず、とりあえず必要な分だけの食物があれば、生産性を高めるとかそういうことはあまり考えない国民性。
支配者階級の富の独占。
教育の普及率の低さ。
などの問題が山積している・・・
だんなは「確かに、植民地時代にヨーロッパ諸国がアフリカに大きな傷を残したかもしれないけれども、インフラの普及、学校、病院の建設などいろいろいいこともしてきた。」
「アフリカを分断し、支配してきたヨーロッパ諸国に責任がないとはいえないけれども、自分たちで国を良くして行こうと努力もしないで、援助ばかり待っていては何も解決にならないし、援助だって果たしてどれだけ国民全体にいきわたっているかどうかわからない」
という。
聞きかじりの知識しかないので、わたしがわたしの意見として軽はずみな批判はしてはいけないと思うけれども、ダイヤモンド、金、石油などの天然資源が豊富なはずなのに、なぜいつまでも貧しさに甘んじてなければならないのか・・・
確か、石油産出量世界2位のアンゴラの大統領は、アンゴラにはおらず、ブラジルで暮らしていると聞いた。石油を売って得たお金は一体どこに???国民はそれをなんとも思わないの?
自立するには確かに助けが必要だとは、本当に思う。しかし、支配者階級が自分の国と国民に責任をもち、国民自身も国をなんとかしようと思わない限り、何もかわらないような気がする。
「国」なんていうとね、大げさですね。たとえば自分がオーストラリアや、日本を変えられるなんて、私自身考えられませんけど・・・少なくとも自分の家族だけは、なんとしても守りたい、幸せにしたいって思うところから、始まるのかと思うのですけれど。
偉ぶってすみません。
でも、なんでここまで熱く語ってしまうかっていうと・・
無力な子供がただ、空腹と病で命を落としていくという現実。見るに忍びなかったんです。
でも、親はきっとこういうんでしょうねぇ・・「わたしはどうすることもできないんだもの・・・」(現実問題、確かにそうかもしれませんが・・・)
だんな再び「アフリカじゃ、命の価値が軽すぎるんだ・・・・」
あぁ・・・絶句。
それに比べて家の子供は・・・チョコとか大好きなお菓子とか際限なしで「ちょうだい!ちょうだい!」だし・・・まずいものは食べないし(わたしもです、すみません)
反省です。
自分で選んでこの状況に生まれてきたわけじゃないことを思えば、ぶつぶつ文句を言う前に、自分が今の自分であること、こうして比較的恵まれた国に生活していることなどなど、感謝しないといけないなぁなんて、道徳の教科書的な結論に至るのでありました。
旱魃が続き、主食のとうもろこしは全国民が必要とする量の40%しか生産できない状態で、市場からもどんどん姿を消していっている、仮に市場に出るものがあっても値段が高騰し、貧しい人には全く手がだせない状態だという・・・
子供は、栄養を十分に取れないために、感染症にかかりやすい状態になり、どんどん命を失っている。
乳飲み子は、病院に運ばれても栄養を取る力もなく死んでいく。
加えて、エイズが蔓延し、若い人が子供を残して死んで行き、労働力が全く確保できず、子供が学校を止め、労働力となって家計を支えているけれども、十分な食事をしていないために、畑を耕すにも時間がかかるし、働けば働くほどお腹がすく。現状は1日1食食べられるかどうかだという。
インタビューを受けていたのは、45歳くらいのおばあちゃんが15人の孫の面倒を一人で見ているといった家族。孫の親(おばあちゃんの子供とその配偶者)は全員エイズで死に、おばあちゃんのお姉さんにあたる人もエイズで死んだために、自分の孫とお姉さんの孫の面倒を一人で見ているといこと。で、おばあちゃん本人もエイズ感染者。自分が死んだら残された子供たちがどうなるのか、それだけが気がかりという。
そんなニュースを見ているだけで、涙がでてきた。同情の涙というよりも、怒りの涙に近い。
基本的にわたしは単純なので、以前は「かわいそぉぉぉ」って泣いてましたけれど、今はちょっと違いますよ。
で、なぜ『怒り』なのか・・・と言いますと。
アフリカで働いていたことのあるだんなは、かつてこういったことがある。
「残念だけれども、アフリカはきっと何年たってもかわらないじゃないかと思う・・・」
はびこる部族意識からくる内紛、内戦。
あまり先のことを考えず、とりあえず必要な分だけの食物があれば、生産性を高めるとかそういうことはあまり考えない国民性。
支配者階級の富の独占。
教育の普及率の低さ。
などの問題が山積している・・・
だんなは「確かに、植民地時代にヨーロッパ諸国がアフリカに大きな傷を残したかもしれないけれども、インフラの普及、学校、病院の建設などいろいろいいこともしてきた。」
「アフリカを分断し、支配してきたヨーロッパ諸国に責任がないとはいえないけれども、自分たちで国を良くして行こうと努力もしないで、援助ばかり待っていては何も解決にならないし、援助だって果たしてどれだけ国民全体にいきわたっているかどうかわからない」
という。
聞きかじりの知識しかないので、わたしがわたしの意見として軽はずみな批判はしてはいけないと思うけれども、ダイヤモンド、金、石油などの天然資源が豊富なはずなのに、なぜいつまでも貧しさに甘んじてなければならないのか・・・
確か、石油産出量世界2位のアンゴラの大統領は、アンゴラにはおらず、ブラジルで暮らしていると聞いた。石油を売って得たお金は一体どこに???国民はそれをなんとも思わないの?
自立するには確かに助けが必要だとは、本当に思う。しかし、支配者階級が自分の国と国民に責任をもち、国民自身も国をなんとかしようと思わない限り、何もかわらないような気がする。
「国」なんていうとね、大げさですね。たとえば自分がオーストラリアや、日本を変えられるなんて、私自身考えられませんけど・・・少なくとも自分の家族だけは、なんとしても守りたい、幸せにしたいって思うところから、始まるのかと思うのですけれど。
偉ぶってすみません。
でも、なんでここまで熱く語ってしまうかっていうと・・
無力な子供がただ、空腹と病で命を落としていくという現実。見るに忍びなかったんです。
でも、親はきっとこういうんでしょうねぇ・・「わたしはどうすることもできないんだもの・・・」(現実問題、確かにそうかもしれませんが・・・)
だんな再び「アフリカじゃ、命の価値が軽すぎるんだ・・・・」
あぁ・・・絶句。
それに比べて家の子供は・・・チョコとか大好きなお菓子とか際限なしで「ちょうだい!ちょうだい!」だし・・・まずいものは食べないし(わたしもです、すみません)
反省です。
自分で選んでこの状況に生まれてきたわけじゃないことを思えば、ぶつぶつ文句を言う前に、自分が今の自分であること、こうして比較的恵まれた国に生活していることなどなど、感謝しないといけないなぁなんて、道徳の教科書的な結論に至るのでありました。