さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

パッフェルベルの呪い

2010年03月30日 09時39分07秒 | Web log
社会派ネタが続いたので、お気楽ネタで一休み。

私、これでも・・・ちょっとだけですが・・・ピアノが弾けます。
簡単な曲なら、ですけど。

で、気が向いたら弾きます。


気が向いたらです。めったにないことです。


ファビアンがいたときに、みんなで「となりのトトロ」を観たんですが、
トトロの中で使われている曲「風のとおり道」を急に弾きたくなって、
楽譜も持っているので弾いてみました。

九石譲の曲って、似たような感じの曲が多いような気がするんですけれど
(失礼なコメントよね)でも、好きです。

で、続いて、千と千尋の神隠しの中で使われている「いつも何度でも」
でしたっけ?(これは木村弓の曲ですけど)を弾いて、ふと思った。

「ずっと思っていたけれど、これ、どっかで聞いたことあるような・・・・コード進行」

「バロック音楽の・・・・・・」












「パッフェルベルのカノンじゃないか!!!(そしてマイクを呼ぶ)」

「マイクっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!」

「これって、パッフェルベルのカノンと同じコード進行だと思わない??」

「ん・・・・そう?」

「そうだと思うよ」

近くのパソコンでYOUTUBEを検索し、パッフェルベルのカノンを一緒に聴いてみる。

「あぁ、そうだねぇ。」

「そうだと思ったんだよ。この曲を弾くたびに、このコード進行、どっかで
聞いたことあるなぁってずっと思っていたんだよね。」

そして、マイクが「これちょっと観てみて!」といって、ある映像を
YOUTUBEから検索してきた。

タイトルは「Pachelbel Rant」

これ、コメディなんですけれど、実に面白い。

英語の分かる人、そして洋楽好きなあなた! 是非観てみて。

洋楽が好きでないとちょっと分かりにくいかもしれないです。

内容は・・・ここで明かすべきですかね?

簡単に話すと、パッフェルベルのカノンのコード進行は実に多くの
ロックミュージックに長い間使われてきた。

曲を作った人が真似したかどうかは、わかりませんけど。

「えぇぇぇぇ!!! これも? えっ それも?」

驚きますよ。で、彼の話がまた面白い。

『パッフェルベルのカノンは永遠に不滅です!』って感じです。

ちなみに英語では パッフェルベルを 

「パッカ(ル・・ほとんど聞こえない)ベル」

と言います。

命は平等に尊いのか?とりあえず、完

2010年03月29日 10時48分10秒 | Web log
フランスについて、色々調べました!

でも、長くなりそうなので、最初のネタを閉めてから
その話題に移りたいと思います。

(期待させといて、落とす・・申し訳ございません)

さて、つい最近までのアメリカのように、国民(社会)健康保険が全くないような
状態になった場合、言うまでもなく社会的弱者が一番苦しい立場に立たされると
思います。

結果的に医療格差が増大し、貧しいものの命は価値がなく、お金持ちの
命は価値があるというふうに、結果的に所得によって命の重さが量られるように
なるんではないでしょうかねぇ。

そういったシステムの基本理念は、こうです。

「自分のことは、自分で面倒みな!!面倒見きれないんだったら・・・仕方ないね!」

それでもいいと言い切れるほど、強い人間っているのかな・・・
いるかもしれませんね。人それぞれだから。

で、ここオーストラリアでは、たとえ癌になっても、
『病院は純粋に治療行為を行うところ』と考えますので、
わたしの友人は回腹手術4日後に退院させられました。

術後の回復はおうちでどうぞ、という理由。

消毒、抜糸は全て訪問看護婦に自宅に来てもらって処置してもらって
いました。

徹底しています。

究極的にこうなるんだ・・と思いました。

病気になって弱気になりがちなのに、ここまで自立を要求するんだねぇ。
病院ならあるものが身近にないって、回復期には結構しんどいと思いますけど
でも、重篤で次に手術を待っている人がいるなら、ベットを開けなければ
ならない。

日本もだんだんそうなって行くのかもしれませんね。

加えて、財源を税金に依存する公立病院の医療の質は必然的に低下します。
残念なことにお金のないところには人材も留まりませんし。
患者にとっていいのはせいぜい「無料だ」ということだけになる。

で、お金のない人のうける医療のレベルは・・・ある程度保たれて
いるとはいえ、私立の病院に比べたら、環境は劣悪です。
無料で施せる治療薬だって、どれだけあるんだろう。

お金があったら選ぶ病院、治療法、医者、薬があって
生き延びられたかもしれない・・・

ということは、やっぱり命は平等に尊くないってことになりません?

