さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

春に

2016年03月29日 16時15分16秒 | Web log
仕事で国語や社会の教科書に目を通すことがあるのですが、
日本の教科書は本当によくできているなぁと思います。

国語の教科書に選ばれた作品は本当に珠玉のものばかり。

私が小さいときに習ったものも幾つか残っているということも
すごいですが....

学校で習ったときは味わえなかったことをもう一度味わう
チャンスが与えられ、子供のときとは違った視点で
新たに感動することができるというのはすばらしいなぁ
と思っています。

国語の先生から「学校の先生になれ」と勧められるまま、
とりあえず教職の資格だけはとっておこうと、自分の専門とは
異なる国文学の講義とか中国文学とかに顔をだし、教職の単位を
とったわけですが、思いがけなく役に立つこととなりました。

人生何が起こるかわかりませんね。

先日、谷川俊太郎の「春に」という詩を紹介しました。

ここに引用させていただきます。


春に
                谷川俊太郎

        この気もちはなんだろう
        目に見えないエネルギーの流れが
        大地からあしのうらを伝わって
        ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
        声にならないさけびとなってこみあげる
        この気もちはなんだろう
        枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
        よろこびだ しかしかなしみでもある
        いらだちだ しかもやすらぎがある
        あこがれだ そしていかりがかくれている
        心のダムにせきとめられ
        よどみ渦まきせめぎあい
        いまあふれようとする
        この気もちはなんだろう
        あの空の青に手をひたしたい
        まだ会ったことのないすべての人と
        会ってみたい話してみたい
        あしたとあさってが一度にくるといい
        ぼくはもどかしい
        地平線のかなたへと歩きつづけたい
        そのくせこの草の上でじっとしていたい
        大声でだれかを呼びたい
        そのくせひとりで黙っていたい
        この気もちはなんだろう


春ということで紹介したのですが、ま、いわずもがな季節の春と
思春期の春が重なっている詩ですね。

あまりにもストレートすぎるかなぁと思いつつ、問いかけたら
意外にも女の子よりも男の子が「共感できる」と強く反応してくれました。

思春期の心の動きを見事に表現したすばらしい作品。

この作品を心にしっかり刻んでくれたら、そして次は自分の言葉でしっかりと
ありのままの心の有り様を表現できるくらいまでになってくれたら...と思います。

真剣かつ貪欲にどこまでも吸収しようと言わんまでの純粋な眼差し。

わたしが少しでも妥協したらすぐに見透かされるしまいそうです...

真剣勝負でがんばります。

被災地訪問@石巻

2016年03月21日 21時08分12秒 | Web log
石巻へいく用事があったので、その用事を済ませたあと石巻市内にある
復興情報館へ行ってまいりました。

5年前、震災があったその時はパースで仕事をしていた私。

テレビで津波が町を飲み込んでいく映像をみてショックで
ショックで...

今でも映像を見るといたたまれない気持ちになります。

先日、ジョナサンとベンジャミンが通う学校でも追悼集会があって
5人の職員が当時の様子を語ってくださいましたが、ひとりは
当時のことを思い出し、時々声を詰らせながらスピーチをしてください
ました。

あれから5年。

ある程度の復興も進み、まだ仮設にいらっしゃる人もいるようですが

復興住宅が市内のあちこちに建てられて、そこで新しい生活を始めた人も
いらっしゃるようです。

北上川沿いで水に浸かってしまった古い建物は、流されなくても解体を
余儀なくされたようで、コンクリートの土台がむき出しになっているところ
とかがあちこちにみられて、まだ津波の爪あとは残っています。

で、昨晩、たまたまネットでこの記事をみつけた私。

http://www.nippon.com/en/in-depth/a05203/

イギリス人で石巻で被災に遭ったリチャードさん。震災後の福島原発の事故の影響を
懸念したイギリス大使館から避難勧告の通知が届き、迎えにきた大使館職員とともに
仙台まで向かったものの、『友人が一番苦労している時にここを離れたら一生後悔する、
自分で自分を許せなくなるだろうと思った。涙の別れで仙台まで来たものの、
やはり友人とともに石巻を復旧させたいという思いの方が強かった。』と、石巻に
戻る決意をかため、帰還。

この記事をみて、これはもう行くしかない!と思って、リチャードさんに会うために
学校で知り合い、一緒に石巻へ向かったスペイン人の家族とともに情報館へ向かいました。

受付には日本人スタッフがいらして、館長のリチャードさんはもしや非番か!?と
思って声をかけましたら、私たちの後ろで案内をなさっていました!!!!

ラッキー!!

で、わたしが興奮してわわわわわーとまくし立てたら「とりあえず受け付けしてください」
と言われて、我に返った次第です。

で、受付を済ませたあと日本人の職員のかたが「館長は普通、休日はいらっしゃらないの
ですけど、今日はたまたまいらしたんですよ。もし館長がいらっしゃらなかったら、
わたしもどう対応していいかわからなくて、あたふたしていたと思います。
偶然ですがタイミングがうまくかみ合ってよかったです」と話しかけてくださって
わたしも本当にいいタイミングだったなぁと思いました。

で、一通り英語で説明をしていただきまして。

石巻の地理的こと、津波がどのように石巻を襲ったか、車で避難しようとした人が
どのような状況で津波に巻き込まれてしまったかなど、いろんな説明をしていただきました。

リチャードさんがもちろん津波は大きな被害ではあったけれど、この震災がきっかけで
町が新しく生まれ変わろうとしていること、そして日本国内の別の地域からボランティアで
入ってきてそのまま定住を決めた人たちが街に今までなかったあたらしいものを
もたらしてくれていることは、津波は最悪の事態ではあったけれどもそれがなかったら
こういうことも起きなかっただろうと思うと震災がもたらしたことは悪いことだけではない
とおっしゃっていました。

「石巻の復興のために一度だけでなくまた来てくださいね!その時は事前に予約をいれて
くだされば、対応できるように準備して待ってます」と言って下さいました。

今日は本当にありがとうございました。

浦島太郎状態

2016年03月10日 15時57分09秒 | Web log
やっと落ち着いたかなぁと思いつつも、なんだかんだでまだまだ落ちつかない
私たち.....いや、子供たちはどうもこちらの新しい生活に慣れてきたようで
文句ひとつ言わず、楽しく過ごしています。

むしろ、私だけ「落ちつかない」と思っているのかもしれない。

10年日本を離れていたのでいろんな意味で浦島太郎状態。

わかってはいても、オーストラリアのやり方との違いに???と感じたり
あまりにも安全で人々が無防備なのを勝手に心配したり、疑心暗鬼になったり。

ま、帰国して2ヶ月半だし無理もないですかね。

ということで、タイミングよくある仕事のオファーを受けまして、働くことに
なりました。

それもまた結構チャレンジです。

楽しくできればいいなと思っています。

署名

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