順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

結婚相手に求める年収

2009年10月17日 | 時事

「そうして休んでいる間に、男や女を諦めた人達に何歩も先を行かれるってワケね」
北崎拓「さくらんぼシンドローム」3巻より

結婚相手に求める年収というのは、基本的に女性が男性に求めるものとして扱われている。男性の中には、年収で値踏みされることに不愉快に思う人も多いかもしれない。しかし、女性が男性の経済力を条件に挙げるには、そうせざるを得ない事情があるだろう。昔からの労働環境は、私生活を投げ捨てて働く男性(夫)と家庭を全面的に支える女性(妻)という役割分担を前提に設計され、賃金も男性には一家全員を扶養できる額が与えられるが、女性はそうでない、という状態であった。母子家庭が類型的に貧困に陥りやすいのもこれが原因である。こうなると、女性が自力で経済的にいい暮らし得ることが難しく、男性に依存せざるを得なくなり、経済力が男性選びの指標として大きな意味を持つことになる。

もっとも、知的労働が主流となった現在においては、仕事(ジョブ)の遂行能力という点においては、男女で明確な差はなくなっている。法律業の方面では根気強さと表現力が多く求められるので、むしろ女性のほうが強いのでは、と思うくらいだ。しかし現実には、男女の格差というのはなお存在している。既存の男性像に適応した価値観である「仕事>>私生活」はなお強い力を持っており、男女平等が図られているといっても、「男性並みに働く女性」を認めるにとどまることが多い。この環境下では、私生活を投げ出して長時間労働と転勤に対応できる管理しやすいメンバーシップを提供できるかどうかが人材評価で重要な指標となるため、女性にはどうしても人生設計上の無理が出てきてしまう。

そして、男女ともに私生活を投げ出す働き方をすると、子供を育てる余裕がなくなり少子化が引き起こされ、仮に子供を設けても家庭の教育力が下がることになるなど、社会問題につながっていく。したがって、真の意味で平等を図り、個人の能力を有効に社会に役立てる環境を作り、また現在生じている家族問題に希望を見出すには、労働者間の競争のスタンダードをせめて「仕事=私生活」として、男女ともに同じくらい働いて家事をするという関係のあり方が社会に適合しやすいように誘導していく必要があるように思う。もっとも、従前の価値観に立脚して人生設計をしている人たちが多数存在するわけで、どのように調整していくかは非常に困難な問題があり、到底うまくいきそうにない。

このように労働にまつわる制度と価値観は容易に変更することができないが、個人の私生活の中身の次元では、すでに大きな変化が生じている。先日の朝日新聞によれば、草食男子に代表される昨今の「○○男子」は、旧来の「男子かくあるべし」という枠にとらわれない、新しい男性像が広まっていることの象徴として位置づけられるようだ。法科大学院での実務家教員ではワークライフバランスを実践できている先生が学生の人気を強く得るし、「類は友を呼ぶ」だけかもしれないが、男同士の会話で「将来仕事上リスクを背負った決断をするかもしれないし子育ても十分味わいたいし、相手は自立して仕事を続けていける人がいいよね」なんて話になることもあり、自分の身の回りでも旧来の「男子かくあるべし」から離れてきているなと感じる。

こうした新しい価値観は、「男女ともに雑食」を最終的な理想としているだろう。しかしこれが生活全体に定着するためには、先に述べたように、現在の労働環境では男女のどちらかが旧来の男性のような生き方をしないと生活の維持が難しいので、労働環境も変化していくことが条件となる。その変化の過程では、男性側から「結婚相手に求める年収」を強く主張することがあるかもしれない。これを先取りして、「自分は600万くらい、相手は400万くらい稼いで、合わせて1000万の生活が理想」といったことを堂々と公言する男性タレントやTVドラマの主人公・女性向けマンガの男性キャラクターが登場すれば、社会にインパクトを与えることができるのではないだろうか。すぐに実践・実現できる立場にある方、ぜひともそういう売り出しの企画や物語の制作をしてください!


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