世の中全てお金ってことになるのかなぁ???

先日、パースの富裕層の住むSubiacoのオンコロジスト(抗がん剤治療
を専門に行う医者)の記事を読みました。高齢の脳腫瘍患者の治療法として、
通常脳腫瘍には使用しない乳がん患者に投与する抗がん剤を投与したところ
みるみる腫瘍が小さくなり、最終的には腫瘍がなくなってしまい、
一命を取り留めた!という、患者さんの笑顔の写真付きの内容のものでした。

そのオンコロジストの機転もすごいなぁと感心しましたが、一命を取り留めた
患者さんも、そのお医者さんに治療を受けることが出来て、本当に幸運だった
だろうと思います。

で、ふと思ったんです。

そのお医者さんに会いに行けない人もいるんだよねぇ・・・

ま、こういう問題は尽きないと思います。
日本にだって名医がいると聞けば、飛んでいける人もいれば
そうできない人もいますからね。

さて話を元にもどしましょう。

『自由』というのは聞こえはいいですが、結局、自己責任と競争に
勝つことを強いられますから、結果、弱肉強食=強いものだけが
生き残るという論理が全てとなります。

全てその理論で行ってしまうのは、少なくとも医療システムに
それを当てはめるのはまずいんじゃないかなぁと思うんです。

だからといって私は社会主義者だとか、共産主義者だとか
思わないでくださいね。

日本の医療システムが完璧とは思いませんし、無駄がないとも思いません。
どれだけ効率的に、公平に機能しているか、よくわかりませんし、
再検討の余地はあると思います。

が、基本的なところはとてもいい線いっていると思うので
その辺は、末永く維持する方向で行ってほしいなぁというのが
わたしの願いです。

とは言うものの、実際、社保はもちろん、国保を払えずに
いる人って絶対日本にもいると思うのですが、そういう人たちの
医療費はどうなっているんだろう。

お医者さんにいけないよねぇ・・・

誰か知っている人がいたら教えてください。

全く私には関係ないといえば関係ないですが、このたびアメリカで
国民皆医療保険の法案が通ってほんとうによかったと思っています。

民間の医療保険に入れず十分な医療行為を受けられなかった人々、
涙を飲んできた人々、本当におめでとう!

本当に言いたかったのは、実はこれだけだったりする。

(とりあえず)完。

命は平等に尊いのか? その3

2010年03月28日 09時32分02秒 | Web log
(その2からの続き)

