さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

なんちゃって大学生

2016年06月27日 18時36分24秒 | Web log
あることがきっかけで知り合った大学の先生の講義を
拝聴するため20数年ぶりに、とある大学の門をくぐりました。

学食に行って、校内を歩いて、学生さんたちとすれ違い、
いやぁ、この空気、ひさしぶりだわー

感激もひとしお。

先生の研究室にお邪魔してから、講義室へ向かい
わたしの子どもといってもおかしくないくらいの
若々しい学生さんと机を共にさせていただく。

わたしが学生の頃、大講義といえばシーンとして、
一方的に聞くのがメインだったと記憶しています。

ゼミではフィールドワークもあって楽しかったですが、
そううでないゼミは、決められた文献を読んで担当者が
発表して、ちょっとだけ話し合って終わりみたいな感じ
だったと思います。

自分が何をしたいかなんて、ちっともわかってなかった
あの頃。

でも、今回参加させていただいた講義は、3人の発表者が
メインで、先生ははじめと終わり、そして3人の発表者が
終わる度にコメントをおっしゃるという形で、受講者中心の
講義でした。

30年近く時が過ぎれば、いろいろ変わってしかり。

自分が経験したことが全てと思えば、いまどきの...という
ことになるのかもしれませんが、わたしの場合は
そうでもなくて、その後のゼミでもみなさんしっかり
自分の思ったことを表現されていて、感心しました。

発言する、自分の意見を述べるというのは、簡単な人には
簡単かもしれませんが、そうでない人にとっては、
結構、エネルギーのいることかと思います。

批判する人がいるかもしれないとか、考えたら気持ちが
すくんでしまうのは当然なことで。

でも、いえるということは、言っても大丈夫という安心感を
先生がしっかりと時間をかけて植えつけてきたのだろうし、
生徒さんだって、言っても大丈夫という場所があって、
それでもやっぱり言葉を選びながら言っているのだろうし。

いやぁ、いろいろと進化してますね!

楽しかったです!

この経験を与えてくださった先生に感謝します。

教えるということ、学ぶということ

2016年06月23日 11時24分10秒 | Web log
ElementaryからSecondaryに移行する生徒たち。

2月からわずか3ヶ月ちょっとの間だけのお付き合い。

なんだか、わけのわからぬまま時間が過ぎて、自分の中で
消化不良気味で迎えたさよなら。


一体何を教えることができたんだろう....と反省しきり。


自分の無能さを言い訳するわけではないけど...

勉強しなさいと言って、子供が素直に「ハイ」といえることが
いいことなのかどうかもわからない。

学校の勉強を真面目にやることが全てとは思っていないし、
むしろ、やりたいことがはっきりしていて、誰が何を言おうが、
ひたむきにそれに向き合っていることのほうが、すばらしいと思う。

もう、ひたすら覚えてテストでいい点数をとることがいいとされてきた時代では
なくなりつつある。

でも、覚えることも大切なんですけどね。後でつながることもあるから。

小学校、中学校、高校、大学と学んできたことがふと頭をよぎって
「あぁ、こういうことだったのか。。」と何年も経ってから繋がること
だってあるし。

でも、学ぶということのもう一つの側面

自分で答えを出していく ということが 今、大切になってきているような気がする。

研究分野で最前線を走っている人たちは、吸収、蓄積してきた知識を踏まえて
新たな何かを見つけ出すためにひたすら研究を続けているわけだし、
そこで出た答えのようなものだって、数年後、数十年後には簡単に
覆されながら、物事は進歩していく。

