さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

今晩、出発!

2011年04月26日 16時04分26秒 | Web log
マイクが「 子どもを置いて、少しリフレッシュしてきたら? 」と言ってくれたので

日本にいる友人に 一緒にどこかへ行こうと話を持ちかけまして

ボルネオ島にある コタキナバルで落ち合うことにし

今晩、出発いたします!

旅を予約したときは、まさか自分が手術を受けることになるとか
フルタイムで働くことになるとか
日本がこんなことになるなんて、夢にも思っていなかったことを思うと

本当に 人生というのは 不思議なものです。


子どもたちとマイクを置いていくのは、とっても後ろ髪引かれる思いなのですが

( わたしも 一応、妻であり母親なので )

マイクの言葉に甘えて、思いっきり楽しんでこようと思います。


家族と離れるのは とっても寂しいけれど

ひさしぶりに友達と再会するのは とても楽しみでもあり

しかも、おいしいものを食べたり、

ずっと会いたかった 念願の オラウータン を見たり、

どうやら 温泉もあるらしく

海もきれいだろうし・・・

一体、どんな気持ちになるのか、想像できませんが

せっかく送り出してくれるのだから、

楽しまなければ 意味がない!

それにしても、快く送り出してくれる 優しい伴侶を持った私は

幸せ者なのだとつくづく思います。

マイクよ、どうもありがとう。

あちらでもブログを更新できたら、できるだけ更新したいと思います。

In Flanders Fields 東日本地震被災者に捧ぐ

2011年04月25日 11時02分47秒 | Web log
先週の火曜日は、子供達が通う学校で世界大戦戦没者を追悼するメモリアルサービスが行われました。

ジョナサンの学年の子供達がスクールクワイアのメンバーとして歌った曲の中で
美しい旋律の In Flanders Fields という曲が とても心に残りました。

メモリアルサービスが終わってすぐ、自宅に戻り Youtube で探し出し、google で歌詞を確認したのでした。
英語圏では有名な詩のようです。

フランダーズ フィールド は、ベルギーにある 第一次世界大戦 の激戦区 で、多くの人がそこで命を落としました。

歌詞の一部を訳してみました

「 かつては生き、朝陽を感じ
 
そして 黄昏が光り輝くのを  見、

愛し、愛された

そして今、我々は ここに横たわる。

フランダーズの地に


敵との戦いを戦い続けてくれ

倒れ落ちゆく我々の腕から、灯火を受け取り、

高く掲げ、それを君たちのものにしてくれ

もし、君たちが我々との この誓いを果たせないなら

我々が安らかに眠ることはない」

これは 平和を望む詩というよりも、戦いの勝利を切望するニュアンスの
高い詩のように思います。

わたしは戦争を肯定するものでは、ありません。

ただ、多くの若い兵士達が、愛する人、家族を残し、国のために自分の命を賭けて戦い、
そして無念にも、命を落としてしまった  その切なさは
痛いほどに良く分かるのです。

常に、戦争が起こるときには、大義名分がそこにある。

少なくともその戦争を肯定するプロパガンダがある。

心の中で恐怖におびえようと、残した家族との別れに胸が引き裂かれる思いを抱こうとも、

正しさを信じて、多くの若者は戦地に赴いたはず。

だから、

「 俺たちのために、戦い続け、勝利を収めて欲しい。

でなければ、安らかに眠れない! 頼む! 」

という切実な思いもすごく、わかるのです。

我々の死を無駄死ににしないでくれとでも言わんばかりの 切なさ。

しかしながら、戦争が悲惨極まりないのは、戦っている敵兵もまた同じ思いで
戦っているということ。

そして、いつも犠牲になるのは 権力も地位もない 無名の市井の人々。

敵兵もそして味方の兵士達も目の前の生きるか死ぬかの状況のさなか、国と愛する家族を守るために

戦う以外選択肢はない。

・・・やっぱり戦争は よくない。

と、いろんなことを考えながら、フランダーズフィールド の  美しくも哀しい旋律を聞き
3/11   に東北を襲った地震、そして津波の犠牲者となった人々のことを思いました。