でも優良なシステムを維持できるのも『財源』があってこそ
なんだよねぇ。

国民への公平な福利の実現のために築き上げられたシステムであっても、
それを『過剰利用』する人が増えたらいずれ破綻する。

『過剰利用』って何よ?と思う人がいると思いますが。

治したいから病院に行く。
税金を払っているんだから、正々堂々と(タクシー代わりに)救急車を呼ぶ。

これがなんで悪いのさ?って言う人もいると思います。

ま、いずれ分かりますって。
そういうことができなくなるときが来たら。

『自己負担増』と政府が言い出したときに、分かりますよ。

そのシステムがいかによかったかって。

安易さの引き起こす罠は、いずれ自分の首を絞めることになる。

時に、オーストラリア人のように『免疫力を信じてタフに待つ』
精神も、必要だと思います。本当に。

ですが、大抵そんな必要を感じなければ、そんなことしないのは
よく分かる。わたしも頑張って待つよりも、病院に行くほうを選ぶし。

これは車があれば乗っちゃうし、近くても歩いていこうなんて
思わなくなるのと似ているかも。

医療費の財源が困窮し、政府が自己負担増を言い出したときに、
初めて「お金もかかるし、病院にはいかないでおこう。」となる。

そうなっちゃ遅いんだけど、でもそうでもしないと現状の流れを
変えるのは難しいのかもしれないね。難しいね。

いずれにせよ、そういうときに一番被害を被るのは・・・社会的弱者です。

必要があるのに、病院に行けなくなる。自己負担できないから。

金銭的にある程度余裕のある人たちは、多少状況が変わっても
なんとかできると思いますが、そうじゃない人は、治療を受けないという
選択を余儀なくされる。

一部「自分はほとんど病院に行かないのに、毎月多くの保険金を
払ってばかばかしい。」と言う人がいるかと思います。

理屈としてうなづけます。
気持ちもとてもよくわかります。
なんとか払っている人もいるかと思うので、自分は病院に行かない
のだから、払いたくないってのも、十分理にかなっていると思います。

でも、使った分だけ払うという単純なシステムにしてしまったら、
長期に渡って治療が必要な慢性疾患をもっている場合、治療費はきっと
とてつもない額となることでしょうし、好んで病気になったわけじゃないのに
どうして自分だけこんな苦しい目にあわなければならないのだろう・・・
こんな莫大な費用を払わなければいけないのだろう・・・と思うようになると
思います。

選んで病気になるわけではないので、やはり相互扶助というシステムが
必須じゃないかと思うんです。

きっと負担の仕方が問題なのかもしれません。

病気の内容によって(重篤なものについては個人負担率を0にし、
軽いものについては個人負担率を増やすとか)変えるとかにしたら、
いいのかもしれません。

病院に行かなければ、年末にいくらか戻ってくるとか。

わたしは観てませんが、マイケル・ムーアの「SICCO」という映画で
フランスの医療システムがいいようなことを言っているようですね。

「フランス」・・・・注目してみました!!

続く。

命は平等に尊いのか?その2

2010年03月27日 10時30分14秒 | Web log
(その1からの続き)

また、公的な総合病院の他に、私立の大きな総合病院がある。

が、これまた自己負担。

公的な総合病院は無料だけれど病気の重度によって診察、手術を
後回しにされるため、それが嫌な人、民間の医療保険に入っている人は、
プライベートの病院へ行く選択肢がある。

しかし、基本的に自己負担なので、民間の医療保険に入っていない人にとっては
恐らく行く病院として選択肢に入らないと思う。

例えば、夜間の緊急時に公的な病院に駆け込んだら、とにかく待たされる。
こちらが緊急だと思っても、医師がそうではないと判断したら、延々と
待たされる。夜中に駆け込んで、早朝まで待たされたという話はよく聞く。

