順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

「三人世帯」

2011年10月22日 | 創作
お久しぶりです。走り書き程度に。なお,創作カテゴリです。

大雑把にいえば,戦後日本の典型的な家族モデルは,<終身雇用の下での働き手の男性>と<専業主婦或いは扶養から外れない程度にパートをする女性>に<子供>,という組み合わせであった。働き手の男性には,一家を養える分の賃金が支払われる(生活費保障仮説)一方で,長時間労働を行い移住を伴う配転を受け,仕事に一身専念して自身が家事や子育てに関わることが困難であった。このような滅私奉公的な働き方は,ひとつの倫理や道徳として定着していた。

以上のようなモデルを支える経済・社会条件は永続するものではない。ひとつの状況の変化は,景気の長期的な低調化である。企業は,終身雇用(もとより契約上の約束ではなかったが)の保障,生活費保障分の賃金の支払いが困難になった。非正規雇用に代替化し,福利厚生や賃金水準も切り下げられていった。しかし倫理・道徳化した働き方は容易には変わらないので,男性一人が家庭を犠牲にしながら十分に家族生活を支えにくいという状況が生まれた。

もうひとつの状況の変化は,男女平等の進展である。女性がきちんと能力に応じて働ける機会が増えていった。もっとも,男性が家庭を犠牲にしつつ行っていた働き方を女性もすることが可能になった,という進展にとどまった(理想としては男女双方家庭と両立できる程度の労働負担にすることである)。そのため,家事や子育ては女性がするものという容易には変わらない価値観との間で女性が葛藤を強いられることになった。男性が役割転換をしようとしても,今度は男性の方が葛藤を強いられることになった。

このような変化の結果,子育てをする経済的・時間的ゆとりは失われ,少子化が急激に進むこととなった。少子化によって国内市場の活発化の見通しも明るくなく,経済の低調化をもたらすというマイナスのスパイラルも起こしかねない状況になっている。

性差なく個人が能力に応じて働くことができ,家事や子育てもゆとりをもって行うことができ,経済的にも安定する,そういう手段はないだろうか。ひとつは労働条件を抜本的に変えることがある。しかし,強固に倫理化・道徳化している現状下では,制度を変えたとしても実効性にも疑いがある。「当面自分に降りかかるものとして,もうこれは諦めるしかない」そんなふうに感じられる。

では,家庭の方を変えることはできないだろうか。そこでひとつありうるのは,<働き手2人><家事のなり手1人>の大人3人で世帯を構成することである。現在でも,共働き夫婦に,引退したその親(祖父母世代)が家事を援助することはよく観察される。親世代の援助を受けられない者たちは,自分の世代で3人を集めることとなる・・・

・・・そんなことを考えた若者3人,共同生活を開始する。それぞれの役割分担に専念し,すべてが上手くいっているように思えた。しかしある日,1人のある一言で状況は変わる。

「みんな20代後半になってきたし,そろそろ,子供もほしいな」

すべての子供に対して公平に行うことができるか,結婚という制度との葛藤が出てくるか,周囲の価値観と折り合うことができるか。頭ではこれが合理的と考えていてもいざ実践できるか。子の人生がかかっていて,失敗しましたではすまされない。ちゃんと「四人世帯」「五人世帯」に発展できるか。歯車が忙しく回り始めた。


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