大切な何かを、誰かを守るために命を落としていった人びとの思いと

フランダーズの地で命を落とした兵士達の思いとが私の中で重なりました。

そして、メモリアルサービスの黙祷で、東日本大地震で亡くなられた多くの犠牲者へ

同時に黙祷を捧げさせていただきました。


無念にも亡くなってしまった多くの犠牲者の思いは、計り知れませんし、また残された人びとの
喪失感も計り知れません。

このオーストラリアの地で、何の不便もない状態で、偉そうなことを言っていると思われても
全く仕方がないのですけれども、

つらく、厳しく、そして長い道のりかと思うのですが、

残されたものが、様々な困難や絶望に打ちひしがれながらも
尚、希望を失うことなく、そしていつか復興を遂げることが、犠牲者への大きな弔いになることを
わたしは信じています。

多くの犠牲者によって日本が支えられていることを思いつつ

オーストラリアの地で一体何ができるのか わかりませんが、

日本の復興を思い続けて、私ができることを させていただきたいと

改めて、思いました。

In Flanders Fields → http://youtu.be/3WCd3lQY0o8

秘書にするなら、アジア人女性がいい

2011年04月20日 15時57分52秒 | Web log
Rさんの話 その2

ある日、朝早くからRさんが大きな声で、Cさんのとこにやってきた

「Cさん、ちょっと助けてほしいんだけれど」

緊急で経費に関する書類を処理したいのだけれど、どういう手順でしたらいいかわからないということ。

で、ごにょごにょとCさんとRさんが話した後、

Cさん曰く「 通常、こういうことは 本人、あるいは所属部署のアシスタントがすることになっているんだけれど 」

Rさん 「 チームのアシスタントだった○○は 辞めたし、僕個人にはアシスタントいないしね。」

Cさん 「 今回だけは、わたしがやってあげてもいいわ  → I can do that for you ! 」

ここで、Cさんが言った I can do that for you というのは、緊急で依頼のあった仕事の処理を今回に限ってCさんが
してあげてもいいと言う意味なのですが

Rさんは、彼女のコメントに絶妙な突込みを入れてきた。

Rさん 「 え? 僕のアシスタントになりたいの ? いやぁ、それはこちらがお断りするよ。
僕がもしアシスタントを持つなら、アジア人の女性のほうがいいから。
だって、アジア人の女性のほうが扱いやすいしね。フアッ ハッ ハッ 」

ここで、周囲も笑いに誘い、場の緊張を和らげておりましたが

Cさんも 大人なので そこで 差別発言!! なんて怒ったりはしていませんでしたけど。

傍で、黙って仕事しながら2人の会話を聞いていた私

頭の中が 「 ?!?!?!?!?!?!?!?!?!? 」 でした。

これって人種差別的な発言だよね
Cさん傷ついただろうなぁ

わたしはアジア人ですから 「 アジアの女性を褒めてくれて、ありがとう 」ってな気持ちにもなりましたが
それでも Cさんの立場で聞いたら 爆弾発言であることは 間違いないわけで。

Cさん、気分を害しているだろうなぁと思って 顔を上げることはできませんでした。
(わたしも一応、アジア人の1人ですから)

黙って黙々と仕事し続けました。

Rさん 「 じゃ、よろしく頼むよ ! ありがとう 」

と声高々に立ち去っていきました。


その後、しばらくして

Cさんが Rさんのことを ぶつぶつ 文句言ってましたけれどね。

『 Rさん、うるさい。声大きい! それに フランス人って、小さいことを何でも大げさにするのよ!!! 』

Cさんのささやかな逆襲。

Rさんのように、表裏なく率直に生きていたら、敵も多いかもしれないけれど、少なくとも

本人のMindは常にクリアーだろうね、と思いました。 

そして

観察している分には 十分に 面白い人物であることには間違いありません 

率直過ぎて・・・・

2011年04月18日 12時03分58秒 | Web log
(手術前に投稿した路チューのフランス人、Rさんの続きです)

率直過ぎて、人を不快にさせてしまうということが、時にありますが。

大学生のときに、とても温厚で感情を表に出さない人がいまして、わたしは褒めているつもりで
「○○さんは、怒ることあるんですか?」と言ったのですが、言われた人が、実はとても不快な思いを
したということを、別の人から聞いたことがありまして。

路チューのフランス人、Rさんも率直過ぎて、時にヒヤヒヤさせられることがあります。

出社初日、私の仕事をスーパーバイズしてくれるCさんが、所属部署の人に私を紹介して回ってくれました。

そこで再び、Rさんと言葉を交わすことに。

挨拶回りをしているときに、イギリスのヨークシャー出身のおじさんと会いまして「わたしの主人もイギリス出身で
北西部出身なんですよ。Geordieなんです。」と、いうとそのおじさん、