結局、「答え」というものはある種、暫定的でしかない。

要するに、学ぶということは、答えを覚えるのではなく、自分で
答えを導き出すことにあって、その答えすらも、唯一でないということを
知ることなんだろうと思う。

で、結局は自分はどう考えるか?ってことでしかない。

自分はどう考えるか?ということを表明していくには、本当の強さが必要だし。

自己批判を繰り返し、他者からの批判にも耳を傾けて、余計なものをそぎ落としながら
磨き上げていくようなもの。

そして何か新しいものを生み出すには、独創性が必要だし。

先生のいうことを聞いて、満足しているようなレベルを超えていかないといけない
ってことなんだと思います。


そりゃ、やりやすい生徒というか、いうことを聞いてくれる生徒は
わたしにとって楽だから、あぁ、いい子だと思うけれど。

やんちゃな子といわゆるいい子と、大きくなって大きく開花するのは、
どちらなのかなぁ??なんて、ふと思う。


教えるって、なんなんでしょうね。


最後の日、ちょっとやんちゃだった子が

「先生、今日で最後だね...」と声をかけてくれました。

やんちゃなフリして、でも根は繊細で真面目だというのは、わたしも
無駄に年齢を重ねてきたわけではないので、お見通しだった。

「えー、今日で最後だから、うれしいんでしょ?」と冗談で返すと

「○○先生よりは、まし!」と笑いながら言ってくれた。
 
「うれしいなぁ!わざわざ言いに来てくれて、ありがとね!」

その子がわざわざ教室にきて、わたしに声をかけてくれたことが
何も出来なかったと思って落ち込んでいた私が最後の最後に慰められた一瞬だった。

こんな私でも、受け入れてもらったんだなぁと思うと同時に
やっぱり授業でしっかりお返ししないといけないなぁとひたすら思う。

あぁ、いい授業がしたいです。

来年度から手綱を引き締めなおして、新しい気持ちで向き合っていこうと
思います。

やった!終わった

2016年06月19日 11時08分57秒 | Web log
忙しかった日々も終盤を迎え....やっとこさ落ち着きを
取り戻してきました。

今日はこれ、あしたはこれ、と一つ一つの予定や課題をこなして
1日1日を乗り越えてきた感じがします。

なので、昨日は「何もしない」宣言をして、久々にゆっくりと
テレビをみてゴロゴロしていました。

帰国後6ヶ月になろうとしています。

落ち着くまでは、まだまだ時間がかかるでしょうが、
焦らずに、じっくりと足元を固めていきたいなぁと思います。

今、気になっていること。

それは「はざ間」です。英語では Gap という言葉が適当かなと思います。

社会にはいろんな「はざ間」が存在しています。

わたしは、はざ間で右往左往することが多いような気がします。

誰かが「黒」といえば、「本当かよ?」と思うし

逆に、誰かが「白」といえば、そこでも「本当かよ?」と思ってしまいます。

二つの立場のどちらかに、無条件に立脚できれば、楽なんだろうけど。


そうはいかない。


あたかも自分の思っていることが全て正しいかのように純粋に信じきっている人たちをみると

そこまで信じきれるって幸せな人だなぁと思いつつ、ある種の驚愕と嫌悪感を抱いている自分を

確認する。


でも、グレーゾーンにたたずむ自分を良しとせず、本能的に、白か黒か、どちらかの答えを

見つけようと無駄にあがいている自分もいるわけで、結局は、その嫌悪感のようなものを

抱いている相手と私のわずかな違いは「決められない」ってことだけなのかもしれないです。


でも、まぁ、結局、決められないんだから、決めなくてもいいと割り切ればいいだけの話なんですけど。

どうして割り切れないんだろう。執着しちゃっているからだろうな。


... 修行がたりませんな。

ありの~ままの~ あぁ、思春期

2016年06月13日 23時05分57秒 | Web log
去年ですか? FROZENが流行りましたね...でもって、ありのままのーって歌も流行りました。


ジョナサン、ティーンズになって思春期に突入し、魔の14歳を迎えようとしております。

そして、あまりしゃべってくれなくなりました。最低限のことだけ話して、あとは、部屋に直行。

なんだか、色々悩んでいるような気配ですが、絶対に話してくれません。
ひとりであれこれ考えているようにもみえるし、内向的になってきたような感じです。

でも、わたしも伊達に年をとったわけでもないので、話さなくても大体ジョナサンが
思い悩んでいることはわかるし、その原因だってある程度はわかる。

自分が中学生だったときのことを考えれば、ジョナサンがあれこれ悩むのも
わからなくもないのですが。

でも、傍でみていると気が気じゃないというか、このまんまでいいのか??とか
思ってしまいます。

そして私ができることってなんだろう?? と先走って、助けてあげようとか、
アドバイスしてあげようとか、母親として、いろいろ考えるわけですが。

でもね、わたしができることなんて限りがあるし、的外れかもしれないし、
的外れじゃないとしても、アドバイスなんて聞きたくなかったりもするわけで。

本当はジョナサン自身が自分で答えをみつけないといけなかったりするわけですけど
わたしがきっと待てないんですね...

結局は、わたしがジョナサンを「ありのまま」で受け入れていないんだろうなぁと
思うわけです。

こうすればいい、ああすればいい、こんな風になってほしいという期待を押し付けて
ありのままのジョナサンを受け入れていないんですね。

母親なのに...だめだなぁ...

ジョナサン自身もありのままの自分をきっと受け入れられなくて、自信を失っている
わけですから、そこに追い討ちをかけるように、あーだの、こーだのとジョナサンのことを
思っているのをきっと彼は見抜いているし、感じている。

フローズンの映画の主題歌みたいにね、ありのままを受け入れるって、そんな簡単じゃないよ!
と思うわけです。

そして、わたしがいつも注目している為末大さんが、こんなことを書いておりました。

ありのままの自分でいたいのに、みんながそれを受け入れてくれないからそうなれない。
人はそう感じる事があるけれど、結論からいってありのままの自分を完全に受け入れてくれる他人はほとんどいない。
世の中のほとんどの愛や好みは条件付きでできている 



。

ありのままになる事を怖れさせる一番の原因は受け入れてもらえないかもしれないという事。
多分幼少期、十分にありのままでいられなかった経験等が影響するのだろうけど、こういう感覚になってしまうと、
人と面した時瞬間的に相手が期待しているものを察知してそれに応えようとしてしまう。

