さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

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この半年間の話Part8(番外編)

2023年12月18日 23時47分33秒 | たわごと

今回の母の件で改めて感じたのは、

母の人望の厚さでした。

娘からいうのもなんですが、相当なはねっかえり&ぶっとんだ母なので、

友人は多いものの、友人たちは母のことをどう思って

付き合ってるんだろうと常日頃から謎だったのです。

母の具合が悪くなって以降、

家や母や私の携帯に、

「死なれたら困る。頼りにしてるんやから。元気になって。」

という系統の電話がバンバン掛かってきたんですよ。

姉や私の友達たちも随分心配してくれましたし。

そういう方々の気持ちも、母の回復の力になったのかも。

 

それと、もう一つ忘れていけないのは母の血統。

母の実父はシベリア抑留の生き残りで、享年106で亡くなりましたが、

亡くなる数か月前にも危篤に陥ってました。

過去ブログ「事件勃発」参照。

看取りのためと入院計画書に書かれて、

生きて正面出口から出た人はなかなかいないでしょう。

この時に書いていない裏話がありまして、

母はこの時、友人たちと一緒に秋田の七曲りの花火大会を見に行ってました。

秋田についた瞬間、叔父(母の弟)から

「じいさんが危篤や。」

と携帯に電話が掛かってきたのです。

母は即答で

「帰らへんで。」←きっぱり

ずっと見たくてやっと来たのになんで帰らなあかんねん。

だったらしく、帰る気ゼロ。←おいおい

友人たちはみんな「帰らなくていいの?」と気遣ったそうですが。(笑)

こういうはねっかえり母なんですよね。

祖父も母がいないから死んでる場合じゃないと、

と思ったのかどうかわかりませんが、この時は無事に復活しました。

そんなこともあり。

母は祖父を知っている人に

「やっぱりおじいさんの娘やから強いんやね。」

と感心されたらしい。

生命力は半端ではない血筋なのは間違いないですね。

 

あと、もう一つ。

私は今回の事件で、私の主治医の能力を改めてありがたく思いました。

主治医なら専門外であっても、

判断を誤まるようなことはまずないもんなあ。

主治医にあたったのは偶然でしかないので、

医者のめぐり合わせは運だとも思います。

今のご時世なので主治医も70歳ぐらいまでは今の病院に勤務してくださると思ってますが、

引退されたら、私も大病院は引退しようと思っております。

私は母と違って子供いませんから、

65歳以降は病院とは距離を取って過ごそうと考えております。

そうすればピンピンコロリできるはずだ!!と思ってるのですが、

甘い・・・?(笑)

 


この半年間の話Part7

2023年12月18日 00時41分00秒 | たわごと

そんなわけで。

セカンドオピニオンの病院から元の病院に戻ってきました。

その2日後に医者同士の勉強会で

「私が診ます。」とおっしゃったというDr.のところへ。

たらいまわしが一周戻ってきたらば、

次のDr.の診察室が前肝臓内科Dr.の診察室の隣だった

というオチつきでした。

 

診察室に入って、姉がここまでの経緯を説明したところ

「それは大変でしたね。」

とおっしゃっていただけました。

はい、ほんとに大変でした、この1か月。

腹水に対しては入院適応の利尿剤があり、

効くかどうかは人によりますが、それをやりましょう。

ということで、再入院が決定しました。

「サムスカ」という利尿剤です。

8月退院時に処方された利尿剤はフロセミド20mg。

セカンドオピニオンで行った病院でこれに追加して

アゾセミド30mg、スピロノラクトン25mg。

そして、入院でサムスカ7.5mgが追加。

入院時に54kgぐらいあったのが、毎日体重が順調に減っていき、

入院して4日目ぐらいに大量に尿が出てお腹がぐんと小さくなって、

無事7kgぐらい体重が減って、1週間ほどで退院できました。

腹水が溜まりまくっていたせいでまともに歩けなかったのが

腹水が減ったら歩きやすくなったそうで、

退院時は車いすにも乗らずにゆっくりですが歩いて退院できました。

 

退院の2日後には一族恒例の墓参りがあり、

それにも、よたよたしつつ参加できました。

「墓に入りそびれましたって挨拶しとき。」

というブラックジョークを飛ばしたのは私です。

 

退院後は4種類の利尿剤が継続でしたが、

少しずつ減って、今はサムスカ7.5mgとスピロノラクトン25mgだけです。

利尿剤を使っているとカリウムが下がるので、

処方されていたアスパラカリウムも半分に減りました。

1.8ぐらいまで下がっていたアルブミンも3台にまで復活。

中途半端にやった1コースだけの抗がん剤のおかげで

IgGも3000台継続で、白血球も3000ぐらいにまで復活しました。

結局、最初の肝臓内科のDr.の言っていた

「肝臓に変化はないので血液内科の副作用。」

というのは当たっていたということです。

(ヤツは性格には難があるが、腕には問題ないというのが定説)

肝臓内科と血液内科、どちらにも腹立たしい思いがありますが、

末期で看取りといった血液内科のほうがより罪が重くないか??

というか、同僚なら、ヤツが仕事せんっていうぐらいわかってるはずだ。

(患者だって知ってる。)

腹水が減って元気になったのはよかったけれど、

元気になったらなったで、また腹が立ってくるという。

姉は同じ医療者として、どう考えても今回の事件は許しがたいと言って、

結局、二人で相談窓口の看護師長さんに今回の経緯を訴えました。

平たくいうと、クレームってやつですね。

「そんなことがあったとは俄かには信じがたいです。

でも、両方の先生に確認したうえで、院長にも報告します。」

と言っていただき、後日、院長より

「私から責任をもって指導します。」

という返事はいただきました。

。。。ほんまやろな。。。

 

私自身は二度と血液内科のDr.の顔は見たくなかったのですが、

母がそのままで言いというし、

亡くなった友達に免じて許すしかないか・・・と思うことにしました。

(それでも、今も時折腹がたってくる。)

 

血液内科のDr.は患者に神のように崇められているので、

患者からクレームきたのなんて初めてかもしれません。

大病院の看板を背負っていると、いつの間にか過信が生まれたのかも。

バックの力を自分の力だと思ってはいけない・・・というのは

他山の石として、自分自身にも戒めたいです。

 

5月末から、忙しいはずの弟も折を見て帰省してくれて、

10月には介護ブザーを取り付けてくれました。

その日以降、数か月ぶりに自分の部屋に戻って眠ることができました。

我が家はきょうだい3人の仲がいいので、

乗り切れたのだろうとは思います。

3人寄れば文殊の知恵といいますしね。

(&ほぼ4人目として僧侶の友達が暗躍、違、めっちゃ助けてくれました。)

 

今回をもって、この半年間のお話は終了です。

なんとか、年内に終わりました。

現在の母は家事もだいぶこなせるようになり、

買い物は私と一緒に行っていて、

老人会の活動も再開させました。

今、仕事がめちゃくちゃ忙しいので、

母が復活してくれて助かっています。

明日から年末までやるべきことを片付けていきましょう~。

(ただし、現在は水星が逆行しているので、なかなか物事がうまく進みません。💦)