「あぁ~。(ジェスチャーで、筋肉隆々のポーズをとる。→ Newcastleあたりは、炭鉱で栄えた町なので、力持ちな
労働者が多いという感じなのでしょう)」

わたし「(笑いながら)はい、そうです。」

おじさん「 イギリス人と結婚している日本人、多いよね 」

私 「 そうかもしれませんね。オーストラリアには長いんですか? 」

おじさん 「 30年くらいになるかな? 」

私 「 あ~ぁ、長いですね 」

おじさん 「 君は? 」

私 「 6年になります。 永住権持ってないし 」

そうしたら、Rさんが顔をだしてきたので「すでに挨拶しちゃったもんね」という感じで、別なことを話だす。

R「 あ、君のご主人、イギリス人なの? 」

私「 はい。ビジネスビザ、457 Visa でここにいるんです 」

R「 僕も そうだよ! 」

私「 え? そうなんですか ? 永住権を取る予定はあるんですか? 」(このとき、わたしは彼が偉い人でフランスの企業から出向で来ているということを全く知らなかった)

R 「 取るわけないじゃん。帰る場所があるわけだし。帰る場所がある人は、帰るでしょ? 君だってそうだろ?
日本もフランスもそうだけれど、歴史もあるし、文化は豊かだし、ま、ここは気候はいいかもしれないけれど、退屈じゃないか。住むなら、日本やフランスのほうがいいに決まってるよ、ね??」

私 「 あははは(苦笑) 」→ ここで笑っていいものか、どうかとても困りました。

周りにはオーストラリアで生まれ育った人もいるわけですし、わたしを紹介して回ってくれたCさんも、白人系オーストラリア
人です。

そういう人たちを敵に回すような、きわどい発言。

で、わたしの挙動不審さが伝わったのか

R 「 いや、そりゃオーストラリアも素晴らしい国だと思うけれどね。僕は、永住権を申請したくても年齢制限にひっかかって取れないんだよ。上限 45歳 らしいからね。僕みたいな年寄りはオーストラリアは必要ないらしい。だから、住みたくでも無理なんだよ。フワッ、ハッ ハッ 」

と高笑い。

私 「(心の中で)ナイス、フォロー!!!!! 」

私 「 年齢制限があるとは、わたしも知りませんでした。わたしも若くないので、永住権とるなら、急がないと。ハハ 」

と笑って、その場を抜けて 次に移動。

Rさん、気のいいおっちゃんなのですけど、多くのオーストラリア人を敵に回すような発言にとってもドキドキさせられた私。


きっと彼は本気でそう思っているんだと思うんですよ。でも、言うのはちょっとねぇ。

「 やばい!! 」って、言ってから気づくタイプのようです。


でも、そういうことを さらっ と言っちゃうところが、またいいのかもしれませんが。

マイクは笑いながら 「 I like that guy 」と言ってました。

でも、それは私たちがオーストラリア人じゃないからそう思うのでありまして・・・・


そして、彼の爆弾発言を後日また耳にすることに・・・・

どうしてここにいるの???

2011年04月17日 13時56分40秒 | Web log
昨日は空手の日だったので、ジョナサンを連れて行って参りました。
何人かは私が術後だということを知っていて、大丈夫?と声をかけてくれたり、
知らない人は、今日は練習しないの?と声をかけてくれて、
先日、手術を受けたことを説明すると、いろいろアドバイスしてくれました。

面白いことに、アジア系の人は「 何故何もなかったかのように、平然とここにいるの????」という反応がほとんどでありました。

確かに傷口は、まだ完全に乾いていないけれど、無理しなければ痛みもないし、歩けないほどでもないし、座って見ている分には特に負担も感じないので、ジョナサンを連れてきたのだけれど。

「 開腹じゃないといったって、体に穴をあけたのよ! 」と言われまして、

「 だって、小さいよ。おへその近くの傷は、へその皺くらいにしかみえないよ! ある意味、感動!」と言っても、どうも通じない。( ̄◇ ̄;)

感覚の違いは、その差をどう埋めようとがんばっても、埋められないなぁと実感する。

そして、2人のアジア系ママたちのおしゃべりに拍車がかかる。

体にいい食べ物は、体を温める食事でとか、なんとかかんとか、延々と話してくれた。

空手が終わってからの井戸端会議の方が、絶対につかれたと思うのですけど

(-_-;)