条件付きの愛は、その条件を満たしているから愛されている訳で、相手に好かれたいと思えば思うほど、
その条件を満たすのに必死になる。
愛されるべき人の条件というのを子供の時から言われ育ち、そしてそのうちありのままの自分にはその条件が
備わってないと考えるようになり、人は自分に失望する。

自己愛とか自分を許すっていう事の本質は、相手に期待をしないという事。

相手に愛してもらわないと自分に価値がないと思い込む事をやめて、自分で自分自身を愛するように努力する事。
他人が自分を肯定してくれるから自分は素晴らしいと思っている間は、残念だけど満たされない。

他人を愛したり、自分を愛したり、これは同時進行で進んでいくものだけれど、でも本質的な相手に対しての献身は、
自分を肯定しつつでないと難しい。自分を愛してもらう為に人に対して献身すると、見返りをどこかで強要して、
それが無い時に恨んでしまう。

自分を許してあげるのはつまりはそういう事で、立派だからじゃなく、優れているからじゃなく、
みんながすごいと言うからじゃなく、ありのままの自分を認めて褒めてあげる事。
そしてその為には他人への期待をやめないといけなくて、それはつまり相手が相手のままでいるのを認める事。

ありのままの自分でいられる状態ってのが獲得できるかというと、できるのかもしれないけど相当難しいと
僕は思っていて、やっぱり徐々に人生をかけて許していくしか無いんだと思う。

だから人生の最後に向けて大らかに自分へ向けての旅をしているような気持ちで、僕は日々を生きている。




多分幼少期、十分にありのままでいられなかった経験等が影響するのだろうけど..ってくだりは疑問だけど。

ゆっくり、ゆっくりでいいんだよね...と自分に言い聞かせながら、黙ってジョナサンを見守るしかないんだなぁと
思う。

そして、黙って見守っているようにしてても、心のどこかで「あーなってほしい」とか「こーしてほしい」とかいう
思いは、きっと見透かされるんだろうし、言葉を超えた何かで伝わるような気もするし、母親としての自分が
試されているような気もする..

ありのーままのーって歌を思い出すたびに、そんなにね、簡単なことじゃないんだよ!って思ってしまうのでした。

パブロバ作り

2016年06月09日 20時50分04秒 | Web log
比較的初期の段階での発見だったので、肺炎もひどくならずに回復、
仕事にも復帰して、生徒たちの溢れて余りあるエネルギーに圧倒されつつ
頑張ってます。

ところで、貧血が発見されて鉄分をとって2週間ほどになりますが
口内炎がでなくなったこと、そして踵のがさがさがなくなったこと、
そしてずっと悩まされていたむくみもなくなって、驚異です!

隠れたところに原因があるんですねぇ。

ジョナサンのスクールプロジェクトで、パブロバというオーストラリア&
ニュージーランドのお菓子を学校へ持っていかないといけないので
今つくってます。

簡単にいうとメレンゲ菓子です。

オーストラリアにいたときは、子供たちも興味なかったし、クリスマスに
なるとベースも購入できるので、敢えて作ろうなんて思わなかったけど。

簡単なので、自宅用にまた作ってみたいと思います。














いつものパターン

2016年06月01日 19時53分38秒 | Web log
帰国して5ヶ月。働き始めて3ヶ月。

なんと、肺炎になってしまいました。

金曜日に急に高熱が出たので、流行にかなり乗り遅れた、季節外れの

インフルエンザだろうと思って、「 寝てれば治るでしょう 」と 

のんびりしていたのですが、どうも3日経っても下がる気配もなく。

40度近い熱だったし、おっかしーなと思って、病院に行ったら

「 喉も高熱でるほど腫れていないし、赤くもなっていないし、リンパが腫れている
かんじもないのにおかしいですね。インフルエンザって感じじゃないけど、
とりあえず検査 」と言われて、

結果は、陰性。

先生は、肺炎のときのような音が聴診器から聞こえないし、細菌感染からくる風邪か
なにかでしょうと、片付けようとしたのですが、

高熱が気になったので「 肺炎だと思う 」と主張して、レントゲンとってもらったら....

やっぱり、左肺の一部が白くなってました。

で、すぐ抗生物質を点滴してもらって、服用する抗生物質ももらってきて、

熱は38度くらいまでなんとか下がったのですが、平熱まで下がりきらないので、

また、今日行って、みてもらったら、「 気管支が狭まっているような雑音が聞こえる 」

ってことだったので、また点滴してもらって、なんとか良くなってきたなぁという感じです。


わたしは、なりふり構わず突っ走ってしまうタイプなので、今まで似たようなことを

繰り返してきましたが、またやらかしてしまいました。

でも、これが私なのでもう仕方ありませんね。


体調を崩す前に、ブレーキをかける能力(自制心)を身につけたいんですけど。

また、明日から頑張るぞー!

署名

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