で、待つのが嫌なら私立の病院へ行けというわけだ。

けれども公立へ行く選択肢があるのに、敢えて私立の病院を選んだ場合、
民間の保険でも医療費がカバーされなかったりする。

わたしたちもこれで何度も涙を飲んだ。ジョナサンが喘息の発作が
ひどかったときは・・・

お金持ちは選択肢があり、その命は手厚くケアされ、貧乏人の命の
価値は低いと言いたいのか? アメリカも含め、この国は・・・と
何度も思った。

幸い、マイクの会社が民間の医療保険を全額負担してくれるので、
わたしたちは、ラッキーな方なんだと思いますが。本来は自己負担。

オーストラリアにいて思うのは、無料というのはもう形だけで、
無料の公立の病院だけに依存していたら、自分の命はどうなるか
わからないなぁって感じです。

だから、高いお金を払って民間の医療保険に入りますが、民間の医療保険
に払えない人がいる限り、無料の医療システムは死守すべきと思います。

とまあ、こういう背景もあって、人々は簡単に病院にも行かないし、普通の
風邪とかなら、寝てれば治るって感じです。

ところで、病気=健康(通常)の状態でないという状況は、患者に程度の
差こそあれ、不快感を与える。人間誰しも、不快感からは逃れたい。

ので、治療を受けて早くその不快な状態から脱したいという心理が働く。

これはごくごく普通なことだと思う。

が、治し方として2つの方法がある。

1「重度の病気でない限り、自然治癒力の力を信じて待つ。」
2「病院に行って、医者と薬の力をお借りしてさっさと治す。」

で、オーストラリアは1の傾向が強く、日本は2の傾向が強いと
思う。お医者さんも中々薬を出してくれません。ので、薬に慣れている
わたしなんかは、薬も処方してもらえないのに、ただお医者さんの
当たり前なアドバイスを受けるために高いお金を払うなんてあほらしい
と思っちゃいます。が、本当のところ、軽い病気などは、きっと寝てれば
治るってのが本当のところなんだと思いますがね。

そこが、待てない。

そんなに簡単に会社を休めないから、自分も、子供も早く治ってもらわないと
困る。ってのが本当のところだと思いますけどね。

(続く)


命は平等に尊いのか?その1

2010年03月26日 11時52分10秒 | Web log
今日から数回ほど『社会派』で行きま~す。

アメリカには国民健康保険がありませんでした。

このたびオバマ大統領がマニフェストで約束した通り
国民健康医療制度改革法案に署名し、アメリカ『全』国民の
医療充実へ向けて一歩前進した模様。

アメリカでは緊急を要する場合も、エマージェンシーに電話して
まず最初に聞かれるのは民間の保険に入っているか、救急車の要請は
保険でカバーされているかだ、と聞いたことがある。

お金がなければ民間の医療保険にも入れない、ましてや全額負担で
医療行為を受けることすらできない。救急車すら呼べない・・・

こんな話を聞くと「命は本当に平等に尊いのか?」と疑問を持ってしまう。

さて、私の知る限りにおいての『オーストラリアの医療制度』について、
ちょっと触れてみましょう。

オーストラリアの医療システムは、アメリカとイギリスのシステムを
融合させたものであります。

国民全てがもらえる Medicard という保険証があります。
それに加えて、Medibank, HBF などの民間の医療保険があり
自己負担で加入します。

イギリス同様、公的医療機関(総合病院)での医療費は基本的に無料です。

GPなど個人経営で受けた医療行為についての費用は国民保険、あるいは
民間の医療保険から一部保険料が支払われます。

が、高い割合で自己負担です。一回GPに行くのに毎回約35ドルは
自己負担です。

(GP=General Practice 総合診療所・・浅く広く何でもみる。どんな症状でも
とにかく初めにそこに行かなければならない。それでも治らなかった場合は
専門医を紹介してもらう。そこで再度医療費を払うことになる。)

歯の治療は基本的に保険適用外です。

ので民間医療保険に入っている人は、気軽に歯医者に行けます。
が、治療代が千差万別です。複数の歯医者に行って、見積もりをとって
から治療を受けないと、とんでもないことになったりします。

また、内容によって保険適用率が違うので、保険会社に見積もりを
もっていって、いったいどれだけカバーされるのか、確認する
必要があります。

公的歯科クリニックもあります。

子供は高校卒業までそこで無料で治療を受けられます。
年に一回の検査と、もし問題があれば治療を行ってもらえます。

成人向けのもあるそうですが、とにかく「待ち」が長すぎるそうです。
治療を受ける前に、歯の状態が悪化してしまうそうです。

歯については、自己管理に拠るところが大きいので、きちんと手入れを
しなかったその人が悪いと言われてしまったら、言い訳できません。

救急搬送サービスは、民間事業ですので、基本的に自己負担です。

が、民間の保険に入っていれば大抵無料です。
民間の医療保険に入っていれば・・・です。

民間の医療保険は補償範囲が様々で、救急車保障のみ保険をかける
こともできますが。

そして大きな私立の病院が救急搬送事業を独占しています。
サービスの質もかなり悪いです。

『救急』ではありません。来るのにかなり時間がかかります。

ジョナサンの友達がナッツアレルギーで、夜中にアナフィラキー・ショック
になり、呼吸ができなくなり、顔や唇が紫色になり、本当に危機を要する
状態になり、父親が自分の車を飛ばし、クラクションを押し続けながら、信号も
無視して、病院に担ぎ込んだという話を聞きました。

自分が体験したり、色んな人の話を聞いたりして、いつも思うのは
民間の医療保険に入れない人はどうなるのか?

