さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

新学期あれこれ

2018年05月08日 11時02分16秒 | Web log
久しぶりの更新になりました。

今年に入ってから、なんだか色々と忙しかったです。

2月には2年ぶりにオーストラリアを訪れ、久々のパースを満喫し、
それから、母の体調がすぐれず、実家と現在の居住地を行ったり来たり。
4月には長男が日本の高校に入学し(ほとんど留学生扱い)、ただ今日本語特訓中。

年度末&年度始めの色々が落ち着いたかと思いきや、次男が自転車で登校中に
転倒事故を起こし、頬骨を骨折し、肋骨にひびがはいるという怪我をしました。

見た感じでは外傷およぼ打撲程度と思われたのですが、頭部を強打したということだったので、
念のために救急車で病院へと運ばれ、レントゲンをとったところ、骨折が判明したのですが、
ひさびさに救急車に乗りました。

乗り心地はあまり良くないですね。

これで、長男、わたし、そして次男、と救急車を体験したことになります。

それはさておき、

長男は、インターナショナルスクールから、日本の高校へ進学。
日本語環境の真っ只中。ただでさえ難しい年頃なのに、本当によく決断しました。

何も言いませんが、きっと大変ですよね。

それでもなんとか通っているから、偉いもんです。

10年以上住んだオーストラリアから、親の都合で突然、日本へと戻ってきたわけですが、
戸籍上日本人とはいえ、本人はオーストラリア人と思っているわけで、オーストラリアに
戻りたいと何度も思ったことでしょう。

が、これを自分の運命と引き受け、腹をくくって、日本での生活に適応しようとしている姿をみて
本当にありがたいなと思います。

もちろん、あれこれと文句を言うときもありますけれど...

高校の先生たちも色々と助けて下さり、息子のことを思って対応してくださるので、
大変ありがたく思います。

次に次男。

次男が転倒したときは、通りすがりの人が2人、日本語の分からない次男を介抱し
救急車を呼び、学校に連絡してくださいました。

私は現場にいなかったわけですが、対応してくださった学校の事務の人によると
「お二人とも御礼も何も要らないとのことで、詳しい住所は聞けなかった」とのこと。
そこをなんとか、お二人の苗字(SさんとIさん)と住んでいる町内名はなんとか聞くことができた
ということで、そのわずかの情報を頼りに、一応御礼を兼ねてのご挨拶をしなければ....と、
ゴールデンウィーク中にSさんとIさんを探しました。

気分はまるで、探偵ナイトスクープ。

バス停のすぐ裏ですと言っていたということだったので、バス停のすぐ裏のSさんの家を
尋ねると、違うとのこと。

それから、Sという苗字のお家を片っ端から訪問。全て違うとのこと。

そのとき、これは結構な時間がかかるだろうということが分かり、作戦を練り直し
紆余曲折を経て、ようやくお二人にたどり着きました。

途中で何度もあきらめようと思いましたが、皆さんが非常に好意的に対応してくださったので
甘えた気持ちをかなぐり捨てて頑張りました!

あちこち歩きまわり、やっと本人にお会いできたときは、本当にうれしかったです。

わけのわからない人の急な来訪にもかかわらず、皆さん話に耳を傾けてくださって、
「うちは違うけど、あそこにもIさんっているわよ」とか、「この町内じゃなく、隣の町内に
Iさんがいるわよ」とか、「もし探してもダメだったら、町内会の掲示板にあなたの気持ちと御礼を
書いたものを貼れるように口をきいてあげるから、もどってきなさい」とか、アドバイスをくださったり。

深く、人の人情に触れた出来事でありました。

最終的に難関のSさんを探し当てたときに、一番最初に伺い、事情を聞いて「掲示板に手紙を掲示できる
ように町内会長に口をきいてくれる」と言ってくださったSさんのところに報告と御礼に戻ったら、
「よかったですねぇ~、ありがとうございます!ありがとうございます!」って

ありがとうはこちらのセリフよ。

色々あった日々でしたが、人情が心にしみたゴールデンウィークの一コマでした。



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