順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

orzからの疾走

2009年12月12日 | 時事

「orz」というのは、人間が落ち込んでる様子を表しているとされる。しかし見ようによっては陸上のクラウチングスタートの態勢に今から入ろうかという様子だとも言えるだろう。物事は成功するに越したことはないが、常に成功するとは限らず、失敗はつきものである。失敗から再びスタートを切れる環境を作ることが大切である。法律は、トラブルを事前に防止するとともに、トラブルを社会的に決着させることにより関係者に再スタートを切るきっかけを提供するものである。

以前日本の選抜システムについての議論を紹介したことがあったが、「学生」の選抜システムは再スタートのチャンスが非常に多い仕組みになっている。受験のメインである一般入試では本番の一発勝負で決まることがほとんどで、どれだけ立派な来歴があって勉強をちゃんとしてもその日の諸事情で落ちることもあれば、来歴では不利でもその日の諸事情で合格を勝ち取ることもある。その結果、いくら勉強しても安心できず無限の努力が求められて受験生の過度なストレスを生むと同時に、一発逆転を狙う希望ある挑戦者が存在している。まとめれば「上下に開かれたランダム性」が存在していると言えよう。

それに対し、「社会人」の競争環境では、就職に際しては来歴で決まる部分が大きくなり、その場での一発逆転というのは難しい。もはや変えることができない過去の穴を突かれて拒絶されることが多く、再スタートは容易でない。その一方で、就職した後は従前の来歴が通用しない学生と同様のランダム性の環境が用意されている。従前であれば就職すれば生活の保障が長期間得られ企業の成長も期待できたが、現在はそういうわけにもいかない。そして、派遣村等で貧困が社会問題化し、脱落への恐怖が非常に高まることとなっている。これをまとめれば「下に開かれたランダム性」が存在していると言えよう。

このような環境の下では、一定の地位を得た者は、脱落への恐怖に脅え、とにかく現状維持の守りの人生を選択し、生活はできているけどどこか空虚で自分の人生を生きた気がしない、でも世界の貧困の現場をみるとこうしていられることが幸せなんだなあとたまに気がつく、といった感じの生活を送る。一方で、脱落してしまった者は、再スタートの道筋が見えず、今さらどうしようもないという諦めに近い感覚を抱くだろう。日本人の幸福度が低いというのはよく話題になるが、こういう背景があるのではないか。みんなそれなりに不幸を抱えているということで平等な社会とも言えるが、ベストな社会のあり方ではないだろう。

ではどうすればいいか、という話になると考えが及んでいないが、上へもランダム性を開くということがひとつの考え方であろう。「友愛」は上から目線の善意で階層の固定化を象徴しているという話があったが(参照)、確かに民主党を支持した人でも自らの地位が脅かされることまでは想定しておらず、危険になると猛烈に反対するということが事業仕分けの議論で見え隠れした。派遣村に頼るしかない人にせめて人並みの生活をという善意によるものであったのだろうが、せいぜい人並みというのは希望をかきたてるには不十分だろう。orzの体勢から再スタートされる全力疾走は、「せめて人並みに走れる」というだけでなく「場合によっては日本記録も生まれる」可能性を秘めたものでなくてはならない。


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