お金がないので救急車も呼べないってどういうことなんだろう。
裕福な人の命に関わる危機はケアされ、そうでない人の命は・・・

と、いつも疑問に思わされる。

こういう差別があるのだから、医療費は安いのか?というと
全然安くない。

医者によっては政府の基準を超える費用を患者に請求する。

「自分は標準的な医者よりも腕がいいから」という理由

それは、他の人が決めるのでなく医師自身が決める。

自惚れの強い医者が、法外な医療費を請求してもいい
ということになる。

続く。

ジョナサン、泣く

2010年03月25日 12時18分00秒 | Web log
水曜日、放課後いつものように学校の近くの公園に行って友達と遊ぶ。
友達のお母さんが「ジョナサン、なんとなくいつもと違うわ」
と言うので、「あぁ、ファビアンが昨日の夜遅くに家を出たので
疲れているのと、寂しいのと両方かなぁ」と答えました。

で、なんということなく2時間近く遊び、家に帰ろうとすると
遠い目で『I miss Fabien』と一言。

それから一言もなく車に乗り込み、家についても車から
降りようとしない。で、様子を見に行くと私に顔をみせようとせず、
そのまま部屋にダッシュ。

大声出して泣いている。



ジョナサンの感情的な部分だけは、痛いほどによく分かるので
わたしもうるうる。もらい泣き。

今朝、ファビアンからメールが届いて、

「オーストラリアを離れたくなかった。今も悲しい。
でも、運命だから仕方がない。(運命を)変えることはできない。
でも、すぐにオーストラリアに行くから、また会いましょう!」

とのメッセージ。


マイクとレユニオン島に行く方法を調べたら、パースからモーリシャスまで
約8時間。モーリシャスから45分でレユニオン島。

近くにはマダガスカル島もある。

楽しそうじゃん!!!

でも家族で行くとしたらすごいお金が・・・



でも、行きたいなぁ

ファビアンにももちろん会いたいけれど、
島もとっても魅力的。

まったく違う文化に触れることができそう・・・

日本人の川島吉彰氏が絶滅したと思われていたレユニオン島(旧ブルボン島)原産の
幻のコーヒー「ブルボン・ポワントゥ」の再生に成功したらしく、そのコーヒー豆の
輸出が再開したといわれておりまして、実際日本とも多少ならずとも縁がある
レユニオン島。

これをきっかけに、いつか訪れてみたいところになりました。

モーリシャス→レユニオン島→マダガスカル島ツアーってのどうです?

モーリシャスで海を堪能し、レユニオンで山に登り、壮大な滝を見て、
クレオール文化を体験し、そしてマダガスカル産の珍しい動物を見て
フィニッシュ!

いいなぁ・・・


来て、そして去る

2010年03月24日 11時11分17秒 | Web log
かつてはジョナサンの担任で、ベンジャミンの担任でも
あったモンテッソーリスクールの先生が退職をして、
タスマニアに引っ越したのは去年の年末のお話。

残念だなぁ・・とブライアンという学校で知り合ったお父さんに
話していたら、

People comes and goes. That is an aspect of life.

と言われた。

まぁ、こういうことにいちいち感傷的になっていられないのが
本当のところなんだろうから、彼の言うことは分かるのだけれど
でも、処理しきれない感情があって、妙に寂しくなってしまう
私なのでした。

全般的にこちらの人は意外とあっさりしている傾向があるように
感じるのはわたしの偏見でしょうかね?