マイペースで、回復期を過ごしております。

と、いうことで・・・

2011年04月15日 11時55分23秒 | Web log
12時55分に手術室に入室してから、約6時間後の夕方7時。

マイクと子どもたちに迎えにきてもらって、帰宅となりました。

前日の7時に夕食を済ませてから、フルーツとサンドイッチを口にするまでは絶食だったことと、

麻酔がまだ完全に抜け切れていないこともあり、自宅に着いたときは、よろよろでした。

横になっているときは「 もう 走れそう!!! 」なんて、看護婦さんに調子こいていたのですが、

実際、立って歩いてみると、やはり『 術後 』の私なのでした。


話は前後しますが、待合室で待たされているとき、待機室で待機しているとき、

多くの患者さんを目にしました。

特に気になった3人の女性たち。


1人は 待合室で父親に付き添われ、泣いている若い女性。

抗がん剤治療のためか、髪がとても短かった。

がんが再発して摘出手術を控えていたのかもしれない。


待機室で両隣にいた2人の女性たち。

1人は乳がんの手術のために手術を待っていた人。

薄いカーテン越しに聞こえてきたのですが、

がん患者をケアする専門のナースと思われる人が、彼女の気持ちをやわらげるためと、今後の治療とサポートに
ついていろいろ話していた。

最初は、家族の話で彼女の気持ちをほぐし、それから病気について話が進む。

内容は、幸い、乳がんは4ミリだったこと。4ミリで見つかってよかったわねと、一生懸命励ましていました。
でも、周囲の組織に残っているかもしれない小さいがん細胞をやっつけるために放射線治療が控えていること。

放射線治療は、2週間毎日通わなければならず、けっこうしんどいから、
家族に付き添ってもらってくださいとか、そういう内容だった。

家族の付き添いが無理な場合、患者自身の車の運転は許されないので、公共の交通機関を使わなければならないけれども
あなたの住んでいる近くから、直通のバスが出ているので、それを使うようにとか、メンタルケアだけでなく、
結構実践的なアドバイスをしていました。


もう1人の人は、病気は何だかわからなかったけれど、術後にかなりの痛みを伴うらしく、お医者さんに『 一晩は誰かに付き添ってもらってください 』といわれていた。

でも、その人は独り身らしく、迎えに来てくれるのも、身内ではなくて友人らしく、『 お友達に 一晩、泊まってくれるかどうか、お願いできますか? 』と聞かれていました。

『 術後は、本当に痛いんです。何かあったときに、病院に連絡したりする人が傍にいてもらわないと。それに、帰宅して、火をつかって、それを消し忘れて火事を起こしたとか、そういう報告もきているので。』

と、しつこく言われておりました。

でも、その人は そこまで友人にお願いできない というような口調で

『 大丈夫です。絶対、火も使いませんし。本当に何かあったら、友人が駆けつけてくれると思います。』と言ってました。

『 少なくとも、あなたが眠りにつくまで、お友達に傍にいてもらってください。 』とお医者さんは念を押してましたけれど。

2人の話を聞いて、複雑な気持ちになる私。

前者はがん患者だったので、病気が病気だけに、本人の不安も大きいだろうなぁと思いましたが、6人目の孫がもうすぐ生まれるとか、ご主人が面倒みてくれるとか、身内のサポートがしっかりしているような感じでした。本人も落ち着いている様子で、自分のことよりも、16歳で学校を辞めてしまった、孫娘が心配でたまらない様子。

後者の人は、病名が何かはわからなかったのですけれど、ちょっと気の毒になりました。

友人とは言え、そこまで他人にお願いできない彼女の気持ちも分かるし、甘えられない身内が身近にいないつらさも分かる。

でも、理由があって1人でなんとかしなくちゃいけない彼女を追い込むようなことを、手術前にいうくらいだったら、
なんで、もっと早くそういうことを明確に伝えて、例えばケアラーを紹介するとかそういうことをしないんだい???

