順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

依存症

2009年10月08日 | essay

泉谷閑示「普通がいい」という病(講談社現代新書・2006年)

以前の記事「隠れた価値観を問い直す」の後半で紹介した連載を書いた精神科医の方の本を見つけたので購入してみた。豊富な臨床経験から組み立てられた人間観は説得力があり、心身の変調には何かメッセージがあるはずだと考えて一度受け入れてみる姿勢には大いに共感するところがある。話に沿って様々な文学作品の引用と解釈があり、このブログが目指す書き方のお手本のようで、こういった点からも大いに参考になった。内容については、全体の記述の中では枝葉に位置するものであるが(1)依存症と(2)不眠の記述が特に今の自分に照らして印象に残った。

その部分をまとめてみると、次のようになる。(1)依存症は、本当に望んでいるものではないもので代償的満足を得ようとして、質に満足できず量をどんどん増やしていってしまうものである。依存的行動を抑えるだけでは解決せず、本当に望んでいるものを探る必要がある(166頁から)。(2)不眠はその人が今日という一日を生きたという手応えを感じていないから起きているのではないかと考え、一日の最後に自分らしい時間を過ごしてみるようにと勧めている(224頁から)。この二つには共通する部分があるだろう。本当に望むものを満たすことが出来ていないから、依存的行動が生じやすいし、生活に手応えが感じられず不眠になりがちだということになりそうだ。

私の場合、当初予定した時間を超えてネットをついつい長時間やってしまうということがよくあり、依存的かなと思うことがある。また、幼少の頃から寝つきが悪く、数時間布団の中で起きていることもしばしばである。どちらも実生活に悪影響を与えるほどバランスを崩してはいないし多かれ少なかれ皆抱えていることだと思うが、改善したいと長らく思っていた事柄であった。そこで自分には何か本当に望んでいるのに満たしていないものがあるのではないかと考えてみると、「本心から物事に取り組む、人と接すること」に行き着いた。

私は「やるべきことをやっていたら自分の好きなことをやっても許される」という感覚が中高時代に強く形成され、まず周囲から評価されることを最優先で日常生活を送ってきた。「やるべきこと」は他から与えられるものが多く、本来自分の興味で選ぶべき部活やサークル活動もイメージがいいとか、他人本位な観点から選ぶことが多かった。これでは生活に手応えが生まれないので寝つきが悪くなる。また、情熱も沸いてきにくいわけで仲間とテンションの差が生まれるし、自分に好意をもってくれる人がいても「取り繕った自分の姿に魅力を感じられてもねえ」と心から信頼しにくくなる。一方、ブログは日常では話さないが自分が考えていることを発信できる場で、アクセス数等で反応も得られるため、本心から人と接することの代償的行為として依存の対象になりやすい。おそらく自分の問題の背景にはこうした事情があったのだろう。

しかし、「本心から物事に取り組む、人と接すること」が不足している状態は、最近急激に解消に向かっている。一つ前の記事で書いたように少し今までの生活から離れることができて、主体的に活動できる環境を作っていけるようになったからだと思う。寝る前に考えたことをノートにメモしてみると、自然と眠くなるようになった。今はそれに満足してブログの記事にする意欲がちょっと低下気味なんだけどね(この記事は9月末のメモを素材に書いている)。ネットで活動している人の中には同じように本心で人と接していない孤独感を紛らわすために長時間続けてしまう人も少なからずいると思うので、紹介した本とこの記事が参考になれば幸いである。


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