こちらの人の人との関わりについての感覚が微妙に違うと思うんですよ。

『軸』がしっかりと自分にあって、周囲の人に動揺されにくいというか、
周りはどうあれ「自分は自分」という意識が強い。だから、人が去ろうが
どうしようが、感情的にあまり揺さぶられない。

反して日本人とかアジア人は、他人と自分がある種オーバーラップ
して存在しているような感じがする。よく言えば共感度が高い、
悪く言えば、相手に対する依存度が高いとなる。

ので、様々な別れに関してとても敏感に反応するし、理性よりも
感情が優先されてしまう傾向があるような気がする。

別にその良し悪しを問題にしているわけではありませんよ。

『違う』ということです。

面白いなと思います。

去年、ジョナサンのクラスの女の子がBunburyに引っ越していった。
その子のことも、お母さんのことも全く知らずにいたので、
引っ越したことすら知らず、別に学校でお別れ会をするでもなく
わたしとしたら『忽然と消えた』ように感じた。

でも、理由があってその家族、こちらに戻ってきたんですけれど
そのときにママ友(アジア人)が、その子のお母さんに歓迎の
ご挨拶をしたら無視されたと憤慨していた。

彼女にしたらアジア人なので、「戻ってこれて、また同じ時間と場所を
共有できるようになってよかったわ」と伝えたかったのだろうけれど
相手にしてみたら「そんな大げさなことじゃないでしょ!」とでも
言いたかったのか、それとも「私のプライベートなことなんだから
ほっといてくれ!」とでも言いたかったのだろうか。

感覚の違いですね。

ところで、ファビアンも去ってしまって・・私、泣いちゃうかも・・と
思ったけれど、大丈夫でした。

最後は、彼がパンツ姿で歩き回れるくらいリラックスしすぎていたので、
家族みたいな感じになっていた。

もう二度と会えないのかも・・と思ったりすると悲しいけれど、根拠のない
希望を胸に、再会を願うことにエネルギーを注入することにする。

ま、たとえ会えなくとも、彼が自身の人生を謳歌してくれたら、それは
それでいいとも思う。


すれ違い

2010年03月23日 20時28分01秒 | Web log
昨日、過去50年で最大のストームがパースを直撃した。

最悪の時間は家の中にいたので、特に何の被害も受けなかった
けれど、停電は今日の午後まで続きました。

確かにすごいストームだったけれど、近隣ではたいした被害も
なかったようで、にも関わらず12時間以上も停電が続くなんて、
ありえねぇ~とぶつぶつ言っていたのですが、

場所によってはとてもすごかったらしく。

ピンポン玉大の雹が降ってきて、かなりの車がダメージを
受けたらしい。停電、電車の運休、地滑り、窓ガラス、
屋根の損壊、洪水などなど、今日になって色んな映像を見ましたが
パースの中心は本当にすごかったらしいです。

YOUTUBEに多数の映像がアップロードされています。

私たちが住むところはそうでもありませんでしたが。

で、昨日予定していたファビアンとのレーザークエストがダメに
なり、今日行こうと思っていたのだけれど、今晩出発する
ファビアンは気持ち的に盛り上がらず・・・・というか
これが最後だから、遊ぶなら WiiのドラゴンボールZ 武道会 
天下一3を家でしたいとのこと。

で、行かないことに。

どうしても行きたいジョナサンは、マイクと二人で行きました。

本当は、ファビアンと一緒に行きたかったのだけれど。

すれ違いだわね・・・仕方ないね。

あっという間の2週間でした。

また通常の生活に戻ります。

寂しいような、ほっとするような。

ファビアン、楽しい時間をどうもありがとう。

またいつか、会えるといいねぇ。

AYAKI と JONATHON

2010年03月22日 10時18分32秒 | Web log
わたしは小さい頃から、よく名前の呼び間違いをされてきた。

文子と書いて、あやこと呼ぶのですが・・・
『ふみこ』とよく間違えられたものです。

文化の日に生まれたから「文」の字を取ったのはいいのですが
父が「ふみこ」は、ババくさいと言って、「あやこ」にしたそうです。
女優の若尾文子さんがきっと影響していると思われます。

(日本中のふみこさん、申し訳ございません)