独居老人とかもいるわけですから、そういうサポートシステムがあるはず。

ま、彼女が拒否した可能性もあると思いますけど。

でも最悪、一晩入院させるという手もあるじゃないですかぁ、そんなに痛いと言うのなら。

とか、彼女に代わって、あれこれ文句を言いたくなりましたが。


ま、わたしの想像の域をでませんが、色々ありますね~。


ついさっき、執刀医から直接電話を頂きまして、摘出した腫瘍は良性でしたとのこと。

悪性だったら、追加の治療が控えていたわけです。

これで、一件落着~。


わたしを診てくださった先生は、St. John of God の Murdoch Hospital でクリニックを開いている

Dr. Yee Leung という婦人科の先生です。(産婦人科ではありません)

友人のご主人がお医者さんをしていて、その人から紹介していただいたのですが、とても穏やかで、フレンドリーだし、
傷口が本当に最小であることを見ても、卵巣の Before After の写真を見ても、きれいに処置されていると思われ、
腕がいいんだろうなぁと感じました。(わたしの主観かもしれませんが)

子宮内の超音波を取ったときも、そこの先生から『 Dr. Yeungはとても腕がいいから、安心していいわよ。』と
言われました。

パースの Southern Suburb にお住まいで、婦人科のお医者さんを探している人がおりましたら、

Dr. Yee Leung をお勧めいたします。

終り

術後、無理やり起こされて・・・

2011年04月14日 14時42分37秒 | Web log
『 もう、目が覚めましたか? 』 という看護婦さんの声で「起こされた」私。

目が覚めたら回復室だったというよりも、無理やり起こされて、朦朧としている状態で「 手術が終わり、回復室にいることに気がついた 」と言ったほうが正しい。

『 何か食べる? サンドイッチ? 何か飲む? 』 と聞かれるのだが、喉は痛いし、声は出ないし、まだ意識は朦朧としている。

『 お水、ください 』 と言って、お水飲ませてもらって、また眠りに落ちる。

執刀医の先生が様子を見に来てくださり 『 手術は成功しましたよ。これが、写真。これが君の肝臓で、これが、のう腫。で、左の卵巣も 右の卵巣と同じようになりましたから 』 と言うのを 頭のどこかで聞いて、写真を頂いて、また眠る。

しばらくして、また看護婦さんが

『 何か食べる? サンドイッチ? 』 と言うので、今度は

『 フルーツをください 』とお願いする。

そして、また朦朧としたなかで、なんとかフルーツを口にする。でも、食べきれず。そしてまた寝る。

そして、しばらくしてまた

『 何か食べる? 』

と声をかけられる。

ここまでくると、わたしも『 ちょっと、ほっといていただけませんか? 』と言いたいところだけれど、どうもほっといてくれない。看護婦が何度もやってくる。

で、次に 『 アップルジュースをください 』 とお願いする。

そうこうするうちに、次第に意識がはっきりしてきた。

机の上に看護婦が記入するモニターシートがあって、わたしがどれだけ食べたか?とか、どれだけ飲んだか?とか、意識はどうか?とか、数値化して評価するところがあり、傷口の出血状態が少量なら2点、食べて、吐かなければ 2点 とか、排尿したら2点とか、他にもチェック項目があってトータルで9点以上になると退院できるというシステムらしい。

だから、看護婦さんにしたら、とにかくわたしに食べさせて、様子を見たかったようだ。

とにかく自然に任せるというよりも、できる限りプッシュして、できるだけ早く通常の状態に戻すというのがこちらのやりかたなんだと思う。

日本だったら、しばらく寝かせてくれるだろうに・・・

と思いながら、こちらの合理的なシステムにある意味感心する。

回復期は、病気ではない。だから病院にいる必要はない。という考えなんですね。

早く『追い出したくて』必死なようだ(笑)

続く

とほほな話

2011年04月13日 10時27分37秒 | Web log
昨晩、帰宅しました~。

結局、入院はしなかったんです。

わたしの勘違い。


今日は、手術が終わるまでの顛末をお伝えしたいと思います。
(汚い話が嫌な人はパスしてください)

前日の月曜日、手術に備えて6時に下剤を飲みました。

でも、全く気配なしのまま3時間が過ぎ。

これは、出すものが残っていないということなのか ?

それとも 効いていないのか ?

結論としては『 やっぱり、腸をきれいにして手術に望まないといかんでしょう・・・ 』
ということで

一応、アドバイスを受けるために Medical Hotlineに電話したら、看護婦の資格をもつオペレーターは
『医者の指示以外のことは言えません』と全く無意味なことを言いまして。

で、近所の薬局に電話して薬剤師に聞くようにとのこと。

そしたら、『 もう1包飲んでも大丈夫だと思います 』 ということで、飲んだのですが

またもや、まったく気配がないので、寝てしまいました。

基本的に腸の弱いわたしは、飲んだら ピー を期待していたのですけれど

どういうことなのでしょう????