でも、恐らく「あやこ」と呼ぶほうが不自然なのであって、
一学期の初めには必ず先生は当たり前のように「ふみこ」と
呼ぶのでした。

ふざけて「ぶんこ!!!」と呼ぶ人もおりまして。

「学級文庫」ネタでからかわれたり。

それ以来、わたしは名前の呼び間違いに関しては訂正する気力さえなく
完全に諦めており、「別にどうでもいいや」という感じです。
しらけた小学生でした。

で、わたしが黙っていると、親切なお友達が「あやちゃんは、あやこだよ」
と先生に言ってくれまして。

内心、ホッとするのでした。

で、しばらくはその呪縛から解かれていたのですが、
オーストラリアに来て、呪いが再び。

なぜか「AYAKO」と発音できない人が続出。

英語的にはとても発音しにくいスペルらしい。
(マイクのお姉さんもかなり長い間、正しくスペルできなかった。)

で、様々な言い方をされたり、名前を中々覚えてもらえなかったりで・・苦笑い。

で、以前よろしく「どうでもいいや」モードで、なんと呼ばれても
訂正せず、笑って「Yes」と答えるわたし。

空手の師匠もわたしを「AYAKI」と呼ぶのです。

ん・・・・大声では呼ばないでね。

そして、JONATHANにもその呪いが受け継がれてしまった。

なぜか、オーストラリアではJONATHANはJONATHONが主流らしく、
ことごとく書き間違えられる。

JONATHANは聖書の人物なので、間違えるわけないだろうと思うの
だけれど、こちらではJONATHONが『正統派』らしい。

宗教色を嫌ってか?
それとも、OZ訛りなのか?

で、その都度憤慨するジョナサンなのでした。

ファビアン、もうすぐ帰る

2010年03月20日 10時15分16秒 | Web log
来週の火曜日に帰国するファビアン。

お互いすっかり打ち解けてきたので、子供たちもきっと
寂しがるに違いない。残りの数日を楽しく過ごせればと
思います。

最初はちょっとしんどいなと思ったけれど、それ以上の
たくさんの『きっかけ』をもらいました。

まず『フランス』の存在について、意識するようになりました。
米英を中心としたアングロ・サクソン的価値観に拮抗する
フランスを初めとする勢力について、いろいろ考えたり
調べたりして学んでいます。

米英と言いますけれども、英国人で(マイクを含め)反米
意識をもっている人が多いので、一言米英とはいえないのですが。

巨大国家アメリカ、アングロサクソン的な価値観の『負』の部分を
考えたりしています。

全てに『正』と『負』の要素があるので、片方だけを見て
崇め奉ったり、あるいはめちゃくちゃにこき下ろしたりというのは
フェアじゃないなと思うので、それをまあ念頭に置いてですけれど

外に出ると日本の持つすばらしい側面に気づかされたりするのです。

でも、日本にいると日本に対して悲観的、否定的な意見がとても多い
ような気がする。

確かに日本は今行き詰っているかのようにみえる。
不安感と閉塞感が充満しているようだ。

でも、誇りを持てる部分もある。

外にいると日本のよさが見えてくるというのは本当だ。

で、アメリカ人ビジネスマンとして来日し、日本人に帰化した
ビル・トッテンという人のコラムなどを読んでみると、日本の
もつすばらしさを再認識させられる、と同時に、アメリカ追従をよしと
する思考パターンは一体どこから来たんだろう、どうしてここまで
自信を失ってしまったんだろう・・・と思わされる。

ま、かつての私もそうだったのだから、なんともいえないのですが。

アメリカ追従ではなく、日本が日本として独自の道を貫くことは
不可能なのか・・・

竹下節子というパリ在住の評論家が「アメリカにNOと言える国」
ということでフランスについて語っているのですが、フランスが
核武装することで、アメリカに対して対等な立場に立つことができる
と言っているようです。

ま、核武装に対する賛否については、ここであれこれ言うつもりは
ありませんが。

アメリカとの関係について、そして日本人として日本に誇りを持つこと
アメリカから自立することは、可能なのか?など色々考える価値は
あるかもねぇと思っています。

日本に誇りを持つことと、狂信的な愛国心とは違いますよ。

宗教でも愛国心でもスポーツでもなんでも、狂信的、盲信的なのは
よろしくないです。

署名

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