予想外の展開に、イライラしながら、でもどうしようもないので、寝ることに。

そして夜中の1時半。

「きた、きた~」

何度もトイレとベットを往復。

数回通ってやっと落ち着いたので、眠りにつきました。

そして、朝。

また、おなかがゴロゴロ。

お医者さんが1包と言ったのに、2包飲んだら、やっぱりそうなるよね。

おなかがゴロゴロのまま、手術は受けられないんでないの?

と、心配になる。

そして朝7時、病院にいって受付を済ませ、看護婦さんと話をしているときに

『 今日、手術が終わったら 迎えに来てくれる人いますか? 』

と聞かれました。

で、わたしが『 一晩 病院で過ごすんじゃないんですか? 』 と聞くと、

『 そういうことにはなっていないわよ 』 と看護婦さん曰く。



あぁ、おいしいお食事が食べられない・・・

楽しみにしていたのに、ちょっとショックな私。

で、気を取り戻して、今度は麻酔の先生の問診。

何か、質問はありますか?と聞かれたので

『 下痢がまだ収まっていないんですけど 』

と聞いたら、

『 手術まで、まだまだ時間があるから。予定では 12時くらいかな?

それまで、何度もトイレに行ってください 』 とのことでした。

7時入りで、12時手術??

ま、これで下痢のほうは、安心。

で、手術室に入る準備をして、待機室みたいなところでストレッチャーに横になりながら

ひたすら待つ。というか、わたしは寝ちゃってましたけれど。

その間、2人のかわいい医学生がきて問診のようなことをするので、バカ話をしたりして

あっという間に手術室に運ばれました。

麻酔医に『麻酔する前に執刀医に話したいことありますか?』と聞かれて

『 ありません 』

と答えたら、『 じゃ、寝てもらいます。 』

と先生が言って、薬が入ってから、恐らく、5秒もなかったと思います。

で、目が覚めたら回復室でした。

麻酔が効いている間は 全く記憶がなく、夢もみませんでした(続く)

では、行ってまいります!!

2011年04月12日 06時30分14秒 | Web log
昨日、母から電話があって、英語もしゃべれないのに『マイクに挨拶をする』というのです。

「文子のこと、よろしくお願いします」と言いたいとのこと。

私が40を超えた中年のおばさんになっても、母が子を思う気持ちは変わらないんだなぁ~と思い、
心から感謝しました。(うるうる)

が、当の本人であるわたしは、別に大した手術ではないと思っているのです。

(っていうか、本当に大したことないし。)

手術自体は、眠っているうちに終わっちゃうわけで、麻酔が切れたあとの痛みがね。

でも、痛みが治まるときは必ずやってくるわけですし。

そして、何よりも普通食に戻れる喜びが・・・

病院のお食事、結構おいしいんだよねぇ・・・

(出産のときにお世話になったのですが、おいしかったんですよ。)

今から、そういう不謹慎なことを考えております。

それでは、手術に行ってきま~す。

ひたすら眠る

2011年04月11日 09時00分00秒 | Web log
火曜日に手術を受けます。

以前もブログでお話したと思いますが、卵巣のう腫の摘出のため。

腹腔鏡手術なので大したことではないのだけれど一応全身麻酔。

日曜日から特別食を開始、月曜日には下剤でおなかを空っぽにして、火曜日の手術に備える。

働き始めて一ヶ月半が経ち、ずっと気が張っていたのか、

金曜日に仕事を終えてから、ちょっと気が抜けてしまっている。

とにかく、ひたすら眠い。

眠くてたまらない。

会社勤めを再開してから、早寝早起きをがんばってきたので、その余波かもしれません。

そして、日曜日から始めた特別食。

炭水化物を中心にした食事しか取れないので、それもけっこうきついかも。

野菜、果物、乳製品を食べられないのです。

面白いもので、食べてはいけないといわれると、余計食べたくなる私。

でも、まぁ、仕方がないですね。

何を考えたところで、時間の無駄だし。

そうする必要があるなら、それを黙って受けとめるしかないしね。 

唯一、うれしいのは

手術が終わったら、2週間の自宅静養なので、痛みが取れたら子どもたちの学校の送り迎えとかが
できるかなぁということ。

子どもと少しでも長く一緒にいられることを楽しみにしている。

署名

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